静岡にも実は信長さまのお墓があります。
かなりマニアックですが(笑)
先日、初めてその、西山本門寺に行ってまいりました

時期外れだわ、夕方近いわでお客さんまったくいませんでしたが

いいんだ、行くことに意義がある
西山本門寺は、富士五山・興門八本山のひとつになっている、由緒正しい立派なお寺なんです

代々の上人が甲斐武田家や水戸の徳川家の出身などの縁もあり、現在の山容は黄門さまの徳川光圀公の寄進によるものだとか。
しかもここは『下馬』札もある

ここに下馬札が建ってます。
これってすごいんですよ。だって朝廷が認めた命令ですから。
御水尾天皇の娘の常子内親王の帰依受けた関係で、下馬下乗の禁令を建てることが許されたんですね~

黒門もなかなか立派
これをくぐるとなが~い参道が待っています。

桜の季節は本当に見事らしいんだけどね…今は何もない…
そして行けども…

さらに行けども…

…あ

やっと建物が出てきた
…とこんな状態

ひたすら先の見えない参道

なんもない時期は道幅の広さがまた寂しさをあおりましたね

そしてやっと本堂に到着。

大イチョウと鐘楼も見事です。
本当にでかいんですよ、このイチョウ

どんなサイズかって?別角度から写真してみると…

比較出すとわかりやすくでかいでしょ?
そして本堂・庫裏の裏手に回ると、信長の首塚があります。

池の上に見える大柊が首塚です。
冬だからか、傷んでしまったのか、柊はぐるぐる巻きにされていました

信長が本能寺で囲碁を興じていた本因坊日海の命で、原志摩守宗安が、信長と共に自刃した父胤重・兄孫八郎清安の首と一緒に信長の首を炎上する本能寺から持ちだし、ここに運んで埋葬して柊を植えたんだとか。
実際、運ぶことが可能だったのか?とかの疑問は色々ありますが、全国の信長のお墓の中で、首塚と伝のはここだけなのは事実です。
しかもこの柊、以前は人の顔に見える瘤があったとか?あまりに気味が悪いってことで、切り落とされたそうですが…
個人的には、この場は背筋にぞくぞくするものがあったので、本当にここに運ばれていても不思議ではないなぁと思えました

この本堂の上に、さらに参道が続いていたので、ついでに行ってみることに。

上には本尊堂跡などがありました。昔はここにも御堂があったみたいです。
その後ろはお墓になっていました。
ちなみに。
どうやら最初の下馬札があった黒門からこの後ろのお墓まで、2キロ近くあるらしい…
そりゃ長かったわけだ…