青春切符で初の和歌山へ行ってきました

たぶん年内ラスト更新なので(年越しはカウコン
)、〆に相応しいマニアなお墓参りネタを(笑)
もうね~偉人の墓参りマニアとしましては、高野山はただの聖地じゃないんですよ
もうずっと行きたかったところだからバカテンションあがりました
しかもこの日だけ雨予報だったのが晴れた(笑)やってやったぜ

極楽橋からケーブルに乗っていざ高野山へ

バスでいきなり奥之院を目指します。
一の橋口で降りて杉と墓碑が並ぶ参道へ


雪がわずかに残っていましたが、陽も差して暖かくなってきていたのでご機嫌にGO

とりあえず、これでもかってくらいの数でしたので、ピックアップでご紹介。
ちなみに見て行った順です。
山口毛利家墓所。


どこもかしこも立派な墓石なので、すでにこの頃には目が麻痺し始めていましたが(普通サイズが分からなくなってきている状況)、そんな中でもここは圧巻でした
数もあるんでしょうけど…さすがご立派
小田原北條家墓所。

顕彰会の方々が『小田原北條氏の興亡』と言う立派な石碑を立ててくださっているのが、ここの墓所の中でも珍しくて目を引きました。
武田信玄(左)と勝頼(右)の供養塔。

上杉謙信の廟。

なぜこの2つを一緒に載せたかと言うと、説明がちょっと面白くて…
武田家のところにあった文が…
『戦国武将らしく簡素な石碑は、豪華を誇る上杉家の霊廟に比べ、却って人の心に迫るものがある』
これ作った方、武田よりなのかしら?…なんだかせっかく豪華に作ったのに謙信さまの立場が…
…って思うのは自分だけかなぁ
ちなみ謙信廟の屋根は昭和41年に銅板葺から檜皮葺に復旧しています。
伊達正宗墓所。

鳥居の石碑の上から小さい松が盆栽のように生えていたのがやけに気になった(笑)
井伊直弼の廟。

石田光成墓所。

そして我がメイン
明智光秀墓所。

写真でわかるかと思いますが、石が割れています。
これ、なぜか修復しても必ず割れてしまうそうで…たしかにここにきてわかること。他にそんな石見当たらない。
石がかけているとかはあると思うんですけどね、ここまでパックリ割れているのはちょっと…
光秀の無念さの表れ…との説もあったりします。まぁ不思議なことに変わりはない。
柴田勝家墓所。(手前)

初代市川團十郎墓所。

安芸浅野家墓所。

崇源夫人(お江)五輪石塔。(1番石)

この横には本多家に嫁いだ娘、天樹院千姫供養塔が。

そしてさらに横には千姫が2度目に嫁いだ播磨姫路本多家墓所。

親子・夫婦近くにっていう優しさ配置??
前田利長(1枚目)・夫人(2枚目)の墓所。参道挟んで向かい合わせに建っています。(3番石)


再び安芸浅野家墓所。(2番石)

結城秀康(家康の次男・秀吉の養子)石廟。



これ、重文になっています。他に石造りの御殿のお墓はないのでかなり異色です。
豊臣秀吉墓所。

広いけど予想外に簡素。秀吉なのに…
他がやたらデカいから余計にそう思えたのかも?
織田信長と筒井順慶の墓所。

なんで並んでるんだろう?と思ったけど、まぁ家臣だからいっか
浅野内匠頭墓所と赤穂四十七菩提碑。

この先は聖域。弘法大師の御廟になります。

この御廟橋を超えると空気が違うんですよ。
ちなみに燈籠堂までの参道、この途中に春日局墓所なんかもあります。
参拝では燈籠堂の裏の御廟にももちろん御参りできます。
これまたさらにここの空気の澄みきり方がすごい
ちょっと感動もの

“聖域”は伊達じゃないんです。
この独特な感覚はぜひ参拝して味わってもらいたい
凄かったです
奥之院の水向地蔵と御供所。


おまけ。
福助の感謝の碑。

しろありの供養塔。

宗派とか一切問わないのは知っていたけれど…本当に何でもありだなぁ
ではではよいお年を


たぶん年内ラスト更新なので(年越しはカウコン

もうね~偉人の墓参りマニアとしましては、高野山はただの聖地じゃないんですよ

もうずっと行きたかったところだからバカテンションあがりました

しかもこの日だけ雨予報だったのが晴れた(笑)やってやったぜ


極楽橋からケーブルに乗っていざ高野山へ


バスでいきなり奥之院を目指します。
一の橋口で降りて杉と墓碑が並ぶ参道へ



雪がわずかに残っていましたが、陽も差して暖かくなってきていたのでご機嫌にGO


とりあえず、これでもかってくらいの数でしたので、ピックアップでご紹介。
ちなみに見て行った順です。
山口毛利家墓所。


どこもかしこも立派な墓石なので、すでにこの頃には目が麻痺し始めていましたが(普通サイズが分からなくなってきている状況)、そんな中でもここは圧巻でした

数もあるんでしょうけど…さすがご立派

小田原北條家墓所。

顕彰会の方々が『小田原北條氏の興亡』と言う立派な石碑を立ててくださっているのが、ここの墓所の中でも珍しくて目を引きました。
武田信玄(左)と勝頼(右)の供養塔。

上杉謙信の廟。

なぜこの2つを一緒に載せたかと言うと、説明がちょっと面白くて…
武田家のところにあった文が…
『戦国武将らしく簡素な石碑は、豪華を誇る上杉家の霊廟に比べ、却って人の心に迫るものがある』
これ作った方、武田よりなのかしら?…なんだかせっかく豪華に作ったのに謙信さまの立場が…

…って思うのは自分だけかなぁ

ちなみ謙信廟の屋根は昭和41年に銅板葺から檜皮葺に復旧しています。
伊達正宗墓所。

鳥居の石碑の上から小さい松が盆栽のように生えていたのがやけに気になった(笑)
井伊直弼の廟。

石田光成墓所。

そして我がメイン


写真でわかるかと思いますが、石が割れています。
これ、なぜか修復しても必ず割れてしまうそうで…たしかにここにきてわかること。他にそんな石見当たらない。
石がかけているとかはあると思うんですけどね、ここまでパックリ割れているのはちょっと…
光秀の無念さの表れ…との説もあったりします。まぁ不思議なことに変わりはない。
柴田勝家墓所。(手前)

初代市川團十郎墓所。

安芸浅野家墓所。

崇源夫人(お江)五輪石塔。(1番石)

この横には本多家に嫁いだ娘、天樹院千姫供養塔が。

そしてさらに横には千姫が2度目に嫁いだ播磨姫路本多家墓所。

親子・夫婦近くにっていう優しさ配置??
前田利長(1枚目)・夫人(2枚目)の墓所。参道挟んで向かい合わせに建っています。(3番石)


再び安芸浅野家墓所。(2番石)

結城秀康(家康の次男・秀吉の養子)石廟。



これ、重文になっています。他に石造りの御殿のお墓はないのでかなり異色です。
豊臣秀吉墓所。

広いけど予想外に簡素。秀吉なのに…
他がやたらデカいから余計にそう思えたのかも?
織田信長と筒井順慶の墓所。

なんで並んでるんだろう?と思ったけど、まぁ家臣だからいっか

浅野内匠頭墓所と赤穂四十七菩提碑。

この先は聖域。弘法大師の御廟になります。

この御廟橋を超えると空気が違うんですよ。
ちなみに燈籠堂までの参道、この途中に春日局墓所なんかもあります。
参拝では燈籠堂の裏の御廟にももちろん御参りできます。
これまたさらにここの空気の澄みきり方がすごい



“聖域”は伊達じゃないんです。
この独特な感覚はぜひ参拝して味わってもらいたい


奥之院の水向地蔵と御供所。


おまけ。
福助の感謝の碑。

しろありの供養塔。

宗派とか一切問わないのは知っていたけれど…本当に何でもありだなぁ

ではではよいお年を
