当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

高野山でお墓参り

2012年12月31日 | 日記
青春切符で初の和歌山へ行ってきました

たぶん年内ラスト更新なので(年越しはカウコン)、〆に相応しいマニアなお墓参りネタを(笑)

もうね~偉人の墓参りマニアとしましては、高野山はただの聖地じゃないんですよ
もうずっと行きたかったところだからバカテンションあがりました
しかもこの日だけ雨予報だったのが晴れた(笑)やってやったぜ

極楽橋からケーブルに乗っていざ高野山へ

バスでいきなり奥之院を目指します。
一の橋口で降りて杉と墓碑が並ぶ参道へ



雪がわずかに残っていましたが、陽も差して暖かくなってきていたのでご機嫌にGO

とりあえず、これでもかってくらいの数でしたので、ピックアップでご紹介。
ちなみに見て行った順です。

山口毛利家墓所。



どこもかしこも立派な墓石なので、すでにこの頃には目が麻痺し始めていましたが(普通サイズが分からなくなってきている状況)、そんな中でもここは圧巻でした
数もあるんでしょうけど…さすがご立派

小田原北條家墓所。

顕彰会の方々が『小田原北條氏の興亡』と言う立派な石碑を立ててくださっているのが、ここの墓所の中でも珍しくて目を引きました。

武田信玄(左)と勝頼(右)の供養塔。

上杉謙信の廟。

なぜこの2つを一緒に載せたかと言うと、説明がちょっと面白くて…
武田家のところにあった文が…

『戦国武将らしく簡素な石碑は、豪華を誇る上杉家の霊廟に比べ、却って人の心に迫るものがある』

これ作った方、武田よりなのかしら?…なんだかせっかく豪華に作ったのに謙信さまの立場が…
…って思うのは自分だけかなぁ
ちなみ謙信廟の屋根は昭和41年に銅板葺から檜皮葺に復旧しています。

伊達正宗墓所。

鳥居の石碑の上から小さい松が盆栽のように生えていたのがやけに気になった(笑)

井伊直弼の廟。


石田光成墓所。


そして我がメイン明智光秀墓所。

写真でわかるかと思いますが、石が割れています。
これ、なぜか修復しても必ず割れてしまうそうで…たしかにここにきてわかること。他にそんな石見当たらない。
石がかけているとかはあると思うんですけどね、ここまでパックリ割れているのはちょっと…
光秀の無念さの表れ…との説もあったりします。まぁ不思議なことに変わりはない。

柴田勝家墓所。(手前)


初代市川團十郎墓所。


安芸浅野家墓所。


崇源夫人(お江)五輪石塔。(1番石)

この横には本多家に嫁いだ娘、天樹院千姫供養塔が。

そしてさらに横には千姫が2度目に嫁いだ播磨姫路本多家墓所。

親子・夫婦近くにっていう優しさ配置??

前田利長(1枚目)・夫人(2枚目)の墓所。参道挟んで向かい合わせに建っています。(3番石)




再び安芸浅野家墓所。(2番石)


結城秀康(家康の次男・秀吉の養子)石廟。





これ、重文になっています。他に石造りの御殿のお墓はないのでかなり異色です。

豊臣秀吉墓所。

広いけど予想外に簡素。秀吉なのに…
他がやたらデカいから余計にそう思えたのかも?

織田信長と筒井順慶の墓所。

なんで並んでるんだろう?と思ったけど、まぁ家臣だからいっか

浅野内匠頭墓所と赤穂四十七菩提碑。


この先は聖域。弘法大師の御廟になります。

この御廟橋を超えると空気が違うんですよ。
ちなみに燈籠堂までの参道、この途中に春日局墓所なんかもあります。
参拝では燈籠堂の裏の御廟にももちろん御参りできます。
これまたさらにここの空気の澄みきり方がすごいちょっと感動もの
“聖域”は伊達じゃないんです。
この独特な感覚はぜひ参拝して味わってもらいたい凄かったです

奥之院の水向地蔵と御供所。





おまけ。
福助の感謝の碑。

しろありの供養塔。

宗派とか一切問わないのは知っていたけれど…本当に何でもありだなぁ

ではではよいお年を

日本寺

2012年12月25日 | 日記
館山まで来たので、帰り道に鋸山の日本寺にも寄ってきました
ここ前に本で見て、来てみたかったんだよね~

日本寺は、行基が開いた、関東最古の勅願所だそうで。
このお寺は岩を彫刻した日本最大の大仏さまがあるってことで有名です。

浜金谷駅で降りて見えるのが鋸山。

鋸山は江戸時代に石切場として栄えた場所で、現在も石切場跡を見ることができます。

ロープウェイに乗って楽をして山頂へ
このロープウェイから石切場跡がよく見えますよ

まず百尺観音へ。



デカいそして美しい
本で見た時、なんかバーミヤンっぽいって思ったんですよね~
ちなみに大きさは、その名の通り、百尺=30.3mあるらしい。
そしてここも石切場跡だったりします。
戦没者・交通犠牲者供養の為に昭和41年に着工、6年かけて作られた観音様です。

次に地獄のぞきの展望台へ。

右上のとがった岩、これが展望台。
もちろん柵はありますけど、あの岩の上まで行くことが出来ます。

柵から覗いた景色。左側には百尺観音があるんですが、さすがにここからは観音様の姿までは見えなかった

千五百羅漢。

新しめ?と思ったけど、1779年から作られた者たちらしいので、200年くらい経ってた
表情・姿勢がユニークな羅漢さんたちが集団になって点々といらっしゃいました。




通天閣(二天門)と呼ばれている山門扱い?の岩トンネル。


そして日本寺一番のメイン
大仏様の元に到着~



なんと大きさ31.05m
奈良の大仏の1.7倍だって
周囲も岩山だから大きい言ってもそこまでとは思わなかった
昭和41年に修復されたそうなのですが、レンガ積んだような模様になっているのはその修復痕なのかな??

御朱印もいただき、再びロープウェイ駅へ。
往復買っちゃったから戻ったけど、大仏のとこまで行ったら歩いて下山で駅向かう方のがいいような気します。
次行くことあったら間違いなく片道しか買わないなぁ。

時間は、ロープウェイから大仏まで往復コースは約90分とありましたが、60分くらいで大丈夫でした。
まぁ結構サクサク歩行で観光したのでそんなもんだったのかもしれませんが…
ロープウェイ、最終16時だったんだもん

機会があったらハイキングコースで下からちゃんと登るか下るかしてみたいです

館山城

2012年12月24日 | 日記
お久しぶりの更新。
舞台行っても更新しなくなってんなぁ自分…

青春切符も解禁となりましたので、館山行ってきました
春の八犬伝の舞台チケットも取ったからね~行くなら今だろってことで


館山城は里見氏の居城。
馬琴の南総里見八犬伝の話の元になった里見氏です。

城の中は八犬伝資料館になっています。

中は南総里見八犬伝の本や錦絵、現代ものですが人形劇の新八犬伝のジュサブロー人形があったりと、八犬伝に関するものが色々と展示されていました。

↓天守閣からの景色。

天気良ければ富士山や天城山も見えるそうです。
晴れてはいたんだけどね~ちょっと雲があったからねぇ~

天守の前には浅間神社がありました。

浅間さんなんで、祀られているのはもちろん木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)です。
八犬伝資料見た後だと、伏姫じゃないのとつい思ってしまいます

そして八犬伝のモデルと言われている里見の八遺臣のお墓。

里見の殿様でやっぱり一番にあげられるのが、里見最後の殿になってしまう里見忠義公。
大久保長安事件・忠隣失脚事件に連座して突如倉吉に改易となり(正室が忠隣の孫娘)、不遇のまま倉吉で亡くなります。
しかも跡継ぎがいないということで里見家は御取り潰しに。これにより里見家は滅亡。
忠義死去の折に八人の側近が殉死ししたのですが、彼らが八賢士として讃えられた為、八賢⇒八犬になったんです。
八賢士のお墓は忠義と一緒に倉吉の大岳院に葬られていますが、地元の説では館山に運ばれてここに葬られたとあるんだそう。
しかし使われている石が室町のだそうで…里見滅亡は江戸なので?なお話
まぁ埋葬地以外にもいくつもお墓作っちゃう時代ですから。これ以上のツッコミはなしでこういうのは気持ちの問題

城の下にある博物館(本館)では、甲冑体験なんかもできます(無料)。
興味がある方はぜひどうぞ
マジでガッツリ着させられてましたよ(笑)


掛川城

2012年12月04日 | 日記
森町行ったので、お隣の掛川に出向いて久しぶりに掛川城に行ってまいりました


天気も良くてお城が映える
しだれ桜の枝が見事に枝だけになってますけどね。う~ん桜の時にやはり来たい





天守閣の前には忍者もいた(笑)

めちゃめちゃ気のいい忍者さんです

掛川城は元は今川家臣の朝比奈のお城。
秀吉時代に山内一豊が城主となり、江戸後期に太田氏(初代江戸城主の太田道灌の子孫)が城主となり明治維新を迎えています。
今の天守は平成6年に建てられた復元木造天守。
一豊が後に土佐に国替えとなって高知城を築城した際、掛川城を模して築城したと言われていて、現在の掛川城は、皮肉にもその模したといわれる高知城(江戸後期に再建された現存天守)をさらに模して復元された城になります。
この城、何がすごいって、バブル期の頃のことではありますが、市民の寄付によって復元された天守なんですよ
熱いぜ、掛川


天守閣からの景色。
下に見えるのは二の丸御殿。これ、現存です。
江戸時代末期、嘉永の大地震で倒壊した御殿を太田氏が再建したもので、現在残っている御殿は、当時の3分の1くらいの規模ですが、全国的にも数少ない御殿の遺構になります。


御殿の入り口にはなぜか山内夫婦がいらっしゃいます(笑)
ぜひカップルで行かれた方は顔を入れてくださいね





御書院上の間。城主の対面所なので、床の間があったりと格式が高い作りになっています。


長囲炉裏の間の天井には太田氏の家紋がデザインされているんですよ

二の丸美術館は無料開放されていてラッキーでした
美術館見た後は、裏手にある竹ノ丸へ…


実はここ初。
天守から見えて「あれ?あそこなんだ?見学できそうな感じが…」と思い、行ってみたらちゃんと拝観できた
ここは明治になって豪商の松本家が屋敷を立て直した、元武家屋敷の場所です。
豪商らしい、贅沢で立派な建物で、時代が明治大正期ってのもあってか、なんとも細かいところでオシャレ
2階の窓越しに見える掛川城は本当に美しかった

↑この竹ノ丸で一番推しのステンドグラスのついている窓。夕方はもっとキラキラ光るらしいです。


見事な和洋折衷。どちらのテイストも味わえる上に天守の眺めが最高。
めさめさイイ穴場スポットでした

ラストに掛川古城。
掛川城から歩いて5分くらい…かな。にあって、掛川城は最初、そちらに築城されました。
天守からの景色の御殿の左奥に映っている小さい山が古城。

現在は龍華院大猷院殿霊屋が建てられていて、三代将軍家光の御霊を祀ってあります。

石松のお墓参り

2012年12月02日 | 日記
小國神社に行った後、車でなら近くの大洞院へ。
こちら、清水の次郎長の子分、森の石松のお墓があるお寺です。

石松のお墓は、石松が狭客って事でやっぱり境内にお墓は建てられないらしく、門前の駐車場横にあります。
…まぁなので、実は一番の目的は、お参り前に終わるという(笑)

石松のお墓の墓石は、ギャンブル運がつく!って迷信により御参り客に削られまくってしまい、何度も作り直されています。
現在のは3代目。向かって左が石松の墓、右は次郎長の碑です。
実はこの3代目、すでに角がガタガタですが、一度修復もされたお墓。4代目になってしまう日も遠くないのかもしれない…

そしてお墓前にフェンスに囲まれた石が…

これが2代目?のお墓です。
実はこの墓石、丸ごと盗まれてるんですよ発見され、今はこんな有様。
現在のとは比べものにならないくらい削られてます
文字は…金毘羅大権現は読めたけど





いざ境内へ

ここも実は隠れた紅葉の名所。
たださすがに今回はもう終わり…雨も降ったしねぇ。その分ちょっと早かったのかも






鐘楼前には記念写真用の石松&次郎長が…

個人的には石松のイメージがちょいと違うなぁ
…つうか、この石松、アイシャドウしてるよね!!石松って色気キャラだっけ???

最後に客殿の方に飾られていた石松愛用の品。

基本の旅装束なんだけど、これは次郎長一家のイメージ通りだ(笑)

小國神社

2012年12月02日 | 日記
たぶん今年の紅葉ラスト…なので、最終の美に相応しい、静岡県内でも屈指の紅葉の名所、小國神社に行ってまいりました


一の鳥居をくぐっていざ参拝




紅葉も、参道の杉の木も立派

二の鳥居と社殿。


鳥居をくぐったところにあった家康公立ちあがり石。

家康が参拝した折に腰かけたんだとか。
あやかりたくて腰かける人が多いって書いてあるけど、石の上にお賽銭置かれていて、気分的に座れないと思うんだけど…

参拝してから古代の森へ。



メイン写真スポットはこれでもかってくらいの混雑ぶりだったので先にお散歩へ…


しかし残念ながら森の奥の紅葉はもう終了な感じ
再びメインポイントに向けてお散歩。

相変わらずの混み様ま、こうなったら仕方ない

メインポイントの橋の上の隙間を陣取り











やっぱりここ最高
日も出てきたので、紅葉も光って超綺麗水面に映る紅葉も綺麗だし
いつまでも見ていたくなる光景でしたよ

最後に駐車場戻る途中の紅葉。

出入りの車の通り道でなかなか危ない場所ですが、ここの紅葉もキラキラしていて綺麗でした