当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

大人はかく戦えり

2011年01月31日 | 日記
シスカンパニー公演『大人は かく 戦えり』観てきました

自分の中で、この人の舞台はハズしたくない
その一人、段田さん出演です
だって段田さんが出るのって、個人的に必ず当たりなんだも~ん

今回のはしのぶさんに克実さんに秋山さんの4人舞台。
2夫婦が、子供の喧嘩が元で、話し合いをする…そこから生まれる(?)色々な面をもつ口喧嘩。…でいいかな?
仮面がハズれていく様を、これでもかって位に極端にした、たった時間(上演時間は80分、ほぼリアルタイム進行)の物語です。

いや~濃いぃ4人。期待もしてましたが、本当に濃いかった(笑)

本当にキャラ濃いんですよ
しのぶさんはしのぶさんで、潔癖・真面目なキャラもあってか、ひとりすごいテンションでキレる姫奥様だし。
段田さんは、いい人ぶってる面倒臭がりやな旦那だし。
秋山さんは、空気読み屋なんだけど、ストレス溜りまくっておかしくなっちゃう人だし。
高橋さんは利益大好き!自分のこと以外の面倒なこと大嫌い!って潔いくらいの利己主義だし。
そんな4人の喧嘩ですよ。
そりゃおもしろいって(笑)

翻訳劇なんで、元はフランスものなんです。
だからか?余計に理屈っぽさがある
口にだして納得しないとダメなんですよ、皆様。だから余計なことまで口にしてさらにバトる(笑)
言わなきゃいいのに…をうっかり口にする。
夫婦vs夫婦、妻vs夫、男vs女。
流れにまかせ、バトルも様々なパターンが生まれます
そこにマギーの演出。コント?と思う演出多数(笑)

これはネタバレしてはマズすぎるので書けませんが、“あの”秋山さんが。美人なのにお笑い芸人以上のこともやれちゃう秋山さんが。「この芝居は初」と言わしめる、衝撃のシーンがあります。
いや~すごい衝撃です。そこんじょそこらの女優じゃなかなかやれないだろうシーン。
秋山さんさすがだ…

段田さんの夫ぶりは、『2人の夫と私の事情』を思い出しちゃった。
そういやあれも“姫”嫁だった(笑)

この舞台は人間らしさを死ぬほど感じる舞台でしたね
50歳くらいの方が夫婦で見たら、妙な共感を生みそうな気がします(笑)

本当に面白かった。特にしのぶさん声出して笑わせてもらっちゃいましたよ

段田さんが出る舞台は本当にハズレがなくていいなぁ~

よゐこライブ2011

2011年01月30日 | 日記
よゐこライブ2011に行ってきました

今回は鈴木おさむさんとタッグを組んでの、『よゐこのヤマダ電機』

久し振りに見た生よゐこ…優にかっこいいと思ってしまった(笑)

いや~面白かったです。
なんつうか…元気なコントしてるよゐこだった(笑)

タイトルからだと家電芸人って思われそうですけどね~
決してそんなネタではなく。
だって出てくる家電、全然最新じゃないもん
あえて言うなら…マニア?過去と霊界の家電?

過去のマニア家電に関しては、有野さんだなぁ~って思いましたよ。
あの人のゲーヲタぶりから繋がる知識なんだもん(笑)
電卓にそろばん、冷蔵庫にレンジ、そんな合体商品初めて見たよ。実際過去にあったことが驚きですよ。
世代が近いから、ネタに出す懐かしいものはだいたいビンゴでツボに入るんだけどね、この2つは単純に驚いたわ

そして世代だよね~のBOOWY。
あんな使い方していいのかな…っていう…
曲流れるたびに爆笑してしまいましたが。そこでそれかよってノリでですがね(笑)

裏方でやらされていた方々にも感心でしたよ。
物の独り言が聞ける機械(犬の言葉翻訳機のバウリンガルみたいなもん)ってのがあったんですが、その“物”役やった裏方さん
返し、面白すぎました
途中、完全にアドリブになったしね(笑)

個人的に一番はハマったのは、マッサージチェアーの擬人化。
有野さんの、カンフー的なマッサージの動き、とんでもなくツボにきました(笑)


いや~お笑いのライブは、どう紹介していいかわからないね。

まぁとりあえず本当に面白かったです
やっぱりいいなぁ~よゐこのコント


あと、グッズも可愛かったです
値段もお手頃だし。
バック可愛くてついつい買っちゃったよ。
サイズは…まぁ一般的なライブで売っているのと同じB4サイズくらいの布のやつ。
500円って良心的だわ~



お花もたくさんきてましたよ。
めちゃいけメンバーのだけ、入口の外の階段に置かれていましたよん

建仁寺 正伝永源院

2011年01月28日 | 日記
これまた冬の特別公開、建仁寺の正伝永源院に行ってきました


正伝永源院は建仁寺の敷地内からちょっとはずれた場所にあります。
正伝院と永源庵という2つの塔頭寺院が元になります。
現在の地にあったのは永源庵。
正伝院は祇園の方にあったのですが、明治になって2つの寺院が合併したため、このような長い名前になっています。
正伝院は江戸時代に織田信長の弟である有楽斎によって再興されたお寺で、ここには有楽斎のお墓があります。


入っていきなりお墓があります。
一番入口に近いお墓(2枚目右)が有楽斎のお墓。
右から順に有楽斎・有楽斎夫人・織田長好・一条関白室(有楽斎の孫)のお墓が並んでいます。
どれも大きくて立派です

向かいには細川家歴代のお墓。

高桐院のお墓と同じく、石の門に細川家の家紋が入っています

その横。福島正則と家臣のお墓。

福島正則は賤ヶ岳七本槍のひとりで、猛将として知られています。

方丈の中には狩野山楽筆の『蓮鷺図』があります。
いかにも狩野派ってな金箔の豪快な襖絵です。

ちなみに今回のパンフレットの表紙はこの襖絵の一部。
この写真以外の場所になりますが、部屋正面の右手側の襖には、1本の蓮から2つの花が咲いていたりもします。

庭には国宝の茶室『如庵』の写しがあります。

本当は正伝院に如庵はあったのですが、明治の合併の際に払い下げがされ、後に東京・大磯と移築されていき、現在は犬山市の犬山ホテルの有楽苑(犬山城の近く)に移築されています。

織田有楽斎(長益)は、信長の年の離れた弟で、信長にものすごく可愛がられていたそうです。
本能寺の変の際には信忠とともに二条城にいたのを、光秀軍の襲撃を抜けて京都からなんとか脱出。(信忠は二条城にて自害)
その後は、豊臣と徳川の仲介役的な立場をしていましたが、大阪夏の陣の前に豊臣家を離れ隠居。
この際に正伝院を隠棲場所として再興し、ここで趣味の茶の湯に専念し、そのままここで没しています。

額には細川護熙元首相のお父さんの細川護貞氏の筆で『如庵』と書かれています。


中にあがることはできませんが、覗き込むことはできます。
窓には竹を埋め打ちした『有楽窓』があり、これがまた何とも言えない味を出してる
室内には暦が張られているのですが、これは本物の如庵にもされていたことで、そのせいで別名で『暦張席』などとも呼ばれています。
本物の如庵も以前見ていますが、こちらは復元ということで新しさもあるからかなぁ?利休や七哲の造る茶室とはまた風情が異なる計算された粗っぽさがそんなに感じられなかった気がします。
ま、もちろんステキなことに変わりはないですけどね


ちなみに、解説やってくださる方が、本物見たことがある東海圏の人がよく来てる言ってました(笑)
とくにこの日は岐阜の人が多かったらしい。
地域柄、信長絡みに興味がある人が多いのかなぁ

大徳寺玉林院

2011年01月27日 | 日記
高桐院のお隣にある玉林院は、今回の冬の特別公開の塔頭。
もちろん行ってまいりました

玉林院は建立して数年で焼失してしまい、まずは片桐且元らによって復興、そしてさらに時代が経ち、鴻池了瑛によってさらに手を加えられ現在に至っています。
鴻池は大阪の豪商。初代鴻池新六は、尼子の武将山中鹿之助の実長男(後に本家の黒田家へ養子に出ています)。その為、了瑛は鴻池の祖である鹿之助の牌堂を建てています。
ちなみに山中鹿之助は、尼子氏再興の為に戦い続けた武将。忠義の武将として、その昔は教科書にも載っていたとか??
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」
講談で知られる、鹿之助のセリフです。お家再興の為に三日月に祈った逸話が残っています。


門をくぐって中へ。
ここは客殿などなど、重要文化財の建物や絵が残っています。

 
中にある門。ここを通って進むと客殿になります。
茶室をイメージ?勝手口っぽいサイズの入口に加工されていて、びっくりしました

客殿入口目の前。

内部は撮影禁止だったので。ここからは文章のみで…。

荷物は小さめのもの以外持ち込み禁止な為、入口で預けさせられます。
コインロッカーとかではないので、ちょっぴり安全面に一抹の不安を覚えますが、まぁそこは信じるしかないかと…

本堂は本当に大きい。
通常の本堂よりも部屋数が多くなっていて東西に4間、合計8室となっています。大徳寺の塔頭の中でも最大規模の本堂らしいです。
本堂内には狩野探幽作の山水図をはじめ、狩野派の絵師による襖絵が並んでいます。

その本堂の裏にあるのが南明庵。鹿之助の牌堂です。
ここは建物に入る前から足元に注目
濡縁と呼ばれる土間。切り石によって基壇が造られ、直接その上に柱が建てられています。そこに赤い敷瓦を隙間なく綺麗に貼っていて、なんともオシャレ
レンガ敷きの歩道とかのイメージです。
牌堂自体はそんなに大きくはないのですが、その部屋から2つの茶室に繋がっているのが特徴。
牌堂から茶室に行けることで、鴻池が重要な客の接待や商談の場に使ったんだろうなというのが伺えます。

まず見た茶室は『簑庵』
部屋は小さく、出入り口の当然小さ目。天井も茶室の基本として高さを変えてあり、壁は「すさ壁」と呼ばれる赤土で、油と長すさを混ぜ込んだ壁になっています。
長すさが表面に浮き出ているのが何とも不思議な侘び寂び感を出していました
もうひとつの茶室は『霞床席』
ここのメインは、なんと言っても床の間
二重の飾り棚をあえて壁にくっつけずに作ってあり、その壁には富士山の大幅軸をかけてあります。
棚の影をたなびく雲にとらえるという趣向で、なんとも繊細な美でした
富士山の大幅軸は歴代の住職が描くという決まりがあるそうで、今の軸は現在の住職の手によるものだそうです。
部屋は、『簑庵』とはまったく種類の違う趣の茶室で、大名などを列席させられる広さであり作りとなってます。
利休的な小さい茶室ではないので、天井の高さに変化をつけることができないため、壁の欄間の高さに変化をつけて、天井の代わりとしています。
ちなみに天井にも工夫があり、ちょっと丸みを加えてあります。これは、目の錯覚を意識したもので、部屋の中で見ると平面に感じるようにできています。
あと、この南明庵には障子にも特徴があって、あえて障子紙の継ぎ目を淵からズラして張り合わせ、その継ぎ目さえも楽しむという独特なもので、相当な技術が必要な貼り方なんだそうです。
これは現在では修復できる職人がほとんどいないらすく、特に扱いに注意を促されました

2つとも重文指定されているお茶室で、細かいところで贅沢さを出しているのがよくわかりました。
さりげない贅沢…、なんとなく、以前大洲で度胆抜かれた臥龍山荘を思い出しましたね
これも侘び寂び精神のひとつなんでしょうね~本当に凄かったです

大徳寺高桐院

2011年01月27日 | 日記
せっかくなので大徳寺の中でいくつか拝観。
細川家の菩提寺、高桐院にも寄ってきました

ここは細川忠興(三斎)公によって建立された塔頭になります。
忠興は藤孝(幽際)の実子、光秀の娘ガラシャ(玉)の旦那です。

 
ここは門のところから景色が凄い
特に参道嵯峨野に似てる、なんとも静かで渋い、気品つうか幽玄て言うのかな?和の良さが全開
紅葉が有名みたいですが、冬でもこんなんだから本当に綺麗だろうなぁ。
個人的には、まず新緑が見てみたいGWあたりで作戦立てようかな


参道の先の門。
ここからは入れませんが

 
本堂前庭です。「楓の庭」と呼ばれています。
ここにある一基の燈籠、これがまた何ともいい味

この奥の方は庭に下りることができます。(履き替え用スリッパが用意されています)
奥には細川家のお墓が並んでいます。

まず最初にあるのは忠興とガラシャの墓。

このお墓は、忠興とガラシャが生前愛好したと言われる石燈籠を墓石にしています。
この石燈籠は元は千利休のものだったのですが、秀吉が欲しがったので、わざと燈籠の裏面の一角を壊して「傷物だから」と言って秀吉に渡さなかったんだとか。利休が切腹になる前に忠興に譲ったんだそうです。
ちなみに忠興は利休七哲のひとり。しかもそのメンバーの中でも、利休の幽閉先に見舞いに行ったりとか、最後まで交流が深かったんですね~
 
入口の石で出来た門には、細川家の家紋が入っていました。
有名な九曜紋と、足利一門共通の紋の五七桐になっています。


その隣、細川一族の墓。
一番奥のお墓が初代藤孝のお墓で、脇に3~12代までのお墓が並んでいます。
これまた入口には石の門があって、細川の家紋が入っていました。


墓所入口にある三斎井戸。
三斎公のお墓の為に作られた井戸らしい。


袈裟型のおりつくばい。
清正が、朝鮮の羅城門の礎石を持ち帰って、忠興に贈ったものなんだとか。
地面低くおさめられているのが特徴。忠興が、墓石の燈籠とセットでお気に入りだったと言われる品です
…総見院のもだけど、清正はいったいどんだけの石を朝鮮から持って帰ってきたんだろう…
(ちなみにこの疑問はまた別のとこにも続きます


庭先にあった燈籠。


書院『意北軒』。利休の邸宅を移したものと言われています。
その書院の隣接しているのが茶席『松向軒』。

茶席『松向軒』。
利休の侘び寂びの世界を忠実に継いだと言われている忠興自身の手で作られた茶席です。
北野大茶会で使った茶席を移築したものだとか…。
自然光の取り入れ方が、なんとも不思議で気品ある雰囲気を作ってましたね

時期もあるかとは思いますが、本当に静かでゆっくりできる雰囲気のあるお寺でした
ここは絶対にまたくるぞー

大徳寺総見院

2011年01月25日 | 日記
京都の冬の特別公開大徳寺総見院に行ってまいりました

この総見院は、秀吉が建てた信長の菩提寺になります。そんなわけでもちろんここにも信長のお墓があります
秀吉が、自分が信長の後継者だと世間にアピールのためにこの寺を建てて、信長の盛大な葬儀を行ったんですね~
ま、信長の遺骨は見つからなかったので、木造の信長坐像を燃やして、その灰を代わりに埋葬しています。
その木造座像は2体用意されていたので、残り1体が現在も祀られています。今回はその座像も公開です

ちなみに。
この信長の葬儀があったおかげで、武将たちがこぞって大徳寺に自分の菩提寺を建てるようになったんだとか。
それを知って大徳寺を歩くと、色々な家紋が門や瓦に見れて面白いですよ

 
入口の正門。と土塀。

これは創建当時のモノになります。


本堂の前にある茶筅塚。
これ、なんと『お茶』の塚なんですよ
よ~く見ていただけるとわかるんですが…真ん中あたりにある、お線香をさすとこ。お椀になっているのわかりませんかね?
それ、抹茶碗なんです
4/28に茶筅供養を行っています。
秀吉が開催した大徳寺の大茶会はこの総見院の方丈で行われたと言われているくらい。しかも大徳寺自体、千利休の像を山門の上に祀って、秀吉怒らせたくらいだからね。こういうお茶にまつわるものがさりげにあるんですよね~

本堂の中は撮影禁止だったので、拝観券の信長様の写真。

本堂の中では、向かって左側に安置されています。真ん中にはこの塔頭の開山となる古渓上人の座像が安置されています。
この信長座像ですが、なんと115cmもあるんですよ
本当に大きい特に肩幅ハンパない(笑)
ちなみにこの座像、廃仏毀釈の折に、ギリギリのところで本山である大徳寺に避難させられたらしいです。
昭和になるまで、この像は本山で守られていたんですよ

本堂拝観の後は本堂裏のお茶室見学。


茶室への通路のところには、信長座像を本山に移した・本山から戻した際に、座像を乗せた輿があげられています。

『寿庵』
 
ここの井戸滑車、なんと織部。


『ほう庵』


『香雲』


どの茶室も、立派でしたね~ここは表千家になるみたいです。

そのお茶をやるのに重要なのは水
ここには、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったと言われる石で造られた掘り抜き井戸があります。

この水、濁ることがないんだそうです。

写真でわかるかな?
井戸の奥に見えるの、別に桶とかじゃないですよ
水面に外が映って見えてるんですこれは凄いと思う


秀吉が利休から譲り受けたと言われるワビスケの木。
昔は成長しすぎてとんでもない大きさになっていたそうです。ま、それがちょっとお手入れされて小さくなり、今のサイズにされちゃったとのこと。
この品種の木では最古の現存個体だそうで、京都市の天然記念物になっています。

そして
総見院と言えば、やっぱりこれ
織田家のお墓詣りです

 
信長と息子たちのお墓になります。
1枚目の方の石畳の真ん前の石塔が信長公のお墓になります。


さらにその横には信長の奥方、濃姫(帰蝶)とお鍋の方のお墓もあります。

最後に、総見院の外…でもないか。堀に挟まれて建つ鐘楼。

これまた創建当時もものです。
中側から見ると完全に外に建っているように見えますが、外から見ると、半分塀に埋もれている…
なんでこんな微妙なことになっているかと言うと、土塀が『親子塀』と言われる二重構造の塀になっているから(昔は隠れ通路になっていたとか?)、塀の厚みが普通と違うんです。なのでちょっと不思議なことになっちゃっているんですね~

この総見院、日頃は非公開で、特別公開の時にたまに公開するところ。
初だったので行けて嬉しかったです
大河のお江さんに感謝

大河の特別展

2011年01月24日 | 日記
江戸東京博物館の『江~姫たちの戦国』に行ってきました

お分かりの通り、大河ドラマ便乗企画展です

内容は、お江さんの生きた時代ってのを流れで作っていて、浅井時代・柴田時代・娘完子に絡んで淀殿(茶々)ネタ・初ネタ・徳川時代って感じですかね

個人的にはお市さんの有名な絵の本物が見れたのが嬉しかった~
こないだ長浜で見たのは複製だからね、やっぱり本物は凄いよ
もちろん重文の品ですが、なんつうか…保管状態が綺麗すぎてびっくりしました
色の発色も厚みも…いや~やるねえ高野山ですよ。
たしか1/25からは、対である、長政の絵になるはず。
お市さんのがあんなに綺麗だと、長政のも気になるなぁ…行けないけど

あとは個人的には淀殿の書が…
お手紙なんですけどね、なんつうか…アピールの激しいお手紙だな思った(笑)
自分が言いたいメインの単語は文字大きく書くってのは、まぁよく見るんですけど、なんか、そのアピールぶりを強く感じた
「“わざわざ”手紙書いたし“わざわざ”使者出した」とか手紙に書いてるんですよ。
しかも“わざわざ”を大きな文字で。
いや~なんか淀殿の姫様気質…てより天下人ぶりだね、を感じました(笑)

手紙と言えば、秀吉の手紙でも面白いのありましたけどね。
松の丸殿が体調崩したと聞いて、慌てふためいて「大丈夫?心配で仕方ないよ、俺が看病してもいいから」って書いた手紙。
松の丸殿の返事が(続きに書いてあるんです)「そんなたいしたことないから大丈夫。みっともないからあわてるな」って(笑)
だいぶ崩して訳しましたが、いや~なんだか笑える手紙でした(笑)
ちなみに松の丸殿は、初さんが嫁いだ京極高次の妹。
高次は本能寺の変の後に光秀側についたので、その罪の償いに、秀吉から「妹を俺にくれれば赦してやるよ」言われて、妹を側室にさせてなんとか助かったんですね~
まぁそんだけ凄い美人さんだったんでしょうな、松の丸殿は。
側室の中でもお気に入りだったらしいからね。

他にもいろいろ面白い品ありましたよ
肖像画も、なんだか今まで見たことないような、異色なものもあったし。やけにモミアゲが凄い、家康と秀忠とか…

あと、先日行ってきた、竹生島からの展示も結構ありましたよ
まぁここからはね、出てなきゃおかしいですから

個人的にはなかなか面白い展示会でした
大河に絡んでるからって、別にそういうのを前面に出してなかったしね。
普通に企画展だっだ

2月までやってるので興味があればぜひ
おまけで、グッズ販売もなかなか面白かったですよん

ろくでなし啄木

2011年01月23日 | 日記
三谷さんの、藤原くん・勘太郎くん・吹石さんの『ろくでなし啄木』行ってきました


マジで面白かった

いや~かなり笑いました、感心もしました。

3人だけの舞台なんですけど…本当に濃いぃ
人数少ない分余計になんでしょうけど、ひとりひとりの濃さが凄いの
しかもそもそも芝居うまい人達だからさ~パワー凄いの

内容は石川啄木の、ある温泉宿での一夜の話。
恋人(吹石)サイドからの話、友人(勘太郎)サイドからの話、ラストに啄木(藤原)の話なんですが、啄木話はあくまでも“まとめ”なので、3部構成ってより2.5部構成って感じ。
啄木のダメ男っぷりを存分に発揮した内容でしたね


藤原くんに関しては、最後のひとり芝居、本当に感心でした。
めっさ引き込まれる
ぶっちゃけ、藤原くんの舞台がめっさ評価されてるの、そこまで強く感じたことなかったんですが(『身毒丸』見てないので)、今回ばかりはわかりました。

あの人、凄い

芝居がくだけた瞬間に「はっ」と我に返った感じ。
それくらい引き込まれました

勘太郎くんは、…勘三郎さんだった(笑)
歌舞伎の世界はDNA+稽古で、父親に似るのはわかってるけど、今まであんなに思ったことなかったのに…
今日は見間違いそうになるほど、声も、しゃべりも、動きも、すべてが血を感じるほど似てました
こないだNODA・MAPの勘三郎さんの役とキャラがかぶってたのも原因だろうけど…
勘太郎くん、あんなにハメはずしまくったキャラもやれるんだねぇ~
なんか勘太郎くんをガッツり味あわせていただけた気分
しかもイイ人
めっさ面白かったです

吹石さんももちろん良かったです
まさかあんな大胆な捨て身なポーズしてくれるとは…(笑)
凄いよ、一恵ちゃん
あれやってくれる女優はなかなかいませんぜ。
しかも吹石さんのイメージのおかげで下品に見えない(笑)
見た人じゃないとわかりませんが…あれは衝撃なポーズです
三谷さん、ナイスな演出


いや~本当に面白かった
あの笑いはやっぱり三谷さんだなぁ~


…全く関係ないけど、なんだか大河の新撰組、また見たくなっちゃった(笑)

竹生島クルーズと宝厳寺

2011年01月21日 | 日記
弁才天信仰の聖地竹生島クルーズで宝厳寺/都久夫須麻神社に初詣に行ってきました

滋賀の宝物館とか博物館とかの歴史展示物、だいたい絡むんですよね~この島は
琵琶湖は戦国武将にとって大切な場所ですから。
そんなわけでか、武将の信仰がなかなか凄いんです
たびたび火災で焼失したため、現在の伽藍の唐門・渡廊・観音堂・都久夫須麻神社本殿は、豊臣秀頼が片桐且元に命じて復興したものです。
ちなみに。
宝厳寺/都久夫須麻神社とわかれているのは、神仏分離のせい。
この島は本来神仏一体の信仰で発展していたので、神仏分離で弁才天を神社に含めて統一しろみたいなことを政府が言ったみたいですが、弁才天は仏だと寺側が譲らなかったので、寺と神社にわかれることになったらしいです。

しかし、色々各地をフラフラしていると、明治政府の廃仏毀釈と廃城令だけは、時代の流れで仕方ないことと分かっていても、ふざけたマネしやがって…と思ってしまいます。
たぶん、明治政府の重鎮になった方達がいまいち好きになれないというのも、共感がわかない理由ですが(苦笑)…と話が逸れた。

天気も良いのでフェリーが気持ちいい
とりあえず行きは船内で竹生島をビデオ勉強しながらのんびりまったり

そして島到着

島自体は小さいので、船乗り場から見上げて見える範囲がほぼすべてになります。


参道を登って、まずあるのは瑞祥水と呼ばれる霊水です。もちろん飲めます。

この水は、川鵜被害により飲料水が枯れてしまったところに、弁才天さまからの御託宣があって、掘ったところ清浄水が出たそうです。
小さな島なので、掘っても清浄水が出る可能性はほとんどないんですけどねだからこそ凄さが増す御託宣
ちなみにこれが出来たのが平成14年、つい最近の話ってのも驚きでした

 
本堂でもある、弁才天堂。とその周囲。

入口横には、竹生島流棒術発祥の地の石碑と明王さまがいらっしゃいました

堂内はごったがえし
あまりに混んでいたので、先にクルーズの初詣記念に破魔矢をいただき(乗車時に引換券をくれたので)、頃合い見て御参り。
 
この神社では小さなダルマを絵馬のように納めます。山積みのだるまの画はなかなか凄い

御参りを終えたら、次は宝物館と三重塔へ。

宝物館はご覧になられる方がほとんどいないのか、貸切でした


観世音奉安殿。

ここから階段を降りると、国宝の唐門があります。
 
観音堂に繋がっていて、豊国廟から極楽門を移築したものと言われています。
 
 
本当に彫刻が見事
彩色はだいぶ色がはげてしまっていますが、それでも当初の彩色の凄さは容易に想像つきます。

 
西国33所観音霊場の札所でもある観音堂。天井の彩色も素晴らしいです
そしてその奥。

見えてきたのは重文でもある舟廊下。
 
秀吉が朝鮮出兵の際に使った御座船『日本丸』の船底骨組みを天井に使っています。
ここを通って、都久夫須麻神社の本殿へ。

残念ながら本殿は現在修復中
覗いて見えるところの彫刻は、これまた立派なものでした

向かいには海が一望できる拝殿が。
なんだか景色が良いレストランのテラス席みたいです

ここでは、鳥居に向かってかわらけ投げができます。鳥居をくぐれば願いが叶うらしいけど…距離的に力がないと無理では??なかなか難しいです

海の神様、竜神様の拝殿として、狛犬の変わり?に蛇が脇固めてます。
宝珠加えていたりと、リアルなのになんだか愛嬌を感じてしまうお顔でした


そして再びフェリーへ。
帰りは外で風を感じながら
冬だってのにね~(笑)でも天気がいいから気持ち良かった

離れて見える島が竹生島。
う~ん、ここは本当に神様の島の空気が満載でしたよ。離れてみると余計に実感。
 
もう夕方になりかけだったので、日も綺麗
伊吹山も綺麗だぁ~

新年早々、神様のパワーに触れられた気がしましたよ

長浜城

2011年01月21日 | 日記
写真アップしたんで更新~

今年話題の方のゆかりの地へ、約半年ぶりに再び行ってきました(笑)

長浜と言えば本来は秀吉の地ですが、元は小谷
小谷と言えば浅井
浅井と言えば、今年は大河のおかげでお江さんですからね


現在の長浜城は復元天守になります。
伏見城や犬山城をモチーフにしたらしい。
琵琶湖を一望できる位置に建っていて、岸向こうには彦根や安土も見えます
江戸時代になってわりとすぐに廃城されてしまったのですが(豊臣の色が残る城だから仕方ない)、彦根城の天秤櫓は長浜から移したものだとか言われています。
ちなみに↓がその天秤櫓。去年も載せた写真の使いまわしですが

他にも長浜のお寺さんに移されたものがあって、大通寺の台所門は大手門を、知善院の表門は搦手門を移築したと言われています。

 
長浜城、真正面と裏側(琵琶湖側)から
白いのは雪。天気はバリバリのでしたが、年末年始の雪がまだ残っていたので

長浜城の中は博物館になっています。
今回、再び長浜に行ってしまったわけ。
それは…

お江さんの肖像画の修復が終わって初公開だったから
もちろん本物の展示です

一番有名な絵なんで、歴史番組とかでもよく使われているから見ればわかるんじゃないかな?
ホント、年明けの数日の展示だったから、見たかったんですよ
長政やお市の絵(どっちもこれまた有名なやつの複製品)の横に並べて飾られていて、なんとなく「これからこれが生まれたのか…」と見比べしてしまった(笑)
修復された絵は、本当に綺麗に修復されていましたよ。どうしても横に線が入ってしまっていましたが、普通に保存状態の良い絵になってましたね

 
 
天守からの眺め。
本当に天気が良かったので、琵琶湖はもちろん、伊吹山や賤ヶ岳の方まで、バッチリの眺めでした

雪の城はステキだけど、やっぱり青空に映える城がいいね~しかも今回は残り雪プラスという好条件
綺麗だったわ

おまけのけ

2011年01月19日 | 日記
新年早々の旅は、お江さんでお盛り上がる地、飽きることを知らない西の都へ

…しかし。

デジカメ写真をアップしてなかったんで、また次から細かい話書きます

とりあえずおまけ話。


今年の大河、浅井三姉妹の人形です。
駅に飾られていたけど…UFOキャッチャーの人形に見えたのは私だけ??

キャラもんは、いろんな地域で見るたびに、ひこにゃんの出来の素晴らしさを思い知ります。
やっぱりひこにゃんは凄いね、完成度が違うね
ちなみに米沢のかねたん・かげっちさまの出来も素晴らしいと思いますが。…つうか可愛くてめっちゃ大好きなんですが(笑)



お正月は京都駅には正月らしい生け花が飾られていました

ジャパンスピリッツだそうだ。
大和魂って…まぁ日本の伝統ですが、売り込みタイトルかっこよすぎだろ(笑)


これは、現在JR西日本が開催している戦国武将のスタンプラリーの景品
ゆかりの駅で殿・姫スタンプをもらい、米原・京都・大阪でこキーホルダーと交換してくれます。
とりあえず半分制覇したぜ
ちなみに景品のキーホルダーは、浅井・織田・豊臣・徳川・明智・井伊・池田・筒井・真田・荒木の家紋キーホルダー。
駅の関係上、長浜にある浅井(長浜だけで2つスタンプゲットできるおススメ地)、彦根の井伊は、引き換えに寄った時に減りが早かった気がする
織田様もすごいですね~
安土駅は各停しか止まらないので、待ちしながらお昼してる人がやけに多かったです。ま、自分もそうでしたが(笑)
安土城は、以前に行ってますが、城跡の山はもちろん、信長の館って博物館がなかなか面白いです。
天守閣とかあるわけではないので、安土城天守閣原寸サイズを味わいたかったらぜひ行ってください
ちなみに安土の石垣・石段には、神など信じない信長らしく、墓石などが堂々と使われていますよ

白石城

2011年01月18日 | 日記
仙台の帰り道、白石にも寄ってみました

白石は、伊達政宗の家臣、片倉小十郎景綱の治めた地です。
江戸時代、一国一城令が発布されたので、家臣が城持ち出来るのは普通はありえないんですが、白石城は許可されてたんですね~
例外処置としていくつかありますが、そのうちのひとつです。

白石駅から歩くこと20分くらい?

白石城があります。
駅からすでに見えるから、テンションあげあげで城に向かって散歩ですよ


城への坂道にはこんな旗
県?市?どっちでもいいけど、お役所さんが作るのぼり旗にしたら趣味に走りすぎでしょ(笑)
ま、かっこ良かったけどね


お土産屋さんがある辺りから、石垣・大手門・天守のフルポイント撮影ができます
どうしても木は寂しい感じだけど、葉がない分、石垣がばっちり見えるからね
垣好きには“有り”です


天守の石垣の真下、写真の手前にあるのは復元された井戸屋形です。

大手一ノ門。

その先大手二ノ門。


広場には主張度の激しい石碑があります(笑)

名古屋のおもてなし隊を意識してなのか、こちらでも奥州片倉隊なんてやってるらしいからね~
こういう碑は必要でしょうな


天守は三階櫓で、わりとこざっぱりな印象。
ちょっと小田原城思い出す見た目だったなぁ…

年末だったので残念ながら天守の中は拝見できませんでしたが、その分当然ですが空いていたので、城の外見や石垣をのんびり眺めることができました
復元天守だし、中よりも城郭の外見のが重要だしね
名城百選じゃないから、スタンプ貰わないで済む分、心が広く持てたとも言える(笑)

帰りに壽丸屋敷にもちょい寄ってみました
無料で見学できるという、どこまでも親切な町

ここは昔の豪商の御屋敷です。

そんなわけで、奥に入っていくとちゃんと店先もある。
店部分と住居部分との境の扉が石なのがすごいな思いました。蔵扱いなの??

2階は天井が屋根に沿ってなのか、舟形っつうか…丸い天井になっていました。
あの天井、本当の広さより広く感じますね。視覚マジックなのかな?

今回はとりあえずチラッと寄っただけでしたが、今度ちゃんときてみたいなぁ
レンタサイクルも無らしいしね。どんだけ親切なんだ、白石市ありがたいし、来る気起きるじゃないか



最後のおまけ。
帰りはちょうど雪になりはじめ。大雪前に帰って行ったので

すでに白河小峰城はこんなことになってました。
自分が寄った日の青空が嘘のようだわ

時計仕掛けのオレンジ

2011年01月16日 | 日記
小栗くん主演の『時計仕掛けのオレンジ』に行ってきました

キュービックの映画で知っている人も多いと思いますが、大雑把に言えば若さゆえに快楽に暴走する子の話です。
昔、レンタル屋で見たポスターに衝撃受けたんだよなぁ…

「暴力が好き。レイプが好き。だけどベートーベンはもっと好き」

こんなフレーズだったような…
ポスターにツッコミいれたもん

まぁ内容は、フレーズ通りです
そんなキャラが繰り広げる、快楽犯罪者が矯正される物語。すべて思うような綺麗な解決はしないんですけどね(苦笑)

なわけで、映画のは知っていたんで、どんなエグイ芝居になっているんだか思ってましたが…

意外とサラりとしていたかも
もちろん、そういうシーンもちゃんとやってるんだけど、画のせい?
すっごく河原さんテイストな色合いだったからか、演出のパンクさのが面白くて、エグい雰囲気をそこまでひどく感じなかった。
映画のように目を背けたくなるようなことなかったし。

個人的には、最初はどうよ…思いましたが、だんだん面白さが加速していきましたね~
楽しかった

小栗くんの表情も良かったし
なんつうか…暴走はしてるけど、頭が良すぎておかしくなった犯罪者なんだなって思わせるの。
狂気ダダ漏れな時と、イイ子ぶりっこな時との計算された違いが、小栗くんやるね~と思わせたり。
あのニヤリって笑いがね、小栗さんバッチりです

さとしさんや山内さん、武田くんも良かった~
つうか真治ダンスうますぎだから
「なんだ、あの器用そうな人」って思ったら真治なんですもの
ちなみに小栗・橋本・山内に囲まれていた武田さんはちびっこすぎました(笑)

結構評価的には好き嫌いが出てるっぽいけど、個人的には楽しめました
原作にあわせてるから、最後に救いもあるしね
ま、なくても良かったかなぁ…とはちょっと思いましたが、それこそ好きずきかなだいぶ有る無しで話のイメージ変わったんで。

おまけで贈られていたお花。
キンキさんから花きてましたよ
 
光ちゃんの花、枯れすぎじゃない???
可哀相になったよ、なんだか…

寒い!

2011年01月15日 | 日記
いや~寒いですね
雪地域ではないので、「甘えんな」言われるでしょうが…


寒いもんは寒い


受験生頑張ってね~
自分の時も本受験が大雪で大変だったけど、センター試験からこんなじゃねぇ


しかし滋賀京都が雪か…
金閣寺が綺麗なんだろうな…休みだったら、混乱承知で行きかねなかったな私(笑)



あと、先日書いた大崎八幡宮。
昨日がどんと祭りでしたが、ゴミの投げ入れ問題は大丈夫だったんですかね?
ニュースになってたけど…
乾電池ってアホすぎでしょ
常識を持って御参りはしましょう。

仙台輪王寺

2011年01月15日 | 日記
大崎八幡宮の後は時間もまだあったので、輪王寺へ。

輪王寺は室町時代、足利政権絶好調な頃に伊達家が創建した寺院です。
その後、伊達氏の居城の変更に従って転々と移っていき、伊達政宗が仙台に拠点を移したのを最後に、現在の地に落ち着きました。
この移動は、「輪王寺の六遷」と称されているようです。

伊達氏の庇護のもと、奥州で幅を利かせていたようですが、明治になり、伊達の庇護が亡くなった上に火災でほとんどが燃えてしまい、一時期はかなり荒廃してしまったそうですが、明治後年に復興され、現在の状態になりました。

現在は庭が大変有名なお寺になっています。


これが入口。
奥に見えるのが仁王門。

この仁王門だけが、明治の火災で助かった建物で、重要文化財になっています。

仁王門の先には、寺院ならではな階段が
やたら猫がいましたよ


本堂。
この向かって右脇から、お庭に行けます。


鐘桜。ここにもちゃんと伊達様の家紋が(笑)


入るとすぐに雪吊りされた松がやたら現れます。

もう夕方近いし、冬だから花もないし…しかも雪もほとんど残ってない…なのでちょっぴり殺風景

まぁでも雪吊りの形はやっぱり綺麗ですよね
池に映り込む感じはトキメキました

そして庭の奥に並んで立つ三重塔と蘭庭堂。



蘭庭堂アップ。これまたガッツリ家紋入りです

庭見た後はお墓詣りへ。
夕方だったのでさすがに写真はやめましたが…
ここには政宗の奥方愛姫のお母さんのお墓と、政宗と愛姫の3男で7歳で亡くなった竹千代と殉死者2名のお墓があります。

最後に階段下りる前にでパシャリ

なかなかな石畳と石段、でしょ?
この参道では猫が横切りまくるので、猫好きには嬉しいお寺だと思います…が、ふいにびっくりもさせられるので注意