まずは萩城と共通券の旧厚狭毛利家萩屋敷長屋へ。
二の丸南門から出れば目の前にあります。

こちら重要文化財。明治維新後唯一残った建物です
そして天樹院へ。毛利輝元公の墓所です。

こちら、輝元公の火葬場跡

火葬場まで残っているなんて、輝元さまってば偉大すぎるわ

73歳にて死去した輝元はここで荼毘され、埋葬されました。
なんでここに?って、ここは、輝元が隠居後に屋敷をかまえて住んでいた場所だから。
輝元が亡くなり、屋敷を取り壊してここに葬ったとのこと。
隠居後も絶大な権力を持っていた輝元は萩城のお膝元のこの場所で、萩藩の相談役として大活躍だったんですね~
萩藩の御用商人の菊屋家の住まいであった重要文化財の菊屋家住宅へ。

さすがは毛利輝元の財政も救った豪商菊屋

規模が違うわ

ちなみに現在の萩城城下町と言われている区画の1/6は菊屋家住宅です

中もお見事。庭も素晴らしい

庭も眺めながらゆったりくつろげます

↑お店なので、ここがお店だった部分。
そして本物の古時計。↓

こちら、なんと伊藤博文のアメリカ土産

今でももちろん動いています。頭の中はもちろん「おおきなのっぽの古時計」(笑)
タイミングよく12時にここにいたんですが、鐘もしっかり鳴りましたよ。早めの鐘でボーンボーンが12回
そして円政寺。
高杉新作・伊藤博文の子供時代の勉学所のお寺です。

看板にも書いてありますが、金毘羅社でもあるんです、ここ。ようは神仏習合のお寺

元は大内氏の祈願所で山口市円政寺町にあったお寺。毛利氏が萩へ築城の際にこちらに移転してきました。
維新後の神仏分離令をなんで免れたって、宝鏡寺宮の御真筆があったおかげらしい。
いくら昔のことだろうが天皇家がここは金毘羅さんだよって書いてあるもん残っていたら、神仏分離を強制で命令できないよね~天皇家は絶対。それが明治政府の方々ですし

ちなみにこのお話はこちらのお寺の方に伺いました

気さくに話しかけてきてくれた上にものすごく色々教えてくれて面白かったです

県下最大の石灯篭。

伊藤さんが鼻を撫でて遊んでいたっていう神馬の木馬。
御利益求めてお客が皆撫でるから、おかげで鼻だけピカピカ
金毘羅社。十二支の彫刻がされています。上の方にもあるので、干支によっては探しずらい

ここには大きな赤天狗のお面が掲げられています。

高杉さんが幼少期に家人に何度もこれを見に連れてこられて、物おじしない子になるよう躾けられたんだとか。
そして中には、特別公開で、金毘羅大権現の銅鏡が展示されていました。
戦時中に行方不明になり、平成十八年にオークションにて発見、買い戻された品です。
ちなみにこのオークションの出品本も見せていただきましたが、見つかったのは本当に奇跡

だったようで。
長州萩新堀金毘羅大権現奉献の銘文がありこれが発見の決め手だったらしいです。