当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

風邪ひいた…

2011年02月28日 | 日記
先週末から喉がダメダメだったけど、今は鼻がとんでもないことに…

あまりにすごくて花粉症デビューかと疑ってしまう

月末で仕事がピークだったってのに、ティッシュ箱抱えて移動してましたよ
鼻かみすぎて頭もちょっとボーっとするし…

とりあえず早く治します。


1週間経って変わらなかったら…



デビュー認めます

『南へ』

2011年02月26日 | 日記
NODA/MAP『南へ』に行ってきました

今回はなんと、蒼井優ちゃんに妻夫木くん
めっさ大好きブッキーが

もちろん前にやった『キル』も行ってますけどね。
あれも良かったあれは広末さんの可愛さも凄かったのよね~

蒼井優ちゃんは『楽屋』を見逃していたので(チケットまったく撮れなかったんだよ…キョンキョンにえりさんだったから頑張ったのに)、今回が舞台では初。
それだけでも楽しみ


このチラシが家に届いた時、本当にハシャいだよなぁ…

今回の舞台は書下ろし。
前回の『ザ・キャラクター』に続き?信仰も絡む精神論的なお話でした。
もしこれから行かれる方でネタバレ嫌ならここで消してくださいませ

富士山を思わせる休火山の山の観測所でまきおこる物語。
蒼井優ちゃんの役は嘘つき少女。噴火口付近で発見され保護されます。
妻夫木くんの役はその観測所に急に赴任してきた観測のプロ。
オオカミ少年の嘘が最後は真実になってしまったように、嘘は嘘と片付けていいのか?
嘘を真実としていた者。真実が嘘だった者。
均衡が破られた時に生まれるものは?真実と呼べるものの姿は?
…大雑把に内容言うならこんな感じかなぁ?

個人的には、久しぶりに世界観が難しかった気はしました。
最近の野田さんのはわかりやすかったので
しかし後ろのおばちゃんらは「今回はわかりやすかった」言っていたから、人によるかもしれませんが…

新燃岳の噴火、北朝鮮の問題。
こんなご時世によくやったもんだ的な…まぁ野田さんだしね
でも書いた時にはまさか新燃岳の噴火は予測していなかったでしょうに…タイムリーすぎるネタで怖かったです

芝居としては、蒼井優ちゃんの芝居に惚れました
本当にうまいわあの子…
嘘で人を巻き込んでいく子なんだけど、本当にその巻き込み方がうまいと思いましたね。
特別な個性とか癖はそんなにないと思うんですが…逆にそこが良かったなぁ。イメージを持たない分、嘘言ってるのが受け入れやすいの。
芝居の雰囲気とか野田さんの使い方でいうと、宮沢りえちゃんと似た感じかな?
結構大きな“おまかせ”をされていたと思います(笑)
ちなみにパンフを読んだら、野田さんは『楽屋』の優ちゃんを見て、ラブレター出したんだとか。
野田さんも惚れた『楽屋』。やっぱり見たかったなぁ

ブッキーも良かったですよ
彼の苦悩する芝居、独特な透明感みたいなものがあって好き。今回もその辺良かったですね~
記憶喪失とも取れる、色々なものを見失っていく姿。
素直なんですよ、裏を感じないですむんですよ、そんな演技。
よかったなぁ~

いっけいさんも良かったですやはりあの方は芸達者だ

聖子さんも出ていたし…実はミニ新感線(いっけいさんは新感線初期メンバーです)

とりあえず、久しぶりに野田作品独特の脳体操させていただきました
まさに良い疲労面白かったです


歴史モノのテレビ☆

2011年02月25日 | 日記
やっと歴史ヒストリアの藤原頼長の回見ました
本放送逃したんで、再放送録画してたの



しかし…

『代天誅す』
↓↓
『天に代わって之を誅す』


これって…

「月に代わって お仕置きよ」

じゃん
セーラームーンじゃん


なんだかくだらない発想で笑えてしまいました(笑)



そして戦後鍋
ノブママラスト、そうきたか…

本当、まさかの流れ。

だって、本能寺の変、秀吉が裏で糸引き説ですよ。
やるじゃないか

光秀ファンな私はそっち説派ですが、これ、一般的ではないよね
光秀だけ悪者扱い説が一般だよね

なかなかびっくりさせられましたよ。
そして嬉しさにはしゃぎましたよ。
本能寺の変には色々な謎あるんだからさ、こういう見解もあるのを広めてくれてありがとう
先週の今川様とは打って変わって、今週は本当にありがたい出来だったわ

江戸城2

2011年02月23日 | 日記
江戸城の続きです。


天守は、現在は天守台しか残ってはいません。
天守は徳川になってから3度建てられていますが、明暦の大火で焼失してからは財政難により再建されませんでした。

 
しかしそれにしてもでかい
1つ1つの石もでかいし見事
大阪城ばりのでかさの天守閣がこの上に建っていたかと思うと、そりゃ相当なでかさだっただろうと思います。

天守閣の再建しなくてもいいから天守最上階の高さにあがれるクレーンとか、企画でやってくれないかなぁ…
どんだけ江戸の町が眺められるか見てみたい
ま、そりゃやってくれるなら天守閣再建してほしいですけどね

天守台の石のイメージは正面側と裏側でだいぶ表情が違います
正面側。

裏側。

正面の側は御影石がやけに丸くなってるんですよね~それがめっさ独特な味を出してて好き
組み方も見事。綺麗な角の取り方だよなぁ…

天守台にあがっていくと、下に井戸?が見えます。


天守台途中からの景色。

ここに大奥があったんですよ~

天守台の上からでも、それなりの高さなので、景色はなかなかなもんです。
朝だったんで靄ってましたが、うっすら見えるのが話題のスカイツリー。

東京駅周辺のビルに邪魔されて見える場所は限られてましたけどね

梅林坂は梅が咲き始め。
 
石垣に映える

坂を下って道なりに進むと、石の色の違いが面白い石垣があります。

こうも違うと、なんだかちょっとレンガみたいです
これは石垣の修復で、昔の石と現在の石とがまぜこぜになっているからなってしまったんだとか。これもこれで面白さありますよね
その横には白鳥濠。

昔はこの横の坂、汐見坂からは海が見えたんだとか。昔は皇居広場近くまで入江だったらしいので。

諏訪の茶屋。


二の丸庭園。
 
一番スポットと思われる場所は水が濁り…他の場所は池への映り込みが綺麗でした
水は綺麗ってことなんだろうね

そしてここの鯉は尾っぽが長いです。そういう種類らしい。

名城百選のハンコをいただくのに、ここでは貰えないとわかり、武道館のある北の丸公園向かうことに…
なぜ大手門の休憩所に置かないのか
そんなわけで北詰橋門から出ました。

ここから見える堀の丸さもなかなか素晴らしいもんでしたね

江戸城

2011年02月22日 | 日記
や~と写真整理したので、アップ(笑)

天下の徳川の本拠地。江戸城です

説明しなくても知ってる方が大半なので、大雑把に行きます
江戸城は最大規模の敷地を持ったお城です。現在は皇居に使用。
一般的に知られている…近頃有名なジョギングコースのお堀はなんと内堀。歩いたら十分な広さなのに
外堀は、JR中央・総武線から見える川です。
歩いて簡単に両方見れる場所で言えば、武道館を出て、九段下駅のとこにあるのが内堀。さらに歩いて飯田橋駅まで行くとある川が外堀になります

現在の皇居東御殿が江戸城跡として今観光できる場所です。
入口は何箇所かありますが、二重橋に寄ってから入ったので大手門から入りました。

旧江戸城の正門でもある大手門は藤堂の建築。当初は現在のような枡形ではなく、政宗などによる修復の際になったと言われています。
しかし、どの門もがっちりしていて本当に見事だわ…

この門をくぐると、受付があり、番号札を渡されます。(出口で返却)
見学は無料なんだけどね、警備面の問題でなんでしょうなぁ

入ってすぐにあるのは三の丸尚蔵館です。
天皇家のお宝が見れます
行った時にやっていたのは『外国からのごあいさつ』。天皇家の方々が諸外国の貴賓の方々からいただいた品々の展示です。
もう、一言しかありません。

レベル違うよ…

凄すぎるんだよ、ひとつひとつが
何せどれ取っても各国の自慢の品ですから。凄いしか言いようがない
無料で入れますんで、ここを入らないのは絶対損ですよ

進んでいくとあるのが、同心番所。

そして百人番所。

“百人”とつくだけあって、本当に横にでかい
…ま、実際百人規模の詰所だったらしいし
鉄砲百人組と呼ばれた、忍者で有名な伊賀・甲賀・根来と二十五騎組が昼夜交代制で詰めていたそうです。

中之門跡。横には石垣の修復などのパネルや、石垣の石などが少し展示されています。

門くぐる人見えます?
本当にでかいんですよ、この門も石垣の石も


この門を越えるとすぐにあるのが大番所。
この3つの番所が現在残っている番所になります。

中雀門跡をくぐり、あまり人気のない庭の方へ向かうと、こっそりと富士見櫓が見えます。

門があって中に入れないどころか近づけもしないんだけど
この櫓は、皇居の方にあった巽櫓、二重橋の奥に見えていた伏見櫓に続く現存櫓。(3櫓とも関東大震災で壊れましたが、解体して復元)
しかもこの富士見櫓は唯一の三重櫓。
明暦の大火で天守がなくなった際には、ここを天守の代わりにしていたそうです

ぐるっとお庭を回っていくとパネルが…

松の廊下跡。
赤穂浪士で有名な、浅野内匠頭が吉良さまに切りかかった松の廊下はここにあったんですね~。ま、今は何もないですが…

向かいには、本丸大芝生。これは牛砲台跡になります。

ちょっと高台から撮るとさらに広さがわかります。

いや~本当に広い
 
芝生の端の方にあった桜…みたいだけど、時期的に梅だよね?それとも早咲き桜??が少し咲いていました

高台の場所の横には富士見多門があり、その横には石室が。

何に使われていたか色んな説があるようですが、大奥の脇なので、大奥の倉庫に使われていたんじゃないかと。
天井に長い石の板が使われているらしいですが、これまた入れないし覗けもしないのでわからず…

その横には竹林。変わった種類の竹が少しづつ植えられていました。
 

長すぎるから天守はまた次回書きます




なんだかテンションあがるね♪

2011年02月20日 | 日記
今日は行きも帰りも山手線のワンピースづくしでした


今、ゴムの手線ギャラリーなんてのをやってるんだね~


外もこんなん。

昼間の車両はこちら。


帰りはチョッパー号だったので余計にテンションあがった(笑)







楽しいもんだ(笑)

棟方志功展

2011年02月19日 | 日記
静岡県立美術館行ったついでに、静岡市美術館にも寄ってきました
今回は『棟方志功 祈りと旅』です。
予告見て、来たかったんだよね~

作品は…見事でしたねぇ。

いや~あんなに大きな作品ばかりを持ってくると思わなかったんで、それだけでもびっくりでしたよ

棟方志功は、もちろん以前から作品は知ってましたが、こんなにガッツリ展示は初めてでして…
あの色彩と迫力はねぶたの影響あったんですね
もの知らずですいません今回知りました

個人的には『二菩薩釈迦十大弟子』面白かったです。
まぁ自分の生まれ年の菩薩様、文殊様がいらっしゃったのも嬉しかったんですが
白黒のみで、全部で12体=12枚の絵からなる作品です。両脇が普賢・文殊さまで、あとの10体は羅漢さん。
なんというか…板サイズをいっぱいいっぱいに使って彫ったんだなぁと言うのがよくわかる絵で。それがまた面白かったり、勢い感じたり。
1体1体になっているので、ゴチャゴチャ感もまったくなかったですしね。
1つででっかい作品とはまた違う、細かさがあって、「棟方志功の絵」をじっくり楽しめた感じがしました
同じ意味で『鐘渓頌』も良かったです。
こちらはカラーと白黒を交互で屏風に上下2枚、全部で…16枚だったかな?で構成されているんですが、色の調和が面白かったです
体に描かれている草花は、なんだかアフリカ系の民族の全身刺青のイメージでしたが

あとは『東海道棟方板画』ですね~
原は元が沼地だから田んぼしかイメージではないよな…思いましたが、見事に白黒の影富士山だった(笑)
沼津市原の富士山ってより、だいぶ富士市よりじゃないかしら、あの富士山
原から見ると、愛鷹山がもっと邪魔してるからね
でも、沼もしくは田んぼ、その背景にドーンと富士山ま、これは確かに原ですんで、良いイメージありがとう棟方様でした
由比はカラーで良かったですね~テトラポットが描かれているのがいかにも近代
今の由比の海岸はテトラポットが溢れてますからね
今の由比知ってると、妙に現代の特徴が際立ってて良かったです
ちなみに広重の東海道五十三次の由比は薩埵峠からの景色なので、現代でも“ほぼ”変わらないです、あえていうなら下に一般道&東名が走ってるくらい
静岡中心に展示がありましたが、現代の景色がわかる分余計に楽しめました

しかしあの癖の強さは、本当に見てる側も癖になります。
目と線の感じかな?自分的には、小さ目の作品のが絵が好きでしたが、インパクトはでかい方が異常にあります
それはたしか。
でかすぎて、良さってより圧倒されたとしか言いようがないんですが

あんなに大きな作品ばっか並べているのも面白いので、棟方志功が、版画が、ねぶたが好きな方は見ていただきたいですね

ギッター・コレクション展

2011年02月16日 | 日記
静岡県立美術館の『帰ってきた江戸絵画 ギッター・コレクション展』に行ってきました。

今回は招待券ゲットしてたしね~

多種多様の江戸絵画がありましたね~
有名な画家を、偏りもなく数々と色々と…ま、系統で言えば、写実的なものより、ちょっと一癖ある系が多かったかな?
若冲や応挙、蕪村に白隠、谷文晁に池大雅に酒井抱一…まぁ本当に色々と
しかもスタート切るのは若冲コーナーだしね

個人的に一番印象深かったのは、円山応挙の『達磨図』。
なんか達磨さんが、他のと違うんですよ
達磨さんの目ってギョロっとしている目じゃないですか、だいたい。
なのになんと言うか…流し目(笑)
目もけっしてギョロっとしていないし
顔つきも、なんだか違うんですよ。人間ぽいとかって言うより、よく見る達磨さんよりダンディ(笑)

説明足らずで申し訳ない
気になる方は見てください。言いたい意味わかるはずだから

あとは谷文晁の山水画。
めっさ大きい絵なんですが、金屏風に力強く墨で描かれている絵なんです。
これは迫力ありましたね~豪華だし
でも墨絵だから、狩野派の派手さとは違うんですよ。
潔さがあって…武骨?そんな感じ。カッコよかったですね~

山岡鉄舟の『龍』の書もカッコよかったです
龍とは全く読めないんですけどね
見た目重視で、龍を崩して、龍の絵みたいになっているんですよ。
これはおススメ

日本画好きな自分的にはかなり楽しめました
まだ静岡以外でも、福島・千葉はこれからだったかな?でもやるので、興味がある方は観に行っていただきたいですね

ちょっぴり不服☆

2011年02月15日 | 日記
可愛く言ってみますが、戦国鍋tvにちょっぴり苦情

駿河の国はそういう発音の訛りはないですわよ。
それはどちらかと言えば関東の栃木とか茨城とか…北部ですわよ。

今川義元はぜひ駿河らしい発音でお願いします

語尾に「ね」だの「さ」だのつけまくったり「みゃ~」ってなまらせて使ったりするけど、発音は特徴ないのよん。
静岡人からの小さな苦情。
神奈川近いんだからさ~製作会社も関東なんだからそこはしっかりしようぜぃ

皇居で散歩

2011年02月15日 | 日記
頻繁に東京に行っているわりには…と言うより、頻繁に行っているから軽視していたのか…

実は江戸城に行ったことがない

城好き、石垣好き、家康好きなのに、基本がなっていないと言われても仕方ない


そんなわけで、初江戸城こと皇居に行ってまいりました
まぁまずは本当に皇居周辺へ。


いや~フォーラムや帝国劇場には毎年必ず行っているくせに、この堀と橋渡ったの初だよ

でも話題になっていますが、今流行りのジョギング族が本当にたくさんいた
運動神経がまったくない自分にはわからない世界…
苦しさの向こうにある楽しさは、体育を楽しいと思ったことがない人には理解外です


その皆さんが走られているところから見えるのが桔梗壕から見える巽櫓こと桜田二重櫓
お堀に映って綺麗
二重櫓としては最大級らしいです。
後ろに見える門は桔梗門です。昔、太田道灌の家紋の桔梗が瓦についていたからこの名になったとか?
この門、特別参観や参賀の時じゃなければ近寄れません

蛤壕・外苑のクロマツ林の横の砂利道を抜けると、皇居見学で最も有名な二重橋が

 
メガネっぷりが見事
ここは本当の名称は正門石橋。でも実はこれ、二重橋ではありません

本当の二重橋はこちら。

正門鉄橋が本当の名称。
昔、木造橋だった時代に橋桁が上下二段に架けられていたんだとか。
現在の鉄橋は昭和39年に架け替えられたものになります。

ま、これじゃ二重橋、間違えられるよね~一般的には

この日は中国人の観光客の団体さんがいたんだけど、まさに正門石橋の前で皆写真撮ってたしね~
そんな中負けじと撮影したのがの写真なんだけど

ちなみにこの橋たちは、これまた特別参観や参賀の時のみ解放されます。
通常はこれくらいきっちり閉められてる


おまけで、つい数日前、石引道路と櫓の礎石の2つの遺構が発見された石垣の排水工事の写真

まさかここで直後にそんな発見がされるとはねぇ…この時には思わなかったんだよなぁ…

江戸城ネタはまた後日書きま~す

舞台『金閣寺』

2011年02月13日 | 日記
森田剛くん主演舞台、『金閣寺』見てきました。

神奈川芸術劇場、こけら落とし公演です

これは言わずと知れた、三島さんの金閣寺の舞台版
宮本亜門さんの演出だったんですが、独特の世界でしたね~
宮本さんの演出っていくつか見たことあるけど、こんなんは初めて。
ものすごい前衛ちっくなの。
美の象徴である“理想の金閣寺”を形には表さないんですよ。
なんかそれが、妙な個人的感覚のイメージを植えつけてこなくて良かったですね~
金閣寺が美ってより、神みたいでした、はい
最後の炎上の演出もめちゃめちゃ良かった
火ではなく、銅板かな?を床にして下から光らせる演出は、すごい幻想的で良かったです

役者森田さんは、相変わらず上手でしたね~
本当にあの子の芝居はすごいと思うや。
溝口の脆さっての?ドモっておどおどした感じがリアルに感じられました。
あの細い体系も、不健康でひ弱なイメージにあってたし。
良かったわ~

高岡くんと大東くんもすごい良かったです
内面に弱さ・暗さを抱えている分余計に、強気であったり誠実だったり。
そんなところがちゃんと感じられました

あと、高岡くんは足のびっこの引き方が感心しちゃった
あんなに長い時間、あの歩きをよく続けていられるよ。すごすぎるわ

いや~本当に良かった
すごい世界観だし、皆さんすごい演技だったと思います
新しい演劇見た気がしましたよ

テンペスト

2011年02月13日 | 日記
赤坂に『テンペスト』観に行ってきました

仲間由紀恵さん主演、池上永一さんの本『テンペスト』の舞台です。


話は琉球王朝最後のお話。
仲間さん演じる真鶴が、父の遺言に従い、男(孫寧温)に化けて母国を救うために王朝に仕える。昼ドラばりな展開で、怒涛のごとく起きていく事件に翻弄される真鶴。さて真鶴と琉球王朝はどうなる!?ってお話です。

小説を読んだことなかったので、まったく知識がないまま行ってきました。

感想としては…
ちょっと詰め込みすぎたかなぁと
たぶん小説の事件的な部分を全部なんとかやったんじゃないかと思うんですが…
あらすじを追っていく感じになってた気がします。
芝居を含む映画を見てきた印象。
面白かったけど、コントっぽい部分も多かったのでちょっと漫画っぽくもあったし

仲間さんの男女2役はなかなか良かったと思います
寧温やってる時は少し声低めにしてましたが、こっちの声のが落ち着いて聞こえていい声だったかも。
そして沖縄の血なんですかね~舞が綺麗
最初に舞から始まったんですが、普通に手先の綺麗さに感心してしまいました

生瀬さんは、聞得大君と言う王族神。女性の予言者?魔術師だったんですが、もう本当に自由でした(笑)
ホント、定期的にコントになっちゃうんだもん
鬼気迫る演技は良かったんですが、それよりどうしても笑いの場面のが印象深くなっちゃった

ヤスケンはズルかった…
真鶴を逃がすために大君に立ち向かうって…かっこよすぎる死に様なんですけど
あの死に方はズルいよ~かっこよすぎるよ~

そして誰よりも何よりもかっこよかったのは、もちろん山本耕史くん
最初に薩摩藩士で出てきた時にノックアウトされましたよ
新撰組の土方さんをモロに思い出す、あのかっこよさ
ヤバかったですね~
最後に明治政府の用人として英国の洋装で登場。
これまた「土方さんか~」と心でパニック(笑)
しかも寧温を友として守り、その上ひたすら真鶴を愛し続けるという、なんだよこの男前な役だったんですね~
そりゃ惚れるよ、あの見た目であれでしょ?眩暈起こしそうなほどかっこよかったよ

ま、そんなわけで、これはこれで楽しかったには楽しかったです。
歴史のお勉強させられて感じで。
とりあえず小説が読みたくなりましたよ。探してこよっと


最後にスマップさんたちから花がきていたので

妙心寺 麟祥院

2011年02月11日 | 日記
妙心寺にはもう一カ所、冬の特別公開が行われています。

それは麟祥院。

三代将軍家光が春日局の菩提寺として建立した妙心寺の塔頭寺院です。東京にもあるのでそっちのが有名ですね
 

門をくぐると、ちゃんと春日局の稲葉家の家紋の瓦が

「見ろ!」といわんばかりに庭に
『三』となっているやつが稲葉家の家紋です。

ここも中は撮影禁止でしたので説明だけ…

方丈の襖絵は、春日局と親交があった海北友雪の作の雲龍図が描かれています。
この襖絵は、左右の襖で龍が雄雌に分かれている、珍しい絵です。
角が、雌は下向きなんですよ線の描き方もちょっと優しい感じ。
雄の方が迫力ある絵でしたね~やっぱ

ちなみにこの海北友雪。
春日局との接点は、父親、斎藤利三の話までさかのぼります。
春日局は元の名は斎藤福(結婚して稲葉福になります)、父は美濃斎藤氏の斎藤利三。
斎藤道三の息子義龍の家臣でしたが、稲葉一鉄が信長に寝返るとそれに従って稲葉家の家臣に。
が、一鉄とは折りがあわず、喧嘩別れをして明智光秀の家臣になります。
光秀は利三の能力を買って大変重宝していたと言われています。一鉄がその後に信長にすがって光秀から利三を返してもらうよう要請しても、光秀は信長相手にそれをつっぱねて返さなかったという話があるくらい。それくらい有能で光秀の信頼が厚かった人なんですね~
本能寺の変の後は近江堅田で捕えられ、六条河原で処刑されました。
そして謀反人として晒されていた遺体…というか首は、親交が深かった絵師の海北友松が本能寺から持ち出し(奪い取ったとも…)、真正極楽寺に葬られました。
この海北友松、この人が友雪の父にあたります。
そんなわけで、春日局と海北友雪は父親同士の親交がハンパなく深かったんですね~
しかも春日局にしてみたら恩義もあったはず。
絵師としていまいち売れていなかった友雪を、春日局が紹介したことによって、この襖絵を描くことになったんだそうです。

…と説明が長くなった。光秀が絡みの話だとどうしてもね~

庭は撮影可だったのででパシャリ

奥に見えるのが御霊屋。
後水尾天皇(秀忠・お江の子で家光の妹でもある和子の夫)より仙洞御所の釣殿を下賜されたもので、方丈から橋みたいな通路で繋がっています。
中には小堀遠州作と言われる春日局木像が安置されています。
この木像は、春日局が後水尾天皇・和子に初めて謁見した際の姿と言われ、年配の風貌しています。
頭上には、ちょっと時代も入手先もわからない、ガラス玉などからできた、簡易シャンデリアみたいなものが…
正確に言えば赤ちゃんの頭上に垂らすやつ、あんな感じ…のゴージャス版。かな?
なんかちょっぴりお寺さんに合わない感じで不思議でしたね

御霊屋からの庭の景色。


この他にも、春日局が家光から賜ったと言われる『百椿図屏風』なども公開しています。
いろんな種類の椿が描かれていて華やかな色ですが、綺麗って言うより、なんだか草花図鑑みたいでした

妙心寺 海福院

2011年02月10日 | 日記
冬の特別公開が行われている妙心寺海福院へ

海福院は賤ヶ岳七本槍の福島正則の菩提寺です。



庫裡の入口。
通路が狭かったので無駄にアップ
屋根にはちゃんと福島の家紋が入っています

室内は撮影禁止だったので、説明だけ

ここには今では珍しい、押入仕込茶堂がありました。
蘆雁の間と呼ばれる、入って一番手前の部屋にあるのですが、名前の通り、押入れの中に隠された茶道具になります。
押入れの中の床に炉を仕込んであったりと、秘密感たっぷり。確実にいけないことしてたのがわかります(笑)
妙心寺では、禅の修行に茶の湯は邪魔と言う発想があったため(当時のお茶は娯楽要素もあったからだとは思いますが…)、表だってお茶を楽しむことができなかったからこのようなものがあるとか…。
押入れの中にあれば、日頃は隠して生活できますからね。
襖を閉めてからこっそりと茶の湯を楽しむ。お坊さんだって息抜きしたかったってことですね(笑)

他にも、正則が陣中で使っていたと言われる大きな貝で出来た陣中杯の展示もあります。
よ~く見ると血痕が残る杯…
正則が、この杯に戦死者の血を入れて飲んだと言われています。

賤ヶ岳で使ったと言われる巨大な槍も展示されています。
大きすぎて、ガラスケースとかに入っているわけではなく、普通に襖の上にかけられています。
部屋いっぱいの長さなので、梁と間違えて見落としそうになりました

部屋の襖には狩野探幽の落書きと言われる『猿回し図』があります。
妙心寺の龍の天井絵の製作の為に海福院に泊まり込み生活をしていた探幽は、住職の留守中に、酔っぱらって?か、新調されたばかりの住職自慢の襖に、勢いでいいっきに猿の絵を描きあげたんで。
帰ってきた住職はこれを見てもちろん激怒。叱責されたと言われています。
ま、後にこの絵は、猿の絵の最高傑作言われたんですけどね。
しかし、まぁ何せ元は落書きですからね…手入れが十分されていたわけではないので、今ではすっかり消えかかり…襖に本来ほどこされていた模様に負けてしまって、かなり見ずらくなっています

庭は撮影が可でした。
 
庭には円山応挙作と言われる半月の手水鉢があります。


その後は、墓地の方へ。
ここには福島正則と息子のお墓があります。

正則が亡くなった後、幕府使者の到着を待たずに家臣がすぐに遺体を火葬しています。
一説では切腹したとも言われていますが、死亡原因の真相は不明です。(自害が発覚するのを恐れてすぐに火葬されたと言われています)

正則のお墓と言うと、長野の小布施の岩松院にある霊廟にも行ったことがあるんですが…なんとなくあちらのが悲壮感を感じた気がします。
本堂の裏手にあるから人気がないんですよね、あそこ
本堂にある北斎の鳳凰の天井絵が有名なお寺です。福島好きな方は、機会があればそちらもぜひ御参りしてみてくださいませ

光雲寺

2011年02月09日 | 日記
京都話に戻りま~す

次は光雲寺。
南禅寺の境外塔頭になります。
なんでこんなに離れた場所に塔頭?と思う方もいると思いますが、南禅寺は、明治の廃仏毀釈でこれでもかってくらい政府の攻撃の的になって大打撃くらった大寺のひとつなんです。
基本的に、徳川の恩恵を受けていたお寺さんはみんなこういう目にあっているんですが、南禅寺の場合、元々の規模が巨大な分被害も大きかったんです
しかもその塔頭にあたる光雲寺は、東福門院和子が菩提寺として再興したお寺。和子は後水尾天皇の中宮ですが、元は徳川。そのため、余計に打撃がでかかったんですね~

そんな光雲寺ですが、先にも書いたように、東福門院が菩提寺として再興したお寺です。
東福門院は、2代将軍秀忠と大河で話題のお江さんの子で、3代将軍家光の実の妹。バリバリの徳川家の者なんですね~
しかも再興にあたり、秀忠の遺金を使ったこともあってか、徳川の菩提寺になっています。

 
やっぱり、南禅寺からは離れた場所にあるからですかね~思っていたより空いていた


仏殿。
中はさすがに撮影禁止ですが、ここに、有名な東福門院像が安置されています。

本尊は釈迦如来様。
その手前の左右に、ゴージャスな厨子に入った東福門院象と、荒ぶる波に負けじと舟をこぐ救世観音がいらっしゃいました。
救世観音は、聖徳太子作と言われているらしい。
この像、本当に珍しいお姿なんですよ。リアルに舟漕いでるんだもん
ちょっぴり優美さが度を越えてしまった感もありますが、でもやっぱりあの姿は美しかった

今回は特別公開で、どセンターには、長年秘仏だった運慶作と言われる聖観音像が
もう、お姿といい、台座といい…もう何もかもがゴージャス
素晴らしい細工でした
東福門院の念持仏と言われているだけあって、菊(天皇)と葵(徳川)の紋が両方刻まれ、それが余計にゴージャスぶり増してた気が


そして仏殿の奥。
そこからはお庭を眺めることができます。

この庭の水は琵琶湖から引かれた、琵琶湖疏水です。

そしてここにもまた登場

清正が朝鮮から持ち帰った石で作った、『瑪瑙の手水鉢』
…だからどんだけ清正は持って帰ってきたんだよってツコッミがしたい

別の部屋から見る庭は、窓枠を通してまた違った風情がありました
  

最後に外にある鐘桜と鐘。

これは後水尾天皇と東福門院の子である明正天皇寄進と言われています。