navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

食べなければならないという呪縛からの開放

2015年10月05日 | 雑記

誰にとっても健康でいるあるいは今は病んでいるができるだけ早く健康になるということは生活の中で一番大事なことだ!、は異論がないことと言って差し支えないでしょう。

健康は何物にも換えがたいと !

ではどうしたらいつも健康でいられるのか?

特に重要な食生活=食べることについてどのようにすれば健康になれるのか?

実は昨今自分で実践してみてその体験からもどうやらこれは本当のことだと実感している 『 食べない健康法 』 について述べられているいくつかの記事をネットで探して投稿しました。 

その自分でやったことは ? 

自分で自宅でできる範囲内ですが、3~4日間のFasting=断食をこの5ヶ月間の間に延べ6回ほどやってみました。 その都度それ以前と比べて明らかに体調が良くなっています。 

同時に食生活の内容の見直し(何でも食べていたから新鮮な野菜や果物中心の食事への変更)もやりましたのでおそらくその相乗効果もあるかもしれませんが。

それからこの 『 Fasting=食べない健康法 』 を行ってみて今までがんじがらめになっていた 

『 食べなければならないという呪縛 ! 』 から開放されました。

たとえば、

- 毎日ちゃんと3食食べなさい !

- 朝ごはんを抜いてはダメですよ、体に悪いから!

- 好き嫌いなくバランスよく何でも食べなさい !

- ちゃんと食べないとエネルギーがなくなって動けなくなり病気になりますよ!

などなど。

さもしい話ですが、今まで夜半お腹が空いてそのまま床に着かなければならないような展開になるとひどく落ち込んだものでした。

また美味しいものが食べられないと(ここオランダではままそうなる頻度が高い!)やはり落ち込みます。


今は潜在的な意識のレベルで変ったと思います。 

一日中まったく食べられなくても落ち込まなくなりました。 水は飲みますが。

食べないほうがあるいはひもじい位でいるほうが体が軽いし快調です。

もちろん今でも食べるなら美味しいものは食べたいし美味しいものが食べられれば満足感・幸せ感が得られます。

ただ、『 何が何でも食べなければならない ! 』 という呪縛が解けたようです。 

どうやって ? 

おそらく健康でいるためにという本当の方法を自分自身の体で学んだからだと思います。

おまけにダイエット効果もおお有りですしね。

つい半年前までは一日2食ペースだったのが現在はほぼ一日一食でやっています。 これからもこのペースでやるつもりです。

さて、その 『 食べない健康法 』 についてとはいったいどんなものかは以下記事をご覧ください。 

 

新発見。BLOG から

「食べない健康法」恐らく現代ではこれが最高の健康法だと思う(紹介編)

http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/414433086.html

本文から:

ちまたでブーム化するダイエット法とか「免疫力が上がるサプリ」とか「効果絶大食品」!とか騒がれているのを見ると「健康」って誰もが一番意識する関心ごとなんだな~と改めて思います。

でも人が一番関心して弱みのあるところにお金儲けが絡んでくるので、結局はどれもメディアに踊らされてしまってるだけということに気がつかされます。

確かに友達もあれは効く!これは効くらしい!と踊らされていろんなもの買ってますが、結局効いてるんだかなんだかわからないでブーム去る。みたいな状況をよく目にします(笑)

本物の健康とはお金がかからずシンプルなことを実践するだけで手に入る

そこで『本物の健康法』というのを追求してみたところ、非常に簡単で間違いのない答え「食べない健康法」にたどり着きました。これも現代の治療とか薬、サプリなどのお金儲け主義の会社が嫌がる方法ですので、もっとも信憑性のある方法だと確信できたわけです。

この「食べない健康法」は、特別なことは一切なく、人間という動物本来の生態に基づいた超シンプルかつ理にかなった100%納得できる方法なのです。まず先にこのメリット7連鎖をあげてみます。

1. 確実にいままでより食費がかからなくなる。だから家計に優しい

2. かつ確実に健康体になり、病気にならない強い体になれる

3. 強い体になるので無駄な薬、医者と無縁になり、これまた無駄なお金がかからなくなる

4. 健康体になると、いままで薬や医者に頼ってたことが無意味であることに気づく

5. 自分の体の強さに自信を持ち、病気の不安が一気に無くなり心身ともに元気になる

6. おまけに健康で無理のないダイエットになる

7. おまけのおまけにシミ、シワが消え、若返りの現象が起きる

なんかこれだけあげると詐欺っぽい宣伝文句にすら聞こえますが、お金がかからないで健康になる方法なのですから、詐欺なわけないですよね。

逆に言うと、お金儲け主義とは相反する方法だけに世の中では絶対大きく取り上げられることはないんですね。だからこそ確実に効果ある証拠なんです!

この健康法の原点は至ってシンプルな発想からきてます。それは、

「地球上で現代病にかかるのは 人間とペットと動物園の動物と人工飼育の家畜動物だけ」

という事実からでした。

野生の動物に脳卒中や心筋梗塞、糖尿病や通風などいるわけがないし、人間のように癌で死ぬなどということも普通ではまずないわけです。

ペット病院や動物園病院に病気や癌になった動物達がやってきて手術するという自然界の動物ではあり得ない現象が起きているのは、明らかに人間の食生活が大きな原因だということです。人間と同じものや人工的な餌を食べているからこうなっちゃうんですね。

人類、野生動物の歴史は、ずっと飢餓との闘いで生き抜いてきたので人間の細胞も毎日満腹状態で加工されたものばかりを食べる現代の食生活だと動物として対応できず、体のあちこちの細胞が故障して病気になってしまうというわけです。

現に自然界の動物たちは毎日飢餓との戦いで健康体ですし、獲物を仕留めて食べ終えたら目の前に獲物がいても見向きもせず何も食べません。必要な時に必要なだけ食べるというこれまたシンプルな動物としての自然な食生活です。 

戦後の西洋食と飽食が食生活の全てを変えた

戦後、GHQによる日本弱体化目的で明らかに日本人には体に適合しない西洋の食文化が広がり、牛乳、バターなどの乳製品から肉、パンなどが主流の食べ物で飽食が当たり前、お腹が空いてなくても美味しそうなシュガーの塊でできたお菓子やらジュースやらを3食プラスα飲み食いする。というのが当たり前の世の中になったことが現代病を作り出した。江戸時代は1日2和食。その時には現代病もなかったのです。

こうした西洋飽食生活で体を壊し、病気になり、治せない現代医学に頼り、最後はどうしようもない毒薬漬けの体となり無念な天寿を全うするという悲劇な人生の幕を閉じるわけなんですね。おお~、怖い!世の中の当たり前に流れている情報を信じてるとめちゃめちゃな体にされてしまう!

で、この「食べない健康法」は、バカな飽食な生き方はやめて自然界の動物に近い適度な食事の量で健康に生きましょうよ、という単純食実践法で健康体と幸せを手に入れることができるというものです。素晴らしい!

実際、現代治療で治らない現代病に罹った人たちがこの食べない健康法(断食療法)によって完治した実証が実際かなりあることが分かりました。

お金もかからず、医者いらず、健康な体になっていく究極の健康法「食べない健康法」を知る人はまだまだ少ないです。 


「食べない健康法」恐らく現代ではこれが最高の健康法だと思う(実践編)

http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/414478729.html 

本文から:

絶対に世の中の主流にさせてくれない史上最も効果のある健康法「食べない健康法」を提唱している石原先生が推奨する食事法を紹介します。

といっても超シンプル。むしろ残業や会食で夜遅く帰ってきて朝も眠くて食欲もわかない忙しいサラリーマンお父さんや家計の紐を締めつつも若返りたいなと思っているお母さんたちに最高の方法です。また「食べる時間がない」とか「食欲がない」といって朝食べないお子さんにもバッチリです。

(朝食時間)朝ごはんはなし。スーパードリンクの人参リンゴジュースだけを飲む

(昼食時間)お昼は腹7分目で食べる。

      そばが推奨だが、ほかも量を気にして体を熱くする食事を心がける

(夕食時間)夜はお酒も飲んでOK。何を食べてもOK

      ただし腹いっぱいは避け8分目以下を心がける

(間食したい)口さみしいときや小腹が減ったら、しょうが紅茶と黒飴

これだけなんです。断食といっても僧侶の修行のように完全に食べないとか粗食ではなく、朝を抜いて腹一杯食べないように心がけることから始めて、毎日この食習慣を意識するだけで体がどんどん健康体になっていくんです。

ちなみにスーパードリンクの作り方は簡単です。

人参2本とりんご一個にレモン半個と蜂蜜を加えて水を200cc加えるのがデフォルト(1人2杯)

日によってバナナや洋梨、みかんなどを加えて味を少し変えて楽しみます。

ミキサーでジュースにして繊維ごと飲み(食べる?)ます。繊維の食感が嫌いな方はジューサーで良いかと思います。

ちょっと慣れてくると半日断食や1日断食なんかはもっと効果的のようですが、朝だけ断食でも効果大です。

実は生姜紅茶というのもかなり効果のあるドリンクで1日に1~2杯は飲むといいみたいですよ。近年でも生姜ほど体の免疫力を上げる食材はないことがわかり注目の食材となっています。

その昔、16世紀にペストが流行してロンドン市民の1/3が死んだ時、生姜をよく食べてた人は死亡率が低かったことが調査でわかったそうです。それでたくさんの市民が生姜を摂るようになり、現在でも伝統のパン「Ginger Bread」が販売されているということです。

日本でも昔から生姜は万病の薬と言われており、漢方、葛根湯、生姜湯など昔から東洋ではなくてはならない薬効のある万能薬として驚くべき効能があります。

食べるものは、なるべく「白」のつくものが入っている食べ物(白砂糖や白いパン、白米など)や肉中心の食生活を避け、自然界の動物のように加工していない自然のままの食べ物を口にすることを心がけることも大事なことのようですね。やっぱり日本人は和食が体に合うってことなんでしょうね。お菓子もどちらかといえば和菓子の方が日本人の体には良いようです。

私も試したこのシンプル健康法でいかに日々お腹いっぱいばかりの人生を送り食べることへの強迫観念に襲われていたかを知り、今は食べなくてもいいという楽な気持ちになりました。また、夜に食べるごはんが楽しみでとても美味しく感じるようになったり、食への感謝の気持ちがでてくるようになったりと内面も変わってきました!

ちなみにこの健康法って運動や筋力トレーニングも欠かさずやることで健康的にダイエットができても、しっかりした頑丈な体は維持できます。馬や牛が草食でも筋骨隆々なのと一緒ですね。石原先生も1日1食でも筋トレを続けているのでがっちりした健康体らしいです。

 

「食べない健康法」恐らく現代ではこれが最高の健康法だと思う(実力編)

http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/414461236.html 

テレビ出演や書籍などで有名になられた石原結實(いしはらゆうみ)医学博士が提唱する「1日1食の断食健康法(食べない健康法)」は、現代医療に疑問を持ち薬による西洋医学を否定し、人参ジュースを主とした食べない健康生活を送る医学的にも認められているれっきとした治療法ですごい効果を発揮していることがわかりました。

この「食べない健康法」は一過性の健康ブームやダイエットブームで終えるべくものではなく、人間が追い求めている ”病気にならない健康な体で幸せな一生を終える” ことのできる人類史上で最高の健康法、治療法なんです。でも絶対に国の推奨医療にはならないわけですね。

実はこの食べない健康法というのは古くから行われており、諸外国でも多数取り入れられ、次々と難病患者を救い、現代医療では未だに治せない数々の病気の治療に成功し、効果のある医療として実証されているスーパー治療だったんです。

アメリカでも100年以上前から多くの医学博士が研究、医師自身の実践効能証明、多くの臨床効果事例などから、この断食療法を否定できる理由が見つけたくても見つけられないほどの成果が次々とあがったため、医学会も断食療法を自然療法として公式に認めざるを得なくなったという過去がありました。

また、ドイツ、旧ソ連でも断食療法を提唱する博士が多くの患者を救っており、ドイツのビュヒンゲル博士が残した「断食は、どんな病気をも治す最高の手段である」という名言は有名になりました。

日本でも江戸時代に観相家として知られることとなった水野南北が「食は命なり」と粗食による開運、健康を世に広め、その後明治・大正・昭和と甲田光雄医学博士など著名な医師等が多くの成果と効果を世に知らしめることとなりました。

どの国もこれだけの効果が実証されているにもかかわらず世の中では絶対に大衆向けの医療として日の目を見ないんです。それは世の中の仕組みがそうさせるんですね。だからこうした事実を知らない人は一生間違った偏った思い込みで医療や健康に対して向き合うことになってしまうんです。知ってよかった~ と心から感謝です!

さて、この石原先生の話に戻りますが、スイスの自然療法病院で有名なベンナー病院で勉強され、現代医学との決別をし、日本で人参ジュースを取り入れた独自の断食療法を推し進めて行かれた「本物の先生」です。

その先生が影響を受けたベンナー病院というのは、肉、牛乳などを断ち、人参ジュースと自然な食物(野菜、果物等)等の生きた食物だけを用いた食事療法と鍼灸などの自然療法を組み合わせた独自療法でがん患者や数々の難病患者を治しているんだそうす。

西洋の現代医学は全て取り入れずに大きな成果を上げているらしい。

でも「なんで断食と人参ジュースでそれほどまで劇的な変化を遂げるのか?」という素朴な疑問が湧いたのですが、調べたら全て納得のいくものでした。断食による体内変化サイクルはこんな感じみたいです。

ー断食をするといつも飽食で胃腸の活動が活発だった体が排泄活動だけに集中する

ーすると排泄物、要はうんち、おしっこをはじめ体の解毒がはじまる

ー解毒が行われるので血液がきれいになり、体液の流れが良くなる

ーそうすると栄養が全身に行き渡り、同時に負担が減っているすべての体の重要器官である臓器にも栄養がいき届くのでどんどん元気を取り戻し若返ってくる

ー必然的に体全体の老化現象や不調も元気さを取り戻し、シワ、シミの消失、体重減少、視力の回復、血圧コレステロールの減少、性欲回復と体の若返り現象が起きる

そうなると自然界の動物のように本来の動物的本能を取り戻すので、自然治癒力が増し、白血球の増加による免疫力アップで病気にならない強い体になるという訳でです。また、体内にある悪い細胞組織なども飢餓状態だと体が悪いタンパク質から奪い取って臓器維持をしようとするので細胞がやっつけられてしまい病気が治癒してしまうというわけなようです。

また、人参リンゴジュースというのは、人間が健康維持のために必要なビタミン、ミネラル、酵素が見事なまでに入っているため、本当に何も食べない修行僧のような断食ではなく、これを飲むことで最大限の健康効果を発揮するんだそうです。

すごくないですか!?!?これらの事実を知った時、正直、感動すら覚えました。

この超単純な「食べない健康法」で、体にも家計にも負担がかからず健康で丈夫な体を持つことができるなんて…。西洋医学がはびこる現代にこれは絶対広げたくないという力が働くこと間違いなしですね。広がったらどの業界も商売上がったり!(笑)


必見、ロシア、ドイツ そしてアメリカでの例です。 

絶食療法の科学

https://youtu.be/oA-eI2WQLRU

 

傾聴に値するYoutubeです。

船瀬俊介さん ファスティングはいいことだらけ

https://youtu.be/0LpjcVzatts

 

天下泰平 から

俳優の榎木孝明さん、30日間の「不食」生活

http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51916779.html

榎木孝明さん、30日間の「不食」生活ってどんなものだった?(「The Huffington Post」より)

本文より:

俳優の榎木孝明さん(59)が、5月20日から続けてきた飲み物以外は摂取しない「不食(ふしょく)」生活を、6月18日に終える。榎本さんは17日に記者会見。「食べないことで、自分の意識がどう変わるかを試してみたかった」などと話した。スポニチなどが報じた。

18
日に放送されたTBS系「ひるおび!」によると、「絶食」は主に宗教的な行為であるのに対し、「不食」は食欲と闘わずして食べない行為だという。榎木さんは、不食に対して賛否両論があることを把握しており、「決して食べないことを推奨するものではない」と強調した。

フジテレビ系の「とくダネ!」によると、榎木さんは病院に泊まりこみ、専門家の指導を仰ぎながら不食を行ったという。監視カメラなどで日々の様子を撮影し、食べていない証拠とした。

摂取して良いとされるのは飲み物のみ。コーヒーとお茶なども摂取してよかったという。ただし、途中で血圧が上がったこともあり、専門家から塩分と糖分の補給をすすめられ「あめとか、塩あめとかを食べた」と話した。体重は期間当初の80kgから71kgまで落ちたが、そこから変わらない状態だ。

不食の期間中、おなかは鳴ったが食欲は感じなかったという。うなぎの蒲焼きの匂いを嗅いでも、「食べたいとは思わなかった」とコメント。また、排便は期間中、3回のみ。体の中にたまっていた「宿便(しゅくべん)が出ました」と語った。

不食のきっかけは、榎木さんは20代から続けているインドを中心にした一人旅。飲まず食わずで帰国すると、いつも体調が良くなっていることに着目した。期間中の様子は、毎日、Facebookページに投稿。不食の様子をテレビに売り込んだが断られたことや、体重減少による体型や人相の変化でドラマの撮影に影響が出ないかとの懸念などを綴ったほか、不食と防災との関係について、次のように記した。

東京でもし直下型の大地震が起きエレベーターに閉じ込められた時、あなたは自分が何日生き延びる自信がありますか?(中略)
 
万が一閉じ込められた時、食べられない事よりももっと辛いのは閉所恐怖と暗闇と助からないかもと思う絶望感でしょうが、もし人は食べなくても生きられるとの思いが自分にあれば、強い精神力と勇気に結びつくことでしょう。つい最近もネパールの地震で一週間後に助けられた少年の奇跡が報道されていましたが、地下鉄からでもエレベーターからでも数週間やひと月の奇跡の生還は可能だと思います。あなたはそんなことが出来る自分を信じてあげることができますか?あなたがまだ気づいていないだけで人間には無限の可能性があると思います。
 
安心感を得るために小さなペットボトルと数個の飴玉をいつもバックに入れておくことをお勧めしています。(榎木孝明さんFacebookページより 2015/06/17 23:53

本日18日を持って、俳優の榎木孝明さんの「30日間不食」のチャレンジが終わるようです。

30
日間、摂取するのは水だけという過酷な不食生活ながらも、体重も9kg減だけであり、本人の見た目も体調も至って健康、やはり「さすが榎木さん」としか言いようのない見事な結果だと思います。

「さすが」と言う表現としては、榎木さんは芸能界きっての超能力者としても有名な不思議系俳優として有名な方であり、過去に「オーラの泉」というテレビ番組に出演していた時も「天気くらいだったら、僕、変えられますけれど…」や「僕は、食べなければ何日食べなくてもいいです」などなど、いわゆる発言内容は完全に“こちらの世界”の方であったようです。



オーラの泉(2008/04/19 榎木孝明)

榎木 :僕は、アジアに行くのが大好きで、
たとえば、インドではプラーナという言い方をするんですけれど、
中国では、気ですね。
仙人はかすみをたべていきていると、
あれは僕は本当だと思っているんですね。
僕は、食べなければ何日食べなくてもいいです。

国分 :それは、やったことがあるんですか。

榎木 :最近も、3日間なにも食べなかったりとか、
ここの線を細くしたいとおもったら。

国分 :それは、ダイエットじゃないですか。

榎木 :そうですね、
田中一村という画家の役をやったときは、
15キロもダイエットをしたんですけれど。
意識は、そのプラーナを食べながら、
一日一食はたべましたけれど。

国分 :その気は、持ったりするんですか。

榎木 :気は、その辺に見えますから。

意識としては、飲み込んで胃で腸で消化するというイメージをするとわりと簡単に入っていく。

食べないと体力が弱っちゃうとか、これだけの栄養素を人間はとらないといけないよとか、
あれは、全部うそだと思ってるから。

国分 :本当ですか、大丈夫ですか。

榎木 :常識として、人間が決めたことだから。
だから、常識を人間が知れば知るほどちっちゃくなっちゃって。

美輪 :だから、常識と真理は違うということね。

榎木 :そうです。

美輪 :だから、真理に基づいていれば、常識なんてどうでもいいの。

榎木 :人間が常識化したときにそれが本当になるんです。
食べないと死んじゃうと思った人が、本当に死んじゃうんです。
食べなくても死なないと思った人は、死なないし、
食べなくても痩せないと思った人は、痩せないんです。
簡単なことですね。

国分 :簡単なこと。
ものすごいレベルの高い話しになりそうな。


榎木さんが、こういった目に見えない世界に精通していることを知ったのは、以前に船井幸雄さんのホームページで来客として紹介されていたことでした。

その時には「芸能人の中にも意識の高い人はいるんだなぁ」程度にしか思いませんでしたが、その後もちょこちょこ榎木さんの発信などは目にすることがあり、今回の不食生活もスタートした頃から注目していました。

榎木さんの持っている価値観や視点は、非常に共感できる部分が多く、単なる話題作りやストイックさを追求するだけのために今回の不食生活も実践しているのではなく、その背景には地球規模で抱えている飢餓の問題、その根源にある戦争や紛争にまで問題を追求しており、世界平和を実現するために「人間のエゴを失くす」ことなども強く提唱しております。



【疑問・質問その30~今現実に飢えに苦しむ人や餓死していく人々に何も出来ない自分が情け無いです。
//
まず私達に出来る事は飽食の世界の我々と飢餓に苦しむ人々が、今同時にこの地球に存在している事実を認識する事です。その事に対して優越感も罪悪感も持つ必要はありませんが、少なくともバランス感覚を持ちたいものです。そうするとそのアンバランスを是正するには世界が平和になる事だと気付きます。戦争や紛争が飢餓を生んでいるとすれば、その戦争を失くすにはどうすればいいかに思いは至ります。そうやって突き詰めて行くと人間のエゴが平和を妨げている事がわかります。ではそのエゴを失くすにはどうするか?自分の意識を地球規模に拡大して行き、自分も地球人の一人だと気付く事です。そんな地球意識になれて初めて同胞の殺し合いの無意味さに気付くのではないでしょうか。
歴史は人の意識で創られて来たとすれば、今の人類を存続させるのも滅ぼすのも私達の意識次第です。自分一人では何も出来ないのではなくて、私達一人ひとりの意識が集合意識となり時代を動かして行くのだと思います。ですから今日本で暮らす自分も、その平和意識を持つ事で十分に世界平和に貢献出来るのではないでしょうか。】


今回の不食の取り組みは、表向きは「何かあったら責任がとれない」という理由で取材を提案したテレビ局2社からは断られたそうですが、彼らが断ったのは恐らく「食業界のスポンサー」のことを気にしてであり、確かに「人間は食べなくても死なないし、弱らないどころか健康になる」ということが世間一般に広まったら、この飽食の時代、多くの企業が大ダメージとなってしまいます。

とはいえ、今はインターネットの時代であり、こういった信用性や影響力のある人の真理の発言や行動は、今後も良い形でどんどん広まっていくことを願っております。

個人的には不食や少食は、これからの時代は確かに必要なことであり、実践できる人から少しずつ普及していくことが望ましいと思いますが、だからといって、榎木さんなどが言っているように、食の楽しみ自体を今のタイミングで人間から奪う必要もないので、食べたい人は食べることを続けるのも良いと思います。



ただ、年々というか日々、この食の世界は「食べられるもの」がなくなっているほど農薬や添加物で汚染されている食品だらけであり、そういった意味では安全な食が当たり前の時代になるまでは、今の世の中に出回っている食材、食品は極力食べないで生きていった方が健康になるのかもしれません

 

【ダイジェスト】船瀬俊介先生「やってみました1日1食!たけしもタモリも1日1食!」ダイジェスト版ワールドフォーラム2014年9月講演&実践塾

https://youtu.be/GsrOhPTQSPE

 

【ダイジェスト】内海聡医師「99%の人が知らない世界の秘密を暴く!」ワールドフォーラム2014年4

https://www.youtube.com/watch?v=cKcfFwIOFh8

 

「医学論文の半分はでたらめ」ランセット編集長の内部告発

http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12074730577.html

本文より:

ここ数年の間、より多くの専門家が表に出てきて、真実を共有してくれました。それは多くの人間にとっては受け入れがたいような真実です。

世界の論文審査のある医学ジャーナルの中でも、最も尊敬されている医学ジャーナルの一つとされているランセットの編集長である、リチャード・ホートン博士(Dr. Richard Horton)もそのような権威筋の一人です。

公開した最近の声明文でリチャード・ホートン博士は、公開された研究の多くは実際には完全にでたらめ、あるいはよく言って信頼できないものであるとはっきりと公言しています。

「科学に反する実例は単純なものです。科学的論文の多く、おそらくは半数ほどは真実ではないというだけのことなのです。

サンプル数の小ささ、効果の微小さ、(仮説を立てるための)予備解析の無効性など問題のある研究や、目に余る利益相反などに苦しめられ、その重要性が疑わしくとも流行の傾向を追い求める固定観念にとらわれた研究による悪影響を受け、科学は暗黒に方向を転換しました」(参照元

(産業界によって資本提供されている)これらの研究のすべてが、建前上は人々を助けるためとされている医薬品やワクチンの開発、医療スタッフの研修、医学生などの教育に使用されているという事実を考えると、これは非常に気がかりな問題です。

世界中の様々な機関において、専門家や研究家によってなされた偉大な成果の多くを、「他の専門家による論文審査」を受けておらず、「信頼のおける」医学ジャーナルで発表されていないとして却下してしまう傾向は多くの人に共通していますが、ご覧の通り、いまでは「専門家による論文審査」は実はほとんど意味がないということが明らかです。

中略。

次は、同サイト内で、このテーマに関連した記事の一部です。(リンク先はすべて英語)

世界で最も重要な科学の一つ「ほとんどのガン研究は、大部分が詐欺」

欠点のある医学的研究が、あなたの健康と人生を台無しにしているかもしれない

 

西洋医学の歴史がすべてを物語る~現代医療が世にはびこる真の理由~

http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/426653580.html

本文から:

人間は地球上で最も賢い生物と言われ、生態系の頂点に君臨していますが、こと「病」となると、野生動物よりも愚かな行為をしているのではないでしょうか。

人間だけでなく動物も風邪を引く(体調不良になる)ことがありますが、人間はすぐに病院に行き、もらった薬をのむために無理やり何かを食べて解熱剤やら抗生物質やらを飲みます。ところが、野生動物は何も食べずじっと体を休めて自己治癒力で体を正常に戻します。

その昔、人間も自己治癒力を促進するための医療行為が中心でしたが、いつの間にやら何かしらの毒薬を体内に摂取し、即効性の反応を期待する対処療法が主流になりました。

この西洋医学への転換期こそ我々が知らなくてはならない愚かな動物になった瞬間といえるでしょう。。

西洋医学の歴史の原点はケガを治すことからはじまった!

その転換期を先に言ってしまうと1899年だったのです。医療の歴史が大きく変わったターニングポイント1899年に一体何が!?

以下略。

 

その他関連情報:

新発見。BLOG から

西洋の食事であっという間に大腸がんリスクの体に!驚きの研究結果

http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/418680709.html


天下泰平から

危険なノルウェー産サケ

http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51921139.html

ピンクのサーモン(ノルウェー産)は超危険な有害養殖魚!

 

PUTTING THE SQUEEZE ON FARMED SALMON

https://youtu.be/k8as7tNrnLA 

 

ダイエットのすすめ

なぜ回転寿司は安いのか?

http://daieto3335.tenkomori.tv/e87318.html

 

回転寿司を影で支えている「偽装魚」の存在

http://matome.naver.jp/odai/2133554454846832501?&page=1

 

World's Oldest Hamburger McDonald's Burger From 1999 Almost Looks New

https://www.youtube.com/watch?v=SP8XVU4RuHE


CLOUD-CHEMTRAILS - HAARP - CERN - FUKUSHIMA など 2/2

2015年07月24日 | 雑記

1/2からの続き:

 

Chemtrails: Aerosol and Electromagnetic Weapons in the Age of Nuclear War

ケムトレイル:核戦争時代のエアロゾルと電磁波

by Amy Worthington June 1 2004

www.globalresearch.ca  

http://globalresearch.ca/articles/WOR406A.html

本文から:

電子、サイコトロニック兵器と情報

・標高の高い超低周波兵器
 high altitude ultra low frequency weapons

・プラズマ、電磁波、音波、超音波兵器
 plasma, electromagnetic, sonic and ultrasonic weapons

・レーザー兵器
 laser weapons

・戦略的、演劇的、戦術的または地球外の兵器
 strategic, theater, tactical or extraterrestrial weapons

・生物化学、環境気候や地殻変動兵器
 chemical biological, environmental climate or tectonic weapons

・ケムトレイル(強襲的被害、進化し広範囲に及ぼす)
 chemtrails (this item was stricken from a later version, suggesting duress

  

zeraniumのブログ

電磁波の危険性は故意に隠されている

http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-283b.html

本文から:

東京・日比谷公会堂での増川いづみ氏の講演から

   私は母親が電子レンジを買って来た時、すぐに捨てに行ってしまうような中学生でした。それだけでなく、母が白砂糖や着色料などが使ってある体に悪そうなものを買ってくると、勝手にどんどん捨てていたし、濃緑茶が多かったので、その代わりに薬草茶や漢方茶を買って来て、それをビンに入れて置いておく、そんな中学生でした。でもそれ以来、母は私の言うことを聞くようになりました。

みなさんはまだ余り知らないようですが、電磁波を出す電子機器の中でも、もっとも悪質な超低周波という電磁波を出す発生源が携帯電話です。それにパソコンですが、受精卵のテストをした時、パソコンから30センチ離れたところがもっとも強い電磁波を浴びるところで、パソコンの前に置いていた受精卵がたくさん死んでいました。それも一番多く死んでいたのが30センチ離れた場所でした。そして私たちもだいたいそのくらいの距離でパソコンを使っています。 

超低周波の影響 増川いづみさん講演

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=MosWU_Imuu8

 

電磁波、そして「覚醒」とDNAの進化

http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51800001.html

本文から:

「電磁波」と聞くと一般的には携帯電話やパソコンから放たれているイメージが強いですが、当たり前のように生活に関わっているほぼすべての電化製品から電磁波は放たれています。それこそ車のダッシュボードの前からはパソコン3台分ほどの電磁波が出ているようであり、他にも女性が長時間使うドライヤー、男性は毎日使う電気シェイバーなどからも人体にとって悪影響を及ぼす電磁波がたくさん出ているようです。

元MI5部員Dr. Barrie Trowerの語る電磁波兵器①~⑤

http://www.youtube.com/watch?v=NRoN2Fsci3o&list=PLmuol-A6Qkm5KU7AGvcHM43pa_ycaQKui&feature=player_embedded

2013/03/06 に公開

2012年9月にデンマークにてオープン・マインド・カンファレンスという、環境や健­康や政治などの幅広いテーマについて議論する国際会議が開催された時のDr.Henn­ing Witteによるインタビューです。

目に見えない電磁波が神経・身体に及ぼす影響。
人体は微弱な生体電気信号で神経伝達している事をご存知ですか?
遠隔操作で非侵襲で、人体に影響を与える事ができる。
科学技術はそこまで進歩しています。

https://youtu.be/NRoN2Fsci3o

https://youtu.be/8b4GYyxMnbI

https://youtu.be/_NovBNDdW-s

https://youtu.be/JD2vZZxXKMw

https://youtu.be/qw385UR3dvQ


プラズマビームの照射で地震や火山の噴火を起こすことがでる! 

Lightning/Plasma cause earthquakes and volcanoes. Why HAARP is able to cause earthquakes

https://youtu.be/7j-85_gDieI 

Sakurajima volcano eruption 27 Jan 01:59 local time

https://youtu.be/MnAEkZETnRA

 

CERN欧州原子核研究機構):

狂人たちの狂気の実験=地球が壊されるリスクも!!

★CERNは制御不能です!?

2015年04月11日10:06
以下のビデオでは非常に専門的な内容が伝えられていますの で、私には良く分かりません。ただ、単純脳の私が分かった範囲でお伝えします。では、簡単に申しますと。。。どうやら。。。つい最近(4月9日か10日 に)、再びCERNのテストが行われたそうです。テスト途中で誤作動が起き大変な状態になったそうです。 機器に投入したビームのエネルギーが急上昇し、地球のシールドの一部を破壊し、シールド周辺の磁気を地球側に引き込んだそうです(ここのところの詳細は良くわかりません)。
ということは。。。。地球上にかなりの影響を与えたことになります。
これ以上、CERNのテストを続行すると地球にどんな影響が及ぼされるか分かりません。
しかも、ビームのエネルギーが急上昇してしまったため、LHCのテストを停止したようですが、再びテストを実行するとま、た、地球のシールドを破壊する結果となるでしょう。
このようにキチ害たちは地球を破壊したくて仕方ないようです。
地球を破壊するだけでなく、異次元空間に穴をあけたり、ブラックホールを発生させたりするのが目的ですから、CERNを本格的に作動させたら、地球が破壊してしまうかもしれません。
http://beforeitsnews.com/alternative/2015/04/cern-loses-control-earths-shields-taking-a-pounding-this-is-utter-madness-cern-and-the-fifth-angel-video-video-preparations-for-collisions-3135872.html

(概要)

4月10日付け:

CERNが制御不能になっています。地球のシールドが破壊されました。これは狂気の沙汰です。 

CERNが制御不能です。しかしCERNの科学者らはその事実を隠蔽しています。
昨夜、LHCのオペレーション・チームが6.5TeVでビームをうまく循環させることができたと発表しましたが、これは加速器がALICE、ATLAS、CMS、LHCbの検出器内の4つの相互作用点に衝突を起こす前に行うべき多くの手順の1つに過ぎません。

つまり、CERNに何か異変が起きたのです。CERN側はそれを隠しています。
丁度同じころ、こちらのマグネトポーズの画像が示す通り。地球の磁気がかなり歪んでいるのが分かります。南極と北極の磁気ラインをご覧ください。地球の磁気シールド周辺の磁気ラインを引き込んでいるのが分かります。夜中の1時を過ぎるとさらに磁気ラインが激しく変動しています。
の時、黒のラインが10TeVまで上昇していました。黒のラインがその後どこまで上昇したかは想像がつきません。このような異常事態が発生したため、夜中 の2時に機器の動作を停めなければならなくなりました。CERNがいかに危険かということ政府も理解する必要があります。

青と赤のラインはビーム、黒のラインはビーム・エネルギーを示します。


Candidate Higgs boson event from collisions between protons in the CMS detector on the LHC. From the collision at the centre, the particle decays into two photons (dashed yellow lines and green towers) (Image: CMS/CERN)

blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51956288.html
日本や世界や宇宙の動向さんちから転載しました。
ジャーマンウィングズの旅客機の墜落とCERNの地下配線のショートが同じ日に起きていました

・正式名称は CERN(セルン、サーン)、
CERN
欧州原子核研究機構(おうしゅうげんしかくけんきゅうきこう、CERNは、スイスジュネーヴ郊外でフランスと国境地帯にある、世界最大規模の素粒子物理学の研究所である。
・2年間も停止していた装置を3月に再稼働させ、電線ショートとで緊急停止したお粗末な事故を起こしたばかりです!
どこかの国の原発再稼働も怖いねw
・地球、いや宇宙の破壊に直結する深刻な事態です。どこかの原発と同じ様な深刻な事態です。
といっても、おいら達には情報を拡げること位しかできません・・・



・4月13日記:こんなのがありました↓

チリの首都サンティアゴ・デ・チレで黙示録的な空 

チリはCERNとつながっています。
この異様な空はCERNと関係していると予想します。
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-12821.html

CERNは制御不能です!?

http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-12821.html

 

2014.09.10 Wed

チリの首都サンティアゴ・デ・チレで黙示録的な空 

http://cocorofeel.blog119.fc2.com/blog-entry-13009.html

南米チリの空です。

9
月6日、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで異様な空 (Roberto Antezana撮影)

大雨の後にこの虹色の空になったそうですが、
多くの住民はこの空に困惑したそうです。
そりゃ、驚くでしょう。

チリはCERNとつながっています。
この異様な空はCERNと関係していると予想します。
CERN
の記事をまだアップできてなくてごめんなさい。

ご存知のようにチリ沖にはMIMICによく三日月や移動する光球が出ます。

2008.06.01 わざとポールシフトを起こそうとしたの?

スイスにある欧州原子核研究機構(CERN)の大型加速器の建設を援助したロシアの物理学者のチームは、実験中の加速器が『クールダウン』の段階で『反クォーク騒ぎ』と呼ばれる結果に終わり、それは文字通り「地球の中心を釘づけにした」と報告している。チリ国家科学技術研究委員会(CONICYT)との共同研究によると、 CERNの科学者が欧米の科学軍事施設とともに行った実験において、光速に近いクォークベースの伝達手段を確立しようとして、南アメリカの『アンカー』のコントロールを失い、予期せぬ反クォークの流れの引き金となった。そしてこれがチリの大規模な火山噴火に火をつけ、また全地球を貫く『まっすぐな一撃』が中国での破滅的な7.8の大きさの地震を誘発したという。・・・・・しかしこのレポートの率直な警告は以下のように要約される。 CERNの実験による破滅的なイベントは地球を通る反クォークの進路の結果として終わったわけではなく、北米と中米の壊滅的な地殻変動の見込みを示している。・・・・・この最新のCERN実験の結果が我々の世界に何をもたらすにせよ、 これらの科学者が完全な取扱説明書なくして神を演じることができるのかをまのあたりにするだろう。 

2008.09.27 CERN、LHC実験はやっぱり怪しい、オカルトだよ

2010.03.03 チリ大地震で地軸がずれた。
北米と南米で巨大地割れが続いていますが、これが一番の原因じゃないかと思っています。
近い時期でCERNとチリがつながっていそうなMIMICはこれしかないですね。

2014-08-31 12:00:00 utc

私はよく「美しいものと怖いものは背中合わせ」と言いますが、これは不気味です。美しいとは思わない。


  9月6日、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで異様な空


amazing Norway Cloud Spiral, Mysterious Lights In The Sky!!!!!!!!!!!!

https://youtu.be/q3sC95Xv5Is 

The Norway Spiral was a test run by CERN and many people witnessed the spiral, which went viral all over social media.

CERN & The Blood Moons

https://youtu.be/NEI-jk2z8DM 

CERN - End of Days: Updated 

- Jun 19, 2015...source

http://goybiscuits.com/k-2-articles/item/207-cern-end-of-days-updated.html

  

FUKUSHIMA(福島原発事故): 

いまだに人工地震などある訳無いなどと脳天気なことをいっている人たちがたくさんいる。明らかな状況証拠はいたるところにありそれと直接間接に起因する事象も引き続き目の前で起きているにもかかわらずだ。

要は彼らにとっては=人間と言うのは見たいものしか見えないし、聞きたいものしか聞こえないという性質があるから。洗脳と言うのはいともたやすいものである。特に日本人は疑うと言うこと、自分で考えると言うことを放棄してしまっている人が多すぎる。 人が好いが無防備では今の狂った世界では日本民族が絶滅してゆくのも避けられないかもしれない。

とにかく以下記事は2011年3月から始まる東日本大震災・津波災害と福島原発で何がどうして起きたのか(誰が何のためにそうしたのか?)を考える為の一助になことを切に願う。


311同時多発テロ アメノウズメ塾 放射能 地震 東日本大震災

https://youtu.be/TGPbIHbiIbE 

アメノウズメ塾中級編⑥ 311地震は人工か自然か?

https://youtu.be/QYDoLiiTtyw 

★311津波は人工地震『 PROJECT SEAL』で起こされた!?

http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-13359.html 

公文書で明らかになった第二次世界大戦の対日戦争における『プロジェクトシール PROJECT SEAL』という津波爆弾を用いた作戦 ―

http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2015/07/05/7701149

 

2012年 02月 07日

ついに「311が核爆弾の人工地震であった証拠」が見つかった!?:高周波と音波の存在!

http://quasimoto.exblog.jp/17336865/ 

【拡散希望】311の犯人~アメリカ政府は事前に東北大地震を知っていた! part 1

https://youtu.be/VNPZOnW_vBE 

ISU world figure skating championships 2011 Opening Ceremony 1/3

https://youtu.be/jG3I-1dWyVs  

フランスFR3テレビ「フクシマ・地球規模の汚染へ」

https://youtu.be/ZNYvKm04fXg 

Jim Stone Fukushima Interview

https://youtu.be/00oXXiHo1IQ 

Israel Did Fukushima

https://youtu.be/d5yqLHF-qTk

 

3・11[人工地震説の根拠]衝撃検証

アメリカが日本を地震兵器で襲う――秘密の計画書の存在も暴露されています!

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/library512.html

 「PHYCHOLOGICAL WARFARE EARTHQUAKE PLAN AGAINST JAPANESE HOMELAND」と書かれた「原本資料」のタイトルの意味は「日本本土への地震兵器による心理的軍事作戦」です。米国は66年以上前から地震兵器を研究、所有しており、この機密計画書は2005年4月に米国で公開されました。.... 

 当時の米軍における研究開発部門の責任者であったスタンレー・ロベル博士やマーシャル・チャドウエル博士の分析によれば、「日本の周辺にある海底のプレートをピンポイントで爆破すれば、巨大な津波を発生させることが可能となる。目標とすべきプレートの周囲8Km内に爆弾を仕掛ければ、1年以内に狙った場所で地震を起こすことができ、津波も誘導できる」と結論付けています。
.... 

 東南海地震、三河地震――第二次大戦末期、すでに「地震・津波兵器」は、日本の軍需工場地帯を襲っていた

自然ではあり得ない――311では、「ぴったり4回、20分ごとの地震」が起こっていた!

  そしてもっと容易く誰でもわかる、今回の311東日本大震災が人工地震によるものである驚愕の証拠を挙げます。
  2011年3月11日、東日本大震災の勃発の初期のデータを見ると、

  14時46分にM9.0の地震が起き、その後、第一波の津波が起きました。
  そして地震発生からちょうど20分後にすぐ近くで15時06分にM7.0の地震が起き、第二の津波が起きました。
  さらにちょうど20分後の15時26分に今度は離れた地点でM7.2の地震が起き、第三波の津波が起きました。
  さらにちょうど20分後の15時46分にM5.7の地震が起き、第四波の津波が起きました。

  どうでしょうか。ぴったり4回、20分ごとに地震が起こるというのは、自然界では天文学的な確率であり、絶対ありえないことではないでしょうか。
  「誰かが20分ずつ時間をずらして津波の影響を見ながら地震兵器の起爆を繰り返した」と考えるのが妥当ではないでしょうか。  .... 

311の地震波形は、人工地震を裏付けている!



  自然界では数秒以内の同時多発に震源が2カ所ある地震はありません。ところが東日本大震災と同じく人工地震の阪神・淡路大震災でも、地下破壊の明石海峡の淡路島寄りを震源に地震が起き、1秒後にはまったく別の断層の神戸ポートアイランド付近を震源に2連発地震が起きるという異常な双子地震でした。2つの震源地が同特に活動を開始したのは、「地中の爆破が2発達続して行なわれたからであり、ベクテル社(後出)が明石海峡大橋工事のときに起爆物をあらかじめ埋めておいたからではないか」と、うわさされています。
  今回の東日本大震災でも、時間をおいた余震ではなく、数秒以内に同じ震源地で3連発の三つ子地震が起きています。
  これを受けてNHKの解説者も当初は3連発地震が自然地震ではありえないと解説していましたが、その後、情報操作されて3連発地震ではなく、単発地震であったと報道を修正しています。しかし地震波形データが異常な3連発地震の証拠となっています。
  東北(3月11日)の翌日からも東京湾内、海ほたる近くを震源に連発地震が起きていましたが、それは通常の余震とはまったく異なるタイプの連続地震でした。
  なんと! 震源地がすべて同じ場所の北緯35・3度、東経139・5度。同じ深さの30~40キロなのです!
このようなまったく同じ震源地で10回以上も繰り返される地震など過去のデータから考察しても自然界では絶対ありえない異常現象です。 

今この時&あの日あの時

3・11人工地震の爆弾を製造した自衛隊技術者12名が暗殺!

http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-4c91.html 

「目玉」は全て知っている。

「阪神淡路大震災から20年、騙され続ける人を疑うことのない“純情な”日本人」

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-790.html

 

wantonのブログから

311地震津波は地震時刻よりも前に発生している!?
 ~絶対に有り得ないこの事実を誰も問題にしない!

http://ameblo.jp/64152966/

一部引用

自然ではあり得ない――311では、
「ぴったり4回、20分ごとの地震」が起こっていた! 

そしてもっと容易く誰でもわかる、今回の311東日本大震災が人工地震によるものである驚愕の証拠を挙げます。

2011年3月11日、東日本大震災の勃発の初期のデータを見ると、14時46分にM9.0の地震が起き、その後、第一波の津波が起きました。
そして地震発生からちょうど20分後にすぐ近くで15時06分にM7.0の地震が起き、第二の津波が起きました。  
さらにちょうど20分後の15時26分に今度は離れた地点でM7.2の地震が起き、第三波の津波が起きました。
  
さらにちょうど20分後の15時46分にM5.7の地震が起き、第四波の津波が起きました。
  
どうでしょうか。ぴったり4回、20分ごとに地震が起こるというのは、自然界では天文学的な確率であり、絶対ありえないことではないでしょうか。  
「誰かが20分ずつ時間をずらして津波の影響を見ながら地震兵器の起爆を繰り返した」と考えるのが妥当ではないでしょうか。
  
もしこれらの地震や津波が自然現象によるものならば、津波は東北地方沿岸だけでなく、平等にアメリカ本土にもハワイにも同じように強く流れ込むのが通例です。
  
ところが今回は日本だけにピンポイント的に強烈に流れ込んでいる。

これは潮の動きを考慮して津波が日本本土到達時に最大になるよう繰り返し予行演習して計算しつくされた人工的な異常現象です。

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地震は爆縮と爆発の連鎖が地殻を振幅させる

http://www.link-21.com/space/c007.html

地球人の地震の震源地の方程式はデタラメ

http://blogs.yahoo.co.jp/up5ch6/63976043.html 

地震兵器・・・・『地震爆発説』

2015-06-09 21:10:01 | 人工地震、福島原発、気象兵器、戦争

http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/c53a17fa701fed495ab8c4bef033c615

Date: 2014-04-22 (Tue)  地震爆発論から見た東北大震災の真相

東北大震災では何が起きていたのか、活断層理論という間違った地震理論で対処しているために、多くの誤解、おろかな対応策がなされています。  M9地震の実体は少なくとも、三つの大きな爆発が起きていたのです。しかも、牡鹿半島沖で起きた津波と、いわき市沖で発生した人為的地震による津波とが福島第一原発付近で重なったために、原発に大きな被害を与えたことが理解されていません。

その、いわき市沖で発生した地震はCCSによって人為的に起こしてしまった可能性があると考えるべきです。  原子炉建屋で起きた水素爆発に関しても、ジルコンという金属との反応で発生したものであると理解されていますが、地震現象と同じで、原子炉で発生する熱によって熱解離した酸水素ガスである可能性が高いのです。マグマの熱によるのか、冷却に失敗した原子炉の熱なのかという違いがありますが、熱解離という現象で水素が発生し、爆発を起こした可能性があることが理解されていません。

東北地震が三連動の地震であったと解釈され、南海トラフでも三連動地震が起きるとして過大な被害予測がなされ、地方の担当者はギブアップの様相です。地震学の間違い、50年以上にわたる"活断層理論、プレテク理論という洗脳"が大きな災害を起こしている事に気づく必要があります。

Date: 2014-05-09 (Fri)  活断層理論はルーズベルトの仕掛けた地震兵器隠蔽工作か?

アメリカの地震学会会長を務めた安芸敬一教授が「私は洗脳されて帰ってきました、地震は断層です。」と転向宣言をした裏には、実はヤハウェ・ルーズベルトが日本征服のために立案した「オレンジ計画」の流れがあるのではないかということでした。アメリカも、ソ連も「地震兵器開発」「気象操作兵器」を開発していることは世界の常識だと浜田和幸氏が国会で答弁したことは知られていますが、「地震兵器開発」の隠蔽工作をアメリカ地震学会に掛けたのではないでしょうか。「地震は断層である」と言う呪文を掛けたのだと推定します。私は日本を出て研究したことが無いので、洗脳の呪文が効かないのでしょう。 

     http://www.ailab7.com/log/eqlog1951-1970.html

“Date: 2014-01-20 (Mon)  「偉い先生」が頭がいいとは限らない

検索機能に[ailab7.com]と記入して検索すると多くのサイトで「地震爆発論」に基づく知見が参考にされていることがわかります。このように、「活断層理論」とは異なる「もう一つの地震理論」が存在することがネット社会では知られているのにもかかわらず、学者先生とマスコミは「無視」、「黙殺」を続けています。

トンデモ陰謀論ではなく液化炭酸ガス地下注入による人為的事故の可能性が以下の動画で疑われている。中越、中越沖の両震源の中間点で地下注入が行われていた。

地震の原因である「水素と酸素の化学反応」はダイナマイトのような爆発Explosionではなく、「引き」現象を生じさせる「爆縮」Implosionと云うものです。爆発と云う言葉から単純にダイナマイトの爆発をイメージして推論するような単純な発想を止めてください。

http://www.ailab7.com/log/eqlog1871-1890.html 

 石田昭 地震学
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%9F%B3%E7%94%B0%E6%98%AD+%E5%9C%B0%E9%9C%87%E5%AD%A6&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

アメリカ発の活断層論、プレートテクトニクス論は、人工地震、地震兵器を隠すためということなんだね、そうみれるんだと・・・・

地球人の地震の震源地の方程式はデタラメ   

2015/6/2(火)  橋本さんのブログ

プレート理論は現代の天動説である。地震は、地下の酸水素ガスが水素爆鳴気を起こすことによる地殻の振動である。

地球の馬鹿科学者らは、小笠原沖で30日に発生したマグニチュード(M)8.5の巨大地震を「深発地震」として、神奈川などの都心での揺れは異常震域によるものだと真顔で言っているが、「深発地震」がプレート理論で説明できないことを承知の上で公然と発言しているのは喜劇を通り越して悲劇である。

そもそも地球の構造自体が天動説のように空想の世界なのだから、そこから導かれる地質学自体が論理的に破綻してるのは自明の理であり、一言でいえばデタラメということになる。

30日に発生した地震の震源地であるが、プレート理論自体が間違っているのだから、震源地を導く方程式もデタラメということになり震源地は小笠原沖ではない。

震源地は神奈川北西部(二宮町)と埼玉東部(春日部市)で二つの地震が連動したのが30日の地震。1923年9月1日の関東大震災でも、神奈川北西部が揺れ、横浜、東京と地震が連動しているのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/up5ch6/63976043.html
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=304745

EMP / 中性子爆弾: 

EMP Bomb Threat Scenario

https://youtu.be/vn6OVLK0MBI 

ウクライナ・ドネツクで観測された異常な光。核? EMP? あるいは?

https://youtu.be/HZsbN5b7KR8 

Israel is a nuclear attack about Syria. イスラエルがシリアを核攻撃

https://www.youtube.com/watch?v=RqxlGZRBPkI

【映像】「中性子爆弾」サウジ空軍がイエメンのフーシ派勢力を空爆

https://youtu.be/RupSO2eCwJU 

ついに核戦争が現実に…イエメンで核爆発 〈イランイスラムIRIBラジオ日本語

https://youtu.be/njuimTIM8ak 

世界のどの場所でどのくらい核爆発が起きたのか

https://youtu.be/mhAqVLqoJTA  

Mount Fuji in Red [excerpt] / Dreams / AK / 1990

https://youtu.be/ncmzgkVz9KI 

Akira Kurosawa Sonhos Monte Fuji em Chamas Legendado.wmv

https://youtu.be/Zlp5juUe-NY 

blind

http://vimeo.com/kirfilm/blind-film 

Fairy Lights in Femtoseconds: Tangible Holographic Plasma (SIGGRAPH)

https://youtu.be/AoWi10YVmfE

 

高野山東京別院

この建物の地下に高圧変電所がある!なぜ


CLOUD-CHEMTRAILS - HAARP - CERN - FUKUSHIMA など 1/2

2015年07月24日 | 雑記

夏季休暇などで一時帰国する際日本海側から日本列島上空に入りそして列島を南下横断するルートで飛行し到着地である成田空港へ向かう。 

その飛行ルートでは真夏ごろと言うこともあって通常典型的な明るい夏空のなかを巡航飛行速度950km/h、飛行高度10000m位から太平洋岸へ向かって徐々に飛行速度と飛行高度を下げて行く。

なるほどこれは学校で習ったとおり窓から見ているとやはり高度10000m付近の高さまで拡がる真っ白な積乱雲(と思われる)もくもくとした白い雲のなかを機体が滑空しているのがわかる。

そんな積乱雲に限らずいろんな雲はどうやってできるのか?

と言う話から始まって昨今かまびすしいケムやら台風やハリケーンを育成しまたその進路操作を行っていると疑われるハープなどなどわれわれが良く知らないしまったく公式になっていない怪しい秘密兵器の幾つかについて俯瞰していきます。

実はそれらの秘密兵器はわれわれが知らない・認識していないだけであってごくごく日常的に使われているようです。

誰が誰に対して何の目的で?

それは本文記事から推察・判断してください。

CLOUD-CHEMTRAILS-HAARP-CERN-FUKUSHIMA (+ PLASMA - ELECTROMAGNETIC - SONIC AND ULTRASONIC WEAPONS - HIGH ALTITUDE ULTRA LOW FREQUENCY WEAPONS - LASER WEAPONS - TUNAMI - TECTONIC WEAPONS) など 

CLOUD FORMATION(雲の出来方):

精度97%の「2030年までのミニ氷河期突入」予測は、その発表の元となったロシア人女性物理学者の「太陽活動の解析予測の実績」から実現確実な状勢に

http://oka-jp.seesaa.net/article/422810525.html

 

スクワ国立大学の物理学者であるヘレン・ポポワ博士( Dr. Helen Popova )についても紹介されていました。

このヘレン・ポポワ博士はお美しい方ですが、今回のためにおこなった業績は、その美貌をさえ忘れさせてしまうほど、きわめて重要なものです。彼女は、今よりずっと以前に、現在の太陽サイクルであるサイクル 24の「黒点数の予測」を、太陽の電磁波の観測から数学的解析で導かれる結果により、

将来の黒点数を予測し、その通りになったのです。

ヘレン・ポポワ博士

さらに、サイクル24の黒点数の正確な予測に成功したヘレン・ポポワ博士は、今の次の太陽サイクルである「サイクル25」のパターン解析に着手したのでした。
前回と同じ手法での精度が正しければ、「ほぼ正確に次のサイクルの黒点数を予測できる」ことになります。
それによって、ポポワ博士は、「次の約 30年間ほどの間の黒点数が、マウンダー極小期と同じ程度の黒点数になる」
という結果を導いたのでした。その精度、つまり、ミニ氷河期が訪れる確率は 97% としています。 

スベンスマーク-雲の神秘HV版.wmv

https://youtu.be/u9mB0_uAWlQ

「宇宙線が雲を作るメカニズム」の一部を欧州原子核研究機構 CERN が解明

http://oka-jp.seesaa.net/article/222447948.html

「宇宙線とエアロゾル変化のイメージ」


内容は、「雲(の要因となるエアロゾル)は大気中の蒸気からできているのではなく、ほとんどが宇宙線により作られていると考えられる」というある意味ではショッキングな報告です。「雲の素は蒸気じゃない」ということです。 

【気候シリーズ】雲ができるのはなんで?②~鍵を握っているのはエアロゾルと宇宙線~

http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2011/10/958.html

スベンスマルク効果という仮説があって、これが今回の CLOUD 実験とも関係した概念ですので、少し長くなってしまいますが、一部引用しておきます。
スベンスマルク効果
スベンスマルク効果とは、宇宙空間から飛来する銀河宇宙線が地球の雲の形成を誘起しているという仮説である。

太陽磁場は宇宙線が直接地球に降り注がれる量を減らす役割を果たしている。そのため、太陽活動が活発になると太陽磁場も増加し、地球に降り注がれる宇宙線の量が減少する。この説はその結果、地球の雲の量が減少し、反射率が減少した分だけ気候が暖かくなった可能性を指摘した。
1998
年に CERN 素粒子物理学研究所のジャスパー・カービーにより大気化学における宇宙線の役割を調査するためにCLOUDと呼ばれる実験が提案された。
一方、さらに小規模なSKYと呼ばれる実験がスベンスマルクにより行われた。2005年の実験では、空気中において宇宙線によって放出された電子が雲の核形成の触媒として作用することが明らかとなった。このような実験により、スベンスマルクらは宇宙線が雲の形成に影響を与えるかもしれないとの仮説を提案した。

  

CHEMTRAILS(ケムトレイル):

ケムトレイルを噴霧して人口削減計画を実施している組織とは。。。以外でした。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51912093.html

 

拙宅上空のケムトレイル 上=2014年冬、下=2015年夏

世界人口削減のためにケムトレイルを世界中に噴霧している中心的組織はどうやら、イギリス王室もそうでしょうが。。。主に、オランダ王室、オランダの巨大企業、米巨大企業、そして中国国営企業だったようです。オランダとは。。。以外や以外です。中国の国営企業が悪事をやっているのは想像できます。中国は東南アジアを担当しており、ベトナムにケムトレイルを撒き散らし、ベトナムの人口削減計画の実験をしています。

 

Chemtrails Exposed Controlled By Jesuits & Knights of Malta- Video

https://youtu.be/_91uWMEBk9c 


The Olgacom Scandal 2011

https://olgacomscandal.wordpress.com/the-olgacom-scandal-2011/

 

ケムトレイルは50年も前から撒かれている
  ~我々はそれを飛行機雲と呼んで来た! 

http://ameblo.jp/64152966/entry-11808330486.html 

ケムトレイルは良心的なRHマイナスを狙ったものです。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51958112.html 

ケムトレイルなど空の写真(イギリス~ポルトガル)

http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12011189518.html

  

HAARP(ハープ=気象操作兵器):

気象兵器は実在している!ロシアではイベント時に天候操作!アメリカも気象兵器を保有!11日と大地震は偶然か?

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-233.html

 

アラスカにあるハ-プ施設(現在は閉鎖されている)


台風11号の謎(追記)

http://kinnikuking.blog81.fc2.com/blog-entry-1339.html

 

ハワイの真珠湾から出向する海洋設置型Xバンドレーダー(SBX


donのブログから

2015-05-28 07:49:27
基地外に刃物とはこのこと!ユダ金気象操作しまくりか?インドで50度道路も溶ける!

テーマ:ブログ

あの~もう気象操作しまくりなのはばれてますよ。いくら聖書の予言どおりの事を起こそうとしても、ワザトラマンがやってるのが透けて見えてきます。www

http://ameblo.jp/don1110/entry-12031978670.html?frm_src=thumb_module

オクラホマとテキサスが豪雨、大洪水

NWOのアジェンダが分かっている人は、オクラホマとテキサスの洪水はHAARPの仕業であることを知っています。世界中で天候が激変し、大きな被害をもたらしていますが、特にアメリカは激しすぎます。
数年前からアメリカは人工的な災害を起こされながら激しい攻撃を受けています。大洪水、竜巻、ハリケーン、干ばつ。。。。
カリフォルニアは大干ばつなのに、テキサスやオクラホマは大洪水。。。昨年は干ばつだった地域が今年は大洪水。。。あまりにも変化が激しすぎます。
にカリフォルニアは国連に支配されていると言われていますが、彼らはこの地域を意図的に干ばつにさせているのでしょうか。。。もちろん、ポールシフトや太 陽の活動の影響もあるのでしょうけど。。。それに便乗してHAARPでより一層天候を悪化させているような気がします。
カリフォルニアでは不作が続いているためアメリカから輸入している農作物(特に小麦やトウモロコシ)が日本に入ってこなくなり日本にも大きな影響をもたらすことになるかも。。。
懸念することは。。。毎年、アメリカに大雪や大雨が降ると、必ずその数週間後に日本が大雪、大雨、台風に見舞われるということです。アメリカで起きていることが日本にも起きるという現象が毎年のように見られます。
この夏、日本も再び豪雨や台風が頻発し、一部地域は大洪水となってしまうのでしょうか。ここ数年間、夏になると急に天候不順が続き、豪雨が多く、昔ながらの日本の夏がどこかへ行ってしまいました。日射しが照りつける8月が懐かしくなります。

http://beforeitsnews.com/agenda-21/2015/05/haarp-causing-severe-flooding-in-oklahoma-and-texas-1362.html

気象兵器 Xバンドレーダー「ハリケーン・サンディ(台風18号)は人工的に作られ進路操縦」

http://ameblo.jp/kaori-roselove/entry-11617645486.html


2013年09月20日(金) 

テーマ:気象兵器

ご訪問ありがとうございます。小さなブログですが、とても大切な記事を書いています。どうかお知り合いの多くの方に、ツイッターなどで広めてくださいませ。なうをフォローして広めてください。お願いします。

先日のkaoriのブログの記事
「HAARP地上・海上SBXレーダー・ミニシャトルX-37Bの3点セット」
http://ameblo.jp/kaori-roselove/entry-11614962657.html

この中に引用した英語の記事を、世界の裏側ニュースさまが、翻訳してくださいました。
先日の京都から福島青森のもんじゅまで、広範囲に襲った台風16号を昨年の米リカを襲ったハリケーンサンディと置き換えて、以下の文章を読んでみてください。
これはとても大切な事です。気象兵器は軍事秘密です。
しかし、こうして実態が明らかにされ、米リカが環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約に、違反している事は明らかです。
http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/enmod.htm

*****

世界の裏側ニュースさま より転載
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11617248830.html#c12378619263


2012
年10月29日【Presscore.ca

http://presscore.ca/2012/obamas-october-surprise-creating-and-steering-hurricane-sandy.html

「オバマからのプレゼント ハリケーン・サンディは人工的に作られ進路操縦されたものか」


X
バンドレーダーによるハリケーンの軌道操作
アメリカ政府はHAARPの海洋設置型Xバンドレーダー(SBX)プラットフォームを使用し、人工的に作られたハリケーン・サンディを強力にし、軌道を操作している。
ハリケーン・サンディはオバマからの10月のプレゼントのようだ。人工的にハリケーンを作り軌道を操作することで、大量破壊を引き起こした。アメリカの空軍・海軍がハリケーン・サンディの軌道を操作しニューヨーク市へ向かわせている。
アメリカ政府が国内の大都市にハリケーンの操舵したのは、何もこれが初めてのことではない。
2005
年にはジョージWブッシュとディック・チェニーの両名が、ハリケーン・カトリーナをニュー・オーリンズへと操舵することに成功。2010年にはNASA熱帯低気圧・アール(Earl)をカテゴリー4のハリケーンになるまで強力にし、ハリケーン・アールの軌道を11日間に渡って操作した。プロジェクト GRIP(Genesis and Rapid Intensification Processes)の実施中のことだ。
2010
年8月11日、NASAはこのプロジェクトGRIPを2週間後に開始することを発表。最終目的(『聖杯』)を達成するためのプロジェクトである。そして同プロジェクトにおいて、熱帯低気圧をハリケーンに変換させるための精密な必要条件が判明した。
学者はすでに、熱帯低気圧をハリケーンに変換させ軌道を操作する方法を知っていたのだが、NASAは大量破壊兵器として、低気圧を非常に強力な渦巻き型の 嵐を強力なものにするプロセスを完全なものにしたかったのだ。つまりNASAは気象改変という大量破壊兵器を構築していたのだ。
「ハリケーンの形成・強力化は、このフィールドにおいてはまさに『最終目的』です」ユタ大学の気象学者で、プロジェクトGRIPでリーダー格の科学者3人の内の一人であるエド・ズィスパー氏は語る。
GRIP
のプロジェクト・マネージャー、マリリン・ヴァスケス氏は、「この研究では、ハリケーンに変換する嵐と、ハリケーンに変換しない嵐の両方のデータを比較しようとしています。ハリケーンの強大化についても同様です」といっている。
NASA
は、ハリケーンの生成、勢力の強化、そして軌道の調整を行うために様々な気象変革技術を使用した。有効なテクノロジーとしては、強力なマイクロ波放射器や「レーダー」、NASAが設計・建設したlidar(ライダー。レーザー光を使ったレーダーで、気象観測などに用いられる)などがある。
レーザー光使用のレーダーはグローバル・ホークス(Global Hawks、無人航空機)に搭載され、ハリケーンの頂上部を加熱させるために使用された。ハリケーンを弱くし、軌道修正を行うためである。
NASA
が使用した「レーダー」は海洋設置型Xバンドレーダー(SBX)である。これは浮遊型で自走式の移動式レーダー基地で、軍によって操作・管理されている。強風や高波でも稼働が可能で、アメリカ国防総省のミサイル防衛システムの一部でもある。 

写真:2006年3月31日 ハワイの真珠湾から出向する海洋設置型Xバンドレーダー(SBX
外壁がカモフラージュ色に塗装された後にアメリカ海軍船によって撮影

このSBXは、浮遊型フェーズドアレイ・Xバンドレーダーとしては世界最大のものである。アメリカ国防総省(ミサイル防衛庁)が管理し、その移動や所在地については機密情報になっている。
2005
年、SBXはルイジアナ湾に52日間に渡り配置され、そこで100件以上の主要な実験が行われた。2005年8月下旬から10月14日までの52日間であ る。米空軍のヘンリー・オベーリング少佐(ミサイル防衛局長)は、SBXにはその主な戦略上および維持に関する能力を遂行する能力があることを証明した、 という。
ハリケーン・カトリーナが形成された2005年8月28日、SBXがルイジアナ湾にいたことになる。この嵐はサフィール・シンプソンハリケーン基準でカテゴリー3の激しさに達し、その季節では3番目に大きいハリケーンとなった。
リケーンのアイウォール(eyewall、中心地の周囲にある積乱雲の壁)の再生周期が原因で激しさはそれほど増さなかったものの、嵐のサイズは2倍近く に膨れ上がった。カトリーナは再び、急速に激しさを増し、8月28日の朝にはカテゴリー5となり午後1時に最大ピークを迎えた。最大風速は時速280 km (175 mph )、中心の最小気圧は902 hPaであった。
FEMA
(連邦緊急事態管理局)や移民税関捜査局などの政府機関を監督している、国土安全保障省内の科学・テクノロジー理事会は、ハリケーンの改変に関連テクノロジーに大きな関心を見せた。
国土安全保障省の科学・テクノロジーの調査課長のクリス・ドイル氏(Chris Doyle)は、2008年5月に行われた米国気象学会会議において、「途方もないSFみたいに聞こえますが、これこそ我々が向かうべき方向なのです」と述べている。
ロジェクト・Stormfuryとは、1960年に連邦政府が気象改造を軍事化しようとした最後の試みである。このプロジェクトに参加していたハリケーン 学者のジョセフ・ゴールデンが、気象改造について議論することを目的に、部門を超えてハリケーンに関する会議に科学者を結集させるよう会議を手配した。
そこではハリケーンの軌道操作を、地政学的ツールとしての使用の実現化について話し合いがもたれた。
同会議での主な質疑は「科学者らがどこに暴風を向かわせるか」という点に集まっていた。人口の少なめの地域に向かわせるか、主要なメトロポリタン地域に向かわせるか?
リケーンを小さな地域社会へと軌道操作させると、その地域の財政が破綻する可能性があり、農業中心の地域へと軌道操作すると作物が全滅する可能性がある。 大都市にハリケーンの軌道を持っていくと(ハリケーン・カトリーナ)最悪の場合は数年にも渡ってその地域の機能が不能になり、被害者数も甚大なものになる 可能性がある。
また、プロジェクト・Stormfuryと同様、その会議では地政学的兵器としてハリケーンの軌道変更を使う方法について議論がなされた。

 

STORMFURY仮説
(図 上から)

・シーディング(seeding、タネを植える)
・新しいアイウォールが育つにしたがい、古いアイウォールが弱くなる
・新しいアイウォールがとってかわる

プロジェクトStormfuryは、飛行中の航空機が熱帯低気圧に突入し、ヨウ化銀という「種」を植え付けることによって、熱帯低気圧の軌道を修正しようとするアメリカ軍部の科学者の試みの第一弾であった。
雲に「種」をまく行為はハリケーンの軌道修正ばかりではなく、ハリケーンをより大きいものにする目的にも使われた。それ以降、雲への種まきはアメリカ政府の気象改造プログラムを支持する主勢力になっている。
 
現在ではケムトレイルの散布として知られているが、過去には発がん性のある毒物、ヨウ化銀が気象改造およびハリケーンの軌道変更の目的で使用されいていたのである。
ハリケーン・サンディがアメリカ軍部によって軌道変更されていたかどうかという質問に答えようと思えば、ちょっと調べてみるだけでよい。
もしあなたの住んでいる地域にケムトレイルが散布されていたのを目撃し、その直後にハリケーンがその地域に到達したのであれば、ハリケーン(サンディ)が軌道修正されたもの、と考えてよいだろう。

雲への「種」まきでハリケーンの軌道変更する仕組み
海上で温められた空気が上昇し、低温の上空の気流にぶつかるとハリケーンが形成される。熱は運動エネルギーになり、風と雨の渦巻きをつくりだす。上部と下部の温度差が大きいほど、またハリケーンの目が小さいほど、風速が高まる。

 

X-37 宇宙探査機

炭素粒子あるいは化学物質を、暴風上部に飛行中の航空機から散布することでハリケーン上部の温度が上昇し、暴風内部の空気の流れが変化することになる。大気圏外の人工衛星から、雲の上部にマイクロ波を照射することでも温度を上昇させることが可能だ。
無人航空機X-37Bはそれを実現させたシステムである。X-37はアメリカ米軍がケープ・カナベラル空軍基地からアトラスVロケットによって軌道に乗せられた。
小型スペースシャトルのように見えるが、その目的は今もなお、秘密のままである。
しかしその名前に本当の目的が隠されている。XとBは「Xバンド(X-Band)を意味する。37という数字はXバンドのシンチレーション指数(m = 0:37)を表している。Xバンドとは電磁スペクトルのマイクロ波電波領域の一部のことだ。
これらを考え合わせると、X-37Bとは、軌道上にあるXバンドのフェーズドアレイ・アンテナであり、TRモジュールによって操作され、何千ものアンテナで構成されているということがわかる。
TR
モジュールとは、 多機能サーキットで、信号を受信や増幅することができる。軌道上にあれば、アメリカ軍部は遠隔操作し世界中のどこにでも移動させ、そこから目標地域上空の電離層を加熱させることが可能である。

 

【参照】フェーズド・アレイ・アンテナの特徴 
画像:情報通信研究機構さまより

二機目のX-37Bは2011年3月5日に発射された。ミッション名はUSA-226である。この宇宙探査機はアメリカ空軍によって操縦・制御されており、最初のフライトではどのような装置が搭載されているか明確に公開されなかった。つまり、同機のミッションは極秘であったということだ。
空軍は、この宇宙探査機は「衛星センサー、サブシステム、コンポーネントおよびそれらに関連したテクノロジー」を含めた「様々な実験を遂行する」ということだけを述べている。
アメリカ空軍によれば、このX-37Bは最高で270日間、軌道上に飛行することが可能だ。探査機が軌道上で行う実験の進行状況によって、ミッションの期間が左右するという。
X-37
宇宙探査機は2012年10月25日に発射される予定であったものの、技術的問題のために2012年11月13日まで発射が延期されている。
X- 37
の機密ミッションの中で最も主要なものは、別名はOrbital Test Vehicle-3 (OTV-3)としても知られており、10月25日にフロリダ州のケープ・カナベラル空軍基地の宇宙船打ち上げ複合施設第41から、アトラスVロケットの 上部に設置された状態での発射が計画されていた。
ユナイテッド・ローンチ・アライアンス(ULA)によれば、この発射は現在のところ11月13日に予定されているという。ハリケーン・サンディが生まれた直前に、ケープ・カナベラル空軍基地から予定もなく発表もなかった発射が行われていたのではなかったろうか。
X-37B
は、装備されたフェーズドアレイ・アンテナを使用した大量破壊兵器という目的のためだけに開発されたものだ。
フェー ズドアレイ・アンテナは、多数の放射エレメントから構成されており、それぞれに位相調整器がついている。放射エレメントから出される信号の位相を変換する ことによってビームが形成され、それによって建設的・相殺的干渉がなされる。そして望む方向へ向かってビームの軌道を操作することが可能になるのだ。
信号は主な方向へと建設的干渉によって増大され、相殺的干渉によってビームの精度が改善される。
上配置型HAARP(アラスカ、ガコナ付近)、米海軍の浮遊型HAARP海上設置Xバンドレーダー(SBX)プラットフォーム(位置は機密)、米空軍の軌 道上のXー37Bにはすべて、電波信号を正確な方向に焦点を合わせる能力が備わっている。これら3基のXバンドフェーズドアレイ(陸上、海上、宇宙軌道 上)は、非常に高い周波を使用することで、地球の電離層内にある特定の位置に強力な電磁ビームを集中させることができる。

 

画像 「アラスカのHAARP施設が閉鎖だそうだ」より

三基とも電離層を加熱させる。現在アメリカ政府は、自然の電離層を修正させる目的で、電離層を加熱技術を使っている。その目的はハリケーンやモンスーンの雨(洪水)、熱波(干ばつ)などの極度の気象改変イベントを引き起こすためである。
アラスカの陸上システム、海洋設置型SBX、X-37ミニシャトルという、アメリカの上記3基のHAARP・気象改造システムは、気象改造による軍事的な大量破壊兵器として建設された。
これはつまり、環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約に直接的に違反するものである。

環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約
Signed in Geneva May 18, 1977
Entered into force October 5, 1978
Ratification by U.S. President December 13, 1979
U.S. ratification deposited at New York January 17, 1980


第一条
1 締約国は、破壊、損害又は傷害を引き起こす手段として広範な、長期的な又は深刻な効果をもたらすような環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用を他の締約国に対して行わないことを約束する。
2 締約国は、1の規定に違反する行為につき、いかなる国、国の集団又は国際機関に対しても、援助、奨励又は勧誘を行わないことを約束する。
第二条
 
前条にいう「環境改変技術」とは、自然の作用を意図的に操作することにより地球(生物相、岩石圏、水圏及び気圏を含む。)又は宇宙空間の構造、組成又は運動に変更を加える技術をいう。
【引用】http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/enmod.htm

*****

【コメント】
福島の津波や地震が人為的なものであったという仮説がにぎわっていますが、X37の二機目が大震災の直前に打ち上げられ、その目的を明確に公表されていないことから考えても、その疑いは濃厚といっていいんじゃないでしょうか。

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世界の裏側ニュースさま、ほんとにありがとうございます。
貴重な資料を翻訳していただきました。
日本国内ではたぶん、誰も想像できない事ですが、気象操作は兵器として使われているようです。
CIA
の極秘文書であっても、60年後には公開されているそうです。
ハリケーンサンディーや台風18号、3.11もいずれ真実が公開されるでしょう。
ただ、60年後にこのブログを読む方が生存しているかは存じませんが・・・。

kaori-roselove
/
http://ameblo.jp/kaori-roselove/theme-10071917470.html
 

Chemtrails The facts

https://youtu.be/G9cQfcKR0EM

 

Want To Know About Haarp?

http://www.geoengineeringwatch.org/want-to-know-about-haarp/

イルミナティ→CIA→正力→日本テレビ→宮崎駿→風立ちぬ→戦争?

http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-43.html

 

ひこうき雲 - 荒井由実(松任谷由実)

https://youtu.be/9HInQDjCCRc


ドラえもん のび太と雲の王国主題歌「雲がゆくのは」

https://youtu.be/3yWVk7vdrpc

 

坂の上の雲 ナレーション

https://youtu.be/j6Jwc4S3idI

 

金団雲か?雲形ドローン出現!

Is this an alien spaceship? Moving 'cloud' changes shape and zooms across sky in Philadelphia

https://youtu.be/-kOoIkpOtEI


こんな世の中は終わったほうがいいと思う理由

https://www.youtube.com/watch?v=IVgaUvjH1LI



サンカについて 3/3

2015年03月28日 | 雑記

サンカについて 続き、

最終章です。


サンカの人々の暮らし 7

テーマ:日本人のルーツ(581)

カテゴリ:カテゴリ未分類

その日の午后。私は利君を誘って、もう一度彼らの小屋を訪ねてみた。私の陽足はぬるく、風は爽やかで、何とも気持ちがいい。・・・・・丁度、三人は出かける用意がすんだ所だったのでよかったなと思った。私達には、おかまいなしに、せっせとさっきの白縄と山刀とをもって三人は何かしきりに話し合い乍ら足早に前を歩いていく。私達を無視するようなことは、いつものことだし、私達も平気な顔をして、後れない様に小走りについていくことにした。先頭の小父さんは、川岸の竹藪の処で止まった。小母さんと娘とは、すぐおいついて小父さんと並んで何か話している。しきりに側の娘は合点をしているが、何を話し合ったのかは、分からない。只、悪いことでないだけは、三人共うれしそうな顔をしていることでよく分かる。「何するじゃろう?」利君は、いつもの顔で少しおでこを前に出す様に小首を傾けて私に言ったが勿論私に分かろう筈はない。「そう、あわてんなよ。そのうちに分かるよ」と私は言ってみたが、さっきから私達のことを少し気にし出していたのか小父さんが、こっちを向いて言った。「坊んた。わしらん、ついて来よって何すんかな?」私は、ひどく怒られた気がして、黙って立ったが利君は平気な顔で答えた。
「おまいた、おらたァ、いろいろ違ったことすっで、見せてむらうつもりだが、いかんのかあ」
「べつに、いかんというのじゃないけど、わてら、どこまで行くか、分からんのに、ついたいて、怪我でもされちゃ困るで・・・・・」小父さんは、そう言ったきり、すぐ竹の幹によじ登り始めた。
「うまいもんだなあ。まるきし猿じゃ」利君が何かつづけて言おうとした時分には竹は、小父さんの体重で曲がって先が地に届きそうになった。小母さんが、さ、さ、さ、と飛んでいって、その竹の先を両手で掴むと跳ね上がらんように、ぎゅっと引っぱった。。娘がさっきの藤縄を小母さんに差し出す。すぐ小母さんは、その竹のかなり先の方にしっかり藤縄をしばりつける。その縄はぐんと引っぱると隣の竹の元の方にくくりつけられて、はね上がらんようになる。小父さんがするすると降りてきて、ひょいと飛び降りる。ついでに数歩離れた所の竹によじのぼって、さっきと同じことをして、竹を身体の目方で曲げる。小母さんがその先を掴んで引っぱる。娘が藤縄の、もう一本の方を差し出す。小父さんがそこに縛り付ける。小父さんが降りてくる。小母さんはひっぱっている藤綱と、さっき竹の根っこにしばりつけておいた、初めの藤縄とを取られないように、両手で引きつけていると、その間に小父さんは、細い竹を切って二本同じ様に三尺位のものにする。その端を藤縄でしばりつけると黙って小母さんに渡す。小母さんは、その立った竹の伸びにつられて、ひょいひょいと引っぱられて身体が浮き上がるようになるが、手を離さないで耐えておる。小父さんは、初めにしばっておいた藤縄の方を外して今の三尺竹のもう一方に巻きつけてしっかりしばりつける。
「あ、分った。ブランコつくりよった」利君が言って私の顔を見た。きっと、あの娘にブランコ作ってやったのだろう、と思うと、私はちいと羨ましい気がした。私だって利君だって家の外でブランコなんか作ったら叱られるにきまっとるし、第一、親がブランコ作りに先にたってやってくれるなどということは、絶対になかったことだから。
思った通りだった。小母さんが、まずブランコの初乗りだった。二度程腰と膝との屈伸で調子をとるとブラーンブラーンと竹薮の外側へ向かってふってみせる。娘は真剣な眼つきでじっとそれをみている。勢いがついた。・・・・・ざあっ、ざあっと音をたてて、この二本の竹が曲がって伸びてあっちの川岸にとどくと小母さんは、もう一度膝と腰とで舵をとって大ゆすりにゆすってから、ひょいと身体を縮めて、ひらりと向う岸に下り立った。両手は、まだブランコの藤縄を掴んだままだから竹が伸びる時、ふらっ、ふらっと引っぱられて泳ぐ様に動く・・・・・。「面白いことしよるなァ・・・・・」二人は、感心してしまった。第一。ブランコの作り方が面白い。あの縄の作り方が素晴らしい。あの腰と膝の使い方が、実にうまい。
「おらも乗せてくれるだろうか?」利君は、もう乗せてもらうつもりでいる。小母さんは二度三度、同じ様にして、この竹のしないを利用しては川の向うにいったり、その反動でこっちに来たりして、形を見せていたが、やがてこちら側に、ひらりと降りた。「・・・・・」娘が呼ばれて、そのブランコに乗った。脚も腰も小母さんのような具合に強くはないので、なかなか、このブランコは小母さんの様に上手には、揺れない。小母さんは何やら言いながら娘の脚もとから下っている細紐をつんと引っぱって娘の腰の力を助けてやる。「あの紐、いつ付けた?」「不思議な奴らだなァ・・・」利君と二人で感心している間に娘のブランコは、段々調子がついて川の上を向こうに届いたり、こっちに戻ったり何回でもぶらあん、ぶらあんと動く。そのうちに小母さんが、何か言ったなと思うと娘は腰を曲げて止り木にしゃがむ形になったが、向こうにつくと一緒にひょいと飛び下りた。うまい・・・ブランコは、こっち側にぶらんと、戻ってかなり高い所へ上ってしまった。だけど、小母さんの手の紐は、ちゃんと握られているので、どこか遠くへ行ってしまったりしない・・・。「ちぇっ。やってけつかる・・・・・」利君は、もうすっかり感心のしっぱなしだ。「これで、どうするずら・・・」私がそう思った時、小父さんと小母さんはパチパチ手を打ってから、万歳の形をして娘を褒めてやっていた。
「あ、そうだ。川渡りの仕方を教えたとこだよ・・」
やっぱり利君は、私よりも頭が良くて早く分かるようだ。「だけど、もう、あの娘あ、戻れんなっちゃうに・・・」私が心配をしてやると、今度は小父さんが乗っかって世話なしに、向う側にぴょんと渡る。娘を抱き上げて「きゃっ」「きゃっ」と言っているのは、きっと「上手に出来た」と褒めてやってるのだろうと私共には思えた。娘を乗せると、今度は小父さんは、向う側に残ってみている。
何度も何度も繰り返して、川渡りの方法を見せてくれたが「貸してやる」とも「乗ってみろ」とも遂に言わなかった。「坊。日い、暮れますっせ。
はよ。帰らんと叱られるで・・・・・」小父さんは向う岸から大きい声を出して私達を追払いかけた。もう少し見ていて、あの藤縄をどうして取ってくれるか。その縄どうするか。見たかったけれども大分急に薄暗くなりかけていることに気づいて二人はほんに名残惜しくも、その場を下って道路に出て来た。
あとの日に尋ねてみたが、この藤縄は、「折角努力して作ったものだから、もう一度水に浸けて、ほぐして糸のようにして幾晩もかかって「より糸」にして、小父さんのしている角帯のようなもんにするんだ」と小母さんは教えてくれた。

私は「教育の原点」というものを探したら、この「山窩の夫婦」のような「生活の実際」の中にみつかるのではないかと思って来た。この数年の後に、私が無官の大夫となる日が来る。そこで最初に手がけたいと思うのは「恵那地域の教育の原点等」であるが、それは、やはり、「原点」ともいうなれば、ここらにあると思えてならない。「行動」する、「労働」し、「労作」し、肉体を動かして「分る境地」におこうとした、「恵那の先人達の教育」は、やはりここを目指したものでは、なかったのか。いつぞや、芳兵衛先生は、その話をとても大切な話に聴いてくれたし、藤村老も、しきりに「いい話だ」と褒めてくれていた。
私も含めて、今時の教育の中に「共に行く」「共に生活して」「共に生き育つ」「共育」が無いのが悲しいことだと思うことから、残したい話の一つだ。(昭和四十八年六月十七日)

 

 

サンカの人々の暮らし 8

テーマ:日本人のルーツ(581)

カテゴリ:カテゴリ未分類

方言注
おーっそがい=おそろしい
二ッケ=肉桂
殺されるげな=殺されるそうだ
だちゃかん=駄目だ
子供んた=子供達
こきる、こいて=言っている、言って
おし=おまえ
こっちいも=ここらへも
もんとこいょって=者の所へ寄って
いっしょにとびやんか=一緒に飛ばないのか
遊んでばっかけつがって=遊んでばかりいやがって
もうて=まわって
坊んた=坊やたち
世話なしに=何の苦労もなく


三宅武夫   1903年~1990年
岐阜県の教育家。岐阜県師範学校を卒業後、
教師になる。1943年中津町立第二中学校
初代校長に就任。以後中津川市教育長などを歴任。著書『おらあ先生になる』ほか


家族単位で山の中や川辺で漂白の生活を送るサンカは、大自然を背景に親が子に自分の生活する姿を見せて生活している。教育者である作者の三宅武夫氏はサンカの家族に教育の理想を見たのだろう。その眼差しには優しさが溢れている。
三宅武夫は明治三十六年、岐阜県に生まれ、師範学校を卒業後地元の小学校に赴任、その後愛媛県の松山に転出している。この鞦韆(ぶらんこ)はその後に、生家に近い恵那郡の団子杉近くで目にしたサンカの家族のことを書いているが、この愛媛時代にもサンカを目撃してるという。
三宅氏が出版した『おらあ先生になる』という自伝の中にもその時の事が書かれているので、引用しておく。
                ※
その一つに、松山にいた時、担任の生徒を引率して、奉仕作業のためにと、市街の南を流れている石手の川原に行ったことがありました。そこには、ずいぶん沢山の天幕が張ってあってこの川原の右岸に、穴を掘って住んでいるらしく、竹細工をしている一群に逢ったことがあります。
『先生。ここにゃ、紀元二千年前からの人間がいますけ、気ぃつけにゃいけんぞな・・・・・巣に棲み、穴に住む人間が、かなり大勢いるのじゃけんな・・・・・』高橋という生徒がそう言ってきました。
なるほど、見るとかなりの人数です。それは、
明らかに、かつて私が子どもの頃に見た、あのボンスケといった、同類の人達であることがすぐわかりました。私は、その彼らの天幕の前まで行って、昔「鳳の草」(明智在)の小屋にいた三人の暮らしを思いながら、あの時小母さんが教えてくれた彼ら独特の文字だといった、あの符牒を書いて見せたのです。(中略)。記憶をたどってみますと、これはどうやら昭和十四年の夏のことです。
その後、彼らがどうなったのか、いつどこへ消えていったのか。それは知りませんが、その時の話の中に、今はその日その日の生活に、大分困っている話。いまに日本が戦争にでも突入すれば、その時はまっさきに志願して、軍人にしてもらい、天晴れ日本人になってしまいたいが、どこにいっても一般人、一般の子供迄が、冷たい仕打ちをして、自分たちを悲しませている。先生なら、その先生になる人々に私らだって人間だということをよく解るように話して聞かせ置いてほしいと言っていました。そして今、何とかして「溶け込み」をしたいと思い、この地に「居つきたい」と、それぞれ苦心している。と言っていました。
            ※
愛媛県師範では三宅氏は校長に生徒の五年間持ち上がりを要求し、県内の生徒宅を訪問して回るなど、たいへんに教育熱心な教師であったようだ。それはおよそ四十年近くも後の、このような後日談からも窺える。再び『おらあ先生になる』からの引用
            ※
それが昭和五十一年、私は、私の手記復刻版の『鞦韆(ぶらんこ)』という一冊を印刷してもらいましたので、当時教え子だった伊予路の校長たちに送りました。ところが、その中の三人もの校長から「私の学校のPTAの役員の中にそういう人びとがいますらい・・・・」と、教えてくれました。
・・・それは、あの時、「溶け込み」を考えていた人達の子孫じゃないでしょうか。あの頃から「溶け込み」をはじめたにしても、あの全部が、あの辺りだけに落ち着いたわけでもなでしょうから、いずれ、松山近郊から西は西宇和、東は遠く香川、徳島、南は高知、北は瀬戸内の島島から、中国路にかけて、じりじりと沈潜・定着していったのではないかと思うのです。
              ※
中国・四国地方のサンカの出自を考察させる一節である。そうして三宅氏はその後を学習研究会で回ったりした時でも、日本全国いろいろとその土地土地で興味深い観察をしている。特に、京都で成長した小学校の教え子の女性達に「道楽」という料亭で竹焼料理をふるまわれた時の書いている内容が興味深い。
            ※
その「一節の竹」の上側の割り口は、和紙で貼られていて、竹の底側は、すこし焦げていました。口取りが出て、お吸い物が出て、お酒が出て、その張り紙がはがれますと、この一節の中には、一杯詰められた様々な山海珍味が納まっていました。一番上に・・・・(中略)。その「知久屋喜」は、まさに、彼らの秘法による、石焼料理、桶料理、竹筒料理と、みな同じ類型の料理だと思いました。東は秋田、西は山口、南の高知、内海の鹿島、そしてこの京都の「知久屋喜」、それに故郷明智の、鳳の草の小母さんの「手料理」も、同じ手法だったと、今も思っています。
             ※
このように三宅氏はサンカに向けて様々なアングルからのアプローチを試みているのだが、やはり
「鞦韆」においての重要なテーマという「教育の原点」を「サンカの家族」に見出したということになるだろう。三宅氏は、彼らの生活の中にあった「子どもへの教育」が徹底した「行動中心教育」であるとし、その素晴らしさを「鞦韆」によって我々に伝えてくれている。
藤つるを取ってきて、それをぶらんこに作りあげてくまでのプロセス。そしてぶらんこが、出来上がってから親子三人で遊ぶ姿を見て、七十年近い昔、若かりし三宅氏は、共感と羨望の眼差しで三人の親子を見ていたに違いない。
それは次の言葉にも明らかだ。
              ※

私の周辺にいた多くの人々の中にあって彼らぐらい、強烈に私の「教育行動」に影響した集団は、少なかったという気がしてなりません。(中略)彼らのような「生活即教育」「遊び即生活」の「共育」をすすめる、そういうものを忘れたくありません。何としても「子ども自身が自らの行動を律する力」が、自ら育つためになくてはならないことと、私は思うのです。
             ※
三宅氏の著作の中には「そっとみんなが溶け込んでいてくれますようにと願うわけです」という一節がある。サンカを好奇の眼で見る、あるいは研究の対象としてのみ見ようとする試みの氾濫する中、サンカに向けられた氏の眼差しの温かさは、その人柄を反映していることを窺わせる。
“サンカ”へのオマージュとして「鞦韆」は文句なしに至高の存在だと言える。
最後に氏がサンカへの惜別の情を吐露した一節を引用しておわりにしたい。それはまさに、平成の現在“サンカ”という存在にロマンと憧れを持ってる、我々総てに共通する心情であるといえよう。
              ※
私の記録の中には、これら「消えていった人々を惜しむ」幾つかの記録がありますが、いつもこれを見る度に思いますのは「その後どうなったか、もうわからない」という惜別の情です。それでいて、イツの日にか、 まさに私の心の底深くに食いいって離れない、それらの人々の人柄、暮らしの実態、いささかの高ぶりもない親切、独特な語り。そしてその中にあった珍しい、それでいてまことに「平凡」な何でもない、しかも、またここになくてはならない「文化」「生活」「教育」の実態等々、回想するたびに、涙のながれるほど懐かしく、切実に感じるものがあるのです。彼らが一般人社会、周辺の人々の世界に溶け込んだとしても、どこかで、あの純粋だけは残していてほしいとそう思うのです。

極秘に伝承されてきた“サンカ文字” ・・・ 神代文字のひとつ?

http://blogs.yahoo.co.jp/milkmikky22/62991074.html

 

流浪の漂白民・サンカの謎

http://www.tanteifile.com/onryo/kaiki/2009/09/07_01/

 

三角 著 「山窩奇談(さんかきだん)」を読む

http://77422158.at.webry.info/201404/article_11.html

 

駕篭を売る人

http://old-view.logohit.main.jp/?cid=4

 

84; KAWADE・道の手帖『サンカ 幻の漂泊民を探して』2005年

http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/3baf0baa6af13d7e0cde48db3f3b7f7a

 

サンカ(山窩)社会と三角寛

http://blog.goo.ne.jp/wag18470/e/fe6aca951b7293e894b2b0de86da43e0


サンカ学の過去・現在、そしてこれから

http://www.dailymotion.com/video/xrgemp_%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AB%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%81%8E%E5%8E%BB-%E7%8F%BE%E5%9C%A8-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89_creation

 



サンカについて 2/3

2015年03月28日 | 雑記

サンカについて2/3:続き

 以下は私たち日本人が失ってしまったもの、大切なものが描かれている記事です。


サンカの人々の暮らし 1

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サンカの人々 ぶらんこ

この原稿は岐阜県の教育家であった三宅武夫氏が、少年時代(明治時代)における

サンカとの出会いを回想したものです。

サンカという人々の生き方が少年の目にはどう映ったのか、

また何を学ぶことができるか貴重な記録です。

手書き私家版として発行されたものから転載。

                     
韆(ぶらんこ)   三宅武夫著から
     

【風の草の団子杉】は古木である。
すぐ南に一寸した湖沼があって秋にもなると渡り鳥が翼を休めていた。
この古木の下に藤原と名乗る夫婦が娘を連れて毎年五月から十一月迄いた。
団子杉の夫婦はこの荷車の様な一輪車に一切のものを乗せて、押さずに引っぱって
韋駄天走りに走ってどこかに行った。小母さんの向うには娘と犬を乗せて平均をとったのは珍しい。

■初めに
私は明智(注 岐阜県恵那郡明智町)在に生れた。明治卅六年暮のことだ。そこには“山窩”とよばれる人々が毎年五月から十一月まで、同じ時期に同じ所に渡って来ては住みついていたものだ。私が接したのは、鳳の草に住んだ藤原某の一家で、夫婦と娘一人の小屋である。
彼等には「生活」があり、「教育」があった。
生活=生命=いのち、いきる力、ねがい。教育=共育=足場をそろえたソダチ方。然し、この一家は間もなく一般人の中に入っていく(トケコミ)直前の人達だった。これは何度でも、人に語ったことだが、書いたことがないので、思いついて「書いてみる」ことにした。今度いつか浄書する時の素稿のつもりである。私一人が感心していても、外の人は、どう思うかも知らないが、私の最も尊敬する先輩野村芳兵衛先生が、褒めてくれたことのある説だということだけは言い添えておきたい。
昭和四十八年七月一日

鞦韆(ぶらんこ遊び・・・・・)
ぶらんこ は 只の遊びである。その遊びに今誰が本気になって取り組んでくれるか。今日教育の危機を言うものは多いが、子供と共に育つことを忘れて押し付け教育をし、人間を数に換算して、その不合理を思わず、かつて我もされた教育の形を先ず離れようとしてくれる先生は滅多にいない。
昭和五十又一年九月廿一日記

親と子のぶらんこ遊び第一稿本
時は明治四十四年九月の末つ方。所は恵那郡明智城北東、大学鳳の草。団子杉の梅。
事は、ここに国籍不明の日本人夫婦とその娘の三人が、この木の根っこに住っており、私共とは全く異質の生活をしていたが、私共に分からん言葉を半分以上は混ぜて使って「竹細工」を渡世にしていた。村方を廻って歩いては、米麦、味噌醤油に、物々交換をしているといったふうだ。彼らのことを私共は、村人と共に、少し怖れながら、然しいつも興味深くみつめていた。彼等は、五月半には、いつの間にか来ており、昨年、冬前に截っておいていった竹を器用に剥いでこれを身辺用の諸家具に編み上げたり削ったり焼いたりして磨いて艶の出た様々な竹細工を持って一軒一軒訪ね歩いていた。私共は、彼らを「ポンス」とか、ポンスケとかいって、大分「軽蔑した気持ち」を含めて呼んでいたし、疎外しようとしていた。

私共が何となく彼等を怖れていたのには理由がある。
第一は彼らの国籍が分からん。第二は言葉が違う。第三は生活様式が違う。決して嘘を言わないし、器用だし、早いし、何も言うことはないのだが、どうも違和感が先に立って溶け合わなかった。それにもう一つ、ばかに足が早い。・・・・何するか分からんと思えたのである。顔形も、私共のように田舎臭くないし、所々分からん部分を除いては言葉だって上方風な上品なものだったし、着物も、いつも洗濯をして小ざっぱりしており、ちっともおかしくはなかった。小父さんは、いが栗頭で、大抵鉢巻をしていたが黒い髪で白い歯で、するどい眼で結構いかす男だった。盲縞の木綿の着物で角帯をきりっとしめていた。そのふところが、いつもふくらんでいたのは“うめがい”という「山刀」が胸に抱かれているからだと皆は言っていた。帯は角帯だが、そいつは小父さんが自分で織ったやつだということだった。滅多にものを言わないし、笑わない。只誰かに食べ物をもらって「ありがとさんどす」という時の笑顔が何とも可愛かった。

一人娘だったせいもあろうが私よりも四つ五つ年下と思われる女の子をとても可愛がっていた。が、何か教えたり、何か採ったりする時は、見ている私共が怖い程に真剣だったし、そのことが出来るまでは、いくらその娘が涙をこぼしても、べそをかいても道端に座り込んでしまっても決してゆるさない。「しっかりしなはれ・・・・・」と小母さんは言う。「おーっそーがい奴っちゃぞ。あいつら・・・・・」私共は、そういって遠く離れて、然し一生懸命に見ていたものだった。小母さんは、綺麗な人で「笹の家」(明智の料亭)の芸者なんかより「背が高いだけでもよっぽど美人だ」と、私共は思っていた。それに声がいい。「あんさん。ほんやんボンでっしゃろ・・・」と顎を少し右前に出して、にっこり笑ってくれたりすると、うちの叔母様達なんか、とても「かなん」と思ってみていた。

 

 

サンカの人々の暮らし 2

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ごはんの炊き方が、家のとは、ずいぶん変わっている。「鳳の草湖」の水で米をとぐのだが白い濁り水が出なくなると「フランネル」のような大巾の布に包んで水を切る。小母さんは、竹筒の端をとがらせて先をこがしたものを使って、器用に穴を掘る。二尺四方位の穴を、ほんに美しく手早く四角に掘ると、その底に頭位の大きさの平石を並べる。ついでに上手に四方の立壁部分にも、それを並べると「ぬれ蓆」をその中に拡げて今の米包みを、その上にそっと据える。私共の掌位の石を米包みの周囲に無造作に放り込むと先に敷いたぬれ蓆(むしろ)の片はしりを折り込むようにして、それで米包みを包んで、又その上に、小石、平石を並べる。枯れた杉の葉をとって来て、枯れ木の組上げられた下に、差し込む。器用に切火(かたい石と金とを切るように打つ)をして、火をたきつける。薪は、いつも、その五つ六つになったばかりの可愛い娘の仕事になっている風だった。娘は「団子杉」の根元の窪みに積んである薪を抱えてくるが、いつも同じ位だったから、一回の「めしたき分」が決まっていたのかもしれない。「おらよりゃ、えらいぞ・・・・・」と利君が感心する。何というのか分からん、地ごとの知れん歌を唄って、火壺の中の石ころを手返しなどしていると、突然どこかの端に「スウーッ」と音がして湯気がたつ。小母さんが見ていて、すぐ娘に何か言いつける。娘は立って小屋の隅っこの湯桶(直径二尺、高さ二尺位)に水を汲み入れる。小母さんが火に焼けて少し透明に近く紅くなった石を、竹で造った「もの挟み」で、竹のこげる匂いをさせながら、一つ宛、湯桶の水の中に放り込む。ジュ、ジュボーッと、水柱をあげながら石は湯桶の底に沈む。娘が手を入れながら湯加減をみているが「もういいよ」と声をあげる。小母さんは黙って、スノコの前に行って食事の用意をはじめる。娘は小母さんの脚元に、しゃがみ込んで着物をぬぐと、今沸かした湯桶に入って「風呂」をすます。小父さんが、どこからか戻って来ると何かボソボソとものを言って、すぐ、持って来た檜の枝をふところから出した山刀(うめがい)で「たらたら」と払う。実にそれは、よく切れる。音もたてずに、流れるように、枝は足元に、お行儀に並んで落ちる。山刀をふところに収めると、すぐ小父さんは、今、払い落とした檜の枝を一尺位の長さに折って揃えてしまう。あの軟らかい檜葉が生きていて、小父さんの言うことをきいて「自分で並ぶみたい」に見えるから不思議だ。小父さんは「火壺」の傍らにいくと赤く焼けた石を一方に寄せて、その上で尚、火を焚きつづけ長柄火壺の石を全部、そちらに移して、さて、初めに埋めた、ぬれ蓆を引き出す。さあっと湯気が立つと、それは大分熱いらしく、時々自分の耳朶をきゅっと、つまんだりしながら中の米包みを太い竹箸で引き出すと、 それを小母さんに渡す為に「竹すのこ」の上に持っていってやる。両手をのばして腰を引いて・・・・・  もう、辺りには、いかにも美味しそうな炊き立てのご飯の香りが、たちこめる。小父さんは、さっき枝を払った檜の五六尺もある、一寸丸太程のを立てて左手にもつと懐からお馴染みの山刀を引き出して眼にも止まらぬ速さで一尺余りの揃いの寸法に切ってしまう。上手な為か、器用な為か、その檜はバタッ バタッ バタッと、足もとの小石の並んだ上に頭を揃えて横になる。いきなり、一番初めに切り落とした「一つだ」を左手に拍子をつけてもつと小石の上に立てる。右手が小刻みに、たんたんたんと低い音をたてて、動く。それだけで神社の屋根の檜板の様に、薄い板になって小父さんの左膝の前に並べられて重なる。次の一つだを左手にすると、すぐ右手が動いて機械で割ったように揃った板になって並ぶ。一本の一寸径檜は、ほんのちょっとの間にそれぞれ五枚板位に割れて合計三〇枚位のものが、喜んで飛び上がってくるように、そこに並ぶ。見ていて面白い・・・・・  

小母さんがさっきから焼いていた石亀の中身をヤットコのような道具で引き抜くのが見える。白い「ひよこの丸ゆで」といったような形のものが、あの甲の中に入っていたことが分かる。「石亀って平たい身ではなしに、少し細長いな」と感心してみていると、小父さんは、すぐその甲羅を受け取って横向きに立てると、また山刀を「たんっ」と、打ちおろす。“がばっ”といった音を立て、亀の甲羅は、腹と背と二つに割れる。腹の方は平たくて、背の方は丸く掌の様に曲がっている。甲羅の中側は、一寸した「垣根」の様な形の境が出っぱっているが、それをついでに山刀がさらさらと欠きとっていく。ついでに小父さんが手元にあった檜の先の方の皮を削ると、その太い方をきれいに丸める。なんとも器用なもので、見る間にすりこ木が出来る。何とも感心するばかりである。炊きたての御飯を、この亀甲の背の窪みに入れると、その皮をむいた先の丸くなった棒は「すりこ木」になって小母さんの左掌に支えられたまま、廻る様に動くと右手の「すりこ木」は、ぐいぐいぐい、と上下に動いて見る間に、炊きたての御飯は餅の様につぶされる。小父さんは、その餅飯の一甲分をすぐさっきの檜の平板の画面に塗りつけ、押し付けて丁度神官のしゃくの様な形のものをつくる。火壺の回りに川原砂の様な砂が入れられていて、その串が刺される頃、娘が側に来て上手に手返しをする。小母さんが次の亀の甲に入れた御飯の一杯を練り上げる。小父さんが串にくっつける。娘が焼く。見る間に十五、六本の「しゃく」は、出来上がって一列に並んで立つ。小父さんが、すっとそこに立ち上がったのは、その小屋の屋根裏の巻藁から串さしの「変なもの」を取って来るためだった。小さな壺から、すくい出した、味噌と醤油のたれを別の器に練り上げながら、今、巻藁から抜き取ったカラカラのものを、さっき御飯を練り上げていた、亀の甲羅の中で、ボキ、ボキッと小さい音をたてさせながら、すり潰して、味噌と醤油のたれに練り上げ、作りあげる。小母さんは、左の小指につけて一寸なめてみる・・・・・。さっき巻藁から外したのは、どうやら「蛇」や「蛙」の骨らしい。「ごとむし」もいる。これは後になって小母さんから聞いたのだが「松の実」「落花生」「胡麻」「餌胡麻」時には「二ッケ」もすり込むのだそうだ。蛇や蛙は捕った時、その場で大抵そのまま食ってしまうが何匹も捕れた時、焼いて串にさして、巻藁にさしておくと「一年でも味は変わらんですよって・・・・・」と言っていた。こうして三人がかりで、あまりものは言わずに手際よく夕飯の支度は、出来ていく。親子三人の座席は、いつもきまっている。火壺は、私共の家でいえば「囲炉裏」である。中央正面の台石に藁製の円座のあるのが小父さん。二つ飛んで小母さん。また二つ飛んで娘。そして二つおいて小父さんの座になる。家族は三人だから座席の石は少し大きいのが三つ、間の少し小型のは食べ物など据える台石になるようだ。もう一つ。家族に犬が一匹いるがこれは娘の石、小父さんの左の石一つおいた台石に座らせていることが多かった。座布団代わりの円座は苗代の「残り苗」を乾かしたのを同じ藁で組み上げたので、これはいつもは、屋根裏の様な処の棚に据えられていた。もう一つ、大切なことを言い落としているが、この人達の「仲間」は「下馬木」の「柿の木平」にいたのだが、皆、天幕を張っていて、この三人よりは、もっと厳しい顔をしていたし、私共を決して近づけなかった。あれだけ、ものおじしない、利君だって「柿平の奴にゃ近づかん方がええぞ」と、いつも言っていた。

 

 

サンカの人々の暮らし 3

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ポンスケの「特徴」は
1 天幕を持っていること
2 「天人」という「自在鉤」をもっていること
3 「山刀うめがい」という双刃の山刀をもっていること 

鳳の草の親子は、天幕は、もっていたが使わなかった。「自在鉤」は使っていたが「テンジン」とはいわずジザイカギといっていたし、この山刀もウメガイとはいわないでヤマカタナといっていた。利君にきくと「柿の木平の奴んた、天幕の中に夫婦ごと、別々の暮らしをしていて地元の他人とは滅多に口をきかんし、怖い顔しとるし、足が速いで、何するか分からんで・・・・・」と、 おどした。 きくと、この ウメガイとテンジンと天幕は「あいつんたの三種の神器で触ったり、傷つけたりしたら、殺されるげなぞ」と威しては何度でも利君は、私に「得意相」にきかせた。

あいつどこで聞いてくるのか何でもよう知ってる奴だ、と私は思った。彼らが住むのは、いつも本当は天幕の中である。少し傾斜の地を選んで天幕の大きさに合わせて四方に小さな溝を掘る。その長い方に天幕の裾を丸太か何かで圧えて雨水が流れこまない様にする。両端の三角の処が「出入口」になるのだが、その又、三角の部分に余分の幕がついていて、入口になる。その小幕を引き上げて中に入るのである。だから出入りは、はい込む形でされるが、幕の中は一段と低く掘り込まれて平になっておる。出入口左隅の処に、「天人穴」があって、これに自在鉤の支柱がたてられる。炊事や用便は、どこか近い川原とか岩かげとかを上手に使って人の目に邪魔にならんようにしている。あれらは、足が速いうえに、手先が器用で竹なんかとても薄く剥いでいくが、これは素晴らしい名人だ。それに紙よりも薄くする。ものを截(き)る事、割ることなどは神業かと思われる。巧いなどと云って見ていられるものじゃない。素晴らしい業だといつも思った。「食器」(茶碗一つと大鍋と丼が三つ)など幾つもありはしないし、鍋釜といったものも一ケあるのもないのもあって、ほんに簡便な暮らしである。
自分で薪も拾ってくるし山菜も採ってくる。味噌や醤油は出来ないのか、作り方を知らないのか。ざるなど作って持っていっては物々交換ということをして、金のかからない生活をしているようだった。持ち物は、その三種の神器と外は仕事の時に使う道具だが何でも必要なとき自分達で作って使うという方法でほんに限られた物持っとるきりだった。着物など一、二枚きり持っていないらしいのに、いつも意外に小ざっぱりしていたのは、お洗濯が好きな人々だったせいもあろう。朝鮮人のように平たい石の上に無黒子(むくろじ)という木の実を袋に入れて、天幕の裏などにぶらさげておいて、そのつど半透明の皮を石鹸の代わりに使っていたが、いつか利君にもらって使ってみたけれども「シャボンのようにはおちんで駄茶漢(ダメだ」ことになたものだ。が、それが何かの拍子に口に入ると、苦い苦い。いくら、唾を吐いても舌の奥から苦さが湧いて来るみたいだった。鳳の草の藤原某とかいう、この夫婦は、きっと京都か、あっちの方の人とみえて「ほんやのボンどすか」などと言ったことがあって、“上方”弁だった。利君が威したほど怖い人達とは思えなかったが、時々変な言葉使って私共に分からないことがあるので「ちいとおそがかった」持ち物の中で「山刀」という小型の山刀は小父さんきり持っていないものだが「大事なものだ」と言っていた。幅は一番広い所で二寸位厚さは三分位あろうか。白く光って、いつもピカピカだった。元の方が、ちいと細くなっていて、何かの皮でつくったと思われる鞘に横から挟む様に挿すので普通の刀とは大分違っとった。
出雲国の「火の川」という川の上流でとれるとかいう砂鉄を打って作ったものだと私共に威張ってみせて直径二寸位の枝を「タン」と音をたてる程に振り下ろすと一遍に截れてしまう。確かによう切れる奴に違いなかった。「やっ」といって投げると必ずその太い先の方が先になって「さされる」ということだ。「ににぎのみことさま、からのならわし」とも言って威張ってみた小父さんは本当に太い松の幹に投げて見せたりしたことがある。

 

 

サンカの人々の暮らし 4

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この人達の着物は本当に便利に出来ているので、いつも感心してしまった。そう、その着物だけど、上半分と下半分は別になっている。つまり一枚の着物が、上と下と別に作られているわけだ。上着は臍の辺から腰までくらいのところで終わり、下は乳の下からくるぶしまで、まるっきり袴か腰巻のようである。小父さんは藤つるか何かで自分が織ったと思われる角帯だったが小母さんも娘も紅い処のある帯をしめていた。その代わり村の娘達のように、お太鼓に絞めたりはしないで、いつも腹に巻いた形にしていた。手には手っ甲、脚には「キャハン」をつけていたし、いつでも手拭をかむって夏でも「カバチョキ」という(利君が名をつけた)半袖風の綿入れを背にあてていた。石の上でも土の上でも座る時に便利なように、その端に紐がつけられてていて、その紐を伸ばすと世話なしに座布団代わりになる。いらん時は荷物にかぶせたり、雨の時は頭にのせたりしていた。つまり、その本体の端についている紐を伸ばしたり縮めたりして尻の下に敷いたり背中へ引き上げたりするわけである。
いつも何も持っていないから身軽で、いつでもさっさと「場移り」が出来るので便利だが、それでこの人達は「転場」ともいうのだと教えてもらった。「瀬振り」ともいうし「ポンス」とも「ポンスケ」とも「オゲ」とも「ホイト」とも「ノアイ」ともいうが、これは、その場その場で異なっている。矢作川流域では「ポンス、ポンスケ」付知川筋では「ホイト」。土岐川川端では「オゲ」美濃平野に出ると、「ノアイ・・・・」。日本中、きっと夫々の場で先に住んでいた人間共が多少軽蔑の意を含めて様々な名で呼んでいただろうと思う。

彼らは自分達だけに通用する文字のようなものを持っていたようだし、仲間同志だけに分かる数の読み方などもあったと思われるが私は、それはよく知らない。国学の平田篤胤という偉い人が「日文(ヒブミ)」というものを言い出して、漢字、仮名の外に「日本には昔から整文字として伝わっていたのだ」と言い出して残したものがあるが、それは「日文」というもので、こんなものだ・・・と吉田先生が教えてくれたことがある。この丸い鏡の表の「銘」にも書かれていて今も苗木の「神明神社」かなんかに伝わっているとかいう話だ。私が鳳の草の団子杉に小屋住みをしていた藤原夫婦に習った文字は、三十字位あったと思うが誰かの書いたものか、皆読める程にはなっていない。あの小母さんが『タテツケハズシ、カタドのト』と言って□(二と読む)の字の様な字を書いてみせてくれたことがある。コという「あんさんの片仮名」と同じだと言うて笑ってみせた。「カタドのト」というのは『□』というので日本の「ト」と同じ意味をもつのだ。と言ったのを覚えている。カタドのトは□に先ず  と、一方の戸をたてて、コ(□)をつけたのが、ト(□)になるのだということだったように思う。十歳前後のことは、かなりよく覚えているが、この辺になると洵にあやしい。「キナイイツツノクニケイオウカミヨリカミシロクヘル」と読むそうだが「機内。五の国」「慶応一より、一四六九減る」ということで、機内五ヶ国では慶応元年(一八六五)よりも人数が千四百六十九人減った・・・ということだそうである。話をぐっと始めに戻して「鳳の草」の「団子杉」の根元の小父さん達は娘を一人連れていたが、持ち物は至って少しきりだったし、「し方」「はなし方」は皆、下馬木の柿木平の天幕組とは同じだと思われたが、どうしたものか天幕を張らないし仲間と離れて、この一家だけが住まっており、天幕の代わりに竹を二つ割にして上向きに並べ、その間を下向きので伏せて上手に雨を漏らなくしていた(仲間と外れて別に住む人を“トケコミ”といったが、そのトケコミの準備をしていたのかもしれない)
それで日常に使う言葉の中にも時々分からんことがあったが、数のことはちいと覚えておる。
一、二、三、四と数えるのにカミ・ツギ・サン・シイ
と言ったし「ぎ」と「ぐ」とを混用していた。「二月一日」という代わりに「キサユラグ、カミノヒ」というのである。「きさらぎちたち」といえば、すぐ分かるのに、きらゆらぐ、かみのひ、という類で私が困るのだ。これは三角寛という人の書いた何かにみえていたのだが仲間の人数調べの表があって、といったものが残されているそうです。
メイチシサノトシキサユラグカミノヒ(めいじしさのとしきさゆらぐかみのひ)は、明治四十三の年。如月一日の日、「明治四十三年二月一日」というわけである。

 

 

サンカの人々の暮らし 5

テーマ:日本人のルーツ(581)

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八、九歳だった私共は、様子を感心して見て来ると、すぐ同年のお友達を誘って「馬木坂峠」を車に越えた麓の「人造湖」のほとりに小屋を造って学校の帰りに寄っては一休みしていたのだが「庄次」さという老人に見つかってしごかれたりしたことがある。が、亀を焼いたり、蛇をつかまえたりは遂に誰もしてみなかった。「うまいかもしれんぞ」と利君はいつも言っていたが私の前では亀も蛇もつかまえなかったし、喰わなかった。従弟の寅三は器用な奴で「川の魚」を道上に立って外から見つけると「ざばざば」川の中に降りていって「ガマ」という河岸の石の窪みなどに逃げ込んだのを手つかみで捕ったりしてみせた。穴に逃げ込んだ川魚は、狭い穴の中では、方向が変わられないから、そのまま遊泳して徐々に後退して来る。そこに伸ばしていた寅三の手が待っていて魚のしっぽをきゅっと掴む。魚の奴びっくりして
一旦は奥へつと逃げるというが辛抱強く待っているとまた指先に尾ひれがふわっと当たる。こうして一時間もすると遂々寅三の母指と人指との爪が、その尾っぽをしっかりつまみあげる。「やーい。子供んた、そんなとこで手づかみの魚とったりしとりゃ、ポンスと間違えられるぞ・・・・」道行く大人がちょっと立ち止まってそういう、いらん注意をしたものだった。
信州。平谷の在から瀬戸大曽根に通ずる。中馬街道が私の生れた家の前を通っており、後には裏手に代わって新道が出来たが、それでもそのおかげで「馬木洞」の十五、六軒の小部屋はしばしば飯田や岡谷や信濃路の文化と瀬戸名古屋の文化のようなものを持って来て私共村の者達は「子供の頃」過ごしたものだが、もっと直接には、この山窩や馬子衆や、そういう人々の「行動」によって養われていったように思う。
「やい。小僧。おしたちゃ、へんび、ようとるかいや。赤いのなら三銭。黒いのなら五銭。まむしなら十五銭で買ったるが、どうじゃ。捕ったら、火吹き竹ん中ん入れて手ぬぐいで、ふたしときゃ、ええわい
岩村に「へんびかつ」ちゅう奴がおって、時々、こっちいも来るようで、うっかりすると取られちゃうぞ・・・」彼らは、何とかして、そのまむしの生きたのを捕まえさそうとし、黒蛇をつかまえさせようとしていたが、それをまた、このポンス達は、とても上手に捕まえたものだった。彼等は道を歩いていて、ふと足をとめると天をあおいで「スン ゝ ゝ」と何か嗅いでみるような風をしながら、しばらくそのまま立っているが、やがて一歩二歩その匂いの近くに脚を運んでやがて、ひょいと「長い紐」をつまみあげる。ぶらん・・しながら小父さんの腕にからみつく様にするが小父さんは首ねっこをつかんで口もとからシャツをぬがすように、するっ・・・と裸にむいてしまう。白光りに光る、その裸蛇は赤い血は出ないし、ほんに美しくきれいだが驚いたことに、そのまま手を伸ばして、そいつのしっぽから、ぐにゃぐにゃ横口に喰いきって「美味いもんでんがな・・」と、目を細めてみせたりするのには困った。
外のことには、大抵あの人達のすることに感心するのだが、この風態だけは、どうにも我慢ならん。
村の人達が怖がるのも「こんなとこ」みているからではないだろうかと私は思ったものだ。
その喰い残りをあの小屋まで持っていって火にあぶって竹串にさす。それを巻藁に挿して保存しておくのである。「こいつ食って、自然薯掘ってくって、もう一つ松の実と地蜂の子、喰や病気なんかしまへんで・・・・・」と、威張ってみせたりするのには困った。地蜂は私も大好きだが、どうもあのぐにゃぐにゃの長蛇は苦手だった。いつやら、あの小母さんのくれた御幣餅だって素晴らしい美味い匂はしたけど、あの蛇のうごく姿とあの小父さんの生のまま喰っていく形を思い出して食べられなかった。包んでくれたのを家へ持ち帰って、おばあちゃんにやったのだが「どこの馬の骨とも分からんようなもんとこ、いよって、食うものむらってくるようなもんは、本屋の子じゃない!」と叱った。が、私は注意してみていたんだけど遂にそれを捨てる所は見なかったので「おばあちゃん、きっと喰ったな」と私は思った。その証拠に、その後の本屋の御幣餅のたれは近所でも格別美味いということになっていったものだ。然しどうも本屋では、蛇や蛙は入れなかったように思う。落花生を作り出したのは、その頃からのことだったのも証拠になりそうだ。このことを毎週書かされていた作文に書いて石田校長へ出したことがあったのだが、それについて夕食時の「他人の家の食べ物を覗いてみたりするもんじゃない」と、叱られたこともある。けれどもこの小父さん達はそういう意味で私とのかかわりがかなり深かったように思われる。

 

 

サンカの人々の暮らし 6

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その小屋には、いつも利君と二人で、そっと村人の目を盗んでは行ったものだが、或る日、その子供を「教え込む様子」を見て、ひどく感心したことがある。校長先生も批評の中に「それこそは、わしの唱導する「行動教育」そのものだ。今後も色々彼らのすることを見て来て、書き残してほしい」と言ったことがある。
その「行動教育」は、石田校長先生の東方小学校でした「教育の根本原理」であるが、私が今、この親子がしていたことを書いてみようとする、そのことはもう、秋も半過ぎた頃の事だった。小川の川べりに、赤い平たい、大岩がある。
その岩のそばへ、あの四つか五つきりならん娘を連れて行って夫婦して縄跳びを教えるところだった。その初めから私どもは、じっと見ていたのである。
小父さんは、小母さんの後ろについていく。娘の後ろ姿を見ながら長い長い藤つるを一抱えも一束にして肩にかつぐと、あの赤岩の側にやって来た。何か三人で話しながら三人は一列に並んだ。そして小父さんと小母さんとは石の両端に立って、その藤つるを引っぱった。綱引きするのかなと、思って見ていると、そうではない。
「カミーィ。ツギイ。サン・・・。シイ。イツ。ムナ・・・」数えているが、何と言っているか分からないが娘も真似て一生懸命大声で叫んでいる。
そのうちに川柳の枝に小母さんの持ってた端をしばりつけると、小父さん一人で、くるっくるっと、廻してピタリ、ピタリと音をさせて藤つるを大岩の岩肌にたきつける。中央に立った、小母さんと娘とは、腰で調子をとっていたが、その中に、ひょいと子供を横抱きに抱いたまま、その綱の中所をまたいでひょいひょい、と飛び始めた。うまいもんだ・・・・・小父さんは大きく、ゆっくりとその藤つるを廻してやる。小母さんは、抱いた娘もろとも、やがてさっとその輪から出る。小父さんは相変わらず、くるっ、くるっと廻して輪をつくっている。その中にまた小母さんは娘を引っぱっていって今の、輪の側に立った。また跳ぶつもりだな。と思ってみていると、二人はしばらく腰で調子をとって藤つるが上に昇る度に、見上げては真剣な目つきになって見上げ見送る。つと、小母さんは、娘を前に押してやると、自分は、一歩後ろに出てしまった。
「あっ・・・・いっしょんとびやんのか?」と、思ったとたんに、あの小娘は上手に、その輪にのって、一つ、二つ、跳んでみせた。たった三回きり、跳べないで引っかかってしまったが、それで泣きそうにして、しょんぼりしている娘とは反対に小母さんも小父さんも真剣な顔をして一生懸命拍手を始めた。
「・・・・・」
分からないが、「跳べた、とべた」と褒めていることは、見ている私によく分かる。
「・・・・・」
やがて、娘は立ち上がって小父さんの顔を見るといきなりその大きく廻っている藤つるの輪の側に歩いていった。二度、三度、腰をふるように動かすと、ひょいと、調子に合わせて、輪の中に跳び込んだ。見ていて、はっとした私は、何でもないのに、つい釣られて拍手してしまった。「やあ・・・跳べたとべた。偉いぞ・・・」私は、思わず、大声を出して叫んでやった。娘は、私の方を見ないままで七つ八つと跳んだが、小母さんは泣きそうな顔で私を見た。
九つめに、娘はつまづいて駄目になったが、それでも二人共、叱らない。「跳べるよ。とべるよ・・・・・
いいぞ・・・今度は、かあさんが跳ぶ・・・・・」
小母さんは、そう言って、娘の代わりに跳び始めた。「次ぎ。三。しい・・・・・」
あっ。さっきの呼び上げは数だな。と私が思った頃は、もう小母さんの跳躍じゃ二十にもなっていた。
小父さんは、大ニコニコで大きい輪を作って、小母さんを跳ばせている。一跳び毎に、ぴたっ、ぴたっ、と藤つるは赤岩の肌をたたいて、音をたてるが、その度に外皮の赤褐色の渋皮が飛んでいって、中の白い皮の肌がみえる。そして間もなくたたかれてびろびろになった部分から芯の堅い部分が覗く小母さんが、廻す。娘が跳ぶ。小父さんが跳ぶ。
小父さんに代わってもらって小母さんが跳ぶ。娘が跳ぶ・・・・・しまいには、何か、分からん言葉で
三人声を揃えて、唄いながら、跳びつづける・・・・・
やがて、芯と白い皮と、外側の赤茶色の渋皮がとれてしまうと小父さんは「かみやすみ・・・」と言って、川端の石に腰をおろした。娘を呼んで、抱いてやって、高く、さしあげて赤ん坊にする様にしてやって、褒めている。「よく跳べたぞ」と言っているだろうと、私はうらやましくなった。私の父も母も私と一緒に縄跳びをやってはくれなかったし、私の遊びが、出来たと褒めてくれたことは一度もなかったから・・「遊んでばっかけつがって・・」私は一度だって遊んで褒められたことはなかったのに・・・・・
そのうちに、ゆっくり腰を伸ばすと小父さんは手早く藤つるの芯を一尺位にきざんで薪の形にしばりあげると「これ、帰りに背負ってくんだよ」と、娘に言いつけて、自分には小母さんと二人、向かい合って、この藤の白い皮を両端から両掌の間に挟むように一方の端を左掌にのせると右掌をぐっと引いて、よりをかけ始めた。「左縄なんかなって、何するのかな」と私が思って見ていると、その縄は、よじれて段々段々短くなっていく。「・・・・・」と何やら合図したと思うと小父さんは、その端と小母さんの方の端とを揃えてうんと、引っぱった。とみると、忽ちパッと離す。藤つるの左縄は、生きものの様にくりくりっとうもて縄状によれて、川端柳の枝に、飛びつくような形で、縮まっていって見事な白い縄になって飛んでいった。が、それでもまだぴりぴりして動いている。小父さんは、それを川端柳から外すと一寸川の水につけてみて、ぴたりぴたりと岩をたたき出した。縄が少しばかり柔らかくなりかけた頃、もう一度、小父さんは、娘に笑顔をみせて「・・・・・」何やら言ってみてから、さっきの芯を切ったものを娘の背に負わせた。
小母さんは何も持たずに娘の後からついていくきり。・・・・・小父さんは、その縄の出来具合を見ながら、ごきげんで、小母さんの後ろについていく・・

 続く…