幅2mほどの砂利敷きの散歩道はいままで歩いてきた道からやく1m盛り上がった堤の上に敷かれている。
T字でつながるこの堤は右へ折れると隣村へ向かい、そして左へ行けばV字状に拙村の湖沼沿岸地帯である東側へ向かって折り返すようにつながっている。
やはり堤の両側には水路が沿っている。
この堤の地中には村のためのガスパイプラインが敷設されているらしく“GASUNI”と標された膝ぐらいの高さの小さなコンクリート製の道標が生い茂る葦にうもれるようにたっていた。
これから向かっていくところの左側は堤に沿って背の高い雑木の杜がしばらく続く。
その杜の中に高い屋根のけっこう大きな倉庫とまだ新しい造りの家屋が4~5軒建てられている。なじみのスポーツジムはちょうど反対側であるこの杜に入ろうとする一番と始めの建物である。
一方右側は大きな升目で区画されたほとんど平らで濃緑の牧草地が拡がっている。
歩いていく前方の風景の全幅はちょうど両肩の高さで円弧を描いて上下に2分されその牧草地を抱え込んだようになっている。
円弧は村を2分する大きな水路を支えている堤が描く線で、そのうえに木々や雑草の縁帯を張り付け夕暮時で幾分色あせた青い空との境に飛び石のように埋め込まれた家屋を配したように見えた。
ザクッザクッと玉砂利を踏みしめながら歩いていると、杜の中から野鳥達の声が漏れ落ちてきた。
数も多く散歩道にでてきて遊んでいるほど一番目立つのはブラックバードで、その容姿に似合わず私のような行きずりの散歩者にも惜しみなくその美声を披露してくれる。
“小鳥さん好い子だな! とっても好いきれいな声だよ! ありがとうよ!”とつい声をかけた。
散歩をしていると自然に優しい気持ちになってくる。
出遭うたびに牛や馬や羊や猫や犬でも水鳥や野鳥や昆虫でも、また杜でもお月さんでもつい一声かけたくなってくる。
もちろん路上でときどき出会う村の犬の散歩をしている人たちに対してもそうである。
散歩している地面から伝わるリズムを足の裏に感じその歩く速さで目に映るもの見、微風を肌に感じ、もの音を聴き、匂いをかぎ、そして胸に吸う空気がそうさせるのだろう。
車を運転していてはおそらくそういう風な気持ちになることはないだろう。
杜が途切れ歩いて往く前方の家並みから灯りが目だってきたあたりでふと振り返えると小さな九夜月が白く陰光を放って杜の上の空に輝いていた。
そして畏れを知らぬケムトレイル機が音もなくその月のすぐ下かすめる様に白線を曳いて通り過ぎるところだった。
今歩いている砂利敷きの歩道はゆるやかに右へカーブしながら家並みに近づくにしたがって堤が徐々に高くなっている。
歩いていても判らないぐらいの登り坂なのだ。
この辺りまで来ると左右の眺めが上から見下ろす感じが出てくる。
とくに家並みの外縁部はその景観があきらかに低く見える。
とはいってももうすぐ目の先に見える境界線の水路まで行けても前述した東側地帯と西側地帯の高さの違いだけ、つまり目線で3~3.5mほど高くなるだけである。
今は週末土曜日の晩である。
誰かの誕生日パーティーが祝われているのだろうか。
その家並みのどこかからそれらしいざわめきと蘭国調歌謡曲が夕闇に漂っていた。
砂利敷きの歩道が尽きる所で村いちばんの広い水路に渡された小さな跳ね橋で交わる。
この幅6~10mほどの水路は小さなボートや運搬船が通れまた湖沼へ出ることができる水路でもある。
左へ折れると水路沿いの堤に敷かれたアスファルト歩道が村の中心へ向かって延びている。
右は民家が1軒建っていてそちらへ進むことはできない。
予定通りその跳ね橋を渡って湖岸地帯の方へ向かってこんどは細かい砂利敷きの道を進んでいった。
ちょうどその時、橋の近くでマガモの母親がコガモを4羽ひきつれて水面をかき分けて葦の茂みへ入っていった。
*(びっくり2)**(音符)**(ハート6つ)**(ニヤ)*
T字でつながるこの堤は右へ折れると隣村へ向かい、そして左へ行けばV字状に拙村の湖沼沿岸地帯である東側へ向かって折り返すようにつながっている。
やはり堤の両側には水路が沿っている。
この堤の地中には村のためのガスパイプラインが敷設されているらしく“GASUNI”と標された膝ぐらいの高さの小さなコンクリート製の道標が生い茂る葦にうもれるようにたっていた。
これから向かっていくところの左側は堤に沿って背の高い雑木の杜がしばらく続く。
その杜の中に高い屋根のけっこう大きな倉庫とまだ新しい造りの家屋が4~5軒建てられている。なじみのスポーツジムはちょうど反対側であるこの杜に入ろうとする一番と始めの建物である。
一方右側は大きな升目で区画されたほとんど平らで濃緑の牧草地が拡がっている。
歩いていく前方の風景の全幅はちょうど両肩の高さで円弧を描いて上下に2分されその牧草地を抱え込んだようになっている。
円弧は村を2分する大きな水路を支えている堤が描く線で、そのうえに木々や雑草の縁帯を張り付け夕暮時で幾分色あせた青い空との境に飛び石のように埋め込まれた家屋を配したように見えた。
ザクッザクッと玉砂利を踏みしめながら歩いていると、杜の中から野鳥達の声が漏れ落ちてきた。
数も多く散歩道にでてきて遊んでいるほど一番目立つのはブラックバードで、その容姿に似合わず私のような行きずりの散歩者にも惜しみなくその美声を披露してくれる。
“小鳥さん好い子だな! とっても好いきれいな声だよ! ありがとうよ!”とつい声をかけた。
散歩をしていると自然に優しい気持ちになってくる。
出遭うたびに牛や馬や羊や猫や犬でも水鳥や野鳥や昆虫でも、また杜でもお月さんでもつい一声かけたくなってくる。
もちろん路上でときどき出会う村の犬の散歩をしている人たちに対してもそうである。
散歩している地面から伝わるリズムを足の裏に感じその歩く速さで目に映るもの見、微風を肌に感じ、もの音を聴き、匂いをかぎ、そして胸に吸う空気がそうさせるのだろう。
車を運転していてはおそらくそういう風な気持ちになることはないだろう。
杜が途切れ歩いて往く前方の家並みから灯りが目だってきたあたりでふと振り返えると小さな九夜月が白く陰光を放って杜の上の空に輝いていた。
そして畏れを知らぬケムトレイル機が音もなくその月のすぐ下かすめる様に白線を曳いて通り過ぎるところだった。
今歩いている砂利敷きの歩道はゆるやかに右へカーブしながら家並みに近づくにしたがって堤が徐々に高くなっている。
歩いていても判らないぐらいの登り坂なのだ。
この辺りまで来ると左右の眺めが上から見下ろす感じが出てくる。
とくに家並みの外縁部はその景観があきらかに低く見える。
とはいってももうすぐ目の先に見える境界線の水路まで行けても前述した東側地帯と西側地帯の高さの違いだけ、つまり目線で3~3.5mほど高くなるだけである。
今は週末土曜日の晩である。
誰かの誕生日パーティーが祝われているのだろうか。
その家並みのどこかからそれらしいざわめきと蘭国調歌謡曲が夕闇に漂っていた。
砂利敷きの歩道が尽きる所で村いちばんの広い水路に渡された小さな跳ね橋で交わる。
この幅6~10mほどの水路は小さなボートや運搬船が通れまた湖沼へ出ることができる水路でもある。
左へ折れると水路沿いの堤に敷かれたアスファルト歩道が村の中心へ向かって延びている。
右は民家が1軒建っていてそちらへ進むことはできない。
予定通りその跳ね橋を渡って湖岸地帯の方へ向かってこんどは細かい砂利敷きの道を進んでいった。
ちょうどその時、橋の近くでマガモの母親がコガモを4羽ひきつれて水面をかき分けて葦の茂みへ入っていった。
*(びっくり2)**(音符)**(ハート6つ)**(ニヤ)*