夜中にふと目がさめた。
ベッド用のランプが点いたままでその明かりがとてもまぶしかった。だからランプを消し忘れたまま寝入ってしまったのだと思った。
すぐランプを消さなければと枕もとのスイッチを押してみた。
寝ぼけた頭でできたのはそのくらいだった。
だが期待に反してほかのランプが点いたり消えたりしたがそのランプは点いたままで変化はなかった。
あれっどうなっているのだろう?
そのままで目をつぶって寝続けようとしたがやっぱり無理がある。
眠かったがしぶしぶベッドからでてこんどは別の壁にある他のスイッチを押してみた。
そうすると部屋の出入り口とバスルームにあるランプが点いたり消えたりした。
念のためもう一度枕もとの二つのスイッチを押して見るとこちら側のランプはたしかに点いたり消えたりするのだが、向こう側のランプは最初からそうであるように点いたままで消えないのだった。
おかしなことがあるものだと思った。
こんなに明るい部屋では眠れないではないか,奇妙なホテルに泊まったものだと思った。
しかしである。
その点いたままのランプをもう一度よく見てみた。
その消えないランプの傘から窓側のカーテンに向かって幅30cmぐらいのひかりの帯がすこし傾いて延びていた。
たしかにそのように見えた。
そのひかりの帯は左のカーテンと右のカーテンの合わせ目に吸い込まれているように見えた。
でも何かがおかしい。
点いたままになっている向こう側のランプを覗き込んで見ることにした。
こうなったら何がいったいどうなっているのかを突き止めるしかないと思った。
ベッドの上を這って移動してそのランプを覗き込んだ。
するとそのとき右頬と耳の辺りをあの温かく柔らかな感触に包まれた。
あれっ,ひかりの帯の流れが...
その瞬間にすべてがわかった。
枕元の目覚まし時計の針は7時10分を指していた。
夜中ではなくもうとっくに夜が明けていたのだ。
ランプの明かりがまぶしいのだと勝手に思いこんでいたが実は締め切ったカーテンのわずかなすき間から射しこむ強烈な朝日のひかりの帯がちょうどベッド横のランプの傘に当たってまるでそのランプ自身が点いているように見えたのだった。
そのからくりをひっぺがすつもりで勢い込んでカーテンを開けようしたが,暴力的な閃光が部屋の中に飛び散った。
まるでそうすることを拒絶されたようなものである。
まぶしくて明るすぎてとても目を開けていられない。
反射的にカーテンを閉め戻した。
こんどは細心の注意を払ってほんの少しだけカーテンを開けてみたが再び占め戻した。
起き抜けの身にはとても耐えられないほどのまぶしさだ。
それではとテレビを観て目を覚ましてからあらためてカーテンを開けることにした。
頃合いを見計らってこんどは思い切ってカーテンを開け拡げてからバルコニーにでた。
カーテンの向こう側は青空がすがすがしいマケドニア晴れであった。
そして目の前に早朝の眺望がひろがっている。
バルカンの蒼穹が上から1/3ぐらいを,その下はコソヴォに連なる山並みが陣幕を張り巡らせたようにスコピエの街の向こうに見える。
眼下にひろがるスコピエの街とその一帯はかすかな朝靄の海に沈んでいた。
早朝の空気は爽やかで微かに樹木の匂いを含んでいる。
そして生まれたばかりで初々しい陽光が朝景色のなかで躍動している。
またしばらくの間我を忘れてその雄大な眺望に魅入っていた。
こういう眺望をもつ所に生まれ育った人たちの情感や感性はそこからどのような影響をうけるのでであろうか。
自分が生まれ育った所や今住んでいる所とくらべるとずい分違だろうことは容易に想像がつく。
ヴァルダリス風がコソヴォの山々からゆっくり下りてきてさらに途中の渓谷を通り抜けてエーゲ海へ向けて吹きおろすと言う冬の季節はまた違った顔をみせるのだろう。
ゆっくりと身支度をしてから下の階へ朝食をいただきに行った。
今日スコピエの街では唯一博物館へ行ってみたかった。
食堂にいた若い給仕さんに頼んで行き方の略図をかいてもらった。
A4ノート半分ほどの大きさの紙片に手書きされた簡略地図だ。
その給仕さんがマケドニア語で一生懸命説明してくれたのだがよくわからなかった。
街の地図は持っていない。
西欧州側では名前をきいたことのないようなどこかの小さな町でもその土地にあるたいていのホテルでは街歩きのための小地図ぐらいは必ず置いてある。
なにもわざわざ本屋やキオスクへ行って購入する必要はない。
ホテルのフロント係りに聞けばたいていただでくれるものだが,ここではまだそういうものはない。
昨年ウクライナに行った時もどこのホテルにもそのような便利で気の利いたものは置いてなかった。
昔からロシア人がたくさん訪れる一等級保養地であるクリミア半島のヤルタでさえそうであった。
だからそういうところは訪れる観光客に媚びていない手垢に汚れていない観光地ズレスレヤレしていない。
旧東欧圏にはたとえ遠路はるばる訪ねていく内容と観光的価値がある大きな街でも外国人旅行者用には観光ガイド1冊発行されていないところが普通である。
西欧やその他の観光先進地域からみれば地元の観光産業力が未発達なのだ。
個人的にはなぜかそういう地域にとくに興味をおぼえる。
探してもガイドブックはおろか1舗の地図さえ手に入らないようなところがもっと食指がうごくのだ。
たいていそういうところでも観光的内容は申し分ないのであるが近隣地域以外の土地から訪れてくる人はまだそれほど多くない。
概してそういう土地の人たちは素朴でのんびりしている。これがよいのだ。
だから何かに追いまくられ,速いペースで見て廻ることが多い有名観光地(経済効率至上主義的観光地)のようなストレスは皆無である。
そしてたいてい物価が驚く(ニンマリする)ほど安い。
まだあまり知られていない“穴場”である。
手間ひまを惜しまず少々の不便さなど気にしなければまだまだ“穴場”は意外とあちこちにある。
チェックアウトをしてホテルのある南側の丘の中腹からスコピエの中心街へ向かって走り出した。
めざす所は行き方を教えてもらったはずの博物館である。
でも見つからなかった。
ほんとうはあんまり暑いので手書きの地図だけを頼りにスコピエの街中を車で探し続けるのがおっくうになって,次の目的地オフリドへ一刻も早く行きたくなった為である。
そうと決まれば,ほんとうは勝手にそう決定したのであるが,“善は急げ”,である。
一旦はヴァルダル川の向こう側へ渡って一路テトヴォ/オフリド方面をめざす。
どういう訳か意に反して目指す方向とは反対であるアテネ方面のアウトバーンへ乗ってしまた。
いったん乗ってしまうとなかなか下りられずようやく方向転換できたのは郊外にあるスコピエ空港=アエロドローム・ペトロヴィッツ降り口であった。
せっかくだからと空港前の涼しそうな木陰に車を停め一休みした。
こういうのんびりしている所だからそんなことができるのであって,昨今たとえば成田空港前などで一休みなどしようものならおそらく○×取調室かなんかに即ご招待されるのがオチだろうな。
ここでは望んだとおり誰一人声もかけてくれなかった。
そのあと予定通りスコピエの街中を通り抜けてM4/E65をテトヴォへ向かう。
とくにコソヴォのプリシュティナへ向かうM3/E65と分かれる手前までの数百メートルのあいだバザールと雑貨商のちゃんぽんのように見えるものが道路の両側に溢れていた。
その辺りの街並みはわいざつ感がただよいひたすら汚くそうぞうしくおおぜいの人たちがうごめいていてなにか悪の雰囲気も漂わせている。
犬や猫も小さな子供たちも,そこここにつり下げられ無造作に並べられた雑多な商品も何もかもが日差しにさらされてうっすらかぶった埃が鈍く反射していた。
郊外の開けた街並みを通り抜けてもう一度ヴァルダル川にかかる橋を渡るとふたたびアウトバーンに入る。
右手の山あいに見え隠れする紅い瓦屋根の家並みのなかに真っ白いミナレットがまるで大きな鉛筆を立てたように見えるようになってきた。
炎天下アウトバーンの道端に人が座っている。
箱詰め採れたてぶどうをいくつも地べたに並べた物売りでじっと客が停まってくれるのを待っているのだ。
しばらく続いていたのぼり勾配がやがて下り勾配になってテトヴォの街が一望に見えるところにきた。
テトヴォの背後にはマケドニアで最も高い2600~2800m級の山峰がつらなっている。
はるか高みまで黒々とした樹木の山肌を見せている。
なんとなく畏怖感を漂わせる山容である。
これらの山々からヴァルダル川の支流がいくつも流れ出ている。
源流があるゴスティバー方面へ向かって山峡地帯を走り続ける。
料金所を通り過ぎてからは曲がりくねった上り坂の狭い道が続くようになった。
ドライブをするのには絶好の道路である。
このルートでは数台の対向車以外はまったく見かけない。
ほとんど一人だけで走ることになった。
天気も景色も抜群である。*(晴れ)**(グッド)**(ニヤ)*
目指す目的地オフリドへはもうすぐだ
ベッド用のランプが点いたままでその明かりがとてもまぶしかった。だからランプを消し忘れたまま寝入ってしまったのだと思った。
すぐランプを消さなければと枕もとのスイッチを押してみた。
寝ぼけた頭でできたのはそのくらいだった。
だが期待に反してほかのランプが点いたり消えたりしたがそのランプは点いたままで変化はなかった。
あれっどうなっているのだろう?
そのままで目をつぶって寝続けようとしたがやっぱり無理がある。
眠かったがしぶしぶベッドからでてこんどは別の壁にある他のスイッチを押してみた。
そうすると部屋の出入り口とバスルームにあるランプが点いたり消えたりした。
念のためもう一度枕もとの二つのスイッチを押して見るとこちら側のランプはたしかに点いたり消えたりするのだが、向こう側のランプは最初からそうであるように点いたままで消えないのだった。
おかしなことがあるものだと思った。
こんなに明るい部屋では眠れないではないか,奇妙なホテルに泊まったものだと思った。
しかしである。
その点いたままのランプをもう一度よく見てみた。
その消えないランプの傘から窓側のカーテンに向かって幅30cmぐらいのひかりの帯がすこし傾いて延びていた。
たしかにそのように見えた。
そのひかりの帯は左のカーテンと右のカーテンの合わせ目に吸い込まれているように見えた。
でも何かがおかしい。
点いたままになっている向こう側のランプを覗き込んで見ることにした。
こうなったら何がいったいどうなっているのかを突き止めるしかないと思った。
ベッドの上を這って移動してそのランプを覗き込んだ。
するとそのとき右頬と耳の辺りをあの温かく柔らかな感触に包まれた。
あれっ,ひかりの帯の流れが...
その瞬間にすべてがわかった。
枕元の目覚まし時計の針は7時10分を指していた。
夜中ではなくもうとっくに夜が明けていたのだ。
ランプの明かりがまぶしいのだと勝手に思いこんでいたが実は締め切ったカーテンのわずかなすき間から射しこむ強烈な朝日のひかりの帯がちょうどベッド横のランプの傘に当たってまるでそのランプ自身が点いているように見えたのだった。
そのからくりをひっぺがすつもりで勢い込んでカーテンを開けようしたが,暴力的な閃光が部屋の中に飛び散った。
まるでそうすることを拒絶されたようなものである。
まぶしくて明るすぎてとても目を開けていられない。
反射的にカーテンを閉め戻した。
こんどは細心の注意を払ってほんの少しだけカーテンを開けてみたが再び占め戻した。
起き抜けの身にはとても耐えられないほどのまぶしさだ。
それではとテレビを観て目を覚ましてからあらためてカーテンを開けることにした。
頃合いを見計らってこんどは思い切ってカーテンを開け拡げてからバルコニーにでた。
カーテンの向こう側は青空がすがすがしいマケドニア晴れであった。
そして目の前に早朝の眺望がひろがっている。
バルカンの蒼穹が上から1/3ぐらいを,その下はコソヴォに連なる山並みが陣幕を張り巡らせたようにスコピエの街の向こうに見える。
眼下にひろがるスコピエの街とその一帯はかすかな朝靄の海に沈んでいた。
早朝の空気は爽やかで微かに樹木の匂いを含んでいる。
そして生まれたばかりで初々しい陽光が朝景色のなかで躍動している。
またしばらくの間我を忘れてその雄大な眺望に魅入っていた。
こういう眺望をもつ所に生まれ育った人たちの情感や感性はそこからどのような影響をうけるのでであろうか。
自分が生まれ育った所や今住んでいる所とくらべるとずい分違だろうことは容易に想像がつく。
ヴァルダリス風がコソヴォの山々からゆっくり下りてきてさらに途中の渓谷を通り抜けてエーゲ海へ向けて吹きおろすと言う冬の季節はまた違った顔をみせるのだろう。
ゆっくりと身支度をしてから下の階へ朝食をいただきに行った。
今日スコピエの街では唯一博物館へ行ってみたかった。
食堂にいた若い給仕さんに頼んで行き方の略図をかいてもらった。
A4ノート半分ほどの大きさの紙片に手書きされた簡略地図だ。
その給仕さんがマケドニア語で一生懸命説明してくれたのだがよくわからなかった。
街の地図は持っていない。
西欧州側では名前をきいたことのないようなどこかの小さな町でもその土地にあるたいていのホテルでは街歩きのための小地図ぐらいは必ず置いてある。
なにもわざわざ本屋やキオスクへ行って購入する必要はない。
ホテルのフロント係りに聞けばたいていただでくれるものだが,ここではまだそういうものはない。
昨年ウクライナに行った時もどこのホテルにもそのような便利で気の利いたものは置いてなかった。
昔からロシア人がたくさん訪れる一等級保養地であるクリミア半島のヤルタでさえそうであった。
だからそういうところは訪れる観光客に媚びていない手垢に汚れていない観光地ズレスレヤレしていない。
旧東欧圏にはたとえ遠路はるばる訪ねていく内容と観光的価値がある大きな街でも外国人旅行者用には観光ガイド1冊発行されていないところが普通である。
西欧やその他の観光先進地域からみれば地元の観光産業力が未発達なのだ。
個人的にはなぜかそういう地域にとくに興味をおぼえる。
探してもガイドブックはおろか1舗の地図さえ手に入らないようなところがもっと食指がうごくのだ。
たいていそういうところでも観光的内容は申し分ないのであるが近隣地域以外の土地から訪れてくる人はまだそれほど多くない。
概してそういう土地の人たちは素朴でのんびりしている。これがよいのだ。
だから何かに追いまくられ,速いペースで見て廻ることが多い有名観光地(経済効率至上主義的観光地)のようなストレスは皆無である。
そしてたいてい物価が驚く(ニンマリする)ほど安い。
まだあまり知られていない“穴場”である。
手間ひまを惜しまず少々の不便さなど気にしなければまだまだ“穴場”は意外とあちこちにある。
チェックアウトをしてホテルのある南側の丘の中腹からスコピエの中心街へ向かって走り出した。
めざす所は行き方を教えてもらったはずの博物館である。
でも見つからなかった。
ほんとうはあんまり暑いので手書きの地図だけを頼りにスコピエの街中を車で探し続けるのがおっくうになって,次の目的地オフリドへ一刻も早く行きたくなった為である。
そうと決まれば,ほんとうは勝手にそう決定したのであるが,“善は急げ”,である。
一旦はヴァルダル川の向こう側へ渡って一路テトヴォ/オフリド方面をめざす。
どういう訳か意に反して目指す方向とは反対であるアテネ方面のアウトバーンへ乗ってしまた。
いったん乗ってしまうとなかなか下りられずようやく方向転換できたのは郊外にあるスコピエ空港=アエロドローム・ペトロヴィッツ降り口であった。
せっかくだからと空港前の涼しそうな木陰に車を停め一休みした。
こういうのんびりしている所だからそんなことができるのであって,昨今たとえば成田空港前などで一休みなどしようものならおそらく○×取調室かなんかに即ご招待されるのがオチだろうな。
ここでは望んだとおり誰一人声もかけてくれなかった。
そのあと予定通りスコピエの街中を通り抜けてM4/E65をテトヴォへ向かう。
とくにコソヴォのプリシュティナへ向かうM3/E65と分かれる手前までの数百メートルのあいだバザールと雑貨商のちゃんぽんのように見えるものが道路の両側に溢れていた。
その辺りの街並みはわいざつ感がただよいひたすら汚くそうぞうしくおおぜいの人たちがうごめいていてなにか悪の雰囲気も漂わせている。
犬や猫も小さな子供たちも,そこここにつり下げられ無造作に並べられた雑多な商品も何もかもが日差しにさらされてうっすらかぶった埃が鈍く反射していた。
郊外の開けた街並みを通り抜けてもう一度ヴァルダル川にかかる橋を渡るとふたたびアウトバーンに入る。
右手の山あいに見え隠れする紅い瓦屋根の家並みのなかに真っ白いミナレットがまるで大きな鉛筆を立てたように見えるようになってきた。
炎天下アウトバーンの道端に人が座っている。
箱詰め採れたてぶどうをいくつも地べたに並べた物売りでじっと客が停まってくれるのを待っているのだ。
しばらく続いていたのぼり勾配がやがて下り勾配になってテトヴォの街が一望に見えるところにきた。
テトヴォの背後にはマケドニアで最も高い2600~2800m級の山峰がつらなっている。
はるか高みまで黒々とした樹木の山肌を見せている。
なんとなく畏怖感を漂わせる山容である。
これらの山々からヴァルダル川の支流がいくつも流れ出ている。
源流があるゴスティバー方面へ向かって山峡地帯を走り続ける。
料金所を通り過ぎてからは曲がりくねった上り坂の狭い道が続くようになった。
ドライブをするのには絶好の道路である。
このルートでは数台の対向車以外はまったく見かけない。
ほとんど一人だけで走ることになった。
天気も景色も抜群である。*(晴れ)**(グッド)**(ニヤ)*
目指す目的地オフリドへはもうすぐだ