navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

日焼けあと

2008年08月31日 | 日記
今日久しぶり(4週間)にジムへ行って体を動かしてきました。
思ったより動きは良かったな。
*(グッド)**(ニヤ)*

大きな壁鏡に映るわが姿を見てそしていっしょに運動をしているほかの人たちを見比べていたら日焼け方に違いがあるのがわかった。

露出している手足は焼けぐあいの濃淡はあるがほとんどの人はほぼ一様に見える。

それに対してわが身の場合は左腕が真っ黒けに対して右腕は軽い日焼け程度。

足の焼けぐあいはもう不思議といっていいような焼け方である。
左足の膝小僧から上10cmぐらいだけが真っ黒でそれ以外は焼けているとはいいがたい。
右足たるやほとんど焼けていない。

だから鏡に映る全身の左腕と左足の膝小僧辺りだけが真っ黒でほかは焼けてたりまた焼けてなかったりである。

どうしてこうなったかというと,炎天下長時間幾日も幾日も半そで短パンで運転席(左側)に座って運転していたからである。

ようく見ると実は顔面だって左側の方が右側よりいくぶん濃く日焼けしている。

けったいな日焼けあとですがなかなか出来難い遠い所への旅の証ですので、
 ”アナトリア焼け”と名づけます。
*(晴れ)**(地球)**(ダッシュ)**(車)**(グッド)**(ニヤ)*

無事帰って来れました。

2008年08月23日 | 日記
延べ20日間かけて,アナトリア(Anatolia)半島を巡る旅に行ってきました。*(ダッシュ)**(車)*

いつかは訪ねてみたいと思っていたアララト山を仰ぎ見ることができました。
日中外気温が42~3℃にもなるシリア国境近くの街やひなびた黒海沿岸の小さな街も訪ねました。*(山)**(波)**(三日月)**(地球)*

しばし西欧世界の日常をはなれた小アジアとも呼ばれるトルコ=アナトリア半島の旅は,悠久の時の流れと西欧中心主義に惑わされない文明史観を垣間見させてくれました。
*(音符)**(クローバー)*

昼下がり土地の人たちといっしょに日陰のベンチに腰掛けて飲むチャイ(紅茶)はまさにアナトリアの原風景といえます。*(紅茶)**(ニヤ)*

またゆっくりとこの旅について書いてみたいと思います。*(ペン)**(ウインク)*

遥かなるバルカンの空の下へ-16

2008年08月03日 | 日記
雑草の生えた線路上をのんびり歩いている人たちに何度か出会った。
それぞれ3~5頭ほどの牛を追っていた。

その線路はやはり山峡の渓流に沿って走るM4/E65道路と並んで敷かれている。
よく伸びた雑草や雑木に埋もれてしまいそうで鉄道の線路がそこにあるとはわからないくらい寂れた風情の単線である。

いずれもよく陽にかつ垢焼けした風貌の十代半ばぐらいに見える兄弟とその父親らしき人たちだった。
彼らが胸をはだけた着流しスタイルのシャツはかつて白かったのだろうが汗のしみが浮き出ている上どうひいきみに見ても垢じみた黄色っぽい色にみえる。
おそらくこの近在に住むロマ人の家族でもあるのだろうか。

けさ後にしたスコルピエ近郊にはロマ人の大集落がある。
ロマ人あるいはジプシーと呼ばれる人たちの居住地域(本来は生活地域か)は欧州全域に亘っているようで彼らの生活スタイルと価値観は独特でほかの人たちとは大きく隔たっている。

インドの北部地方がもともとの出身地といわれているがもう千年近くも欧州大陸をほぼ全域を巡っているのにその土地の習俗や生活文化に融合同化せず今なおマイウエイを堅持し続けているのだから頑固といえば途方もなく頑固な人たちではある。

そう言えば2千年近く経ってもますます頑固度が高まり続けかつ世界全体に多大な影響をあたえている“自ら選ばれた民”と自負しているのが他にあったな…。

山峡の斜面に生えたしめじのような小さな集落をいくつか通り抜けさらに坂道をのぼり続けていく。
この一帯は標高1000m~2000m級の緑濃い山々が連なるところである。
その山肌に刻まれた九十九折をなぞって走り続ける。少し前から黄緑色をした渓流がはるか左眼下に見え隠れしている。
もう相当な高さまでのぼってきているはずである。左手下はるか向こうにどこのまちになるのだろうか衛星写真のような風景が広がってみえる。

相当な山奥へ入ってきているはずと思っていたら突然目の前にひなびた峠の茶屋風の建物が現れた。
手前にある駐車場には乾いた埃をかぶった車が3台停まっていた。
こんな所にもレストランみたいなものがあるのだ。
気にはなったが停まらずに先へ進む。

さっきまでの蒼穹が稜線の上左側からこんどは右側に切り替わった。どうやら道路は峠を越え下り坂になったようだ。
下りの連続したきついコーナーを軽快かつ慎重なハンドル操作で右に左に曲がっていくと突然ミニバンを先頭にくっ付きそうな位車間距離を詰めた3台の対向車とすれちがった。さらに小型トラックを含む数台の車が続いていた。

しばらく振りで走っている車と人影に出会った所為かふっと緊張が緩んでほっとした。
安堵感からというわけではないが,如何ともしがたい尿意がとつぜん襲ってきた。
がまんせずすぐその先にあった道路わきの休憩スペースに急停車して用足しすることにした。
子供のころから教えられたとおりに山の神様への呪文をつぶやきながらである。からからに乾いた雑草のあいだにもうひとつヴァルダル川の源流をつくってやった気分である。
ひょっとしたらその水の何万分の1かがエーゲ海へ注ぐのかななどとたわいのない想いを浮かべながら。

峠をすぎてからはすれ違う車の数が極端にふえた。相変わらず対面通行の狭く曲がりくねった道路が続いている。
こういうところではスピードの遅い貨物トラックが走っていると後から走ってくる車のほうのスピードが速いのですぐに数珠繋ぎ状態になってしまう。
そういう状態になると気の短い(そしておそらくほとんどは地元のドライバー連中であろう)の運転する車達は走行性能の良し悪しドライバーの年齢・性別に関わらず少しでも対向車の流れが途切れると即果敢な追い越しを敢行する。
曲がりくねって先がよく見えないところでも平気で反対車線へ飛び出していくのだ。
いつも後で見ていて恐ろしくなる。
どう考えてもリスキーで乱暴なやり方である。

この点は典型的なイタリアンドライバーと似ているようだ。
決定的に異なる点は対向車ドライバーの対応である。
イタリアンドライバーだとそのまま進めば必ずぶつかりそうな状況に陥っても必ずすれ違えるようよけて道を空けてやる。
しかしここの対向車ドライバーはそういう配慮はなきに等しく相手の車に真正面から激突しそうな運転をする。
すこしでも道を空けてやるけはいもなく追い越し中である向かい合う相手にクラクションで威嚇しパッシングライトを浴びせながら衝突寸前ですれ違うことが多い。
後からみていると“あっぶつかった!”と思えるくらいである。

志半ばで意足りず追い越しきれない車もときどきある。
事故寸前コンマ~100分のうん秒差でにらめっこのスリリングなシーンが繰り返される。
こういう走り方ではさぞストレスも血圧も高くなりがちだろう。バルカンスタイルの運転法である。彼らはあきらかに我々より血の気が多いのだろう。

自分は異邦人で通りすがりのしがない旅人であるので,たとえ前にのろのろ走る車やトラックがいても安全に追い越しができるところへ来るまで待つことにしている。
そういうバルカンスタイルの追い越しゲームはしない。
また先を急ぐ訳でもなくまだまだ長旅であるからいらぬ無理無体をする気はない。
そういう類のストレスは極力避けるほうが好い。

勾配がゆるやかになってきて麓に点在する小さな集落を走り抜けるようになった。今まで走ってきたスコピエから峠の向こう側までは集落の中にモスクとミナレットをよく目にした。
しかしこの辺りからは真っ白な外壁がまぶしい小ぶりな東方正教会の建物が見立つようになった。

まわりの稜線が低くなるにつれて交通量がふえてきた。道路わきの標識にはOhrid Aerodromeの表示と並んでオフリドの名前が並んである。
その小さな空港をすぎるとM5/E65アウトバーンへ切り替わった。それからほどなくしてオフリドの街へ入った。
このまま南下を続けるとギリシャへ入る。

例によって標識をたよりに街の中心街へ向かう。街の中へ入ったばかりなのに今朝発ってきたスコピエとは違いすぐに典型的なリゾート地の雰囲気が漂っている。
中心地域近くには高いビルディングの高級ホテルビルが幾つかまとまって建っているがそこ以外はせいぜい3階から4階建て高さの紅い瓦屋根の家や建物が街並みのほとんどである。

中心街から先はPORT(港)という標識に従いながらそこを目指して混雑した街路を走っていく。路上駐車は避け有料駐車場へ車を止める。お代は1ユーロ先払いだがいつも見張ってくれる人がいる安全なところへ置けるのだから安いものである。
車をはなれる前に日除けのシートやらネットやらをガラス窓内側全面に施しておく。
それでも炎天下に駐車中すると室温は60℃近くまであがってしまうが幾らかは効果があるはずだ。

駐車場からオフリド湖岸はすぐ目と鼻の先だった。
幅広くゆったり造られた湖岸敷きの前には空の色とほとんど同じ色の湖面が静かに広がっている。
湖面とその蒼穹のあいだを隔てているのはアルバニアへ連なる山々の稜線とそのうえにのっかっている真っ白なわた雲のふとんである。
右側には今走りぬけて来た山々の濃緑の裾野がゆるやかな起伏を描いて湖面へ落ちこむ丘陵の湖岸線である。
湖面には幾隻かのボートと遊覧船らしきシルエットが描かれている。多くはないが小さな子供連れが波うち際で水遊びをしている。

限られた車しか入り込めないようになっている湖岸通りを保養客がのんびり散策している。
プロムナードと湖岸通りの間はよく手入れされた幅広い芝生ベルトになっていて大きな合歓の木が何本も植えられている。
今ちょうどきれいな薄赤色の花が咲き乱れていていて落ち着いたオフリド湖岸にやや控えめではあるがマケドニア随一の保養地らしい華やかさを添えている。

炎天下のプロムナードを中央広場へ向かう途中ほっとするような涼しい木陰が続いている。歩き疲れた保養客たちが腰掛けているベンチがあちこちにある。涼しそうな木陰のなかに空いているベンチを見つけそこへ腰掛けた。
しばらくの間ボケーと辺りを眺めながら一息つく。
ここはひなびた雰囲気と保養地らしい明るさがほど良く混ざり合ってとても心地よいところだ。