冬を抜け桜の咲く明るい春がやってくるとふるさとのあのお祭りを思い出します。
毎年3月28日にある○○神社のお祭りです。
ものごころついた幼い子供のころから待ち焦がれむねおどらせて家の者達や近所の友達と連れ立って出かけていったあの懐かしいお祭りです。*(ニヤ)*
母の実家がその神社の真向かい目と鼻の先にあったのでお祭りに行く時はハヤル心を精一杯抑えて, まずその家の人達に必ずあいさつをしてからお祭りの人混みでごった返す神社の参道に居並ぶ屋台のトンネルに飛び込んでいったものです。*(ダッシュ)**(音符)*
あま~い綿菓子の匂いや焼き鳥屋から流れてくるけむりに混じる焦げたタレのなんともいえない香ばしい匂いに翻弄されながらもたくさんある店ごとに鼻先を突っ込んで夢中でした。
特に陽がおちて参道が宵やみにつつまれてくると裸電球の暖かい灯かりやつんと鼻を刺す臭いのアセチレンガスの灯火がお祭り気分をさらに高めてくれました。
参道横の広場に組まれた舞台では何か出し物があったようですが,私たち子供の関心ごとは屋台の灯かりに照らし出されそしてあやしい明暗をつくって猥雑に並べられたおもちゃや動物くじそれからみどりカメやヒヨコなどでした。
もちろんお祭りになくてはならない金魚すくいやヨーヨーすくいも必ずやったな。
その神社は長い坂を下ってから木造のつり橋をを渡った川向こうの小高い山の中腹にありました。
実家からはけっこうはなれていて子供の足では40分ぐらいかかりました。*(4)**(0)*
子供のころは知らなかったしまたまったく関心がなかったことだが, その○○神社とたくさんの伽藍はかつては山岳修験の中心地として栄えたそうだ。
創建されたのはなんと大宝年間だとか。
*(砂時計)*
明治はじめに神仏混交が禁止され廃仏毀釈令が出されてからは今のような日本武尊をはじめ七神を祭る神社だけになってる。
スダジイの老巨木が大振りの枝葉を広げてならぶ薄暗い参道を進んでいくと300数段の見上げるような石段を上りきったところに古びてこじんまりとした社殿がある。
疲れを知らない子供の頃でも石段の途中で一度か二度は休まないと上まではたどり着けなかった
この神社の近くに住む学校の同級生とはこの神社界隈でかくれんぼや忍者ごっこなどをしてよく遊んだものだった。
その仲良しの同級生にデコちゃんとひろみ君がいた。*(ニヤ)*
実はここから今回の話の本題に入ります。
この神社の近くである事件がおきたのです。*(青ざめ)*
我々が地元の小学校を卒業して町の大きな中学校に通い始めた頃ですから, もうその春祭りは終わっていたはずです。*(学校)*
ある日曜日の午後, いつものようにデコちゃんとひろみ君と三人で神社の境内でしばらく遊んでから社殿の裏にあるやや傾いだ大きな黒カネモチの木によじ登ったり飛び降りたりしていたんです。
すこし上の山の方から”オ~イ, オ~イッ”と声が聞こえてきたんです。
こっちも三人で”お~い, お~いいっ”って呼びかけてなんかやまびこごっこをやっているような塩梅になりました。*(ニヤ)*
いつきてもほとんど人気が無いところだったし好き勝手に社殿と境内を飛び跳ねて遊んでいましたから, まあっめずらしいことだったし面白がって”お~お~いいっ,オ~オ~イッ””ってやりあっていたんです。
そのうち”オ~オ~イッ, タスケテクレ~ッ”という言葉が混じってきたんです。
それでもまだ私たち三人はますます面白がってこっちも”お~お~い助けてくれっ”ってまねしてやまびこごっこのつづきをやっておりました。
木の枝にぶら下がって逆さまになって”お~お~いっ,大変だぁ,たすけてくれ~”というような具合でした。
でも三人は顔を見合わせて向こうの様子がどうも変な様に感じました。*(怒り)*
なんかすこし煙が見えたしパチパチパチッという音も混じってきました。
最初にひろみ君が”あっちへ行ってみようぜ!”といいながら黒モチノ木から飛び降りて走り出しました。
後を追って私とデコちゃんも飛び降りて走り出しました。*(ダッシュ)**(足)*
大きな木々の間をぬって雑木が生い茂る斜面をかけのぼりまたかけおりて。
あっと気がついたときはそこら一帯は山火事のけむりと燃え上がる火と火の粉が激しく乱舞する最中でした。*(SOS)*
燃え盛るその辺りで年配の大人が一人半狂乱になって素手で火消しに奔走していました。
我々3人もやはり素手で無我夢中でその火消しに飛び込んでいきました。
その辺りは低い雑木と篠竹が密集しているところで落ち葉もいっしょに火がついていましたが,幸い大きな木には火の手はとどいていませんでした。
こっちを消したと思ったら今度はあっちが燃え盛って,こんどはそっちへ行って懸命に土をすくって消し止めるとまたあっちの方に火がついてと何度かは燃え盛る火に我々が取り囲まれてしまったこともありました。*(びっくり1)*
とにかく大人一人と中学生3人が本当の素手で無我夢中で火消しに奔走没頭した甲斐あってやっと鎮火させることができました。
みんなの顔も手も靴も着ているものもまっくろけの真っ黒くろすけでした。汗が額から流れ落ちて顔は火に照らされて(焼けてです)手には軽いやけどぐらいはしてたと思います。*(いっぷく)*
火が治まってみるとその辺り一帯(30~40m2ぐらいかな)は焼けて煙がくすぶっていました。
また発火するといけないのでみんなでくすぶっているところへ行って煙が出なくなるまでしっかり土をかけ続けました。
靴で踏みつけたり手で折ったこん棒のようなもので叩いて徹底的に火の気を撲滅したんです。
その大人の人は神社の横に住んでいる人でした。
その後みんなで階段ではなく脇にある”女坂”を歩いて下へ降りていく途中で7歳ぐらいと9歳ぐらいの女の子二人が青い顔をして上がってきました。
どうも火元はその子らのマッチを使った火遊びだったようです。
私たちは確か参道横にある清め水で汚れた手を洗い真っ黒に汚れた着ているものをはたいたりお互いにはたきっっこをしてともかくもデコちゃんの家へ帰れるようにしました。
参道の入り口に帰り着いた時にやっとその大人の人は気持ちが落ち着いたようで、我々に丁寧にお礼を言ってくれました。
なんか恥ずかしいようなまた同時に誇らしいようなそんな気分でした。*(ウインク)**(チョキ)*
翌日の朝,学校の朝礼でラジオ体操や一連のセレモニーが済んで校長先生のお話がありました。
その時,確か教頭先生が横からひそひそ
と校長先生に話しかけてました。
そしてみんなに向かってこういったのです。
”きのうこの学校の生徒が○○神社裏で山火事が起きた時,消火作業を手伝ってくれて幸いにも消し止めることができた。
○○神社と山の持ち主さんらが大変感謝している。その生徒さんたちになにとぞよろしく伝えて欲しいとのことです。”と。
その時はそのことはまだ我々3人だけしか知らないことでしたから,他の生徒はみんなきょとん?としていました。
家に帰ってからそのことを話すとやっぱり母親とおばあさんがとても褒めてくれました。やっぱりとても誇らしいような気分でした。*(笑顔)*
今あらためてそのことを思い出してみると,いくつになってもどこにいても自分と郷里を結ぶ忘れがたい出来事だったのかと考えています。
そのうち自分の息子にもこのことを語り伝えてあげようと思っています。
○○神社がある隣の山にはうちの息子が生まれたときに記念に私の父が植えた桜の木がすくすく育っています。
そんなこともふくめて例え幾世代が変わろうともご先祖さんから親へそして子供へまたさらに孫達へと伝えていくものがあるのは誇らしいしまたとても大切なことだとおもいます。*(クローバー)*
初春の今日この頃,遠くはなれた故郷に想いをはせふと感じたこと思ったことをつづってみました。
毎年3月28日にある○○神社のお祭りです。
ものごころついた幼い子供のころから待ち焦がれむねおどらせて家の者達や近所の友達と連れ立って出かけていったあの懐かしいお祭りです。*(ニヤ)*
母の実家がその神社の真向かい目と鼻の先にあったのでお祭りに行く時はハヤル心を精一杯抑えて, まずその家の人達に必ずあいさつをしてからお祭りの人混みでごった返す神社の参道に居並ぶ屋台のトンネルに飛び込んでいったものです。*(ダッシュ)**(音符)*
あま~い綿菓子の匂いや焼き鳥屋から流れてくるけむりに混じる焦げたタレのなんともいえない香ばしい匂いに翻弄されながらもたくさんある店ごとに鼻先を突っ込んで夢中でした。
特に陽がおちて参道が宵やみにつつまれてくると裸電球の暖かい灯かりやつんと鼻を刺す臭いのアセチレンガスの灯火がお祭り気分をさらに高めてくれました。
参道横の広場に組まれた舞台では何か出し物があったようですが,私たち子供の関心ごとは屋台の灯かりに照らし出されそしてあやしい明暗をつくって猥雑に並べられたおもちゃや動物くじそれからみどりカメやヒヨコなどでした。
もちろんお祭りになくてはならない金魚すくいやヨーヨーすくいも必ずやったな。
その神社は長い坂を下ってから木造のつり橋をを渡った川向こうの小高い山の中腹にありました。
実家からはけっこうはなれていて子供の足では40分ぐらいかかりました。*(4)**(0)*
子供のころは知らなかったしまたまったく関心がなかったことだが, その○○神社とたくさんの伽藍はかつては山岳修験の中心地として栄えたそうだ。
創建されたのはなんと大宝年間だとか。
*(砂時計)*
明治はじめに神仏混交が禁止され廃仏毀釈令が出されてからは今のような日本武尊をはじめ七神を祭る神社だけになってる。
スダジイの老巨木が大振りの枝葉を広げてならぶ薄暗い参道を進んでいくと300数段の見上げるような石段を上りきったところに古びてこじんまりとした社殿がある。
疲れを知らない子供の頃でも石段の途中で一度か二度は休まないと上まではたどり着けなかった
この神社の近くに住む学校の同級生とはこの神社界隈でかくれんぼや忍者ごっこなどをしてよく遊んだものだった。
その仲良しの同級生にデコちゃんとひろみ君がいた。*(ニヤ)*
実はここから今回の話の本題に入ります。
この神社の近くである事件がおきたのです。*(青ざめ)*
我々が地元の小学校を卒業して町の大きな中学校に通い始めた頃ですから, もうその春祭りは終わっていたはずです。*(学校)*
ある日曜日の午後, いつものようにデコちゃんとひろみ君と三人で神社の境内でしばらく遊んでから社殿の裏にあるやや傾いだ大きな黒カネモチの木によじ登ったり飛び降りたりしていたんです。
すこし上の山の方から”オ~イ, オ~イッ”と声が聞こえてきたんです。
こっちも三人で”お~い, お~いいっ”って呼びかけてなんかやまびこごっこをやっているような塩梅になりました。*(ニヤ)*
いつきてもほとんど人気が無いところだったし好き勝手に社殿と境内を飛び跳ねて遊んでいましたから, まあっめずらしいことだったし面白がって”お~お~いいっ,オ~オ~イッ””ってやりあっていたんです。
そのうち”オ~オ~イッ, タスケテクレ~ッ”という言葉が混じってきたんです。
それでもまだ私たち三人はますます面白がってこっちも”お~お~い助けてくれっ”ってまねしてやまびこごっこのつづきをやっておりました。
木の枝にぶら下がって逆さまになって”お~お~いっ,大変だぁ,たすけてくれ~”というような具合でした。
でも三人は顔を見合わせて向こうの様子がどうも変な様に感じました。*(怒り)*
なんかすこし煙が見えたしパチパチパチッという音も混じってきました。
最初にひろみ君が”あっちへ行ってみようぜ!”といいながら黒モチノ木から飛び降りて走り出しました。
後を追って私とデコちゃんも飛び降りて走り出しました。*(ダッシュ)**(足)*
大きな木々の間をぬって雑木が生い茂る斜面をかけのぼりまたかけおりて。
あっと気がついたときはそこら一帯は山火事のけむりと燃え上がる火と火の粉が激しく乱舞する最中でした。*(SOS)*
燃え盛るその辺りで年配の大人が一人半狂乱になって素手で火消しに奔走していました。
我々3人もやはり素手で無我夢中でその火消しに飛び込んでいきました。
その辺りは低い雑木と篠竹が密集しているところで落ち葉もいっしょに火がついていましたが,幸い大きな木には火の手はとどいていませんでした。
こっちを消したと思ったら今度はあっちが燃え盛って,こんどはそっちへ行って懸命に土をすくって消し止めるとまたあっちの方に火がついてと何度かは燃え盛る火に我々が取り囲まれてしまったこともありました。*(びっくり1)*
とにかく大人一人と中学生3人が本当の素手で無我夢中で火消しに奔走没頭した甲斐あってやっと鎮火させることができました。
みんなの顔も手も靴も着ているものもまっくろけの真っ黒くろすけでした。汗が額から流れ落ちて顔は火に照らされて(焼けてです)手には軽いやけどぐらいはしてたと思います。*(いっぷく)*
火が治まってみるとその辺り一帯(30~40m2ぐらいかな)は焼けて煙がくすぶっていました。
また発火するといけないのでみんなでくすぶっているところへ行って煙が出なくなるまでしっかり土をかけ続けました。
靴で踏みつけたり手で折ったこん棒のようなもので叩いて徹底的に火の気を撲滅したんです。
その大人の人は神社の横に住んでいる人でした。
その後みんなで階段ではなく脇にある”女坂”を歩いて下へ降りていく途中で7歳ぐらいと9歳ぐらいの女の子二人が青い顔をして上がってきました。
どうも火元はその子らのマッチを使った火遊びだったようです。
私たちは確か参道横にある清め水で汚れた手を洗い真っ黒に汚れた着ているものをはたいたりお互いにはたきっっこをしてともかくもデコちゃんの家へ帰れるようにしました。
参道の入り口に帰り着いた時にやっとその大人の人は気持ちが落ち着いたようで、我々に丁寧にお礼を言ってくれました。
なんか恥ずかしいようなまた同時に誇らしいようなそんな気分でした。*(ウインク)**(チョキ)*
翌日の朝,学校の朝礼でラジオ体操や一連のセレモニーが済んで校長先生のお話がありました。
その時,確か教頭先生が横からひそひそ
と校長先生に話しかけてました。
そしてみんなに向かってこういったのです。
”きのうこの学校の生徒が○○神社裏で山火事が起きた時,消火作業を手伝ってくれて幸いにも消し止めることができた。
○○神社と山の持ち主さんらが大変感謝している。その生徒さんたちになにとぞよろしく伝えて欲しいとのことです。”と。
その時はそのことはまだ我々3人だけしか知らないことでしたから,他の生徒はみんなきょとん?としていました。
家に帰ってからそのことを話すとやっぱり母親とおばあさんがとても褒めてくれました。やっぱりとても誇らしいような気分でした。*(笑顔)*
今あらためてそのことを思い出してみると,いくつになってもどこにいても自分と郷里を結ぶ忘れがたい出来事だったのかと考えています。
そのうち自分の息子にもこのことを語り伝えてあげようと思っています。
○○神社がある隣の山にはうちの息子が生まれたときに記念に私の父が植えた桜の木がすくすく育っています。
そんなこともふくめて例え幾世代が変わろうともご先祖さんから親へそして子供へまたさらに孫達へと伝えていくものがあるのは誇らしいしまたとても大切なことだとおもいます。*(クローバー)*
初春の今日この頃,遠くはなれた故郷に想いをはせふと感じたこと思ったことをつづってみました。