あさ目が覚めると直ちに部屋のカーテンを少し開けて窓から外をみた。
やっぱり強烈な青空が広がってもう相当暑そうだ。
夏の早朝の光が溢れ目を細めてもまぶしいぐらいだ!*(晴れ)*
窓の下の街路には夏のリゾート地らしくもうこんな時間にもかかわらずよく陽に焼けた水着姿の人たちが歩いている。
家族連れや友達同士らしき人たちで海浜へ出かけるのだろう。
我々の部屋が受付のすぐ前にあるので朝食を食べにドアを開けて外に一歩出るとすかさず受付嬢のこぼれる様な微笑みいっぱいの朝の挨拶がきた。
*(ハート目)*
これも朝の陽射しの様なまぶしさ!!
こっちもそれに負けぬくらいの微笑みで応えた。
今日は市内観光とオデッサ港に行く予定だ。
まだ市街地図も入手できてないのだが...
しかし昨日とは違い今朝は土地勘が冴え, ホテルを出てからわずか15分ほどでまずはオデッサ客船埠頭にたどり着けた。
埠頭のターミナルビル内にある幾つかの旅行会社を探してみたが, 残念ながらルーマニアのコンスタンタ行きのフェリー便は見つからなかった。*(最低)*
土曜日なのか大半のオフィスは閉店で開いているのは2店だけだった。
仕方がないので, クリミア半島へ移ってから改めて本命セベストポーリ港からのフェリー便を探す事にしよう。
港を背にして街並みの方を見やると正に景観のど真ん中に”ポチョムキンの階段”が見える。
まあいわばオデッサ観光の目玉的存在かな。
その反対側はももちろんオデッサ港が構えている。
で, 予想したほどは大きくないオデッサ港の向こうに拡がるのは紛れもなく”あの黒海”でした。
ガイドブックの中で読んだ黒海ではなく, 誰かの旅行記の写真に映っていた黒海でもなく, 何度となくながめ想像を巡らせた手持ちのフレイタク&ベンド地図帳の黒海でさえない“あの黒海”なんだ。
客船埠頭の先端に聳え立つ近代的な高層ビルホテル・オデッサの背後に陽光を受けてキラキラ煌めいて広がる大海原が”あの黒海”なんだという想いがひたひたと押し寄せてきた。
そう一昨年の夏休みに行ったイスタンブールとボスポラス海峡クルーズで無念にも見逃した”あの黒海”です。*(グッド)**(波)*
ほとんど波らしい波が見えないくらい穏やかな海水面で遠くには青空と混ってしまいそうに淡いやさしい水平線が広がっている。
かもめが青空に散らばるわずかな雲と雲の間を舞っている。
日本の海とは違って潮の香りが希薄だ。
そこの客船用埠頭には2隻の大型フェリーボートが停泊中。
いずれも帰港して間もないのか下船する船客らと港の作業員や税関史らでごった返している。
今いるターミナルの最上段にある岸壁の手すりに寄りかかってボートの近辺でうごめく人たちを俯瞰することが出来る。
目の前のボートはここオデッサとトルコのイスタンブール間の定期船らしい。
船尾の乗降口をぱっくり開け放って慌しく大勢の船客と彼らの携行手荷物(殆ど貨物ともいえそうな代物)を埠頭に大量に吐き出している。
またすこしはなれた別の埠頭には大型貨物船が3隻停泊している。
あの貨物船は何を積んでどこへ向かっていく船だろうか。
大きさからして地中海のどこかの港かもしれない。
大昔, いや, ずっうとずう~と昔のことだが以前の黒海は内陸の淡水湖だったそうだ。*(驚き)**(砂時計)*
最終氷河期が終わる頃だから今から約7000年ほど前のことだ。
解けた膨大な氷水が海に流れ込んだため地中海の水位もどんどん上がっていった。
そして今のダーダネス海峡そしてボスポラス海峡の辺りの地峡に溢れだした。
溢れた海水=東地中海の海水がそのときはまだ内陸淡水湖だった黒海に大洪水のごとく流れ込んだらしい。
*(雨)**(雷)*
それまでの水位から一気に170メートルも上昇した為,付近に在った集落は押し流がされまた周辺の集落は新しい湖底に沈められて。
それを裏付ける黒海の海底地層の探査が今世紀に入ってすぐ行われた。
トルコ沿岸近くの湖底には集落跡らしきものが発見された。
また, アメリカの地理学協会グループの探査結果によれば海水性の貝殻がある地層の下に淡水性の貝殻の地層があってそれらの境界層は約7000年前という結果がでたという。
それからまるで別のことのようだが, あの旧約聖書の創世記として記されている”ノアの箱舟”の話にも糸がつながってくる。
その異常な大洪水伝説もちょうど紀元前4500年頃の出来事で奇妙に探査結果の年代と符合するらしい。
そんなことからこの箱舟の話は単なる伝説ではなくてじっさいに有った事かもしれないといわれている。
それを裏付けるようなニュース(50年ぐらい前の)なんですが,創世記の”ノアの箱舟”の残骸らしき木製の巨大な長方体がアルメニアとトルコの国境に聳え立つアララト山(5165)の中腹に半分地中に突き刺さるような格好で発見さた...とか。
その木片の年代分析結果もまた同じように符合する。
確かしばらく前にイギリスのテレビ局のニュースだったかな雪のアララト山に突き刺さる”ノアの箱舟”をヘリコプターから映写した記録映像を見たことがあったけどね。
概して神話や伝説は実際の出来事やその断片を語り伝えていることがままあるようだ。
黒海と“ノアの箱舟”のお話もそんな一例なのかもしれない。*(ウインク)*
そのアララト山, 東トルコのアナトリア地方にあるそこもいつかは必ず訪れてみたい場所のひとつですね。
現在,黒海の海岸線はウクライナ南岸/ロシア/北カフカス(コ-カサス)/トルコ(アナトリア半島=小アジア)/バルカン半島に縁取られている。
ロシア/カフカスを挟んで東側にはカスピ海が, そしてバルカン半島の西側にはアドリア海が, トルコの西から南には東地中海(エーゲ海)が拡がっている。
視点を変えれば黒海はユーラシア世界の歴史上で東のアジアと西の欧州そして南の北アフリカと幾多の民族の興亡盛衰が繰りひろげられた(今でも継続しているといえる)交差点として位置する類稀なところですね。
また多くの日本人にとっては雄大な歴史ロマンをかき立てる”シルクロード”交易路の西の終着点としても, かな。
私にとって黒海こそ正にユーラシア世界の文明の揺籃の地であり故郷のひとつであると想いはじめています。
実際近代から現代の歴史観・世界観・文明観はあまりにも西欧世界とその地域中心に偏りすぎていると思う。
地中海世界周辺地至上主義‐唯我独尊からの視点だな。
本来の視点の重心はもっと東側に持ってくる必要がありそれがフェアであると思う。
極東?にある日本で生まれ育ちそしてそこで教育を受けた私でさえあまりにも西欧史偏重あるいは鵜呑み的知識と価値観に囚われすぎていると感じることが多い。
時には度を超した偏重に不快感さえ感じることもある。
そう云うことがあまりにも多すぎると思う。
覇者の利益・強者のルール・自分達の世界だけで通用する論理がまかり通って今の世界が動いている。
では一体自分にとっての歴史観・世界観・文明観はどうあるべきか, 否どうなのかを折々に思いを巡らせている。
そんな処からも黒海やその周辺の地域は私にとって益々興味がわいてくるところといえますね。
緯度から見るとオデッサは北海道の宗谷岬よりもずっと北へ, もう樺太の尾ひれの付け根ぐらいのところにある。
でも黒海に臨んでいるせいもあるのだろう年間をとおして温暖であるとか。
今日の気温は28℃ぐらいまで昇がり反面湿度はずっと低いのでスカッとしている。
いったんは埠頭から街中へ移動し, 臨時青空街路端有料駐車場?へ車を置いてなんかおいしいものはないかと例のごとく街の中心辺りを歩き廻る。
運良く程なく歩いていた行く先の路上にドネ・ケバブの屋台を発見する。*(びっくり2)*
すぐ横のビルの玄関口の階段に, 断り無しで, 二人で腰掛けて冷たく冷えた飲み物を片手にドネ・ケバブ巻きをほうばる。
一人分20クリブナ(=3ユーロ)。
おいしいんだな, これが!*(ニヤ)*
キエフと較べるとここの街並みはふた廻り以上こじんまりとしている。
そんな街並みの中ではオペラ・バレエ劇場とその界隈の建物はひときは大きくその威容を誇示するように並んで建っている。
この劇場はかのチャイコフスキ-も指揮棒をふるった由緒ある劇場だそうだ。
その入場口まえを通りすぎ緩やかな坂道を下っていく途中に”神戸”という日本食レストランがあったが, チラッと見てパス。
さらに先へ進んだところにある考古学博物館へ入る。
この一画には他にも幾つかの記念館・博物館・美術館・記念碑等が林立または点在している。
さらに先へ進むと黒海が見える高台へ出る。
緑の葉を涼しげに茂らせた枝振りを大きく拡げた並木の散歩道が港に平行に5~600mぐらい続いている。
これはプリモールスキー並木通り。
先ほど埠頭から見えた”ポチョムキンの階段”の最上段がこの散歩道に合流している。
そこの最上段に建つなんかの記念碑の日陰では狼のような顔付きの犬が四肢を無造作に投げ出して暢気に昼寝をしている。
その周辺では観光客目当てのオウム・ウサギ・大きなリスのような動物?・小猿さん・カメレオン?・大蛇!はては口輪をはめられたワニ君たちがご主人さまと路上商売(記念写真撮り)に勤しんでました。
真夏の暑い昼下がりお勤めご苦労さんです!
黒海を眺めながら散歩道をぶらぶら歩く。木陰に入るとスッと涼しくなる。
どうも今日はオデッサの慶安吉日でしょうか?*(はてな)*
今まで歩いてきた界隈一帯にはざっと数えただけでも10組以上の新婚カップルとその取り巻きらしきグループの人たちが至る所で記念写真・記念ビデオをとりまくっている。
よく見ると若いカップルもいれば片方だけ若いのと両方それほど若くないカップルもいる。
この暑いのに新婦も新郎もみんなきっちり正装している!?
しかしですね, でもですね, それは当たり前か...
みんなまとめて”お幸せに!”。*(チョキ)**(ハート)*
ホテルへ戻る途中すこし回り道をしてガソリンスタンドへ立ち寄り給油と洗車をした。
順番を待っている最中通りがかりの(勤務中のか)パトカーにのった警察官が二人でやって来て旅券と登録証の提示を求めてきた。
なんか因縁をつけられるかもしれないと身構えたが, 差し出したパスポートのページを2~3枚めくるとにこっと笑顔をつくりさっと挨拶して行ってしまった。
身に覚えが無いので?
当たり前だが何時も何事も無いとは限らないからね。
今の形のオデッサの歴史は比較的新しいが,わずかこの200年ほどの間だけでもどれだけの過酷な戦争や戦い, 厳しい歴史的事件を掻い潜ってきたか。
絶え間なく何かがあり続けている街であることを考えると今この平和な雰囲気はとても貴重だしここに来れたことは幸運だと思った。 *(グッド)*
さすがにそんな厳しい風雪に耐え試練に鍛えられてきた大人の国際貿易都市の風格が濃厚に漂っているようにも感じた。
夕方戻ったホテルには今日街中で出会った新婚カップルのうちの御一行さん一組も同時に到着したところでした。
彼らにとってはもちろんにぎやかで長~い祝宴の夜になりましたね。*(音符)**(爆弾)*
ドンちゃん騒ぎの合間には景気付けに花火さえドンパチ打ち上げられました。
オデッサで花火大会に出くわすとは夢にも思わなかったゾ。*(ジロ)*
明日はいよいよクリミヤ半島の保養地ヤルタへ向かうのだ。
さあどんなことが待ち受けているんだろう?*(ウインク)*
やっぱり強烈な青空が広がってもう相当暑そうだ。
夏の早朝の光が溢れ目を細めてもまぶしいぐらいだ!*(晴れ)*
窓の下の街路には夏のリゾート地らしくもうこんな時間にもかかわらずよく陽に焼けた水着姿の人たちが歩いている。
家族連れや友達同士らしき人たちで海浜へ出かけるのだろう。
我々の部屋が受付のすぐ前にあるので朝食を食べにドアを開けて外に一歩出るとすかさず受付嬢のこぼれる様な微笑みいっぱいの朝の挨拶がきた。
*(ハート目)*
これも朝の陽射しの様なまぶしさ!!
こっちもそれに負けぬくらいの微笑みで応えた。
今日は市内観光とオデッサ港に行く予定だ。
まだ市街地図も入手できてないのだが...
しかし昨日とは違い今朝は土地勘が冴え, ホテルを出てからわずか15分ほどでまずはオデッサ客船埠頭にたどり着けた。
埠頭のターミナルビル内にある幾つかの旅行会社を探してみたが, 残念ながらルーマニアのコンスタンタ行きのフェリー便は見つからなかった。*(最低)*
土曜日なのか大半のオフィスは閉店で開いているのは2店だけだった。
仕方がないので, クリミア半島へ移ってから改めて本命セベストポーリ港からのフェリー便を探す事にしよう。
港を背にして街並みの方を見やると正に景観のど真ん中に”ポチョムキンの階段”が見える。
まあいわばオデッサ観光の目玉的存在かな。
その反対側はももちろんオデッサ港が構えている。
で, 予想したほどは大きくないオデッサ港の向こうに拡がるのは紛れもなく”あの黒海”でした。
ガイドブックの中で読んだ黒海ではなく, 誰かの旅行記の写真に映っていた黒海でもなく, 何度となくながめ想像を巡らせた手持ちのフレイタク&ベンド地図帳の黒海でさえない“あの黒海”なんだ。
客船埠頭の先端に聳え立つ近代的な高層ビルホテル・オデッサの背後に陽光を受けてキラキラ煌めいて広がる大海原が”あの黒海”なんだという想いがひたひたと押し寄せてきた。
そう一昨年の夏休みに行ったイスタンブールとボスポラス海峡クルーズで無念にも見逃した”あの黒海”です。*(グッド)**(波)*
ほとんど波らしい波が見えないくらい穏やかな海水面で遠くには青空と混ってしまいそうに淡いやさしい水平線が広がっている。
かもめが青空に散らばるわずかな雲と雲の間を舞っている。
日本の海とは違って潮の香りが希薄だ。
そこの客船用埠頭には2隻の大型フェリーボートが停泊中。
いずれも帰港して間もないのか下船する船客らと港の作業員や税関史らでごった返している。
今いるターミナルの最上段にある岸壁の手すりに寄りかかってボートの近辺でうごめく人たちを俯瞰することが出来る。
目の前のボートはここオデッサとトルコのイスタンブール間の定期船らしい。
船尾の乗降口をぱっくり開け放って慌しく大勢の船客と彼らの携行手荷物(殆ど貨物ともいえそうな代物)を埠頭に大量に吐き出している。
またすこしはなれた別の埠頭には大型貨物船が3隻停泊している。
あの貨物船は何を積んでどこへ向かっていく船だろうか。
大きさからして地中海のどこかの港かもしれない。
大昔, いや, ずっうとずう~と昔のことだが以前の黒海は内陸の淡水湖だったそうだ。*(驚き)**(砂時計)*
最終氷河期が終わる頃だから今から約7000年ほど前のことだ。
解けた膨大な氷水が海に流れ込んだため地中海の水位もどんどん上がっていった。
そして今のダーダネス海峡そしてボスポラス海峡の辺りの地峡に溢れだした。
溢れた海水=東地中海の海水がそのときはまだ内陸淡水湖だった黒海に大洪水のごとく流れ込んだらしい。
*(雨)**(雷)*
それまでの水位から一気に170メートルも上昇した為,付近に在った集落は押し流がされまた周辺の集落は新しい湖底に沈められて。
それを裏付ける黒海の海底地層の探査が今世紀に入ってすぐ行われた。
トルコ沿岸近くの湖底には集落跡らしきものが発見された。
また, アメリカの地理学協会グループの探査結果によれば海水性の貝殻がある地層の下に淡水性の貝殻の地層があってそれらの境界層は約7000年前という結果がでたという。
それからまるで別のことのようだが, あの旧約聖書の創世記として記されている”ノアの箱舟”の話にも糸がつながってくる。
その異常な大洪水伝説もちょうど紀元前4500年頃の出来事で奇妙に探査結果の年代と符合するらしい。
そんなことからこの箱舟の話は単なる伝説ではなくてじっさいに有った事かもしれないといわれている。
それを裏付けるようなニュース(50年ぐらい前の)なんですが,創世記の”ノアの箱舟”の残骸らしき木製の巨大な長方体がアルメニアとトルコの国境に聳え立つアララト山(5165)の中腹に半分地中に突き刺さるような格好で発見さた...とか。
その木片の年代分析結果もまた同じように符合する。
確かしばらく前にイギリスのテレビ局のニュースだったかな雪のアララト山に突き刺さる”ノアの箱舟”をヘリコプターから映写した記録映像を見たことがあったけどね。
概して神話や伝説は実際の出来事やその断片を語り伝えていることがままあるようだ。
黒海と“ノアの箱舟”のお話もそんな一例なのかもしれない。*(ウインク)*
そのアララト山, 東トルコのアナトリア地方にあるそこもいつかは必ず訪れてみたい場所のひとつですね。
現在,黒海の海岸線はウクライナ南岸/ロシア/北カフカス(コ-カサス)/トルコ(アナトリア半島=小アジア)/バルカン半島に縁取られている。
ロシア/カフカスを挟んで東側にはカスピ海が, そしてバルカン半島の西側にはアドリア海が, トルコの西から南には東地中海(エーゲ海)が拡がっている。
視点を変えれば黒海はユーラシア世界の歴史上で東のアジアと西の欧州そして南の北アフリカと幾多の民族の興亡盛衰が繰りひろげられた(今でも継続しているといえる)交差点として位置する類稀なところですね。
また多くの日本人にとっては雄大な歴史ロマンをかき立てる”シルクロード”交易路の西の終着点としても, かな。
私にとって黒海こそ正にユーラシア世界の文明の揺籃の地であり故郷のひとつであると想いはじめています。
実際近代から現代の歴史観・世界観・文明観はあまりにも西欧世界とその地域中心に偏りすぎていると思う。
地中海世界周辺地至上主義‐唯我独尊からの視点だな。
本来の視点の重心はもっと東側に持ってくる必要がありそれがフェアであると思う。
極東?にある日本で生まれ育ちそしてそこで教育を受けた私でさえあまりにも西欧史偏重あるいは鵜呑み的知識と価値観に囚われすぎていると感じることが多い。
時には度を超した偏重に不快感さえ感じることもある。
そう云うことがあまりにも多すぎると思う。
覇者の利益・強者のルール・自分達の世界だけで通用する論理がまかり通って今の世界が動いている。
では一体自分にとっての歴史観・世界観・文明観はどうあるべきか, 否どうなのかを折々に思いを巡らせている。
そんな処からも黒海やその周辺の地域は私にとって益々興味がわいてくるところといえますね。
緯度から見るとオデッサは北海道の宗谷岬よりもずっと北へ, もう樺太の尾ひれの付け根ぐらいのところにある。
でも黒海に臨んでいるせいもあるのだろう年間をとおして温暖であるとか。
今日の気温は28℃ぐらいまで昇がり反面湿度はずっと低いのでスカッとしている。
いったんは埠頭から街中へ移動し, 臨時青空街路端有料駐車場?へ車を置いてなんかおいしいものはないかと例のごとく街の中心辺りを歩き廻る。
運良く程なく歩いていた行く先の路上にドネ・ケバブの屋台を発見する。*(びっくり2)*
すぐ横のビルの玄関口の階段に, 断り無しで, 二人で腰掛けて冷たく冷えた飲み物を片手にドネ・ケバブ巻きをほうばる。
一人分20クリブナ(=3ユーロ)。
おいしいんだな, これが!*(ニヤ)*
キエフと較べるとここの街並みはふた廻り以上こじんまりとしている。
そんな街並みの中ではオペラ・バレエ劇場とその界隈の建物はひときは大きくその威容を誇示するように並んで建っている。
この劇場はかのチャイコフスキ-も指揮棒をふるった由緒ある劇場だそうだ。
その入場口まえを通りすぎ緩やかな坂道を下っていく途中に”神戸”という日本食レストランがあったが, チラッと見てパス。
さらに先へ進んだところにある考古学博物館へ入る。
この一画には他にも幾つかの記念館・博物館・美術館・記念碑等が林立または点在している。
さらに先へ進むと黒海が見える高台へ出る。
緑の葉を涼しげに茂らせた枝振りを大きく拡げた並木の散歩道が港に平行に5~600mぐらい続いている。
これはプリモールスキー並木通り。
先ほど埠頭から見えた”ポチョムキンの階段”の最上段がこの散歩道に合流している。
そこの最上段に建つなんかの記念碑の日陰では狼のような顔付きの犬が四肢を無造作に投げ出して暢気に昼寝をしている。
その周辺では観光客目当てのオウム・ウサギ・大きなリスのような動物?・小猿さん・カメレオン?・大蛇!はては口輪をはめられたワニ君たちがご主人さまと路上商売(記念写真撮り)に勤しんでました。
真夏の暑い昼下がりお勤めご苦労さんです!
黒海を眺めながら散歩道をぶらぶら歩く。木陰に入るとスッと涼しくなる。
どうも今日はオデッサの慶安吉日でしょうか?*(はてな)*
今まで歩いてきた界隈一帯にはざっと数えただけでも10組以上の新婚カップルとその取り巻きらしきグループの人たちが至る所で記念写真・記念ビデオをとりまくっている。
よく見ると若いカップルもいれば片方だけ若いのと両方それほど若くないカップルもいる。
この暑いのに新婦も新郎もみんなきっちり正装している!?
しかしですね, でもですね, それは当たり前か...
みんなまとめて”お幸せに!”。*(チョキ)**(ハート)*
ホテルへ戻る途中すこし回り道をしてガソリンスタンドへ立ち寄り給油と洗車をした。
順番を待っている最中通りがかりの(勤務中のか)パトカーにのった警察官が二人でやって来て旅券と登録証の提示を求めてきた。
なんか因縁をつけられるかもしれないと身構えたが, 差し出したパスポートのページを2~3枚めくるとにこっと笑顔をつくりさっと挨拶して行ってしまった。
身に覚えが無いので?
当たり前だが何時も何事も無いとは限らないからね。
今の形のオデッサの歴史は比較的新しいが,わずかこの200年ほどの間だけでもどれだけの過酷な戦争や戦い, 厳しい歴史的事件を掻い潜ってきたか。
絶え間なく何かがあり続けている街であることを考えると今この平和な雰囲気はとても貴重だしここに来れたことは幸運だと思った。 *(グッド)*
さすがにそんな厳しい風雪に耐え試練に鍛えられてきた大人の国際貿易都市の風格が濃厚に漂っているようにも感じた。
夕方戻ったホテルには今日街中で出会った新婚カップルのうちの御一行さん一組も同時に到着したところでした。
彼らにとってはもちろんにぎやかで長~い祝宴の夜になりましたね。*(音符)**(爆弾)*
ドンちゃん騒ぎの合間には景気付けに花火さえドンパチ打ち上げられました。
オデッサで花火大会に出くわすとは夢にも思わなかったゾ。*(ジロ)*
明日はいよいよクリミヤ半島の保養地ヤルタへ向かうのだ。
さあどんなことが待ち受けているんだろう?*(ウインク)*