係官:ヴィ二エッテは?
私:ん~??
係官がフロントウインドウの上の方を指差しながら、
“ほらヴィニエッテだよ。ここに貼ることになっている。
じゃステッカーはもっているのか?“
私:ううん?何のこと言っているの? なんだかよくわからないな~
係官:ここに貼るやつのことだよ ほらヴィニエッテ!
おまえは持っていないのだな。では車をあそこに駐車してこの事務所に来なさい。
アウトバーンA9がスロベニアへ入る所にあるまだオーストリア側出国審査でのことである。
時刻は午後4時をすぎている。
渋滞ができるほどではないが高速道路終点であるこの出国審査所には途切れなく車が入ってくる。
言われたとおりの場所に車を駐めすぐ手前にある小型のトレーラーハウス製のその事務所のドアを開けて入って行った。
たった今不可解なやり取りをした係官がPCの画面を見ながら机に座って待っていた。
指示されたとおりに向かいの椅子に座った。
小柄でやせ型の典型的なゲルマン系風貌の係官だった。
表情をまったく変えず机の反対側からいきなり
“はい罰金120ユーロを払いなさい。”
と言う。
さっきすでに渡してある私のパスポートやら運転免許証そして車の登録証をキーボードの横に開げながら記載されている内容を一項目ずつ口頭で確認しながらキーを打ち込み始めた。
その係官曰く
“あなたはアウトバーン通過許可書=ヴィニエッテ(ステッカー)を貼らずにいまアウトバーンを走行してきたから罰金を払わねばならないのです。”
と。
私:“えっ, そんなことはぜんぜん知らないぞ!
いつからそうなったの? では本当はどうすべきだったのですか?
係官:もう何年も前からそうなっています。
私:はあぁ, そういうことだったのですか...
でも知らなかったな。
いや,でもそんな高い罰金は支払いたくない!!
もし払わなかったら??
係官:未納の場合はあとからさらに高額の罰金が科せられます!
私:いくら?
係官:まず3倍の400ユーロでその後は,え~といくらになったかな?800ユーロぐらいだったかな。
私:でも~この罰金もうすこし安くならないの? ねえ, 半分にまけてよ! 120ユーロなんてあんまりだよ!!”
とゴネねばってみたのですが, 話をしている最中にも長さ30cmはあろうかという罰金文の証書と支払い確認書が机の横のHP製プリンターからチーッチッと打ち出されてきた。
さすがゲルマン系係官である。徴収ごとについては感心するほど手際がよい。
旅はたったきのう始まったばかりである。これ以上旅の気分を害したくなかったので,悔しいけど観念して支払うことにした。
手持ちのユーロ現金はこれからさき不案内な旅先で両替用として使う分でまだ確保しておく必要がある。
この罰金支払いにはクレジットカードですることにした。手元にある3種のクレジットカードうちの私にとっては新顔のマスタークレジットカードだ。
ほんの2週間ほど前にカード会社から届いたばかりである。
別の手帳に書き留めておいたやはり初めて使うピンコードXXXXを打ち込んだ。
最後にグリーンのボタンを押すとコードアクセプトの表示がでて小型の精算機がジッジーガッガービビーッと動き出した。
スーパーマーケットのレジでもらうレシートと較べると一回り幅広で再び長いレシートが打ち出されてきた。
件の係官は手馴れた手つきですでに打ち出されていたもう一方の支払い確認書のほうサインをし今打ち出されたばかりのレシートのオリジナルと初回使用確認済みクレジットカードとともに手渡してくれた。
内訳詳細ではネット100ユーロ+消費税20ユーロ合計:120ユーロとなっていた。
こんな交通違反の罰金にもしっかりと消費税20%がかかるのだ。
今回のこの出費あえてオーストリアのアウトバーン通行料(わずか312KMだった)と考えても高すぎる。
そんなことを考えながらそのカードやレシート類を自分のウエストバッグへ入れているときその係官がアドバイスをくれた。
係官:“だからまた(帰り路に)オーストリアのアウトバーンを通行する時には必ずそのヴィニエッテを買ってフロントウインドウの上の方に貼っておくのだよ。
10日券で7.6ユーロ, 2ヶ月券で21.8ユーロ, 年間有効券で72.8ユーロだったかな。
ほらあそこにみえる事務所でも売っているしそのほかアウトバーンの高速道路脇のガソリンスタンドだったらどこでも購入できるのだから。”
と。
帰り道は仰せのとおりにするつもりである。
しかし今回はまさに“後悔先に立たず”である。
今日ドイツからオーストリアへ入る国境で一度停まってそのヴィニエッテを買ってフロントウインドウに貼って置くべきだったのだ。
そういえばしばらく昔のことになるが誰かからこのヴィニエッテについて話を聞いたことがあった。
その時はなにげなく一聞き手でしかなく“他岸の火事”でしかなかった。
そしてすぐにきれいさっぱりそんなことは忘れてしまった。
その後も少なくとも3回ほどオーストリアのアウトバーンを走行しているがなにも問題にはならなかった。
そう考えてくるとこれまでの付けをいっぺんに払わされたとも言える。
“ツキもこれまで。”だったということか。
そしておしまいにその係官様がひと言社交辞令調で
“ Have a nice day !!”とのたまわれた。
こんな罰金を払わされて本来はうきうきと楽しいはずの旅の気分はとうに消し飛んでしまっていて今日に限って言えばとうてい気分の良い日をすごせる筈はないのである。
うっぷん晴らしの気分もあって返す刀で
“とんでもないぜ。ぜんぜん良い日ではないよ。
その言葉は悔しいけどこっちからあんたに言う方が断然ぴったりする言葉だろ。
そうじゃないかい?
だって私のようなカモをもう何人も捕まえていったい今日はもういくら稼いだ?
まあせいぜいがんばって素人の観光客相手にぼろい稼ぎをしてくれよな!
Have a very very nice day For You!!!”
と言い返してやったら、ニヤニヤしながら対照的に大渋面をぶら下げてたった今事務所に入ってきたばかりの別のお客様(カモ)に向かって手馴れた仕草(手もみはしてなかったが)で事務作業をはじめていた。
うなだれて自分の車に戻ってこれから向かう先の道路地図を眺めながらも時々はそのトレーラーハウス製の事務所の出入り口を見ていた。
やはり私と同じような不運でなしがない観光客がいるのだろうか?
幾人も引っ掛かっているのだろうか ?
そんな気がした。
不運なのは私だけではない様だ。
案の定わずかの間ではあったがその事務所へは硬い表情をした不運な旅人らしき人たちの出入りが“退きも切らず” であった。
悔しいけどこのお役所商売とくに夏期休暇シーズンは大繁盛まちがいなしですね。
ダッシュボードの時計を見たら午後4時過ぎだった。
雨雲の狭間をとおして射す薄明るい日差しはまだまだ高みにあるようだ。
気を取り直して車をスタートさせ数百メートル先にあるスロベニアの入国ゲートへ向かった。
対照的にここのスピールフェルド(スロベニア側センティル)国境のスロベニア側入国審査はまったく問題なしで通過した。
入国審査ゲートを出た所で待ち受けていたライトグリーン制服姿のキャンペーンガル?らしき2~3人のうちのうら若き女性から“WIND ROUTE”というタイトルの観光ガイド風のパンフレット(小地図タイプ)をいただいた。
そのガイドに依ればその“WIND ROUTE”の他に5種類の異なる観光ルートがあると唄っている。
ちょうど日本人観光客ご用達として特に有名なあの南ドイツにあるロマンティック街道のスロベニア版ルートもあるらしい。
小さな国であるスロベニアにとっては単なるその先のクロアチアを含む旧ユーゴスラビアの諸国への単なる通過ではなくぜひとも自国へ北からやってくる観光客を取り込みたい意図があるのだろう。
そうここからはもう南スラブ圏に入るのだ。
バルカン半島への入り口である。
今走ってきたばかりのオーストリア・アウトバーンA9からはさらにスロべニアへ入ってもアウトバーンが続いている。
ここからは国境からわずか30キロ足らず先にある町マリボウーへ向かう。
イタリー国境近く北アドリア沿岸にある歴史ある町コーパーまで伸びるアウトバーンA1にのり南下する。
マリボウーの街中へ入るまでは今まで走ってきたオーストリア側の風景とさほど違わない。
街中はやや下町調の感じはするがほぼオーストリアの街並みと同じような景観である。
街へ入るまではそれでもやや視界が開けた感じのする背の低い山峡アウトバーン路を走る。
ただしトンネルはもう一つもない。雨も一休みである。
今日これから走る予定のクロアチアのザグレブそしてセルビアのベオグラードへ向かうルートはここマリボウーの郊外でアウトバーンA1と別れドナウ川の支流ドラヴァ川に沿って南下する国道1号線を利用する。
次の国境の村マセリでクロアチアへ入ってからはアウトバーンA2でザグレブへ南下し続ける。
そこザグレブの街へ入っていく辺りからからはやはりもうひとつのドナウ川の支流サヴァ川に沿ってセルビアのベオグラードまでアウトバーンA3を走る。
ちなみにドラヴァ川は遥か北イタリアのアルプスの山麓チロル地方に源がありオーストリアの山峡を流れスロベニアをうるおし歴史ある町バラディンの北西からクロアチアへ入りハンガリーとの国境沿いをゆったりと流れ東スラヴォニア地方の町オシエクでドナウ川へ合流する。
一方サヴァ川はスロベニアの北西アルプスが源でクロアチアとボスニア・ヘルツゴヴィナの国境地帯を流れセルビアへ入りベオグラードでドナウ川へ合流する。
ドナウ川はルーマニアとブルガリアの国境を伝いに流れながい旅を終え北ルーマニアとモルドバとウクライナに広がるドナウデルタ地帯から黒海に注ぐ。
ドラヴァ川とサヴァ川にはさまれたこの辺り一帯はいわゆるハンガリーやトランシルバニア(ルーマニア)へも広がるパンノニア平原と呼ばれている地域の一部である。
このパンノニア平原あるいはパンノニア盆地とも言われる地域は太古500~200万年前に広がっていたパンノニア海が干上がってできたのだそうだ。
ほぼ現在のオーストリアアルプス山脈(イタリー・オーストリア・スロベニア),カルパチア山脈(ポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー)、トランシルバニア山脈(ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア),バルカン山脈(ブルガリア)そしてディナール・アルプス山脈(クロアチア・ボスニア・ヘルツゴヴィナ・セルビア・モンテネグロ・アルバニア・ギリシャ北西部)に囲まれた広大な地域である。
まるで太古の海の底を這って進んでいるようなものである。
やはり土壌に含まれる塩分が多いそうだ。
いつもハンガリー国内に入って自分の携帯電話の画面を見るとなるほど中継局の名前である“パンノニア”の文字が画面に現われる。
この名前のひびきがいかにも大昔っぽく大陸っぽいとおもう。
たしかにこのあたりの地形はゆるやかな丘陵やひまわり畑やとうもろこし畑が多く東ヨーロッパ的スケールの肥沃で広大なしかしドライブするにはいささか退屈させられるような景色の平原が広がっている。
実はわずか500年前である15世紀ごろまではこのあたりも緑濃い大木がうっそうと茂る森林地帯であったそうだ。
時の大帝国や強国の覇権のもと通商用帆船や海軍用ガレー船などを建造するために乱伐採された結果まとまった樹木帯が消えうせ現在のような丘陵と平原にそしてその大部分は耕地に成り変わってしまったそうだ。
こういうことは西地中海のはずれにあるスペインのイベリア半島も同じようなことが起きている。
ローマの武将カエサルがガリア遠征したころだから2000年ほどむかしであるがやはりうっそうとした森林が半島じゅうにひろがっていたそうだ。
やはり乱伐採の結果今の様な殺伐とした荒地がひろがるばかりのところになってしまったようだ。
スペインを特に内陸部や南部を旅行された方はそういう景色を見られているはずである。
かつてのマカロニウエスタン映画のロケ地になったぐらいの荒涼とした土地である。
これら内陸地域では特に乾燥しがちな気候であるので手まめに植林等などメインテをしないと簡単に荒地になってしまうのだろう。
そんなパンノニア平原を南北に貫くクロアチアやセルビアのアウトバーンの交通量は西ヨーロッパと較べて半分かそれ以下である。特に大型トレーラーの数が嬉しくなるほど少ない。
アウトバーンが通っている辺りには大きな町はごく少なく退屈な丘陵と平原風景がどこまでも続く。
雨足で霞んだ遠景にときおり教会(たぶんカソリック教会だろうか)の黒い尖塔がわずかにシルエットのようにアクセントをつけるぐらいである。
そんな所をひたすら南下していくのだ。
また雨脚が激しくなってきて路上の水溜りにハンドルを取られやすくなってきた。
もう薄暗くなってきたしそろそろ今晩の宿を探さねばならない時刻になっていた。
腹も空いてきたし...