ずっと放置してしまってすみません。
書こう書こうと思いつつ、言葉が浮かばず、気がつけば2月になってました。
ハッピーが亡くなってから、今日で四十九日。
少しペットロス状態だったのかもしれません。
ホント、何から書けばいいんだろ・・・
暗い内容になりますが、すみません。
ハッピーが亡くなったことを知った、親しい近所の人たちも
ハッピーのお墓で手をあわせてくれました。
ハッピーは、とにかく何にでも吠える犬だったので
うちばかりでなく、近所でも番犬のような感じで、
『ハッピーちゃんが吠えてくれるから、うちも安心感があったけど、
これからはそうもいかないわねぇ・・・
元気になってくれること祈ってたけど、残念だったねぇ』
そして、近所の方も、親戚も、家族も
『ハッピーは幸せだったよ。あんなに介護してもらって。
(私のことを)よく頑張って介護したね』
と言いました。
その言葉を聞くたびに、心が重くなりました。
本当にそうかな?
ネットで観る飼い主さんは、私よりもっと一生懸命介護してる人ばかりだった。
私はもっとできることがあったんじゃないのか。
もっと、思慮深かったら、最初から転院した病院に行っていれば
早期発見でハッピーは助かったはず。
動物を飼うということに関して、もっと知識をもっていれば、
ハッピーは癌にならなかったんじゃないか、
もっと長生きして、病気なんかじゃなく老衰で、
穏やかに眠るように往生できたんじゃないか。
そうしたら、ハッピーは自分の命がなぜ終わるのか、きちんと知って天国に行くことができたんだよね。
自分の体がどうしてこうなってしまったのかわからず、
何とか動こうとして一生懸命前足をばたつかせていた。
ハッピーのほうに目をやると、何度もそういうことがありました。
混乱してたと思うし、私が手を出すと、
脊椎の神経に触れて痛かったのもあって苛立ったのか、牙をむいたことも。
マッサージしているとウトウトしてて眠り落ちそうになるたびに、バッと起きてたハッピー。
多分、そのまま死んでしまうのが怖かったのかもしれない。
私自身がしっかりしていれば、そんな思いをさせずにすんだんだよね・・・
また、父と私とでは、ペットの末期については、考え方が全然違ってたので
ほぼ毎日、怒鳴りあいのような喧嘩もしていました。
最後の最後まで面倒を見て、できるだけ楽に息を引き取らせたい、
まだ食べることができる間は動物病院に行く、という私と、
動物は治らない病気になったら自然に死なせてやれ、動物病院に行くのは無駄な延命治療だ、
という父とでは平行線のまんま。
同じ飼い主が怒鳴りあっているのを聞いて、ハッピーはどんな気持ちだったのか。
そんなことが次々と浮かんでは消え、浮かんでは消え、
キリキリとした胃の痛みに寝付けなかったり、痛くて明け方に目が覚めたり。
同じペットを亡くした友人からは『手紙書くと、少しは落ち着くよ』と聞いて
実行したけど、あんまり効果はありませんでした。
そんな時、『虹の橋』という詩を知り、救われた思いをしました。
その後の別の作者の『雨降り地区』という詩を知って、前向きになるはずなのに、
私にとっては、逆に、悲しみを無理に押し込めるようで、少し負担に感じたのは
ハッピーが亡くなって、3週間経った頃。
母と一緒に買い物に行ったホームセンターでのこと。
その中にあるペットショップに行こうと母が言い出し、ついていきました。
チワワやプードル、柴犬などの小さな子犬達は、可愛くて見ていてほほえましく
その中に、ゴールデンの子犬がいました。
ハッピーも、家に来たとき、あれくらいの大きさだったっけ・・・
そうしたら、次々とハッピーの小さかった時のことを思い出して
涙がボロボロ落ちてきました。
『こんな大勢の人達がいる中で恥ずかしー』と思っても止まらず。
(多分、観てる人なんていないだろうけど)
あー、やっぱりまだ立ち直れないんだなぁ・・・
そうだよね、まだ1ヶ月も経ってない。
飼い主が泣くと、亡くなった犬も悲しんでる、っていうけど
私にはまだ泣くのをやめるのは無理だわ、
泣きたいときには泣くのが一番だし、頑張るのも無理。
それから、少し楽になって、胃の痛みも治まりました。
最近、
『もっと一緒にいて、もっと介護したかったけど、私もハッピーもあれが限界だった』
そう思うようになりました。
今でも、浮き沈みが激しい日があったりしますが、前に進めてるかなと思います。
そういえば。
ハッピーは、ゴールデンレトリバーでしたが、純血種ではなかったので
(父犬がゴールデンではない)
体もそんなに大きくなく、性格も見た目もゴールデンらしくなかったのですが
小さかった頃は、見た目がゴールデンだったんだー、って
写真を観て気づきました(苦笑)
3歳くらいの頃です。
ずっと一緒にいるとわからないことってありますよね。
ハッピーは、父犬似だったのかな。
書こう書こうと思いつつ、言葉が浮かばず、気がつけば2月になってました。
ハッピーが亡くなってから、今日で四十九日。
少しペットロス状態だったのかもしれません。
ホント、何から書けばいいんだろ・・・
暗い内容になりますが、すみません。
ハッピーが亡くなったことを知った、親しい近所の人たちも
ハッピーのお墓で手をあわせてくれました。
ハッピーは、とにかく何にでも吠える犬だったので
うちばかりでなく、近所でも番犬のような感じで、
『ハッピーちゃんが吠えてくれるから、うちも安心感があったけど、
これからはそうもいかないわねぇ・・・
元気になってくれること祈ってたけど、残念だったねぇ』
そして、近所の方も、親戚も、家族も
『ハッピーは幸せだったよ。あんなに介護してもらって。
(私のことを)よく頑張って介護したね』
と言いました。
その言葉を聞くたびに、心が重くなりました。
本当にそうかな?
ネットで観る飼い主さんは、私よりもっと一生懸命介護してる人ばかりだった。
私はもっとできることがあったんじゃないのか。
もっと、思慮深かったら、最初から転院した病院に行っていれば
早期発見でハッピーは助かったはず。
動物を飼うということに関して、もっと知識をもっていれば、
ハッピーは癌にならなかったんじゃないか、
もっと長生きして、病気なんかじゃなく老衰で、
穏やかに眠るように往生できたんじゃないか。
そうしたら、ハッピーは自分の命がなぜ終わるのか、きちんと知って天国に行くことができたんだよね。
自分の体がどうしてこうなってしまったのかわからず、
何とか動こうとして一生懸命前足をばたつかせていた。
ハッピーのほうに目をやると、何度もそういうことがありました。
混乱してたと思うし、私が手を出すと、
脊椎の神経に触れて痛かったのもあって苛立ったのか、牙をむいたことも。
マッサージしているとウトウトしてて眠り落ちそうになるたびに、バッと起きてたハッピー。
多分、そのまま死んでしまうのが怖かったのかもしれない。
私自身がしっかりしていれば、そんな思いをさせずにすんだんだよね・・・
また、父と私とでは、ペットの末期については、考え方が全然違ってたので
ほぼ毎日、怒鳴りあいのような喧嘩もしていました。
最後の最後まで面倒を見て、できるだけ楽に息を引き取らせたい、
まだ食べることができる間は動物病院に行く、という私と、
動物は治らない病気になったら自然に死なせてやれ、動物病院に行くのは無駄な延命治療だ、
という父とでは平行線のまんま。
同じ飼い主が怒鳴りあっているのを聞いて、ハッピーはどんな気持ちだったのか。
そんなことが次々と浮かんでは消え、浮かんでは消え、
キリキリとした胃の痛みに寝付けなかったり、痛くて明け方に目が覚めたり。
同じペットを亡くした友人からは『手紙書くと、少しは落ち着くよ』と聞いて
実行したけど、あんまり効果はありませんでした。
そんな時、『虹の橋』という詩を知り、救われた思いをしました。
その後の別の作者の『雨降り地区』という詩を知って、前向きになるはずなのに、
私にとっては、逆に、悲しみを無理に押し込めるようで、少し負担に感じたのは
ハッピーが亡くなって、3週間経った頃。
母と一緒に買い物に行ったホームセンターでのこと。
その中にあるペットショップに行こうと母が言い出し、ついていきました。
チワワやプードル、柴犬などの小さな子犬達は、可愛くて見ていてほほえましく
その中に、ゴールデンの子犬がいました。
ハッピーも、家に来たとき、あれくらいの大きさだったっけ・・・
そうしたら、次々とハッピーの小さかった時のことを思い出して
涙がボロボロ落ちてきました。
『こんな大勢の人達がいる中で恥ずかしー』と思っても止まらず。
(多分、観てる人なんていないだろうけど)
あー、やっぱりまだ立ち直れないんだなぁ・・・
そうだよね、まだ1ヶ月も経ってない。
飼い主が泣くと、亡くなった犬も悲しんでる、っていうけど
私にはまだ泣くのをやめるのは無理だわ、
泣きたいときには泣くのが一番だし、頑張るのも無理。
それから、少し楽になって、胃の痛みも治まりました。
最近、
『もっと一緒にいて、もっと介護したかったけど、私もハッピーもあれが限界だった』
そう思うようになりました。
今でも、浮き沈みが激しい日があったりしますが、前に進めてるかなと思います。
そういえば。
ハッピーは、ゴールデンレトリバーでしたが、純血種ではなかったので
(父犬がゴールデンではない)
体もそんなに大きくなく、性格も見た目もゴールデンらしくなかったのですが
小さかった頃は、見た目がゴールデンだったんだー、って
写真を観て気づきました(苦笑)
3歳くらいの頃です。
ずっと一緒にいるとわからないことってありますよね。
ハッピーは、父犬似だったのかな。