
3月27日、久しぶりに名古屋城へ行きました。
1000本の桜があるとか。
お堀に枝を伸ばした、樹齢
100年以上の古木は
神々しささえ感じる佇まい。
幹は、亀甲模様のように
生地が立体的で
圧倒させられる。
3Dのスケールのお花見に
心は
ただただ
無心にかえる
日本人が
花見が好きなのは
心が洗われる気がするから?

今朝は、糸井さんの記事を見つけました。
そうだったのか。病気療養していたんだね。
朝から号泣です。
以下、ほぼ日の記事引用です。
3月21日午後3時16分、うちの犬が亡くなりました。
病院に向かう途中の桜並木に、
雪が降りかかるというなんともめずらしい春分の日に、
家人の腕のなかで眠りながら旅立ちました。
昨年の初秋のころから、皮膚に病変がでて、
その治療をしておりました。
疑われた細菌でもカビでもなく、わかってきたのが、
原因の特定困難な多形紅斑ということで、
さまざまな治療を試みてきましたが、
今年になって悪化して病院通いが続いていました。
症状や対応については省略します。
すべて、病院も、ぼくら家族も、
ひとつひとつ納得して進んだ一歩ずつです。
ひと月ほど前、症状が悪化し内臓に影響がでてきたため
入院ということになりました。
生きるのに医療の助けの要る状態になりました。
流動食を鼻から胃へ通したパイプで送りこむことが、
常態になってきましたが、それよりも、
薬と水分を入れている点滴が外せるようにならないかぎり、
退院するのはむつかしいという状況でした。
皮膚が治る見込み、元気がもどる見込みはなくはない。
面会と、医師との面談を毎日続けていました。
運の強いコなんだと信じてはいましたが、
容態は快方から離れているようにも感じられていました。
半日間の帰宅が試みられ、とてもうれしかった日曜日。
次は休日の21日だという予定でしたが、無理になりました。
激しく病状は悪化して輸血も必要になりました。
肺の機能も危うくなって酸素を濃くした小箱に入りました。
この病気の情報の「重篤な場合」で読んでいたことです。
咲いた桜に雪が降りかかるという休日に、
うちの犬は、点滴のパイプから送られた麻酔で眠り、
家人の胸に抱かれながら心臓を止めました。
ずっといいこだったけれど、このときもいいこでした。
みんなにもかわいがってもらって、ありがとうございました。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
治ったら見せようと思ってて、報告してなくてごめんね。
(2018年3月22日の今日のダーリンより)
石牟礼道子 作
中公文庫 刊
石牟礼さんの本を、もう一冊買った。
苦海浄土と、交互に読み進もうかと。
石牟礼さんの父上が、素敵な人で、ああなるほどと思わせる。
このエッセーを、読んで
石牟礼道子さんが、まっすぐな人に育った訳がわかる気がした。
何か、正論を吐かねばならないようなとき、居ずまいを正して
こう言う名乗りを揚げるのである。
「ようござりやすか。
儂ゃあ、天領、天領天草の、ただの水呑み百姓の倅、位も肩書もなか、
ただの水呑み百姓の倅で、
白石亀太郎という男でござりやす。」
死なれて、二十年近くなるが、改めて感嘆するのは、私の祖母、すなわち、
父には姑にあたる人への、心づくしである。
この祖母は母の親なのだが、母が十歳の時分に盲目となって発狂した。
私が物心ついたときは、町中を彷徨する哀れな姿だった。町や村の厄介者
、いわんや考えようでは、家の荷物であったろうに、父がこの祖母に対する物腰、
言葉遣いは、もっとも畏敬する人に接するようにもの優しく、丁重
本性を失った祖母は娘の婿に、少し遠慮したような慇懃さで、応じていた。
人並みを越えた剛直さと、愛する者には笑みくずれてしまうような、
情の厚い父だったが、この人はまた何でも創意工夫して実践する人でもあった。
続きは是非とも本を読んでください。
素敵すぎる父上に、ほとんど心を揺すぶられる奪われそう。
石牟礼さんも、父譲りの優しさで包み込む人だったから
水俣病の悲惨な家々に、心から溶け込み、素晴らしい作品を残し
世の中に投げ掛けたのでしょう。
人生の楽しみができました。
石牟礼さんの作品を読破しようと。