プロジェクトX
トモエ学園を作った
小林宗作さんの物語。
大正10年、東京音楽大学を
卒業して、教師になった。
小林宗作 28才
その頃の教育は、一斉教授
模倣(図工は、見本通り書く、作文も、人の書いた文を書き写す)
音楽は、二宮金次郎の歌を教えるなど、道徳の押し付け。
小林は教育に限界を感じて30歳で教師を辞めて当てもなくヨーロッパへ。
旅の途中で、新渡戸稲造氏に出会い相談すると、パリのダルクローズ先生の学校を紹介された。
そこでは、こどものリズムを大切に、こどもの好奇心を大切にするリトミックが行われていた。
小林は一年間、ダルクローズ先生に学んだ。
昭和12年4月
トモエ学園を開校した。
こどもたちのわくわくを大切にするため、教室を電車の車両にした。
「どんなこどもも、素晴らしい
才能を持っている」
この信念は、揺らぐことはなかった。
トモエ学園は
障害のある子
差別をうけている子
他の学校では受け入れられない子も、受け入れた。
黒柳徹子さんは、落ち着きがなく、扱いにくいからと、普通の学校を小学一年で、退学になった。トモエ学園に、行くと
「お母さんは、お帰りください。さあ、なんでもいいから
話してごらん。ん、ん、それから?」と、いっぱい話を聞いてくれた。四時間も、話していた。黒柳徹子は、小林先生は
なんて、良い人なんだろうと感じた。
いつも、「君は、本当はよいこなんだよ」と言ってくれた。
教師10人。全校生徒40人。
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好奇心を引き出す工夫
なんでも相談できて甘えられる
算数の授業で駅前の自販機で、
一人一人10個入りのキャラメルを買い与えた。こどもたちは、キャラメルを大切に食べながら
引き算を覚えた。
社会では、赤穂浪士を学び
泉岳寺へ、行った。
こどもたちは、赤穂浪士に詳しくなった。
生活の全てが、まなびの
材料になった。
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やがて、戦争に、突入し、トモエ学園は、疎開した。
富国強兵で、教育にも、
圧力がかかった。
昭和20年、爆撃でトモエ学園は
なくなった。
小林は、戦後は、教育者を育てた。
教育は二十年後の未来を見て
やるものだと。
こどもの可能性を信じることが大切だ。
小林の信念が揺らぐことはなかった。
素晴らしいなあ。