「ツイているね」。逝去した画家の安野光雅さんが本紙に連載した「日本のふるさと奈良」
「洛中洛外」の担当として奈良と京都のスケッチ旅行に同行した際、安野さんがいつも笑顔で
口にした言葉が心に残っている。
納得いく風景に出合うまでくまなく歩いた。不思議と安野さんが足を運ぶと、雲の間から
太陽が現れ、立ち入り禁止も許可され、作品のような優しく温かみある珠玉の時間を味わった。
肺がんを告知されたが、「絵を描いているだけで幸せ」と生涯現役で描き続けるうちに克服した。
島根県津和野町から上京、小学校教師から国際アンデルセン賞や文化功労者などを受賞する
「国民的画家」となり老若男女から親しまれたのは、ポジティブ思考があったからだろう。
陰日なたなく誠実に努力を重ねれば、運気が上がり、幸運が舞い込むこともあることを学んだ。
平成20年、「司馬遼太郎記念学術講演会」で講師を務められた縁で、「遷都1300年の
奈良を描いてほしい」と依頼すると、「司馬さんの後輩だから」と21年に週一の連載が始まった。
安野さんの絵に添える文を毎週、書くのは荷が重く、よく叱られた。
なんとか連載を完走すると、「また一緒に日本の良さを描こう」と月一で「洛中洛外」の
連載を続け、英国赴任する27年まで父親のように薫陶を受けた。
煌(きら)びやかな名所、旧跡より路地裏に咲く野花、何げなく通った情景を好んだ。
だが、本当に描いたのは「心の風景」。ユーモアある精神の豊かさだ。
「奈良の山は原風景。明日香村は、新しさがないところがいい」。奈良では何枚も描けた。
中宮寺の菩薩半跏(ぼさつはんか)像は、「漆黒の肌だから価値がある。
わびさびた古(いにしえ)の日本のよさがここにある」と心を奪われた。
奈良作品の多くを上皇后美智子さまに贈呈した。
「旅の絵本」などで世界を歩いたが、黄昏(たそがれ)た「イギリスの田舎」
が最も好きだった。恩返しにお気に入りのコッツウォルズを再訪していただこうと
、一昨年夏、対外発信拠点「ジャパン・ハウス ロンドン」で特別展を企画したが、
開催直前、「行けなくなった」と電話があり、叶(かな)わなかった。
コロナ禍で閉塞(へいそく)感が続くが、安野さんの言葉を思い出し、
前を向いて生きていきたい。