聖なる国 日本

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不思議な【塩釜】と東北の神々

2023-09-16 | パワースポット

【御釜神社】⛩️

宮城県塩釜市本町6-1

陸奥国一宮『塩釜神社』の境外にある末社。

御祭神 塩つちの神

比較的小さな神社だが、とても由緒のある神社だ。

境内には4基の塩釜があり、「塩釜」と言う地名の由来にもなっている。

【四基の塩釜】

神世の代、塩土の神が製塩に使用したとも言われる。

日照りで枯れる事なく、
大雨で溢れる事もない、

海まで繋がっているとも言われている
不思議な井戸だ。

変事の前には水の色が変わると言う言い伝えがあり、

かつては

井戸の水の色に異変があった時は藩主に報告されていた。

実際、

東日本大震災の時は普段は褐色だった井戸水が、4基とも澄んだ透明な水になっていたという、、😳



【鹽竈神社】 陸奥一の宮⛩️

宮城県塩釜市一森1-1

宮城県の塩釜神社は、東北の歴史を代表する神社だ。

(鹽竈=しおがま)


ご祭神『塩つちの神』

塩土老翁とも言い、製塩と海流の神様🌊

塩土老翁は、日本神話では海彦と山彦の戦いに登場する。


借りた釣針を無くしてしまった山彦を龍宮に連れていき、海神族を味方に勝利に導いた神様であり、

導きに御利益があると言う海の神。


△▼△▼△▼△▼△

山彦は海神族の豊玉姫と結ばれ、
ウガヤフキアエズ王子が生まれ、

王子は豊玉姫の妹の『玉依姫』と結ばれて初代・神武天皇が誕生する。

神武天皇は長じて東へ進撃し大和王朝を開き、

時代とともに関東をも支配下にし、

関東の拠点、鹿嶋神宮と香取神宮には


⛩️タケミカヅチ ⛩️経津主命主が、国土平定の神として祭られた。

大和政権は関東から福島、宮城県へと東日本を北上していき、

先住部族の蝦夷族を更に東北へ追いやった。

宮城県の多賀城を上陸拠点とし、

この時も、⛩️タケミカヅチ ⛩️経津主命主を塩土の神が海流に乗り導いたという。

(実際はその神々を始祖として祭る尖兵となる部族だったと思います🤔)

そして、東北を平定した両神は関東に凱旋した。

8世紀頃に多賀城に国府が置かれ『北の都』として栄えた。

蝦夷勢と堺を接していた為、多賀城の国府の北東5㌔(=鬼門の方向)にあった⛩️【塩釜神社】は、
鬼門の守り神になっていた様だ。

平安〜武家の時代まで、奥州藤原氏や奥州伊達家など崇敬は篤く、

伊達家は守り神として、本殿の塩土老翁とは別に、

国土平定の神=武甕槌神、経津主命の両神を塩釜神社に祭った。

『伊達政宗』

新たに正面の東宮・西宮に武甕槌神、経津主命の両神が伊達氏によって建立されると、

元々あった、『塩土の神』の本殿は正面右に移され別宮として祭られた。

不思議な空間配置になっている神社だ。

伊達政宗以降は、伊達藩主が塩釜神社の大神主を兼務していた。

大名が祭る神社はあれど、大神主となっていた神社は全国で唯一かもしれない🤔塩釜は重要だった様だ、



【志波彦神社】

塩釜神社の境内にある神社。

志波彦の神は、古事記などの古典には一切登場しない不思議な神様。

シナツ彦と言う風神と呼び名は似ているが、

シワ=端、という意味で最北端を祭った神様だったらしい。

東北の国津神名のだろうか?🤔

由緒は古いが、塩釜神社の摂社として社殿が建立されたのは明治になってから、

明治天皇による。


神世の代の塩土老翁に始まり

蝦夷と大和の時代から、

戦国の伊達政宗公、

明治天皇まで、

塩釜には、東北の歴史が重層的に重なり大切に残されていた。⛩️


✨✨✨✨✨✨

最後まで、御覧頂きありがとうございました🙏



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