私は現在の住居に引っ越して15年になります。20年ほど前に開発されたニュータウンで、現在は約1000世帯の街になっており、若い人も多く住んでいます。子供たちが元気で遊ぶ声が溢れる活気ある街で、とても気に入っています。
<アジサイ・額咲き>
ただ一つ不思議なのは、大人も子供も、挨拶ができない人が多い事です。私は毎朝ゴミを捨てに行きますが、よくご近所の方とゴミステーションで遭遇します。私はいつも「おはようございます」と声をかけるようにしています。
<アジサイ・手毬咲き>
その時の相手の方の反応も様々ですが、一番多いのが声をかけても無視して立ち去る人です。次に多いのが私の顔も見ずに、小さな声でボソボソと挨拶を返す人です。もちろん、笑顔で挨拶を返される方もいますが少数派です。ごく稀に先方から先に挨拶をされる方もいます。
<アジサイ・穂咲き>
同様にご近所を散歩していて、出会った人同士で挨拶を交わす光景もあまり見られません。知り合い以外には挨拶が面倒なのでしょうか。挨拶がおろそかになっても、さしあたって損をすることはありません。だからついつい挨拶しなくなってしまうのかもしれません。
<ミカワチドリ(三河千鳥) ガクアジサイ系>
このように私が挨拶をしてもレスポンスがないと、正直ガッカリしてしまいます。何か自分に問題があって、挨拶が返ってこないのかと不安になったりもします。逆に明るく挨拶を返されると、とても気持ちが爽やかになり、一日を気分よくスタートできます。
<ナデシコガクアジサイ(撫子顎紫陽花)ガクアジサイ系>
ただ単に挨拶が面倒くさいからなのか、あるいはコロナ禍で内向きの世の中になり、人と人とのコミュニケーション形態が変わってしまったのか、また、犯罪の増加等で、知らない人には警戒をして挨拶できないのか、それとも、私の住む街の特異な現象なのか、私にはよくわかりません。
<テマリテマリ(手鞠手鞠) 西洋アジサイ系>
挨拶はする人もされる人も気持ちが良くなる、子供たちの公共心や社会性、コミュニケーション能力を育む、企業や組織で風通しのよい風土を醸成する、また、日頃の挨拶で街全体の人間関係が豊かになり、街の安心、安全につながるという効果もあるといわれています。
<アナベル アメリカ産アジサイ自生種>
「人に会ったら、あいさつをする」これは子供の頃から教えられた常識です。しかし、現実は大人がしっかり挨拶ができていないようです。私が以前住んでいた街のような、挨拶が溢れる活気ある街になれることを願いながら、私は今後も挨拶を続けていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
<アジサイ・額咲き>
ただ一つ不思議なのは、大人も子供も、挨拶ができない人が多い事です。私は毎朝ゴミを捨てに行きますが、よくご近所の方とゴミステーションで遭遇します。私はいつも「おはようございます」と声をかけるようにしています。
<アジサイ・手毬咲き>
その時の相手の方の反応も様々ですが、一番多いのが声をかけても無視して立ち去る人です。次に多いのが私の顔も見ずに、小さな声でボソボソと挨拶を返す人です。もちろん、笑顔で挨拶を返される方もいますが少数派です。ごく稀に先方から先に挨拶をされる方もいます。
<アジサイ・穂咲き>
同様にご近所を散歩していて、出会った人同士で挨拶を交わす光景もあまり見られません。知り合い以外には挨拶が面倒なのでしょうか。挨拶がおろそかになっても、さしあたって損をすることはありません。だからついつい挨拶しなくなってしまうのかもしれません。
<ミカワチドリ(三河千鳥) ガクアジサイ系>
このように私が挨拶をしてもレスポンスがないと、正直ガッカリしてしまいます。何か自分に問題があって、挨拶が返ってこないのかと不安になったりもします。逆に明るく挨拶を返されると、とても気持ちが爽やかになり、一日を気分よくスタートできます。
<ナデシコガクアジサイ(撫子顎紫陽花)ガクアジサイ系>
ただ単に挨拶が面倒くさいからなのか、あるいはコロナ禍で内向きの世の中になり、人と人とのコミュニケーション形態が変わってしまったのか、また、犯罪の増加等で、知らない人には警戒をして挨拶できないのか、それとも、私の住む街の特異な現象なのか、私にはよくわかりません。
<テマリテマリ(手鞠手鞠) 西洋アジサイ系>
挨拶はする人もされる人も気持ちが良くなる、子供たちの公共心や社会性、コミュニケーション能力を育む、企業や組織で風通しのよい風土を醸成する、また、日頃の挨拶で街全体の人間関係が豊かになり、街の安心、安全につながるという効果もあるといわれています。
<アナベル アメリカ産アジサイ自生種>
「人に会ったら、あいさつをする」これは子供の頃から教えられた常識です。しかし、現実は大人がしっかり挨拶ができていないようです。私が以前住んでいた街のような、挨拶が溢れる活気ある街になれることを願いながら、私は今後も挨拶を続けていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日のアジサイはどれも素敵ですね。
撫子ガクアジサイ 三河チドリ テマリテマリ どれも名まえと花の表情が合っていて綺麗と思います。
挨拶のできない方 大人に多いですよね。
当然そのお子さんたちも挨拶はしないように思われます。
私は息子たちには小学校に上がるころから挨拶をするように躾けてきました。
勿論私も挨拶は欠かさずです。
特に去年亡くなった長男は挨拶上手でしたのでご近所さんにも障害を持っているにも関わらず可愛がられていました。
挨拶は人の心を和ませる魔法の言葉ですからずーっと続けたいです。
コメントありがとうございます。
今日のブログでは具体的に触れませんでしたが、私の住む街では子供も挨拶ができ
ない子が多いようです。やはり親を見て子供は育つからでしょうね。バカな親を持
つ子供が気の毒でなりません。(笑)
いつも私のブログに訪問下さりありがとうございます。
コメントありがとうございます。
アジサイの写真、お褒め頂きありがとうございます。とても嬉しいです。(^.^)
「子供は親の鏡」という言葉がありますが、まさにその通りですね。子供に対する
親のしつけが反映するから、その子を見ればどんな親か想像できますね。そんな
親を持つ子供たちが可哀そうです。
私のテニス仲間の長男(50歳)が障害をもっておられますが、ときどきテニスコー
トに遊びに来られます。とても挨拶がしっかりできており、テニス仲間の間では人
気者です。hanahanaさんのご長男の話を聞き、このことを思い出しました。(^.^)
梅雨の時期に撮影した紫陽花だから 素敵なのでしょうね!(^^)!
色も花姿もとっても素敵です♪
挨拶しても損はないのにね!
こちらの地域もコロナ前は小中学生は全く知らない子も 挨拶してくれました
とてもフレンドリーな子供たちばかりでしたが
コロナ騒動があってから そういえば挨拶しない子が増えましたね
ゴミステーションで出会う方は そこの住人と分かりますから
知らない方にもあいさつしますが・・・・
下を向いたまま小声で挨拶をかえす方もそういえばいますね
言えることは 親が挨拶しないタイプだと
子供もしませんね
笑えたのは 挨拶しない親が自分の子供に「挨拶しなさい」と言うのです
親がやらないことを子供にしなさいというその気持ち???
その子供の将来が心配になります
学校にあがる前の頃は元気に挨拶してくれていた子供たちが
なぜか学校に行きだすと・・・おとなしくなる??
最近の傾向なのかなと不思議に思っています
もちろん挨拶は生活の潤滑油のようなもの
これからも 明るくさわやかに挨拶はしていきます
!(^^)!
再度のコメントありがとうございます。
子供のマスクは以前から問題が指摘されており、最近は子供のマスク姿も少なくな
りました。子供自身がマスクをどうするかを判断できないので、マスクをどうする
かは、親の責任だと思いますね。
信じられないでしょうが、以前はマスクを着用してテニスをする人もいました。私
がいつもテニスをする運動公園では、最近、散歩やランニング、サイクリングやス
ポーツをする人のほとんどがマスクを外すようになりました。
いつも私のブログに訪問下さりありがとうございます。
コメントありがとうございます。
アジサイの写真、お褒め頂きありがとうございます。とても嬉しいです。(^.^)
確かに、私が以前住んでいた横浜では、知らない子供たちも街で出会うと、元気に
挨拶をしてくれた記憶があります。やはりコロナ禍が影響しているのでしょうかね。
私の住む街はコロナ禍だけでなく、親が挨拶できないことの方が原因のような気が
します。
ある調査によると、挨拶をしない割合は全年代で35%らしいです。年代別では挨拶
ができる人の割合は30代が最も多く68.5%、一方で挨拶をしない割合は10代、50代
が最も多く40%のようです。これを見ると挨拶のできない50代の親の子供は10代が
多く、この年代も親に似て挨拶できない人の割合が多いのも頷けますね。(笑)
子供たちが元気に挨拶できるようにするのは、社会や家庭で大人がしっかり挨拶を
実践するのが絶対条件ですね。自分たちが挨拶できないのに、子供に「挨拶しなさ
い」と言っても彼らは聴くはずがありません。
いつも私のブログに訪問下さりありがとうございます。
素敵な紫陽花が沢山並びましたね。
今日はアジサイのお話ではなく挨拶のお話でしたね。
こちらでは小学生は学校の帰りなどちゃんと挨拶してくれますよ。
可愛いなぁと立ち話したりもします。
ポムの散歩をしている時もこちらから声をかけるとちゃんと返してくれます。
たまには無反応も・・・それは只耳の聞こえが良くない高齢の方(笑)
やっぱりすれ違う時など挨拶したら気分はいいですよね。
段々 煩わしさを感じる人が増えて来ているのでしょうか。
コメントありがとうございます。
わが街の子供たちは道で出会っても挨拶してくれる子はいません。また、車で
徐行しながら通ろうとしても、道路で遊び続けて動こうとはしません。プッと
軽くクラクションを鳴らすと、舌を出してノロノロと移動します。ぜんぜん可
愛くありません。(笑)
でも、ピエロさんの話を聞くと、子供たちは私の人相を見て、悪い人でないか
と警戒しているのかもしれませんね。また、挨拶をしても無視していく大人た
ちはきっと、耳が遠いお年寄りばかりかもしれません。(^^ゞ
ピエロさんの街では子供たちが挨拶をしてくれるのですね。やはり、地域の環
境や親の躾によっても違いがあり、一律に決めつけるべきではないかもしれま
せんね。
いつも私のブログに訪問いただきありがとうございます。
ミカワチドリ(三河千鳥)
そしてテマリテマリ(手鞠手鞠)の色合いと花びらの美しさに魅了されました。
和名も素敵ですね。
私が畑作業をしてると、学校帰りの小学生が「こんにちは」と大きな声で挨拶してくれます。(私が誰かもあまり知らないのに)
私も大きな声で「おかえりなさ~い」と
気持ちがいいです。
それでも私も、マンションで会う人には、
挨拶しています。
返事をしてくれる人、しない人いますね。
隣のおうちのおばあちゃんとは、お友達感覚で、会うと挨拶と少しのおしゃべりをしたりします。
他愛ないことですが、できるところで、
こうして過ごして行きたいものですね^^
コメントありがとうございます。
ミカワチドエリは私はアジサイの中で最も好きな品種です。アジサイも品種が
多くてよくわかりませんが、これからも新しい品種がどんどん作出されるのが
楽しみです。
学校帰りの小学生が大きな声で挨拶してくれるとは、嬉しいですね。こんな光
景は10年ほど前までは当たり前だったのですが、世の中少しずつ変わってきま
したね。
いつも私のブログに訪問いただきありがとうございます。
コメントありがとうございます。
人と会ったら挨拶する。これは私たちが子供の頃から当たり前のようにしてき
ましたね。でも、最近少し変わってきた様に思います。これは私だけでなく、
多くの大人が感じていることのような気がします。
すべての人がそうでもありませんが、挨拶をしても返事がない人に会うと、次
回から挨拶をする勇気がなくなって、だんだん挨拶が面倒になる。といった悪
循環のような気がします。
逆に、周りが挨拶をする人が多くなる環境ができれば、前者のような人も挨拶
ができ、いい意味での同調圧力が生まれるかもしれません。今まで通り挨拶を
する習慣を続けるしかありませんね。
ninbu さん、こんばんは。
今は アジサイの花が咲き、
うっとうしい梅雨を忘れます。
多くの種類を見られるのは
感動しますね。
「挨拶」、
最近 挨拶をしない人が多いですね。
自分は表を通る人には知らなくても、
挨拶をします。
(挨拶が返ってこなくても)
孫が小さい頃、通りすがりの人に
挨拶して 付いて行きました。
あっ、と思った事もありますが。。
|
おっしゃること本当にその通りだと思います。
私も昔は結構恥ずかしがりで、「ボソボソ挨拶」をしていました。
でも職場で異動があり、新たな部署の人たちがみな大きな声で挨拶されるのに感化され、今では自分も大きな声で挨拶するようになりました。
気持ちいいですよね~挨拶。
町内はというと、自分のブロック(班)の人とは普通に挨拶を交わしますね。
でも最近引っ越してきた人はあいさつ回りもなく、会っても挨拶どころか、顔を背けてしまわれます。
やはりそういうご時世なのか、人によるのでしょうかね~
挨拶する方が気持ちいいのに・・・
ところで、今回は比較的シリアスな話題ですが、間に挟まったアジサイの写真でふわっと全体を読むことができました。
さすがninbuさん、センスが光りますね☆
コメントありがとうございます。
雨にしっとりと濡れるアジサイ、色々な美しい品種があり、とても美しいです。
憂鬱な梅雨時でも本当に癒される花ですね。
私たちの年代は挨拶はごく自然に出てきて、返事があろうがなかろうが、気に
せずに挨拶ができますね。でも、最近は挨拶できない人が増えたような気がし
ます。結局のところ面倒なのでしょうね。
小さな子供に、知らない人に挨拶させるのは別の意味で心配ですね。いずれに
せよ、嫌な世の中になったものです。
いつも私のブログに訪問いただきありがとうございます。
コメントありがとうございます。
「挨拶は人と人とをつなぐコミュニケーションや交流の第一歩」という標語を
どこかで見た覚えがあります。私たちは挨拶をごく自然にして、人との交流を
してきましたね。学校でも職場でも地域社会でもそれが当たり前でした。
最近は地震や水害などの自然災害が多くなっていますが、日頃の挨拶で災害時
にご近所同士の助け合いに繋げるつなげることもできます。また、ご近所同士
の挨拶(声かけ)が盛んになると、空き巣などが減ったという事例もあります。
こんなに良いことずくめなのに、そんな日本の良さが崩れつつあるのはとても
残念です。
なつみかんさんに、今回のテーマの間にアジサイの写真を入れた心をご理解い
ただき、とても嬉しいです。(^.^)
挨拶をしない人が多い、というお話に驚きました。
同じ地域に住んでいるのに、変な話ですね。
この辺はそんなことはありません。
花をいじっていたり、猫といると知らない人も挨拶してくれたり、話しかけたりしてくれます。
挨拶は人間関係の基本です。
親の躾?
親もろくに挨拶しないんじゃ、子供がするはずないですよね。
嘆かわしいことです。
コメントありがとうございます。
私の住む街はニュータウンなので、地元の人よりも他県や他都市から来られた
方が多いコミュニティです。そういう私も神奈川県からの転入組です。また、
年代も30代~50代が多く、夫婦とも都内や県内の職場に通っており、交流が少
ないことも要因の一つかもしれません。
コロナ禍で地域の一斉掃除や夏祭り、秋祭り、餅つき大会といったイベントも
3年休止状態で、住民同士の交流もほとんどありません。自治体の活動もZoom
を使ってリモート会議です。これらも、もう一つの要因かもしれません。
いつも私のブログに訪問いただきありがとうございます。
紫陽花が綺麗ですね~^^
挨拶って・・・生活の「基本」ですよね。。
ネットが普及するとともに、人との直接の関りが希薄になり、
現代社会がそうさせているのか?は分かりませんが・・・
寂しい考え方の人達の多いことです(悲。。。
幸いにこちら(私)の地域では、自転車に乗った外国人の若い女の子達が、
みんな大きな声で挨拶してくれます♪
挨拶って・・・やっぱり大切ですよね。。。
コメントありがとうございます。
紫陽花の写真、お褒めいただきとても嬉しいです。(^.^)
ネット社会の特徴は、バーチャルな人間関係ばかりで、「人との接点が少ない」
「人と話す機会が少ない」などの状況に陥りがちです。
人と話す機会が少ないと、ストレスがあった時に誰かに気持ちを伝えることが
できません。すると自分の中にどんどん溜め込んでしまいます。
誰とも気持ちを共有できない孤独感も重なり、いつかストレスは爆発して病気
になったり、最悪の場合、犯罪に走りかねません。
こういう人を生み出さない為にも、挨拶を通じて多くの人が笑顔で会話できる
ような社会にしていきたいですね。
いつも私のブログに訪問いただきありがとうございます。