私の住む千葉県柏市には手賀沼があります。
面積約6.5平方Km(東京ディズニーリゾートの約6.5倍)、周囲約38Kmの豊かな自然に恵まれた沼です。
自然豊かな水辺には野鳥が飛来し、変化に富んだ風景や史跡、花木等々を観察できる素晴らしいスポットです。
手賀沼ボート・ヨット乗り場(柏側)
私はこの手賀沼湖畔をサイクリングや散策をすることが大好きです。
片道10~20キロのコースを、変化に富んだ風景を楽しみながら走ると、暑さ寒さもさほど苦になりません。
これまで撮りためた写真を交え、手賀沼の魅力を紹介していきたいと思います。
サイクリングロード
<今回は魔よけ小坊主伝説です>
かつて、我孫子と沼南町(現柏市)を結ぶ渡し舟があったころ、毎日大勢のお客で渡し船は賑わっていた。
特に問題のある渡し船ではないのだが、毎年、お盆の前後になると、この「魔よけ小僧」が出没したという。
当時の渡し舟
舟の船首のところに素っ裸の小僧が座っているというのだ。
「一体どこの小僧だろうか」「なんで裸でいるのだろう?」小僧の突然の出現にみんなが大騒ぎになる。
ある人が決心して、哀しげにうつむいて座る小僧に話しかけても何も答えないと言う。
当時の渡し舟
これはどうしたものかとお客達が困惑していると、船を漕いでいた船頭さんがこういうのだそうだ。
「あれは魔よけ小僧と呼ばれる者である。昔からいるもので、縁起の良いものである。」
「ほっておけば特に悪いことはしない。」
「むしろ、小僧が出る事はこの船の航海が順調にいく印である。だまってすてておけ。」
そして、舟が対岸に近づくと小僧はふいに消えてしまうのだ。
中秋丸乗り場跡地に設置してある中秋丸説明パネル
魏志倭人伝によると、中国への船には必ず「持衰」という人物を乗せたという記述があります。
その役割は、航海中「持衰」は、船の安全をひたすら祈願したらしいのです。
つまり、その船専用の占い師みたいなものであり、この役割は過酷です。
航海がうまくいくと、「持衰」はたくさんの金銀をもらえ大金持ちになれるのです。
しかし、失敗すると殺されるというのです。
現在の船着き場付近(我孫子側:手賀沼公園)
船の安全を生死をかけて祈る「持衰」と「魔よけ小僧」の性質は似てないでしょうか。
航海が失敗し、漂流先で「魔よけ」として殺された「持衰」が「魔よけ小僧」という妖怪となった。
という伝説が残っています。
その後、昭和39年7月に手賀大橋が開通し、渡し舟は廃止されました。
多分当時は多くの若者が貧乏から抜け出るために、その過酷な仕事についたのでしょう。
そしてその多くが遭難するか、責任を転嫁され命を落としていったのです。
このうつむきながら航海の安全を祈る妖怪「魔よけ小僧」を思う時、せつなくなります。
現在の手賀大橋
魔よけ小僧伝説、いかがでしたか。
あまりにも哀しい話でせつなくなりますね。
それでは次回の手賀沼の魅力まで失礼します。
面積約6.5平方Km(東京ディズニーリゾートの約6.5倍)、周囲約38Kmの豊かな自然に恵まれた沼です。
自然豊かな水辺には野鳥が飛来し、変化に富んだ風景や史跡、花木等々を観察できる素晴らしいスポットです。
手賀沼ボート・ヨット乗り場(柏側)
私はこの手賀沼湖畔をサイクリングや散策をすることが大好きです。
片道10~20キロのコースを、変化に富んだ風景を楽しみながら走ると、暑さ寒さもさほど苦になりません。
これまで撮りためた写真を交え、手賀沼の魅力を紹介していきたいと思います。
サイクリングロード
<今回は魔よけ小坊主伝説です>
かつて、我孫子と沼南町(現柏市)を結ぶ渡し舟があったころ、毎日大勢のお客で渡し船は賑わっていた。
特に問題のある渡し船ではないのだが、毎年、お盆の前後になると、この「魔よけ小僧」が出没したという。
当時の渡し舟
舟の船首のところに素っ裸の小僧が座っているというのだ。
「一体どこの小僧だろうか」「なんで裸でいるのだろう?」小僧の突然の出現にみんなが大騒ぎになる。
ある人が決心して、哀しげにうつむいて座る小僧に話しかけても何も答えないと言う。
当時の渡し舟
これはどうしたものかとお客達が困惑していると、船を漕いでいた船頭さんがこういうのだそうだ。
「あれは魔よけ小僧と呼ばれる者である。昔からいるもので、縁起の良いものである。」
「ほっておけば特に悪いことはしない。」
「むしろ、小僧が出る事はこの船の航海が順調にいく印である。だまってすてておけ。」
そして、舟が対岸に近づくと小僧はふいに消えてしまうのだ。
中秋丸乗り場跡地に設置してある中秋丸説明パネル
魏志倭人伝によると、中国への船には必ず「持衰」という人物を乗せたという記述があります。
その役割は、航海中「持衰」は、船の安全をひたすら祈願したらしいのです。
つまり、その船専用の占い師みたいなものであり、この役割は過酷です。
航海がうまくいくと、「持衰」はたくさんの金銀をもらえ大金持ちになれるのです。
しかし、失敗すると殺されるというのです。
現在の船着き場付近(我孫子側:手賀沼公園)
船の安全を生死をかけて祈る「持衰」と「魔よけ小僧」の性質は似てないでしょうか。
航海が失敗し、漂流先で「魔よけ」として殺された「持衰」が「魔よけ小僧」という妖怪となった。
という伝説が残っています。
その後、昭和39年7月に手賀大橋が開通し、渡し舟は廃止されました。
多分当時は多くの若者が貧乏から抜け出るために、その過酷な仕事についたのでしょう。
そしてその多くが遭難するか、責任を転嫁され命を落としていったのです。
このうつむきながら航海の安全を祈る妖怪「魔よけ小僧」を思う時、せつなくなります。
現在の手賀大橋
魔よけ小僧伝説、いかがでしたか。
あまりにも哀しい話でせつなくなりますね。
それでは次回の手賀沼の魅力まで失礼します。
お盆になると魔除け小坊主が出てきて航海安全を祈願しているとはすごい伝説ですね。
石垣島では旧盆中はご先祖様の霊がいるから、泳いだら足をひっぱられるから入るべからずという教えがあります。
水難事故は石垣でも多く、先月末にも観光客でありました。全国ニュースになりました。やはりそうゆう教訓を作ったほうが慎重になって事故が減ってくれればいいのかもしれませんね。
それにしても手賀沼の景色いいですね。散歩したくなります。
手賀沼に伝わる伝説を調べていくと、藤姫伝説や魔除け小坊主伝説など、結構シリアスな内容が多いようです。
地元の人々は古くから、漁業などで恩恵を被る反面、水難や洪水にも翻弄されて生きてきました。
だからこそ、自然の厳しさを極めるために伝説が生まれて、語り継がれてきたのでしょうね。
紫雲丸事故、私が小学生の頃に起きた痛ましい事故なので、記憶には残っています。
昔から、人は厳しい自然と共生してきたし、文明が発達した現在でも、自然に逆らうのでなく共存するべきですね。
「魔よけ小坊主伝説」と題されていたので、最初は水木しげるふうの妖怪物語なのかな、と思いました。ところが読み進むと深刻で、哀しいエピソードが示されていて、唸ってしまいました。
自然はときに人に優しく、でもときに過酷な運命をももたらしますね。
手賀沼の水難から、渡船中秋丸の就航、そして手賀大橋の建設までの経緯。私はそれに、紫雲丸事故と瀬戸大橋建設までの経緯を連想しました。連絡船紫雲丸の海難では、大勢の修学旅行生(まだほんの子どもたちです)が犠牲になりました。
自然は美しいものばかりではないと、このブログで肝に銘じた次第です。 このごろだらけ気味の私に活を入れてくれたninbuさんに感謝します。
柏・我孫子に残る伝説は数多く残っているようです。
特に、手賀沼に関わる伝説が多く、昔から地元の人に愛されていたことがわかります。
ヒゲオヤジさんはご夫婦で、モーターボートやジェットスキーをやられるのですね。
霞ヶ浦、琵琶湖等でよく見ますが、とても格好良くて、私の憧れです。
ヒゲオヤジさんのように、船に乗っている方は水の怖さを一番ご存知でしよう。
だからこそ、お守り役として船霊様(女神)等を祭って、安全運航を心がけているのでしょうね。(^-^)
手賀沼の歴史と伝説、興味深く拝読させて頂きました。河童伝説以外にもお話は有るのですね!
実は私共夫婦は二人とも小型船舶の免許を持っており、以前は霞ヶ浦でモーターボートやジェットスキーに乗っておりました(現在は都内の河川が主ですが)。特に霞ヶ浦は湖にも関わらず、荒れると4〜5mの大波が起き、以前は難破する船が沢山有ったそうで現在でも遭難する船は多いとマリーナのスタッフは言っておりました。そんな訳で今でも安全航行のため船霊様(女神)祭っている船は有るそうです。魔除け小僧のお話を伺って船の話題を書かせて頂きました。
昔は川を渡るのに、渡し舟を利用するのが、当たり前の光景でした。
それだけに、水難事故も多かったのかもしれません。
だから、魔よけ小僧のような伝説が生まれたのかもしれません。
橋のありがたさを感じますね。
「後悔」、しいちゃんの訂正コメントを見るまで気付きませんでした。
前後の脈絡から不自然さは感じられませんよ。ドンマイです。(^-^)
コメントの訂正・削除ができないのは本当に不便ですね。
みんなでgoo事務局に改善を求める必要がありますよね。
モノクロの渡し舟の写真はリアルですよね。まさに昭和そのものです。
地域に残る伝説や言い伝えには、何かしらの事実があったのでしょうね。
手賀沼の歴史を知ると、色々な魅力が発見できます。
次回もご覧頂けると嬉しいです。(^-^)
今日は、ちょっと切なすぎるお話でしたね。
「持衰」解らなかったので調べてきました。
随分過酷な役目の人なのですね。
後悔が無事であれば良いのですが、もしも何か事が起こった時は殺されてしまうなんて・・・まるでいけにえ?
沼を一周して対岸に行くには遠すぎるし、船だといつも水面が穏やかだとは限らない、それでも船を利用しなければならない。
橋が開通して本当に良かったなって思います。
各地にいろんな話がありますが、その地に住んでられる方の話は引き込まれます。
次回も期待していますよ。(^o^)/
手賀沼の伝説と言うと、藤姫や魔除け小僧など、なぜか悲しい物語が多いようです。
手賀沼の魅力シリーズ、まだまだ続けたいと思います。
今度は、楽しいそうな話題を探しておきますね。(^-^)
京都、奈良はいつの季節に行っても良いですね。
でも、私が好きなのは春と秋です。
手賀沼のモノクロ写真、昭和のレトロ感が何とも言えません。(^-^)
手賀沼の魔除け小僧伝説、悲しいですね。
天候のせいなどもあるでしょうに、失敗すると殺されてしまうなんて。
そりゃ悲しげに化けても出ますよ。
今は立派な橋で良かったですね。
手賀沼にはいろんな話が伝わっているのですね。
ninbuさんがこの沼をこよなく愛しておられるのが良く分かります。
手賀沼の今昔物語ですね-。白黒写真は味わい深いものがありますね。