ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

「死ぬほどいい女」はやばい

2006年07月19日 | 
 ジム・トンプスン「死ぬほどいい女(A Hell of a Woman)」はやばい。

 死ぬほどいい女とは、主人公ドリーことフランク・ディロンにとってのいい女なのだろうか。普通に考えれば。それは、この小説のヒロインでもあるモナといわれる女だが、実は最終章で唐突に出てきて、ほとんど脈絡なく物語を終わらせてしまうニューヨークの資産家の女こそ「A Hell of a Woman」ではないかと、結末を読むと思ってしまう。とりわけこの最終章は、支離滅裂で、異なったストーリーが中明朝と特太明朝で並列して同時進行して終わるという拵えなのだが、実際この部分が、続きなのか、単なる妄想なのかも判然としない。

 だが、そんなことはどうでもよい。ミステリーとか犯罪小説として読むとこれほどいいかげんな小説はないが、これはいかれた野郎の頭のなかの、愛の不在の世界のレポートなのだから。トンプスンの世界では、まともなことを考えるやつは生きていけない。市民的常識、科学的な論証を口にすれば生きていられない。ご都合主義こそ生きる糧だ。思い描いたストーリーを推進していくには嘘に嘘を重ね、障害になるものは殺してしまえばいい、あとは、世間が勝手に救済に導いてくれる。愛なき世界の救済、それはトンプスンの世界では虚無以外の何ものでもない。この最終章はなんなのか。死ぬほどいい女に会ったら気をつけよう。こっちが虚無の奈落に突き落とされることになる。

 それにしても、秋田の娘殺し、幼児殺しの鈴香という女はトンプスン的世界の住人に近い一人だと思う。娘を殺してもあの街から出て行こうと思わせる相手がいたのかどうか。隣の男の子に感づかれたと言う思い込みからの連続幼児殺人の偽装。嘘の積み重ね、あたかも、さあ、私を逮捕してちょうだいとメッセージを発信していたかのような行動。トンプスン的には「結局娘さんの死はやっぱり事故でした」と、あの家に帰してやるいう結末こそ鈴香という女を最も絶望させるのではないだろうか。
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ここはウイーン? ぜいたくな図書館

2006年07月19日 | 新☆東京物語
ここはウイーン? と錯覚してしまうようなたたずまいをみせているのが国際こども図書館。東京国立博物館を出て芸大方向に行った最初の信号を右に入る。黒田記念館の隣にある。エントランスと室内は安藤忠雄によって化粧直しされたが、外観はかくも堂々たる建物である。
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東京国立博物館の池

2006年07月19日 | 新☆東京物語
 東京国立博物館は奥が深い。このガラス扉を開けて、大理石のテラスから階段を下りると本館裏には池や茶室などがあり、夏の風に吹かれながら池の周りを散策したら気持ちよかろう。もちろんこの扉は開けられないが。
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