ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

涙も涸れる「クライ・ミー・ア・リバー」

2005年12月14日 | 音楽
 「クライ・ミー・ア・リバー」といえばジュリー・ロンドンだけれど、どうもこの歌の歌詞はなんかすごい。なんてたって「川のように泣く」んだから、もうおお泣きだよ。ハスキーな声で切なく歌うジュリー、流れる川のように涙が流れてとまらない、くらいの意味なんだろうけど、川というたとえは、ちょっとすごすぎないかい。アメリカなんだからミシシッピ川かね。朝鮮半島ならイムジン川かい。

 だからというわけではないけれど、ぼくはデクスター・ゴードン「ブロウズ・ホット&クール」のなかの「クライ・ミー・ア・リバー」が好きだ。

 この浪々たるテナーの歌いっぷりならミシシッピ川でもいいや。ジャケットもカッコいいし。あんたに捨てられたおかげであたしゃ川のように泣きに泣いた、よりを戻したいといまあんたは泣いてたのむけど、泣け泣け、川のように泣くがいい。
 
 こんだけ泣きゃー涙も涸れよう、というわけで、このデクスター・ゴードンの名演を聴くと、切なくなるというより、どん底からの復活宣言みたいな力があふれてくる感じがするのだった。

 美空ひばりが日本語の歌詞で唄う「クライ・ミー・ア・リバー」(シングス・スタンダード&ジャズ)もいい。こちらは、元歌とは歌詞がぜんぜん違っていて、別れた恋人への切ない思いをうたっている。そういえば、ひばりの最後の曲(?)は「川の流れのように」だっけ。
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焚き火だ焚き火だ金閣寺

2005年12月14日 | 
 大徳寺で狩野永徳の襖絵を見た感動のまま、暦では春だったが、冷たい雪が舞う中を金閣まで歩いた。途中凍えた身体を燗酒と鰊そばで温め、いざ金閣と臨んだが生憎修繕工事中で金閣を見ることはできず少しがっかりしたことがあった。2年前の2月のことだ。

 しばらく忘れていた金閣を目にしたのはTVのニュース画像でだ。ブッシュの横で「サン・ジャパン!」と手を広げる小泉の後方に、光りを放っている金閣寺が見えた。

 三島由紀夫「金閣寺」のなかに、戦後まもなく街娼の女を連れて金閣寺にやってきた進駐軍の米兵が、主人公の溝口に命令して倒れている女の腹を踏ませるシーンがあった。小説では、女は身ごもっていたことがやがて明らかになり、この後急速に終結に向けて物語は進んでいくのだが、金閣の前で、日本人の若い坊主に女の腹を踏ませる米兵の悪徳と「サン・ジャパン!」と米国大統領に愛想を振りまく日本国首相の美徳とは、どちらも同質に思えてしまう。

 この「サン・ジャパン!」の映像を年末になると見る機会が多くなる。それと最近の寒さが、2年前の金閣訪問のときの心地よい寒さを思い出させ、三島の「金閣寺」へと連鎖し、もう一度金閣を燃やしてみたらどうかと物騒なことさえ想像してしまうのだった。
 厳寒の冬空に舞う火の粉はどんなに美しかろ。そして「生きよう」という新しい生への熱情が沸きあがってくるかもしれないのだ。
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苦行の忘年会

2005年12月13日 | アフター・アワーズ
なぜか静岡で忘年会、その前に厄払いをなんて趣向で久能山東照宮へ参拝はよかったが、1200段あまりもの階段をのぼるはめになり、50代後半のソッチンなどこれで足が3本全滅だなんて、巫女をからかったばちがあたってしまい、山を降りれば、久能の里なんて哲学的な名前の養護老人ホームがあって、お世話になりそうな人もいたりして、それでも、夜になればみな元気に杯を交わし、山海の珍味に酔ったサタデーサンデーでありましたが、昨日は九州、みぞれなど降って、まったくどこへいっても凍えるゾ!
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100万円は武豊の複勝ころがしで1000万円に!

2005年12月09日 | アフター・アワーズ
 100万円もらったら地道に(?)武豊の複勝ころがしで1000万円にしよ。運がよければ土日の2日、2週連続の土日4日でゲットだ! 1000万円にした上で、有馬記念のスタンドで、はずれ馬券と一緒にばらまく。ディープインパクトから主役を奪うにはこれくらいしないとね。
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パールバーバーという名の床屋

2005年12月08日 | アフター・アワーズ
 僕が昔住んでいた小さな町には、「パールバーバー」という名の床屋があった。大人たちも子供たちも床屋に行くときは「ちょっとパールバーバーまで行ってくる」とか、口うるさい母親は「髪がうるさそうだからパールバーバーへ行ってきな」なんてフツーに言っていたものだ。
 
 パールバーバーの店主は、ちょっとエッチで、中学生になると「もう生えたか?」なんてマスクにくぐもった声できき、「おれががきの頃は、驚いて店の剃刀でもって剃っちまったら、そりゃ、あとが痛くてたいへんだった」なんて思い出まで披露してしまう始末。その剃刀を顔にあてられたお客こそたいへんだ。
 
 その店主は、ビートルズ人気のおかげで若者が髪の毛を伸ばすようになって客足が減ったとよく不満をもらしていた。その腹いせでもあるまいが、何もいわなければ“潮来がり”にされてしまうといううわさもあった。(写真参照)

 たった一字違うだけで、パールハーバーとパールバーバーでは、なんと違う世界と物語がよこたわっていることか。12月8日になると、ぼくは、やっぱりパールバーバーを思い出す。アメリカ人がパールハーバーを思い出すように。

 ※僕の家の近くには「満州」という餃子屋さんがある。あの満州国の満州だ。中国人に抗議されたという話はきいたことがない。きっと餃子がとってもおいしいからだろう。
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鳩踏み女降臨、あるいは毛皮のマリー

2005年12月07日 | 音楽
 鳩踏み女(以下踏鳩女)が出現した。鳩を踏んでいるのではなく威嚇しているだけだと抗議し、さらには首のテラテラが嫌いなのは、玉虫色に光り鳥なのに昆虫のようだから踏みつける、おっと、ではなく威嚇しているのだというのが踏鳩女のいいぶんなのであった。私には、どうみてもふんづけているようにしか見えないけどね。誰か、お近くの鳩のいる公園などで踏鳩女をみかけたら、よく見ていてください。でも、毛皮のコート着ていたら、それは毛皮のマリーかも。

 12月になって急に寒さも増しコートは欠かせない、ということでこの季節にピッタリな歌が「コートにすみれを」。violets for your furs だから毛皮のコート。で、きみの毛皮のコートの襟にすみれの花を買ってつけてあげたら、あーら不思議、12月の寒さなんかふっとんでまるで4月が一気に来たみたい、あー、あれ以来おいらおまえにめろめろになっちまったのさといったラブソング。この曲は数々の名唱、名演があるけれど、やっぱりシナトラ(「ソング・フォア・ヤング・ラバーズ&スイング・イージー」)、コルトレーン(「コルトレーン」)できまりかなー。
 
 最近ではステイシー・ケント(「ドリームズヴィル」)がすみれをもらう女の子の立場でかわいくせつなく歌って、とてもいい。アーチー・シェップも「トゥルー・バラード」なんて藤井フミヤみたいなアルバムタイトルのバラード集で、この曲を渋くやっていたっけ。でも、やっぱりシェップにゃあわない。
 最近は豪華な毛皮のコートをはおってるお姉さんなんて、ご商売も限られているか毛皮のマリーくらいだから、ウールのコートでもいいからすみれの花なんか寒い日に贈ってみようか、春がくるかもね。
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私の愛したパイ

2005年12月05日 | 

 文庫化されたので小川洋子「博士の愛した数式」を読んだ。どーもぼくの最近の読書は結果的になのだが、出版社のパブにまんまと乗ってしまっているようだ。この小説もまもなく映画公開されるらしい。それで文庫化だったわけねと思ったときには、読み終わっていたのだった。

  これは一種のメルヘンだ。家政婦組合や阪神タイガースという実社会に存在する小道具や装置がいろいろちりばめられているけれど、博士の住む離れは、童話の森のような異空間で、そこにこの親子は迷い込んでしまい、博士のあやつる数式という魔術にとらえられてしまうのだ。だから、ぼくたちも一緒になって数の不思議に驚き、日常にあふれている数を楽しめば、まるで世界は、数の妖精たちに囲まれているように見えてくるではないかいな。

 さて、博士が愛したのは素数。自分と1以外に約数をもたない、いわば何者にも変身しない孤高の数字だが、これまでに発見された世界最大の素数は、781万6230桁の数であるとか、最近3になってしまった、なぜかオイラーの数式の右肩にのっかているΠの計算は、2061億5843万桁まで解明されているとかという知識を得ると、やっぱり私の愛したパイは、ブラウスのボタンの隙間から黒子が見えるあのパイ以外にないなとメルヘンの世界からステップ・アウトするのだった。  

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沖縄食堂夜話

2005年12月02日 | アフター・アワーズ
 3年間大阪勤務だったHGさんは営業の合間に京都の寺社めぐりをし、ひそかに清明神社の護符を鞄にしのばせているオカルト派で、そのHGさんと新宿の沖縄食堂にてオリオンビール、シークワーサーサワー、久米仙などをあおり、うみぶどう、ゴーヤーおひたし、とうふよう、豚軟骨唐揚などなどをいただきながら、京都の国立博物館はいいとか、最近は「ブリキの太鼓」にはまっているとか、ぼくが初めて行ったコンサートは克美茂(エイトマンの主題歌を歌っていた人です)だとか、そんな話題から、みうらじゅんを大明神と崇めるHGさんなので当然ながら話はボブ・ディランにおよび、スコセッシのディラン伝記ドキュメント「ノー・ディレクション・ホーム」が面白かったなどと盛り上がっていると、隣の席にひとり泡盛をあおっている小太りの男がしきりにわれわれの話にうなづいているのが目の端に見えるのだが、こちらはさらに最近の日本映画界は立教出身監督ががんばっているとかの話になって「青山」と言う名前が出るや、やおら「青山真治でしょ」と、もうがまんしきれなくなったように話に割り込んできて、「やー、ディランとかさっきから話が僕とかぶっているんですよねー」といかにもオタクっぽいしゃべり方で目を細め、そんなにわれわれのくだらない話に喜んでもらったのではとちょっと仲間に加えてあげるとさらに満足そうにうなづいて杯を重ねているのであった。

 「やー、いつくるかと思っていたらやっぱりきましたねー、あのオタク君。ぼくらもオタク仲間にみえたんでしょうかねー」とHGさん、おもわぬ闖入者の出現で妙におかしい酒宴となり、昼間に電線に止まっていた鳩の糞害でコートを汚された不機嫌もすっかり忘れた一夜であった。

 そういえば、公園で鳩が群がっていると鳩を足で踏み潰そうとする「鳩を踏む女」がいたっけ。なんでも首の油脂が浮いたようなテラテラがきらいなんだとか。この日ばかりはぼくも鳩をふんでやりたくなっていたが、とりあえずボブ・ディランに感謝だ。
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