あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

祖母が書いた文『運命の出会い』(昨日のつづき)

2017年07月29日 | 日記

※祖母が書いた文『運命の出会い』昨日のつづきです。

 

翌年長男が誕生、次々と子どもが生まれ、私はただ育児に追いまわされる毎日でした。

それでも今思うと、私の人生の中では一番楽しかった思い出の多い平安な日々でした。

昭和9年も終わりの頃、夫は病気を再発、内地療養を勧められて私どもは夫の郷里に

帰り、養生に専念しましたが、その甲斐もなく翌10年6月、後の事を気にしながら

亡くなったのです。

本人も終わりの日の近きを察してか、それまであんなにうるさがっていた子どもたちを

呼び集め、枕元に坐らせ、無言でしばらくじっと見ていましたが、傍にあったバナナを

1本ずつ与え「立派な人になるんだよ」と目にいっぱい涙をためているんです。

私は耐え切れずその場に泣き伏しました。

その時、私を諭すように静かな声で「どんなことがあっても強く生きるんだ。

子どもたちを頼む」と言われ、私ははっとして自分をとりもどしたのです。

 夫はその2日後に息を引き取りました。思えば短い結婚生活でしたが

自分で選んだ道、何の悔いもありません。幸せでした。

 そのうち、戦争がはじまり、4人の子どもを抱えての私の生活は

口には言えないほど苦しいものでした。

 しかし、今はすべて夢のようです。あれからもう50年、世は急速に変わりました。

私はそれにも何とか順応しつつ生きつぎ、今はこうして気楽な余生を送っております。

人間の人生なんてはかり知れないものです。

夫逝って54年、思い出のまま綴りました。(完)

 

『病みながら嬰児(みどりご)を抱く我が手とり

  励ましいし夫(つま)三十四にて逝く』(祖母の短歌)

※祖父が亡くなった時、長男である伯父は8歳、私の父は5歳

 叔母は3歳と1歳くらいだったと思われる。

 

 私は祖母が42歳の時に生まれた初孫。

 亡き祖母を偲びながら記す。