今日は地区の神様の祭りと頼母子があった。
(長年続いた歴史ある頼母子は今回で幕を閉じることになった。)
そこで会った近所の人の話から、
今宵、義母の介護の事を思い出したりしている。
これは今から15年前の日記。(義母の介護生活7年目のころ)
午後3時ごろから4時半ごろまで義母のウンチと格闘した。
油断してたら両手にウンチをいっぱいつけてトイレに義母がいた。
お尻を拭き、手を洗って部屋に連れて行ったら5分もせず
「トイレはどこですか」と言って来た。
さっき、たくさん出てたのにと思いながらトイレに連れて行った。
便座に坐らせると、のんびりしているので、これは時間がかかりそうだと思い
ちょっとその場を離れた。
2~3分して行って見るとまた両手をウンチで汚していた。
便が出ないので指を入れて出そうとしているのだと気づき
ゴム手袋をはめて、私が出そうとしたが、とても硬くて、
しかも義母が「痛い。痛い」と言うので困ってしまった。
義母の手を洗い、トイレに坐らせて「ここにじっとしてて」と言い残し
私は浣腸液を買うために車を走らせた。
帰ってみると義母はまた手を汚し居間のマッサージチェアに坐っていた。
トイレに連れて行き浣腸をしたが便が硬くて浣腸液が中に入って行かない。
浣腸液を2本使った。それでも出てこないので一生懸命また指でかき出した。
「ばあちゃん、ウーンして、ウーン」「がんばるよ。はい、ウーーン」
子どもに言うようにして、私も力を入れて励ますのだが
義母は途中で「格闘中」という事を忘れてしまったりする。
思い出したように「息んでみようか」と言う。
「そうよ、そうなのよ。私はそれを待ってるのよ。ずっと息んで欲しいのよ」
と思いながら指でウンチをかき出す。
最後のウンチをかき出した時、「やったーっ!」と爽快な気分になった。
手を洗い、服を着かえさせ、洗濯し、トイレや義母が触ったと思われる所を
あちこち掃除して日が暮れた。
思い起こせば、この頃は、精神的には、比較的楽だった。
一番大変だったのは、もっと初期の段階(被害妄想、情緒障害などあった)「どこそこへ行ってきます」と言って出かけても、記憶に残らないので
「何も言わずに出ていく」と義母は受け取り、
いろいろ事実と違うことを近所に言いふらされたりした。
我が家の庭隅で、家の様子を窺う人もいて、何度かその人と
鉢合わせになった事もある。
我が家に怒鳴り込んで来たお婆さんもいた。
家に上がって家の中を見てもらったら、「聞いた話と違う」と言って
帰って行った。
あの頃、「義母は認知症を患っています」など、決して言えず、
弁解せず堪えるしかなかった。
誰かに話すと楽になるだろうと思ったりしたこともあったが
「人の口に戸は立てられぬ」と思い言わなかった。
もしかしたら今でも誤解は誤解のままかもしれない。
でも、それでいい。
実の子である夫と義姉が、私の頑張りを少しは分かってくれていると思うし
自分自身に恥じることが無い。
先日、当時の職場の人と飲み会をした際、「あの頃、義母の介護が
一番大変な時期だった」と話したら
「えーっ、全然、そういうこと、知らなかった。全く、そういうことを
表に出さなかったなー」と言われ、内心、嬉しく思った。
今宵は、そういう自分がいとしく思える。秋になった所為?