奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

神のみを望む

2015年06月22日 22時37分16秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)
P504
T-18.5.3~4


に書いてある内容について、先日行った「祈り&赦しの学習会」で
Hちゃんからご質問があったのだけれども
私はそれについてお答えしていなかったそうでして
(今日の実践コース勉強会でTさんに教えてもらいました^^;)



わあ、そうだったんだ。
読んだだけだったのかな? 笑

と、何度かそのあたりを読んでいました。




ご質問は、たぶん、

幸せな夢は実現するが、その理由は、それらが夢だからではなく、ただ幸せなものだからである。
T-18.5.4:1

について、だったかと思います。




「幸せな夢」
という目的が実現するには、手段が必要ですね。

その手段とは、赦しを選ぶことですが




「幸せな夢」とは、ストーリー(形・形態)が幸せになって、幸せな夢になった。
ということではなく



夢を体験する心(分離した心)が、

神聖で、愛で、幸せで、一体性そのものを象徴する心=聖霊と一つになって正気になったから
幸せな夢を知覚できる状態になった。

ということだと思います。



それを、コース/奇跡講座では「正しい心の状態」と呼んでいたりします。




愛を体験するには、愛を差し出す必要がありますね。


心が瞬間・瞬間「赦し」という愛を差し出せば、粘り強く差し出し続ければ、
やがては愛と一つになり、愛だけを体験しますね。




手段も、目的も、愛そのもの。
手段も、目的も、幸せそのもの。

というように手段と目的は、必ず一致している必要があるんですね。




目的が愛なのに、手段が「投影」ということはあり得ない。



目的が実相世界・幸せな夢・キリストの心眼(ビジョン)であれば
手段も、神のための声・聖霊からのものでなければなりませんね。





T-18.5.4:3
そのメッセージは「御意が行われんことを」であり、「私は他のことを望む」ではない。





「他のこと」という言葉が暗示しているのは、一つのものに絞られていないですね。

そして他方、そしてあちら、と、あやふやに変化しえますね。



「御意が行われんことを」は、神だけを選んでいますね。

神を選び、神に任せ、神を受け入れている状態。

真に、完全に、心がその状態であれば、それと同時に「幸せな夢」は実現されますね。





本当に「御意が行われんことを」以外なにもしなければ、

幸せだけ、祝福だけ、愛だけ、歓喜だけ。



けれども、分離した心は、他のことを望み、決断したわけですね。(^^;)

だからこそ、「赦し」という一つのことをし続ける必要がありますね!



今すぐ、神だけを選び、神に任せ、神だけを受け入れる。

なーんて、無理をしようとするのではなくて、

瞬間瞬間、正しい心・聖霊を選ぶ。

その意欲を差し出すことですね☆

やってゆきましょう!!!








ということで、



幸せな夢は実現するが、その理由は、それらが夢だからではなく、ただ幸せなものだからである。
T-18.5.4:1



についてですが

手段(赦し)も、目的(幸せな夢)も、幸せそのもの。愛そのもの。
であり、幸せ・愛しかもたらすことが不可能ですね。

赦しのレッスンの最終的結果「幸せな夢」の実現は、必然。ということになるかと思います。


それは単に、

智識の前に立ちふさがるすべてのものを取り除くこと(T-11.2:1)


なんですね。





(いつもそうですが、今日の投稿も今の私の理解の範囲内です。お赦しください^^)









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