今日昼過ぎにリトリート会場からチェックアウトして帰宅しました。
2016年10月にデイヴィッド, フランセスと東京セミナーで会った時に聖霊からハッキリと言われた言葉
「あなたもデイヴィッドのようにこれから歩みます(プラン Aを歩むという意味)」
「あなたは彼らと関わりリトリートを開催します」
に対し、ひどく動揺して抵抗の思考が浮上しては通り過ぎていったあの日から
リニアな視点から見たらもう5年以上経過したのか、、と感じたり、まだたったの5年か?
とも思えたりするけど、とにかく2016年のあの頃から浄化につぐ浄化の日々を過ごした。
私の知覚としては2018年〜2020年は特に、、ひどく辛かった浄化の期間だったと思います。
でも、もともと図太い(たぶんそうなのだろうと思う)私の心は2021年夏〜秋を境にさらに腹をくくったように感じる。
根拠なく「絶対に大丈夫」という感じがする。
(発音は ぜってー、だいじょーぶ)
だから、人を変えようとか理解させようといった欲望が減退している。
認められたいとか、好かれたいとか、理解されたい欲望も減退している。
愛を感じるかどうかは自分の心次第だと、文字通り、その通りなのだと感じる。
そのように感じる理由は
聖霊・神のなすことに対する信頼ゆえなのだろうと思う。
それは証拠を求めるまでもない信頼の感覚で
それと同時に、聖霊を信じる自分を絶対的に信じて受け入れようと決めてもいる。
すると、覚悟が決まってくる。そして腹がくくられていく。
これを言葉にすると少しおかしいかもしれないけど「全体と結婚するようなもの」なのだと思う。
肉体レベルの結婚だとしても、生半可な気持ちで結婚なんかできないはずだと思う。
一生をかけて、命をかけてひとつになる気がある場合にのみ結婚というものは起こるもんだろ?と思う。
もしもそうじゃない場合、結婚状態という形にはもはや意味がないだろう。
そして、やがて「本物のひとつ」を求めるようになった心は
肉体レベルの結婚などでは満足できなくなる。
全体とひとつの私に復活される以外では決して満足できない自分に、圧倒的に気がつく。
そしていずれもっと気がついてくる。
「これ、同じ瞬間を何千回・何万回も繰り返しループしてるじゃん!!」って
それに気がついた時「さすがにこの1000回目でやめてもいいや」ループに意味はないと本気で望むことができる。
私がそれに最初に気がついたのは2011年末だったか、2012年2月ごろだったと思う。
ひたすら同じことを何千回も繰り返しているような記憶が蘇ったときは 驚愕した。。
ループをストップして、そこから出ることにのみ意味があり
今まで通りの、忘却したままでループし続けることには1mmの意味も価値もない。
その当たり前さに気がつくレベルまで、私たちは巻き戻っていく必要がある。
そのために、「私」はここにいる。
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