1週間前、ふと
「ああ、反動形成か」と思って妙に納得した。
不自然なまでにそれを否定するって
ほんとはそれに強く惹かれているからだったりする。
「もしも、形のレベルのガイダンスがいつもあって、それで自分の期待どおりの結果が現れたらどんなにいいだろう」と思っていて、でもそんなことを望んだらよろしくない、、、と無意識でジャッジしていたなら
心はそれを否定しなければならないのだろうな。(否定したくなる可能性1)
もしくは、形態レベルのガイダンスに従っていくとただひたすらに、自己概念が消失していくと、実は無意識は知っている。
それを恐れているからこそ
形態レベルのガイダンスを否定したくなっている場合もあるだろう。(否定したくなる可能性2)
1の場合もあるし、2の場合もあるし
1、2両方ゆえの場合もあるんだろうな。
って、書きながら納得した。
最近多い質問なので、聖霊に相談していたらふと「反動形成」って言葉がやってきたのだった。
絶対にそうだと言う気もないけども納得した言葉だった。
そういえば、数年前ある人が「私はお金に興味がない」と言ってて
その数ヶ月後にお金についてどうにもならないくらいに動揺して打ちひしがれていたのを見た時に感じた。
本当にお金に興味がない人は
お金に興味がないっていう言葉を口にする発想が起こらない。
口からどんな言葉が発されているかは信じられないものだと学んだ機会だった。
反動形成。多かれ少なかれ私たちはそういう仕掛けが起きているものだと心を見つめても問題ないと思う。
反動形成も、咎める必要がない。
そもそも私たちは治癒が必要な
愛と助けを求める心の状態が長かったのだ。