よくいただく質問
「聖霊は具体的な形のレベルで私たちにガイダンスを与えるのか?与えないのか?」
・・・そもそも、いま「私」は形のレベルとは何だと思っているのか?
が結構重要だと思う。
形のレベルって何だろうか?
心のレベルと形のレベルって、切り離されているのだろうか?
形のレベルの「言動」とは
どこから起こされていて、観察されていて、どのような思考体系でみられているのだろうか?
ぶっちゃけ、形のレベルと心のレベルは離れていない。
鏡に映し出された「心」の身動きと
鏡に映される原因の「心」の状態は切り離すことなどできない。
(どうやったら別物にできるのか)
鏡に映された、その身動き、言動は
実のところ全部「心」から表出している。
(コースの言うところの心とは、この宇宙出現以前、自我以前にある)
鏡に映された身動き、言動(すなわち形態レベル)について「ガイダンスを尋ねる」ということの意味は
この、表出された身動き、言動レベル以前の「原因のレベル」で
この鏡の中にいるかのような錯覚状態の自分(キャラクターに同一視している夢見る者の「私」)の
「次なる身動きはどうすれば良いでしょうか?」
と、自分だけで決めず、自分だけで意志せず、自分だけでクリエイトしようとしない訓練そのものを指している。
私たちは今即刻に完全サレンダーをできない、
でも完全サレンダーしなければ目覚めない。
その完全サレンダーまで心が巻き戻っていくために
やがては何もかも一挙手一投足、聖霊に指示を仰ぐまでの
その心の訓練上に、ガイダンスに耳を傾けて従う。というのは当たり前に起きるもの。
心のレベルと、形のレベルって全然離れていないので
そもそも↓こういう質問は私の中に存在していない。
「聖霊は具体的な形のレベルで私たちにガイダンスを与えるのか?与えないのか?」
「ないわけないじゃん?」と思う。
「ない」と、どこかの誰かが断言できるとしたら、この宇宙や宇宙以前の心の救済もありえないだろうと思う。
そもそも、この奇跡講座だって、ラマナマハルシやムージたちに訪れた恩寵だって
全部、本当の自分による導きだったわけだ。
本当の自分(全部夢だと完全に見渡せる自分)が自分(キャラになりきって世界を右往左往してぶつかりまくっている自分)を
具体的なレベルでガイドしないと思うだろうか?
逆に、ガイドしない瞬間など存在しない。
何もかも、いっさいが
心からは引き離されていない。
日本の道端に落ちている紅葉の枯葉も、エジプトの砂埃の中のあのたった一粒の砂つぶも、いま発生しては過ぎ去って行くあの雲も、虹も
目の前のコップも、お箸も、過去の記憶や未来への懸念という思考も、実は一度も心から独立して切り離れたことはなかった。
全部、ひとつの心の中で起きている空想だった。
私にとっては、この質問自体
「聖霊は具体的な形のレベルで私たちにガイダンスを与えるのか?与えないのか?」
が、意味不明なのだ。
万が一、イエスが目の前に現れて
「おれ、形態レベルではいっさい君にガイダンスなんか与えないからさ」
と言っても、私は真に受けない。
だっていつも、ここで、そのガイダンスがやって来ているから。
今この瞬間に、いつもそれはある。
それがよろこび。
【奇跡講座✨よくある質問】聖霊による「形態レベルのガイダンス」は、あり得る?あり得ない? デイヴィッド・ホフマイスター/ACIM/奇跡講座/奇跡のコース
「聖霊は具体的な形のレベルで私たちにガイダンスを与えるのか?与えないのか?」
・・・そもそも、いま「私」は形のレベルとは何だと思っているのか?
が結構重要だと思う。
形のレベルって何だろうか?
心のレベルと形のレベルって、切り離されているのだろうか?
形のレベルの「言動」とは
どこから起こされていて、観察されていて、どのような思考体系でみられているのだろうか?
ぶっちゃけ、形のレベルと心のレベルは離れていない。
鏡に映し出された「心」の身動きと
鏡に映される原因の「心」の状態は切り離すことなどできない。
(どうやったら別物にできるのか)
鏡に映された、その身動き、言動は
実のところ全部「心」から表出している。
(コースの言うところの心とは、この宇宙出現以前、自我以前にある)
鏡に映された身動き、言動(すなわち形態レベル)について「ガイダンスを尋ねる」ということの意味は
この、表出された身動き、言動レベル以前の「原因のレベル」で
この鏡の中にいるかのような錯覚状態の自分(キャラクターに同一視している夢見る者の「私」)の
「次なる身動きはどうすれば良いでしょうか?」
と、自分だけで決めず、自分だけで意志せず、自分だけでクリエイトしようとしない訓練そのものを指している。
私たちは今即刻に完全サレンダーをできない、
でも完全サレンダーしなければ目覚めない。
その完全サレンダーまで心が巻き戻っていくために
やがては何もかも一挙手一投足、聖霊に指示を仰ぐまでの
その心の訓練上に、ガイダンスに耳を傾けて従う。というのは当たり前に起きるもの。
心のレベルと、形のレベルって全然離れていないので
そもそも↓こういう質問は私の中に存在していない。
「聖霊は具体的な形のレベルで私たちにガイダンスを与えるのか?与えないのか?」
「ないわけないじゃん?」と思う。
「ない」と、どこかの誰かが断言できるとしたら、この宇宙や宇宙以前の心の救済もありえないだろうと思う。
そもそも、この奇跡講座だって、ラマナマハルシやムージたちに訪れた恩寵だって
全部、本当の自分による導きだったわけだ。
本当の自分(全部夢だと完全に見渡せる自分)が自分(キャラになりきって世界を右往左往してぶつかりまくっている自分)を
具体的なレベルでガイドしないと思うだろうか?
逆に、ガイドしない瞬間など存在しない。
何もかも、いっさいが
心からは引き離されていない。
日本の道端に落ちている紅葉の枯葉も、エジプトの砂埃の中のあのたった一粒の砂つぶも、いま発生しては過ぎ去って行くあの雲も、虹も
目の前のコップも、お箸も、過去の記憶や未来への懸念という思考も、実は一度も心から独立して切り離れたことはなかった。
全部、ひとつの心の中で起きている空想だった。
私にとっては、この質問自体
「聖霊は具体的な形のレベルで私たちにガイダンスを与えるのか?与えないのか?」
が、意味不明なのだ。
万が一、イエスが目の前に現れて
「おれ、形態レベルではいっさい君にガイダンスなんか与えないからさ」
と言っても、私は真に受けない。
だっていつも、ここで、そのガイダンスがやって来ているから。
今この瞬間に、いつもそれはある。
それがよろこび。
【奇跡講座✨よくある質問】聖霊による「形態レベルのガイダンス」は、あり得る?あり得ない? デイヴィッド・ホフマイスター/ACIM/奇跡講座/奇跡のコース