個としての「私はいない」感は、1段階目の目覚めの通過点。
個ではない、いわゆる非二元的に言う
「全体」「存在」「在る」
は、ゴールではなく
スタート地点に過ぎない。
もっと奥深くの
「全体」「存在」「在る」そのものだ。
と、思っていた「私」はいない。
最近は、「私」というと、そっちのことを指している。
その私こそが、幻想の作り主で、分離のスタートなんだ。
その「私」を神に明け渡すしか、目覚める方法はないんだ。
その「私」の奥に、神が隠されている。
もう、後戻りはしない。
.
個ではない、いわゆる非二元的に言う
「全体」「存在」「在る」
は、ゴールではなく
スタート地点に過ぎない。
もっと奥深くの
「全体」「存在」「在る」そのものだ。
と、思っていた「私」はいない。
最近は、「私」というと、そっちのことを指している。
その私こそが、幻想の作り主で、分離のスタートなんだ。
その「私」を神に明け渡すしか、目覚める方法はないんだ。
その「私」の奥に、神が隠されている。
もう、後戻りはしない。
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