奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

スピリチュアルな迂回、スピリチュアル ゴースト

2020年11月09日 17時04分28秒 | ACIM奇跡のコースという生き方

最近YouTubeのコメント欄で、あるコメントをいただきました。

そのコメントの中でその方が言いたかったことは
「日常の中で動揺があっても問題ではなくて、今この瞬間が完璧なので赦しの実践をする必要はない」
というような自論でした。いわゆる薄められた非二元、ノンデュアリティー的な解釈のようでした。

そのコメントをしている方が奇跡講座をどのように理解したり、実践するかについて
もしくは奇跡講座の実践を不採用するかどうか、の責任が私には無いので
具体的に私の実践から見ればそれがどういうことなのか、についてのお返事はしませんでしたが
「その考えを尊重します」とだけお伝えしました。

ほんとうに誰が何を信じ、何を考え、どう感じ、どう知覚するか?を
コントロールする必要もないし、コントロールできないし
この道の実践論について議論するための時間と労力が、超絶もったいないと思うからです。
面倒を見る必要があるのは自分の心の中の精神力動のみです。

ただ、そのコメントをいただいてから
「スピリチュアルな迂回」「スピリチュアル ゴースト」
という言葉がやってくるので書いておこうと思います。
(スピリチュアルゴーストとは、ラファエルがたまに使う言葉でデイヴィッドコミュニティーでも一般的に使う言葉のようです。
意味合いとしては、本当にはスピリチュアルな歩みを"生きて"いないのに、生きてるかのように空論を論じている状態。らしいです)


私にとっては、もしもほんの少しでも動揺を感じているなら
「心のレベルで何らかの間違い、問題が生じている赦しの機会だ」
とみなしているのです。
だから、具体的な赦しの実践が必要なのです。


奇跡の原理 6
奇跡は自然なものである。それが起こらないときは、何か間違いが起こったのである。





奇跡講座に限らず、アジャシャンティも非常に明確に具体的に表現してくれている文章をご紹介します。


〜あなたの世界の終わり「目覚め」とその"あと”のプロセス 「アジャシャンティー著」〜
より引用

P67~68
こういった時期に重要なことは、自分が(自我の思考との)再一体化の瞬間に囚われたという事実を無視しないことです。
この避ける行為を私は、"スピリチュアルな迂回"と呼んでいますが、
私たちはこの(自我の)思考を退ける(抑圧して隠す)ために、しばしば非二元的言語を使います。

私たちは自分自身に言います。
「ああ、それって一体化にすぎないさ。たいした問題じゃない。だって、いずれにせよ、何かをする誰もいないんだから。
結局、あらゆることは自然発生的に起こっているわけだし。」

これは自分自身の経験(自我との同一化)から隠れるもっとも微妙で、しかも効果的なやり方です。
そのせいで私たちは、再一体化しようとする自分の継続的傾向(分離を維持するチャレンジ)に対処することを、避けることができます。
重要なことは、こういった一体化の瞬間を明確に正直にすすんで見るということです。

自己問いかけに参加するには、多くの方法があります。
目覚めの前と目覚めのあとのしばらく、書くことは私にとって役立つことを発見しました。

( )内は、補足で書きました。



※「私たちはこの思考を退けるために、しばしば非二元的言語を使います。」

とありますが、これは自我が分離を維持するために「非二元」を利用している状態を指しています。
一般的に私たちはここに陥っています。
あたかも目覚めたかのように見える状態でさえ、です。

その陥り状態に気がつくためには、
継続的実践的な個人セッションや、勉強会や、リトリート(合宿)や、サットサンなどに
参加することなどが有効なわけですね〜。


どこに参加するといいかは、聖霊に尋ねて決めてゆけばよいですね。
真に聞いてゆけば、求めれば、それは人生の中に現れてきます。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。