「天国から離れて」という書籍があります。
ワプニックさんが、書いた書籍です。
ヘレンやビルの様子など、様々なことがらが非常に事細かに書かれています。
その中で、自我を尊重する必要性もあるんだなと
ワプニックさんが、ヘレンとのやり取りを通じて学んだ内容がありました。
一時的であれ、ヘレンをより良い状態に、みんなで変えようとしていた時期があったようです。
私も、この人生を通じて、、沢山の投影を通じて
ようやく、昨年末くらいに そこに対して腑に落ちました。
「奇跡講座」+五井先生の書籍「神と人間」+「天国から離れて」のお陰でした。
相手を神の子として見て赦しつつ
もう一方では、この世界のシナリオを変えようとしない。
世界や、相手の見た目がどう見えようと、自分は自分の心を変化させることのみ。
映像は、必ずしも変わる必要はない。
もっと、奥深いところで、奇跡は成されている。
表面的なことにとらわれない心も、とても大切ですね。
そこに腹を据えることって、いずれは学び、腑に落ちてゆくことなんでしょうね。
2月の講義でも、そのあたりは取り上げましたが
3月も、そのあたり深めてゆきたいと思います。
もしも、ご興味がある方は、「天国から離れて」
ゆっくり、じっくり読まれると良いと思います。
それぞれの葛藤や学びから、私たちも学ばせて頂ける書籍と感じています。
天国から離れて P430
ワプニックさんが、書いた書籍です。
ヘレンやビルの様子など、様々なことがらが非常に事細かに書かれています。
その中で、自我を尊重する必要性もあるんだなと
ワプニックさんが、ヘレンとのやり取りを通じて学んだ内容がありました。
一時的であれ、ヘレンをより良い状態に、みんなで変えようとしていた時期があったようです。
私も、この人生を通じて、、沢山の投影を通じて
ようやく、昨年末くらいに そこに対して腑に落ちました。
「奇跡講座」+五井先生の書籍「神と人間」+「天国から離れて」のお陰でした。
相手を神の子として見て赦しつつ
もう一方では、この世界のシナリオを変えようとしない。
世界や、相手の見た目がどう見えようと、自分は自分の心を変化させることのみ。
映像は、必ずしも変わる必要はない。
もっと、奥深いところで、奇跡は成されている。
表面的なことにとらわれない心も、とても大切ですね。
そこに腹を据えることって、いずれは学び、腑に落ちてゆくことなんでしょうね。
2月の講義でも、そのあたりは取り上げましたが
3月も、そのあたり深めてゆきたいと思います。
もしも、ご興味がある方は、「天国から離れて」
ゆっくり、じっくり読まれると良いと思います。
それぞれの葛藤や学びから、私たちも学ばせて頂ける書籍と感じています。
天国から離れて P430
ワプニック先生の使う『自我』は、
『神の使者』p169の第一の分裂で、
分離した心:意識
(p339最後から5行目
「コース」は分離のあとに
最初に心に導入された分裂、
それが意識だったと教えている、と話したわね。
意識とは分裂した心なの。)
のことを、指していると思います。
~~~
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JACIM学習支援サイト:オンライン教材
用語解説
自我 [ego]
<分離した自己>、
または
<偽りの自己>が実在すると信じる信念のことであり、
こうした“自己”は
神が創造した真の自己の代替として作り出された。
罪、罪悪感、恐れ、
および、
自分を保護するための特別性に基づく思考体系を
生起させている
<分離の想念>のこと。
私達の心の一部分が
「自分は、キリストの心から分離している」と信じており、
心のその部分を自我と呼ぶ。
この分裂した心には、
更に
<間違った心の状態>と
<正しい心の状態>という二つの部分がある。
ほとんどの場合、
<間違った心の状態>のことを指すが、
分離した心の一部でありながら
<正しい心の状態>を選ぶことを学ぶ部分を含むこともある。
(注 — 精神分析における「自我」と同じではないが、
精神分析における「自我」がその一部をなす「精神(psyche)」の全体が、
ここで言われる自我におおよそ一致すると言える。)
分離した心が 最初から自我なら
分離した心が自我の作り主というテキストの内容など、辻褄が合いませんね。
自我の作り主(分離した心・意識)が
間違った心(自我)を選択し続けている状態(間違った心の状態)から
思い直し、
正しい心(聖霊)に選び変えよう!と決断した時に、正しい心の状態になっているという理解があります。
その次の瞬間 また自我を選択していたりするので
警戒が大切。
ということですよね。
作り主(分離した心)と自我は最初から同一ではない。
という見方は、レッスンしたり学ぶにあたってとても簡潔で迷いなく実践できますね。
(例)
T-6.4.1:4
自我は自分の作り主が今にも自分を支持しなくなる可能性があると信じているが、その点に関して自我は正しい。
『奇跡講座』の理論の図解
http://www.jacim.com/acim/?page_id=147
『奇跡講座入門』p48の図の訂正
レベル1
左右の心のワク間に追加:←―聖霊―→
左のワクの中で追加:(生命に振り仮名)いのち
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
レベル2
間違った心のワクの中で削除:自我
追加:(投影)に(Ⅱ)
削除:(特別な関係)のカッコ
正しい心のワクの中で削除:聖霊
訂正:真の自覚→真の知覚
すみません。ハヤトチリ。
また、第二の分裂(『神の使者』p180の3行目)
正しい心と間違った心があって、小さな狂気の思考についての
異なる選択あるいは異なる反応を表わしているように見える。
ここが、『自我』ですね。
(≧≦) ゴメンヨー
自我の定義について、用語解説の文章だけだと、私の頭脳ではちょっとあやふやな理解になりましたが(私の理解力の問題なのでしょうねー。)
奇跡講座マニュアル編の
P162~P163を読むと
ホッと安心して理解できる感じがしました(*^^*)
やはり、私にとっては
「神の使者」と「ハレルヤ理論」が無ければ、コースの何も理解ができなかったであろうと思われます。
ああ、良かった( ´ ▽ ` )
自分自身にわかりやすい言葉を使い
まとめるとこんな感じです。
分離した心=意識
その分離した心の中に
自我と聖霊という思考があり
心が自我を選んでいる時
間違った心の状態となり
間違った知覚の幻想を作り出す。
心が聖霊を選んでいる時
正しい心の状態となり 世界を赦す。