※葉山にてインスピレーションがあり(バス内で)写真の下部に追記しました(*^^*)
一昨日、実践コースにご参加中の F県のJさんからご質問をいただきました。
ハッキリ言って、個の私が即答できるような内容ではないです(笑)難しい^^;
イエスに願い出て、私の思考を捧げつくしてテキストを読ませていただきました。
以下、ご質問と答えです。(一つの参考までに。。)
☆ ご質問 ☆
私は息子を通して心の葛藤が多くその自我の思考を、赦しを通して見つめてきました。
すると、息子に特別性を持ち、息子に愛されたら幸せなんだと求めている心に気付いて手放し聖霊に明け渡していました。
これに気付いた時は、本当に無意識の所に押し隠していたんだなと思いびっくりしました!
すると、私がいろいろしてあげなくてはいけないという息子と捉えるのではなく、この目の前にいる兄弟も神の子で完璧なんだと穏やかな心に戻り、特別性で捉える事がなくなってきています。
そして、形のレベルで息子が1人で出来ることが多くなっています。(ここは無いので関係ないのですが)
それで、質問なのですが、
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)の完成のための選択のP455の下の段、11の5の所(T-16.5.11:5)
が意味も理解できないのにとても引っ掛かるのです。
他の部分でもこれはどんな意味なんだろう?とは出てくる所もまだまだあるのですが、この11の5の部分が特に胸がざわつく感じがあります。
前後の文章もあるとは思いますが、この部分はどの様な事を言っているのかのりこさんの理解した内容を教えていただけると幸いです。
何故か、今の段階の私に必要な気がしています。
☆ 答え ☆
(今の私が言語化できる範囲内の文章です)
自我の信念「神からの分離」=自身の死を暗示していますし
間違った心にいる時の私たちはそれを知覚しています。(すべてを神が奪った)
自分の「すべてを失った感じ」が、死そのものなので、
それをどうにかすべきと考えています。
その解決策としてのパターンのいくつかは
以下のようだと言えると思います。(今のところの理解です)
他者から奪い取る。
他者が減った分、
自分は獲得し増強する。
と信じていて、実行しようとします。
他者を支配する。
他者が服従した分、
自分は優位に立ち増強する。
と信じていて、実行しようとします。
他者に奪われ、支配される。
自分が服従した分、
損失や犠牲を払った分、
自分の価値が増強する。
もっと愛される。
と信じていて実行しよう
(犠牲を求める)とします。
特別な愛にせよ、特別な憎悪にせよ、
特別な関係は、これを行うことを目的としています。
多くの場合は、そのあからさまさをオブラートで隠しています。
T-16.5.8:1~2
(奇跡講座テキスト編/中央アート出版社/454ページ)
自我が探し求める「より良い」自己とは、常に、より特別な自己である。
そして特別な自己を所有しているかに見える者が「愛される」のは、
彼から取り上げることができるものがあるからである。
- - - - -
この文章の一つのとらえ方として。。
- - - - -
複数いる。
ということにしている分裂した沢山の自己の中の、
一側面である自分(Jさん)は、
自分が瀕死状態だと思っているので、それを蘇生させるために
より良い(より特別な)自己を、外に探し求める。
そして特別な自己を所有しているかに見える者(お子さん)が
私(Jさん)から「愛される」のは、
彼から私(Jさん)が取り上げることができるものがあるからである。
(今回で言うと、特別に愛してくれるということ、私に特別性を感じさせてくれるということ)
言い換えれば、
「私が取り上げることができるものを、あなたは私に提供し続けなければならないのですよ。」
そうでなければ、あなたには何の価値もありません。
そうでなければ、私はあなたを愛しません。憎悪します。殺害します。
と、脅さなければならないということでもあります。
そういったことの幻想レベルでの象徴的行為が様々な歴史に反映されていますね。
例を挙げるときりがないくらいです。
あからさまな例だと
略奪愛ドラマ、奴隷制度、拷問、宇宙戦争、世界大戦、人身売買、DV、
↑ここには、やる側・やられる側という二極がありますが
そのどちら側も、分離を信じていて、そこから救われるために(本当は苦しみの保持強化) 密かにこれらのストーリーを「欲して」います。
「間違った心の状態」にいる時の私たちは
シナリオ上の、演者:Aさん(加害者役)、Bさん(被害者役)とも
お互いに、自我の祭壇の上で分離による苦痛から逃れるために
お互いを殺害しあおうとしています。
「Aさん」
自分が相手から獲得すれば、勝ち取れば自分は安泰です。
相手(Bさん)が劣っていて、自分が優れているのだ。
相手がだらしない(罪がある)のが悪いんだ。
という投影で、自分には罪がないということを正当化します。
(しかし実際は投影しているので罪悪感を強化している)
そしてまた、
「Bさん」
相手(Aさん)が自分から何かを奪い取った。
という「奪われた側」(Bさん)にも、ある意味自我の言い分としては、益があります。
なぜなら、相手(Aさん)は自分を攻撃した罪人なのですから、Bさんはそこで投影を起こし
自分は被害者で相手は加害者、よって真に罪があるのは相手だ。
よって私は無罪だ。という主張ができるからです。
(しかし実際は投影しているので罪悪感を強化している)
Aも、Bも、2極にわかれて演じ合っている一者の自分自身ですが
自分の中で、ABに分かれて戦いあうことによって、
自我の言い分においては、お互いがそれぞれ益をなしています。
が、、、しかし!
真理においては、いずれの自分も夢見を長引かせる行為を継続している
そのループにはまっているだけに過ぎないことが
こうして学んでくるとわかってきますね。
この演劇にはまりこんでいることに気が付いて
結果と原因を逆転させて(投影をやめて)分離の信念ごと、
聖霊に捧げて取り消し依頼をしてゆくしかない。
ということに気が付けてゆけますね。
奇跡講座テキスト編P453の段落5(T-16.5.5:5)
P455の段落10~11(T-16.5.10~11)あたりの描写、、
映画で言うと、ヴォルデモートが、分霊箱を7つ作った。
というあたりを思い出します。
分霊箱を作るという狂気的行動自体、
無意識の決断が、形のレベルで行動化され狂気の心の状態が反映されていると言えると思います。
ヴォルデモートは、自身がまだ「完成されていない」と感じていました。
その「完成」のためには、世界中の兄弟全員を抹殺するくらいの気迫でしたね。
象徴として、最終的にハリーを殺せば自分は完成されると思っていましたが
ハリーは自分なので、自分に対する憎悪がヴォルデモートを消滅(ゲームオーバー)させるという
本末転倒な結果になりましたね。
心のレベルで、分離を信じ決断し続ければ
ヴォルデモートは、また何度地上に戻ってきても、同じようなドラマ(二元性のドラマ)を永遠と思えるくらい繰り返すことになりますね。
T-16.5.11:8
この完成の儀式が完了することはあり得ない。
このメールの全体を踏まえて、またテキストを読んでみると良いかも知れないです^^
のりこ
(※引用は、中央アート出版社テキスト編より)
2/12追記:
ご質問の T-16.5.11:5 について
ハリーポッターの「炎のゴブレット」の回のヴォルデモートの儀式が浮かび上がってきました。
ヴォルデモートは、天敵ハリーを拉致してハリーの血を採取して、鍋に入れて魔術をかけて(自分はほとんど瀕死で、できないから部下にやらせた)
そこに飛び込み、ハリーの生き血によって
「死んだ自分の肉体の上に彼の自己を蘇らそうとしている。」(T-16.5.11:5)
という儀式の場面が浮かびました。
そのままですね。
肉体というよりも、肉の塊でした。
.
一昨日、実践コースにご参加中の F県のJさんからご質問をいただきました。
ハッキリ言って、個の私が即答できるような内容ではないです(笑)難しい^^;
イエスに願い出て、私の思考を捧げつくしてテキストを読ませていただきました。
以下、ご質問と答えです。(一つの参考までに。。)
☆ ご質問 ☆
私は息子を通して心の葛藤が多くその自我の思考を、赦しを通して見つめてきました。
すると、息子に特別性を持ち、息子に愛されたら幸せなんだと求めている心に気付いて手放し聖霊に明け渡していました。
これに気付いた時は、本当に無意識の所に押し隠していたんだなと思いびっくりしました!
すると、私がいろいろしてあげなくてはいけないという息子と捉えるのではなく、この目の前にいる兄弟も神の子で完璧なんだと穏やかな心に戻り、特別性で捉える事がなくなってきています。
そして、形のレベルで息子が1人で出来ることが多くなっています。(ここは無いので関係ないのですが)
それで、質問なのですが、
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)の完成のための選択のP455の下の段、11の5の所(T-16.5.11:5)
が意味も理解できないのにとても引っ掛かるのです。
他の部分でもこれはどんな意味なんだろう?とは出てくる所もまだまだあるのですが、この11の5の部分が特に胸がざわつく感じがあります。
前後の文章もあるとは思いますが、この部分はどの様な事を言っているのかのりこさんの理解した内容を教えていただけると幸いです。
何故か、今の段階の私に必要な気がしています。
☆ 答え ☆
(今の私が言語化できる範囲内の文章です)
自我の信念「神からの分離」=自身の死を暗示していますし
間違った心にいる時の私たちはそれを知覚しています。(すべてを神が奪った)
自分の「すべてを失った感じ」が、死そのものなので、
それをどうにかすべきと考えています。
その解決策としてのパターンのいくつかは
以下のようだと言えると思います。(今のところの理解です)
他者から奪い取る。
他者が減った分、
自分は獲得し増強する。
と信じていて、実行しようとします。
他者を支配する。
他者が服従した分、
自分は優位に立ち増強する。
と信じていて、実行しようとします。
他者に奪われ、支配される。
自分が服従した分、
損失や犠牲を払った分、
自分の価値が増強する。
もっと愛される。
と信じていて実行しよう
(犠牲を求める)とします。
特別な愛にせよ、特別な憎悪にせよ、
特別な関係は、これを行うことを目的としています。
多くの場合は、そのあからさまさをオブラートで隠しています。
T-16.5.8:1~2
(奇跡講座テキスト編/中央アート出版社/454ページ)
自我が探し求める「より良い」自己とは、常に、より特別な自己である。
そして特別な自己を所有しているかに見える者が「愛される」のは、
彼から取り上げることができるものがあるからである。
- - - - -
この文章の一つのとらえ方として。。
- - - - -
複数いる。
ということにしている分裂した沢山の自己の中の、
一側面である自分(Jさん)は、
自分が瀕死状態だと思っているので、それを蘇生させるために
より良い(より特別な)自己を、外に探し求める。
そして特別な自己を所有しているかに見える者(お子さん)が
私(Jさん)から「愛される」のは、
彼から私(Jさん)が取り上げることができるものがあるからである。
(今回で言うと、特別に愛してくれるということ、私に特別性を感じさせてくれるということ)
言い換えれば、
「私が取り上げることができるものを、あなたは私に提供し続けなければならないのですよ。」
そうでなければ、あなたには何の価値もありません。
そうでなければ、私はあなたを愛しません。憎悪します。殺害します。
と、脅さなければならないということでもあります。
そういったことの幻想レベルでの象徴的行為が様々な歴史に反映されていますね。
例を挙げるときりがないくらいです。
あからさまな例だと
略奪愛ドラマ、奴隷制度、拷問、宇宙戦争、世界大戦、人身売買、DV、
↑ここには、やる側・やられる側という二極がありますが
そのどちら側も、分離を信じていて、そこから救われるために(本当は苦しみの保持強化) 密かにこれらのストーリーを「欲して」います。
「間違った心の状態」にいる時の私たちは
シナリオ上の、演者:Aさん(加害者役)、Bさん(被害者役)とも
お互いに、自我の祭壇の上で分離による苦痛から逃れるために
お互いを殺害しあおうとしています。
「Aさん」
自分が相手から獲得すれば、勝ち取れば自分は安泰です。
相手(Bさん)が劣っていて、自分が優れているのだ。
相手がだらしない(罪がある)のが悪いんだ。
という投影で、自分には罪がないということを正当化します。
(しかし実際は投影しているので罪悪感を強化している)
そしてまた、
「Bさん」
相手(Aさん)が自分から何かを奪い取った。
という「奪われた側」(Bさん)にも、ある意味自我の言い分としては、益があります。
なぜなら、相手(Aさん)は自分を攻撃した罪人なのですから、Bさんはそこで投影を起こし
自分は被害者で相手は加害者、よって真に罪があるのは相手だ。
よって私は無罪だ。という主張ができるからです。
(しかし実際は投影しているので罪悪感を強化している)
Aも、Bも、2極にわかれて演じ合っている一者の自分自身ですが
自分の中で、ABに分かれて戦いあうことによって、
自我の言い分においては、お互いがそれぞれ益をなしています。
が、、、しかし!
真理においては、いずれの自分も夢見を長引かせる行為を継続している
そのループにはまっているだけに過ぎないことが
こうして学んでくるとわかってきますね。
この演劇にはまりこんでいることに気が付いて
結果と原因を逆転させて(投影をやめて)分離の信念ごと、
聖霊に捧げて取り消し依頼をしてゆくしかない。
ということに気が付けてゆけますね。
奇跡講座テキスト編P453の段落5(T-16.5.5:5)
P455の段落10~11(T-16.5.10~11)あたりの描写、、
映画で言うと、ヴォルデモートが、分霊箱を7つ作った。
というあたりを思い出します。
分霊箱を作るという狂気的行動自体、
無意識の決断が、形のレベルで行動化され狂気の心の状態が反映されていると言えると思います。
ヴォルデモートは、自身がまだ「完成されていない」と感じていました。
その「完成」のためには、世界中の兄弟全員を抹殺するくらいの気迫でしたね。
象徴として、最終的にハリーを殺せば自分は完成されると思っていましたが
ハリーは自分なので、自分に対する憎悪がヴォルデモートを消滅(ゲームオーバー)させるという
本末転倒な結果になりましたね。
心のレベルで、分離を信じ決断し続ければ
ヴォルデモートは、また何度地上に戻ってきても、同じようなドラマ(二元性のドラマ)を永遠と思えるくらい繰り返すことになりますね。
T-16.5.11:8
この完成の儀式が完了することはあり得ない。
このメールの全体を踏まえて、またテキストを読んでみると良いかも知れないです^^
のりこ
(※引用は、中央アート出版社テキスト編より)
2/12追記:
ご質問の T-16.5.11:5 について
ハリーポッターの「炎のゴブレット」の回のヴォルデモートの儀式が浮かび上がってきました。
ヴォルデモートは、天敵ハリーを拉致してハリーの血を採取して、鍋に入れて魔術をかけて(自分はほとんど瀕死で、できないから部下にやらせた)
そこに飛び込み、ハリーの生き血によって
「死んだ自分の肉体の上に彼の自己を蘇らそうとしている。」(T-16.5.11:5)
という儀式の場面が浮かびました。
そのままですね。
肉体というよりも、肉の塊でした。
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