奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

自分で赦すんじゃないし、自分で訂正するわけじゃない。 そんなもんできるわけない。

2021年05月01日 01時05分40秒 | ACIM奇跡のコースという生き方



先日の勉強会でも話したことなのだけど

2012年7月、私の旦那さんが雨の日の夜
彼が運転していたHONDAのバイクと
現地の看護士(20歳男性)さんが運転する乗用車が衝突した事故で
旦那さんの肉体は大学病院に移送され、集中治療室に横たわっていた。

自宅にいた私には警察から連絡が入ったので
私も雨の中、急いで車を運転し大学病院に向かった。
車内には娘たちと私の母もいた。


集中治療室に入ると、彼は口から血を流していた。
(拭いても、口内や頭部から流れ出ていたのだろう)



警察から電話がきた瞬間も、運転をして病院にたどり着くときも、集中治療室に入ってからも
私が認識をしたこと、決断したこととは

間違いなく、これらの【状況・映像のすべて】を映し出しているのは
「世界全体を投影している私だ」ということ。


誰が被害者で、
誰が加害者で、
誰が旦那さんを治療してその肉体を復活させる責任があるのか?

とか、考える余地はまったくなかった。
そんな余裕は、皆無だった。



眼前で展開される映像、そのストーリーを把握するだけでいっぱいだった。
それ以外には何もできなかった。
どれもこれも、実在する現実には見えなかった。



ゆえに、誰にこの肉体の破壊の責任があるのか?
とかいう「考えを捏造すること」も不可能だった。

そんな思考は
まったく無意味で、役に立たないものだった。


何をどう考えたところで、
どこに責任を押し付けたところで

彼の肉体は、後数時間もつかどうかもわからない。
その状態を変えることは、もはやできないのだ。

(続く)









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