奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

奇跡衝動の歪曲に要注意。自我も奇跡講座を学んでいる。

2019年08月22日 13時54分55秒 | ACIM奇跡のコースという生き方



先日、個人セッションのとき、その兄弟の口から出てきた言葉

「自我も奇跡講座を学んでいるって、言いますもんね」


心の中の分離を欲求している部分も、確かに奇跡講座を学んでいる。


しかし

その学びの目的は、時間を先延ばしするため。

それを見破ることは非常に難しい。けど、明らかなことでもある。


自我も、奇跡講座を学ぶことに大反対はしない。

しかし、その目的は分離維持のため。

これはバレてはならない、自我の最大の秘密かも知れない。



先日の、ユタのリトリートでのデイヴィッドの口から頻繁に出てきた言葉は

「目的が大切」「目的」「目的」「目的」


だったと感じた。




奇跡講座を学んでいるから、本当に目が覚める訳では無い。

奇跡講座を、本当に、自我の取り消しのために学ぶから、目が覚める。



自我の取り消しとは

奇跡衝動の歪曲を超えて、奇跡衝動すら超えていくもの。


奇跡衝動の、その、もっともっともっと奥に

源がある。


そこには奇跡衝動が無い。

完全なる真空。それは意識のレベルの真空では無い。


意識が発生したかに見えた、それ以前の真空。


そこにはいわゆるエクスタシーが無い。

残念ながら、無いんだわ。

意識(心)は、そこに留まりたい。非常に留まりたい。


しかし

目覚めとは、私たちが期待するような何かでは無い。

期待など全くもって、できないレベル、絶するレベル。


そこには何も無い。

ゆえに、

それは完全なる愛。



ラマナ・マハルシは言った。

最後に残るのは「至福の鞘」だ。

「私」が完全に目を覚ます時

至福のレベルすら、完全なエクスタシーのレベルすら


そんなものに引っかからずに

通り過ぎてゆくことになる。

それがトリックだったと、いずれ必ず気がつく。



そこは、自我の最後の砦かも知れなかった。

ハートの体験すら、消滅するレベル

「それ以前」が、もはや無いレベルへ。



パパジは言った。

そこまで求める者は稀だ。非常に稀だ。



私も、2012年以降 とんでもないハートの状態を日々体験しているのだけど

2014年以降その強度を増しているのだけど

今年は頭頂も突き抜けているのだけど

けど、もはや、その奥に奥にフォーカスを向けている。

なぜなら、とんでもないハートの体験状態それこそが

時間の先延ばしの道具になってしまうことが容易にわかるようになったから。

自我は完全なる覚醒のその瞬間まで、なんでもかんでも横領する。

それを見破る必要がある。



ハートの状態を体験している私が消え、体験(世界・夢・宇宙)が消えるのだ。








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