そう言えば、昨年11月
聖霊に誓ったあと、数時間後に我が家にいらっしゃったEさんについてですが
ある程度のシナリオの終了を感じていますので、少し記します。
[関連記事]放蕩息子の物語を思い出す、極端なレッスン。
聖霊のサインとして、合宿や勉強会やウェビナーに絡めて
いろいろとシナリオが展開することが多いのですが
Eさんは、2017年1月には安定したお仕事が見つかり、最近社員寮にも入れました。
最終的にEさんの荷物がすべて引き払われていった日(4月25)は、旦那さんの誕生日でした。
Eさんの都合の良い日が、その日だった。というシナリオなのですが
聖霊は、いろいろとサインを絡めつつメッセージを送りますね~。
お金が戻ってくるかどうかは別にして「私に任せなさい」というイエスの声に従って
20万円ほどのお金を工面していたのですが、荷物が引き払われた日までに全額返済されました。
だから良かった。という意味でもないのですが
イエスがしたかったことが、そのまま邪魔されずに執り行われましたとさ。
というレッスンでした。
そして、Eさんを救ったように見える大橋のりこも、Eさんも、離れ合った存在ではなく
困っている兄弟と、それを救ったかに見えた兄弟というシナリオも無で
真理においては、起きていなかった。
なされたのは、大橋のりこによってなされた何かではなく
御心のままに、なされるがままに起きていったことだった。
誰かによる手柄など、どこにもなかったんだよね。
という、聖霊からのメッセージがありました。
そう。
赦した私と、Eさんという相手がいるかのような錯覚はあったが
実は「私」が思い描いた「私」と「神」との関係がスクリーンにあらわれたに過ぎなかった。
これから「私」は、
「すべてのすべて」と
「私」との関係を
「私」と「神」との関係として認識してゆくことになる。
神を迎え入れることにより、神に受け入れられることを自分自身に許可する。
そうやって、神と一つになる。
すべての想念を、こえてゆく。
すべての自作自演ストーリーをこえてゆく。
それは、遠い将来においてでもなく
沢山の概念を学ぶことによってでもなく
追放をやめる決断と、歓迎する決断によって
自分自身が救われ、自他が一つであったという自覚が超自然的に起きてゆく。
そういう道を、私たちは歩んでいるし
歩まないことは絶対不可能だ。
それは、時間の問題。
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聖霊に誓ったあと、数時間後に我が家にいらっしゃったEさんについてですが
ある程度のシナリオの終了を感じていますので、少し記します。
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聖霊のサインとして、合宿や勉強会やウェビナーに絡めて
いろいろとシナリオが展開することが多いのですが
Eさんは、2017年1月には安定したお仕事が見つかり、最近社員寮にも入れました。
最終的にEさんの荷物がすべて引き払われていった日(4月25)は、旦那さんの誕生日でした。
Eさんの都合の良い日が、その日だった。というシナリオなのですが
聖霊は、いろいろとサインを絡めつつメッセージを送りますね~。
お金が戻ってくるかどうかは別にして「私に任せなさい」というイエスの声に従って
20万円ほどのお金を工面していたのですが、荷物が引き払われた日までに全額返済されました。
だから良かった。という意味でもないのですが
イエスがしたかったことが、そのまま邪魔されずに執り行われましたとさ。
というレッスンでした。
そして、Eさんを救ったように見える大橋のりこも、Eさんも、離れ合った存在ではなく
困っている兄弟と、それを救ったかに見えた兄弟というシナリオも無で
真理においては、起きていなかった。
なされたのは、大橋のりこによってなされた何かではなく
御心のままに、なされるがままに起きていったことだった。
誰かによる手柄など、どこにもなかったんだよね。
という、聖霊からのメッセージがありました。
そう。
赦した私と、Eさんという相手がいるかのような錯覚はあったが
実は「私」が思い描いた「私」と「神」との関係がスクリーンにあらわれたに過ぎなかった。
これから「私」は、
「すべてのすべて」と
「私」との関係を
「私」と「神」との関係として認識してゆくことになる。
神を迎え入れることにより、神に受け入れられることを自分自身に許可する。
そうやって、神と一つになる。
すべての想念を、こえてゆく。
すべての自作自演ストーリーをこえてゆく。
それは、遠い将来においてでもなく
沢山の概念を学ぶことによってでもなく
追放をやめる決断と、歓迎する決断によって
自分自身が救われ、自他が一つであったという自覚が超自然的に起きてゆく。
そういう道を、私たちは歩んでいるし
歩まないことは絶対不可能だ。
それは、時間の問題。
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