自分(夢を映し出す心)が見たいものしかこの世界では見れないってのは
ほんとうに、文字通りのことだなあと思う。
罪や、裏切りや、犠牲や、加害があり得ると信じる心にとって「見れる何か」とは
その心が「信じるもの」しか見るしかできない。
心が世界の中で見ていた「罪や、裏切りや、犠牲や、加害」の正体とは何か?
心が世界の中で見ていた「罪や、裏切りや、犠牲や、加害」の正体とは何か?
それは、愛と助けを求めている姿。
愛と助けを求める世界には、私たちの本質である愛と慈悲を与えるしかない。
方便でもなんでもなく
そのようにしてのみ、私たち自身の心(夢を映し出す必要性に迫られた心)が、癒しを受け入れられるんだな。
方便でもなんでもなく
そのようにしてのみ、私たち自身の心(夢を映し出す必要性に迫られた心)が、癒しを受け入れられるんだな。