最近、また何度も思い出していることがあります。
2012年2月、4月のことです。
当時の動画がYoutubeから削除されてしまっているようなので、ご存知の方は少ないかも知れませんが
当時、「アンフィニ 集中クラス」というものに、私も参加していました。(同時期、香港さんもいました)
2月の会場は、新宿のホテルでした。
そこで、一泊二日の集中クラス。
普段のクラスでは、あまり言わないような鋭い角度の質問が、あやこさんからあったのを鮮明に覚えていて・・・
宇宙の中での次元上昇の際ももちろん、その見方はパワフルでしたが
宇宙(夢)からの脱出の際も、パワフルだな。
と、感じている言葉です。
当時参加していた方のうち数人の方は、強烈な恐れにみまわれていました。
意識にとっては、あらゆる変化(特に、より解放される変化)は恐れとして知覚されるんですね。
「これから、目を覚ましてゆくにつれて、もしも、自分一人だけになってもいいですか?」
「誰もいなくなっても、それでも、目を覚まし続けることの方を選びますか?」
そういう言葉だったと記憶しています。
私は思いました。
「それでも、目覚めることの方を選ぶ」と。
どんな人生という映像が展開されたとしても、紛れも無くそれらは自分が映し出している映像なのだから
そこに、誰一人もいなくなってしまった。(関係性が失われた)ように見えても、それでも真実に目を覚ましたい。と
あまりに、みんなが怖がっている様子だったからか
あやこさんから「実際にそういうことが起こるというわけじゃないです。けど、そうなったとしても。という覚悟はありますか?」
というニュアンスの投げかけもありました。
私が思うに、これは「人生を放棄する。」という意味ではないんですよね。
何に重きを置くのか?なんです。
重きを置く場所は、たった一つです。
欲張って、あちこちに置くことはできません。
奇跡のコースで言えば
この世界を夢見続けるか?
この世界から出て、実相世界経由で、夢から完全に目を覚ますか?
いずれかの2つに1つしか、選択肢はありませんね。
この世界の、あらゆる関係性を今までの自分が設けたルールの中で保ち続けることを選ぶなら
夢を見続けることを選ぶということになります。(奇跡講座テキスト編P21「卑小な自分は~」)
それらを、完全に聖霊に明け渡し委ねきって生きてゆくのが、真に目覚めることを選ぶことになります。
2012年2月某日、それを決めたことも大きかったのではなかろうか?
最近、そんなことが頭をよぎっています。
そして、奇跡のコースへ移行した後も、それを何段階も何段階も、意志し続けてきたことが
今につながっているのだろうなと感じています。(全部、聖霊が導いていますね)
(奇跡講座テキスト編 T-30.4.6:4~)
しかし、あなたが一つの非常に単純な決断をするとき、すなわち、「偶像が与えてくれると自分が信じているどんなものも、自分は望まないことにする」
という決断をするとき、あなたは、強力な変化が速やかに引き起こされたことを理解するだろう。
なぜなら、そのようにして、神の子は自分が偶像たちから自由であることを宣言するからである。
そして、そのようにしてこそ彼は自由である。
救済とはまさしく逆説(パラドックス)である!それは幸せな夢以外の何であり得るだろう。
救済があなたに求めることは、もとより誰も行っていないことのすべてを赦すことであり、存在しないものを看過することであり、
非実在なるものを実在のものと見なさないというだけのことである。
↑引用しているテキストの、青文字の部分、、最近それを感じています。
しかしながら、警戒が大切で、心の選択をしっかり見張っている必要性もとても感じています。
2012年4月のことは、いずれまた。。☆
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