最近、このあたりに関してのご質問が続いたので、こちらでもご紹介させていただきますね☆
奇跡講座テキスト編(中央アート出版)より
P40 第1章.1.50
奇跡はあなたが作り出したものを被造物と比較し、
被造物と調和するものを真実として受け入れ、
調和しないものを誤りとして拒絶する。
P160 第6章.5.C.1
神と神の国を守るためだけに警戒していなさい。
私たちは以前、聖霊は評価をするものであり、そうでなければならないと述べた。
聖霊はあなたの心の中で、誤ったものから真実のものを選り分け、
あなたが心に入らせる考えの一つひとつを、神がそこに置いたものの光に照らして判断するよう教える。
聖霊はこの光に適合するものは何でも保持しておく。それはあなたの心の中の神の国を強化するためである。
部分的に適合しているものは受け入れて、浄化する。
しかし、まったく適合していないものは、それを不適と判断し、拒絶する。
このようにして、聖霊は神の国を、非の打ちどころない一貫性のある完全に統一されたものに保つ。
けれども、聖霊が拒絶するものを自我は受け入れる、ということを思い出しなさい。
~中略~
聖霊が生じさせる唯一の心境は喜びである。聖霊は喜びを育まないすべてのものを拒絶することによって、それを守る。
ゆえに、聖霊だけが、あなたを心底から喜びにあふれた状態に保つことができる。
☆ ☆ ☆
奇跡講座(奇跡のコース・ACIM)でJが一貫して言ってくれていること
それは、
(真実に近い象徴としての)正しい知覚、(そして最終的には)実在のみを受け入れ
間違った知覚、非実在を受け入れない
ということ。
非実在は、無であり、実在しないがゆえに
真に受け入れることはできない。
当たり前ですね^^
(受け入れたような気になることはできるけど、無ゆえに、無を受け入れることは無理なんですね)
けれども、赦しによって
間違った知覚・非実在を見ていた眼の中の丸太が取り除かれることにより
間違った知覚・非実在が、聖霊によって修正がなされ、それが完全に無だったとわかり
実在のみがあったという理解が起きる。
この世界では、啓示や正しい知覚レベルとして与えられた神の愛を受け入れさせてもらうまでが可能ですね。
実践を重ねてゆくと、、いつの日か
結果、自分の意味付けしていた知覚のすべてが無だったのだと
すべてを実在として受け入れることができるようになってゆきます。
↑
こういったプロセスを、きちんと踏んでゆくということが大前提です^^
「全部が神の愛なんだから、なんでもかんでも受け入れてしまおう!」
という意味ではないんですね。
言葉は、ただ方向性を指すのみなので、その真の意味をしっかり学ぶ(自分に教える)必要がありますね。
~奇跡講座テキスト編 序文より~
実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。
「見ている意識自体がいない。」
↑
はあ~~~~~~~~~~~~~~~~、、、、、
これがわかるって、、ものすごい歓喜です!!!!!
存在しない非実在(知覚)は、受け入れる必要がありません。
完全な神の愛を、知覚へと歪めている
間違った思考を聖霊に委ねてこそ。。。
God isのみ、神のみを
真に受け入れてゆくことが可能になりますね。
意識がでっち上げた「自分なりの世界」は、本当に不要になります。
そこに、完全な天国があるのだから♡
奇跡講座テキスト編(中央アート出版)より
P40 第1章.1.50
奇跡はあなたが作り出したものを被造物と比較し、
被造物と調和するものを真実として受け入れ、
調和しないものを誤りとして拒絶する。
P160 第6章.5.C.1
神と神の国を守るためだけに警戒していなさい。
私たちは以前、聖霊は評価をするものであり、そうでなければならないと述べた。
聖霊はあなたの心の中で、誤ったものから真実のものを選り分け、
あなたが心に入らせる考えの一つひとつを、神がそこに置いたものの光に照らして判断するよう教える。
聖霊はこの光に適合するものは何でも保持しておく。それはあなたの心の中の神の国を強化するためである。
部分的に適合しているものは受け入れて、浄化する。
しかし、まったく適合していないものは、それを不適と判断し、拒絶する。
このようにして、聖霊は神の国を、非の打ちどころない一貫性のある完全に統一されたものに保つ。
けれども、聖霊が拒絶するものを自我は受け入れる、ということを思い出しなさい。
~中略~
聖霊が生じさせる唯一の心境は喜びである。聖霊は喜びを育まないすべてのものを拒絶することによって、それを守る。
ゆえに、聖霊だけが、あなたを心底から喜びにあふれた状態に保つことができる。
☆ ☆ ☆
奇跡講座(奇跡のコース・ACIM)でJが一貫して言ってくれていること
それは、
(真実に近い象徴としての)正しい知覚、(そして最終的には)実在のみを受け入れ
間違った知覚、非実在を受け入れない
ということ。
非実在は、無であり、実在しないがゆえに
真に受け入れることはできない。
当たり前ですね^^
(受け入れたような気になることはできるけど、無ゆえに、無を受け入れることは無理なんですね)
けれども、赦しによって
間違った知覚・非実在を見ていた眼の中の丸太が取り除かれることにより
間違った知覚・非実在が、聖霊によって修正がなされ、それが完全に無だったとわかり
実在のみがあったという理解が起きる。
この世界では、啓示や正しい知覚レベルとして与えられた神の愛を受け入れさせてもらうまでが可能ですね。
実践を重ねてゆくと、、いつの日か
結果、自分の意味付けしていた知覚のすべてが無だったのだと
すべてを実在として受け入れることができるようになってゆきます。
↑
こういったプロセスを、きちんと踏んでゆくということが大前提です^^
「全部が神の愛なんだから、なんでもかんでも受け入れてしまおう!」
という意味ではないんですね。
言葉は、ただ方向性を指すのみなので、その真の意味をしっかり学ぶ(自分に教える)必要がありますね。
~奇跡講座テキスト編 序文より~
実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。
「見ている意識自体がいない。」
↑
はあ~~~~~~~~~~~~~~~~、、、、、
これがわかるって、、ものすごい歓喜です!!!!!
存在しない非実在(知覚)は、受け入れる必要がありません。
完全な神の愛を、知覚へと歪めている
間違った思考を聖霊に委ねてこそ。。。
God isのみ、神のみを
真に受け入れてゆくことが可能になりますね。
意識がでっち上げた「自分なりの世界」は、本当に不要になります。
そこに、完全な天国があるのだから♡