奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

「全面的なYES」と、取り乱したくない気持ち、冷静な大人でありたい願望

2020年02月05日 00時32分07秒 | ACIM奇跡のコースという生き方



私たちの降参を妨げている根深い信念の一つとして

「取り乱すようなことをしたくない」

「冷静な大人でありたい」


というような願望が、私たちが自覚している以上に

あまりにも自然に、当たり前に隠され続けてきたと思う。


でも、もしも自分が 取り乱さずにいられないほどに追い詰められたり

どうしたって冷静な大人であれないほどに崖っぷちに立たされたとしたら

「もうどうでもいい」と、なるのだと思う。


そうすると「どうにでもなれ」と、何がどうあっても、なくても

今この瞬間のすべてについてコントロール欲求など持っているような余裕はなくて

結果的に「全面的なYES」の状態になってしまう。

それは COOLなことでもなんでもなくて、人間的には惨敗・大惨事な状態ですらありえる。


私たちは「目覚め」「獲得物」としてみている時期が

ある一定期間、数年とか10年とか、、下手すると数十年とか、かなりあると思うのだけども

「私」にとって「目覚め」とはそんなに「自分の期待」に沿ったものなんかじゃなくて

真逆のものなわけで、

だからこそこんなに夢見のループに逃げ続けてきたのだろう。



私は、特にうつ病で 日々起き上がれないほどの数年間を2011年までに過ごして

自分の心がかき乱されたり、とんでもなく取り乱してきたことが無数にあって

冷静なきちんとした大人であろうという野望

捨てざるを得ない時期を過ごしたことが 益しているのか

そういうことを諦めている節がある。


だから、逆にとても生きやすい。

まだまだ本格的な目覚めがおきているわけじゃないのにもかかわらず

しかも、十分に日々 心の奥の「愛に対する抵抗や恐れ」を自覚しているにもかかわらず

人生初、今がとてもとても生きやすいと感じている。


それはたぶん、だんだんと「全面的なYES」を受け入れる気持ちが強くなってきているのと

どんな気持ちや感情も押し殺さないことを自分に許しているからなのかもと思う。


私たちは取り乱してもいいと思うし、大人であろうとしなくていいと思うんだよね。

ただただ、狂気から正気に戻りたいと望み続けるだけでいいと思うんだよ。


何者かになどならなくてよくて

ただそれだけでいいなら

なんて幸せなことなのだろうと思う。



大人として、社会人としての責任とか

親孝行すべき子の立場としてとか

親として、妻として、夫としてとか

そういう重圧って私たち全体の自由をただただ抑圧させて殺してきたんだなと思う。

そのような法則から抜け出す時って、普通猛烈な恐れが浮上するものなのだけど

その恐れって、自分にもともと与えられている自由や幸せを阻むトリック・煙幕でしかなかったんだって

抜け出してみると、みんな気がつくことになっている。

そして、人間とか肉体とか行為者っていう 信念・トリックからも

一歩一歩抜け出してゆくレッスンが淡々と与えられるんだろうと思う。



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