とにかく、なにもかも、GOD IS以外は何一つ信じない。
聖霊による赦しによって、その心を達成することをコツコツと日々目指しています。
「幻想の一切を信じない」とは、逃げでもなんでもなく
無を実在として見ること自体が、ありえないほどの狂気だから。
心が達成されて永続的に実相世界を知覚しているとしても、
その心は、それを実在と信じてはいない。
世界は、自我の想いで作られているのだから
自我の想いを一つも信じないこと。
この2年間ここまで来るのに、何度も何度も「自分は何かを失うのではないか?」
という想いが上がってきました。
それはかなりの誘惑でした。少しずつその想いの鎖を断ち切ることを選び続け
段階段階で、えい!っと捨てることができてゆきました。
今できるかぎりの精一杯、誘惑を捨ててきたな~。
そしたらね、ほんとうに幻想を信じる(自我としての)能力が
だんだんと、なくなってくるんですね。
これは、本当に幸せなことです。
そして、今までいかに狂気であったか?が、ありありとわかるんです。
徹底的な、例外ない明け渡しなんですね。
まだまだ毎瞬毎瞬 誘惑はやってきます。
けど、繰り返し、繰り返し、明け渡してゆくのみ。
そこに苦痛がないのは、沢山の地獄(笑)を越えてきたからだろうか?
今、ものすごく赦しが苦しい方や
恐れや怒りに満ちている方がいらっしゃったら、確信からメッセージができます。
かならずその苦しみは終わりが来ます。
始まりがあれば、必ず終わりは来る。
それは目覚めのためのレッスンです。
真実を思い出したい意欲を持てば、今何を知覚していようが、絶対に大丈夫です。
わたしたちは、今も、神の中で完全に安らいでいるのだから。
中央アート出版 奇跡講座テキスト編
T-6.2.6 P146
喜びのない場所では、自分がそこに居ないと気づく以外にどのようにして喜びを見つけられるだろう。
あなたは、神があなたを置かなかったところに存在することはできない。
そして、神はあなたをご自身の一部として創造した。
それが、あなたの居場所であり、あなたの本性である。
それは全的な包含である。
あなたはそれを今もこれからも変えることはできない。
それは永久に真実である。
聖霊による赦しによって、その心を達成することをコツコツと日々目指しています。
「幻想の一切を信じない」とは、逃げでもなんでもなく
無を実在として見ること自体が、ありえないほどの狂気だから。
心が達成されて永続的に実相世界を知覚しているとしても、
その心は、それを実在と信じてはいない。
世界は、自我の想いで作られているのだから
自我の想いを一つも信じないこと。
この2年間ここまで来るのに、何度も何度も「自分は何かを失うのではないか?」
という想いが上がってきました。
それはかなりの誘惑でした。少しずつその想いの鎖を断ち切ることを選び続け
段階段階で、えい!っと捨てることができてゆきました。
今できるかぎりの精一杯、誘惑を捨ててきたな~。
そしたらね、ほんとうに幻想を信じる(自我としての)能力が
だんだんと、なくなってくるんですね。
これは、本当に幸せなことです。
そして、今までいかに狂気であったか?が、ありありとわかるんです。
徹底的な、例外ない明け渡しなんですね。
まだまだ毎瞬毎瞬 誘惑はやってきます。
けど、繰り返し、繰り返し、明け渡してゆくのみ。
そこに苦痛がないのは、沢山の地獄(笑)を越えてきたからだろうか?
今、ものすごく赦しが苦しい方や
恐れや怒りに満ちている方がいらっしゃったら、確信からメッセージができます。
かならずその苦しみは終わりが来ます。
始まりがあれば、必ず終わりは来る。
それは目覚めのためのレッスンです。
真実を思い出したい意欲を持てば、今何を知覚していようが、絶対に大丈夫です。
わたしたちは、今も、神の中で完全に安らいでいるのだから。
中央アート出版 奇跡講座テキスト編
T-6.2.6 P146
喜びのない場所では、自分がそこに居ないと気づく以外にどのようにして喜びを見つけられるだろう。
あなたは、神があなたを置かなかったところに存在することはできない。
そして、神はあなたをご自身の一部として創造した。
それが、あなたの居場所であり、あなたの本性である。
それは全的な包含である。
あなたはそれを今もこれからも変えることはできない。
それは永久に真実である。