2013年2月に、ハレさんに出会ってからというもの
「神への信仰心というもの」ってどんなものなのだろうか?と
その心の状態に対する憧れ(笑)は、ありつつも
まだまだ、あのころの私は、この世界という偶像を相当握り続けていたので
憧れながらも、まったくその感触がつかめない(ハートの悦びを感じることとは、また違うんです)
ままで、しばらく学びと実践を繰り返すだけの日々が延々と続きました。
昨年の今頃も、やはり感触をつかみきれない感じで、けど、私が進むべき方向はそこだ。
という確信はありました。
神への信仰心そのものであった、五井先生や、マザー・テレサの書籍から
彼らのエッセンスの中に、自分を感じ取りつつ
そして、日々の延々の繰り返しレッスンレッスンレッスンレッスンで
気がついたら、、、
徐々に、徐々に、徐々に、あこがれ続けていた「神への信仰心」一本に
心がまとまって来つつある感じが、最近あるんです。
この、イメージの世界の中で、びっくりするほどの偶像を作り上げてきた「私」が
その偶像の面影ではなく、その偶像の中にある実相だけを見て、受け入れ、愛し
偶像を偶像とさせてきた私の想念(分離)と意志(分離)を
延々と手放していった結果
気がついたら、、、
という感じです。
この世界の、何もかもが、神に対する感謝で染まってゆきます。
その響きの中で、また延々と繰り返しのレッスンを通り過ぎてゆき
その響きだけしか、やはり無かったのだという確信になってゆく。
こうやって、God isを100%確信して受け入れてゆくための道なんですね。
一つも偶像をとっておかない決意を、持ち始めてゆくことが、スタートですね。
何度か、ここでシェアさせていただいていますが、
↓やはりこの言葉を受け入れて以降、めっきり私の中が変化しはじめていったことを、はっきりと覚えています。
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社) T-30.4.6 P817
外観は、欺かれることを望んでいる心しか欺けない。
そしてあなたは、永遠に欺瞞をはるかに超越したところに自分を置くことになる単純な選択をすることができる。
どのようにこれが為されるかについて、あなたが気にする必要はない。
なぜなら、それはあなたには理解不可能だからである。
しかし、あなたが一つの非常に単純な決断をするとき、すなわち、
「偶像が与えてくれると自分が信じているどんなものも、自分は望まないことにする」
という決断をするとき、あなたは、強力な変化が速やかに引き起こされたことを理解するだろう。
なぜなら、そのようにして、神の子は自分が偶像たちから自由であることを宣言するからである。
そして、そのようにしてこそ彼は自由である。
この文章を読んでみて、もしかしたら
「そんな風にしたら、自分は何か損失をこうむるのではないか?」
というような想いがあがってくる方もいらっしゃるかも知れません。
その想いは、誰の想いでしょうか?
本当に、自分の想いなのでしょうか?
その想いは、自我の思考からやって来ているウソ偽りの想いです。
「私」は、今も天国にいて、神の中で完全に安らいでいます。
偽りの想いは、同一化されるためにやって来ているのではなく
手放されるために、やって来ています。
愛の想い、感謝の想いでないあらゆる想いは
同一化するのではなく、手放してしまいましょう。
本当の自由が、今、まさに、ここにあります。
そのために、一生を捧げてしまおう。
私は、そう決めています。
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「神への信仰心というもの」ってどんなものなのだろうか?と
その心の状態に対する憧れ(笑)は、ありつつも
まだまだ、あのころの私は、この世界という偶像を相当握り続けていたので
憧れながらも、まったくその感触がつかめない(ハートの悦びを感じることとは、また違うんです)
ままで、しばらく学びと実践を繰り返すだけの日々が延々と続きました。
昨年の今頃も、やはり感触をつかみきれない感じで、けど、私が進むべき方向はそこだ。
という確信はありました。
神への信仰心そのものであった、五井先生や、マザー・テレサの書籍から
彼らのエッセンスの中に、自分を感じ取りつつ
そして、日々の延々の繰り返しレッスンレッスンレッスンレッスンで
気がついたら、、、
徐々に、徐々に、徐々に、あこがれ続けていた「神への信仰心」一本に
心がまとまって来つつある感じが、最近あるんです。
この、イメージの世界の中で、びっくりするほどの偶像を作り上げてきた「私」が
その偶像の面影ではなく、その偶像の中にある実相だけを見て、受け入れ、愛し
偶像を偶像とさせてきた私の想念(分離)と意志(分離)を
延々と手放していった結果
気がついたら、、、
という感じです。
この世界の、何もかもが、神に対する感謝で染まってゆきます。
その響きの中で、また延々と繰り返しのレッスンを通り過ぎてゆき
その響きだけしか、やはり無かったのだという確信になってゆく。
こうやって、God isを100%確信して受け入れてゆくための道なんですね。
一つも偶像をとっておかない決意を、持ち始めてゆくことが、スタートですね。
何度か、ここでシェアさせていただいていますが、
↓やはりこの言葉を受け入れて以降、めっきり私の中が変化しはじめていったことを、はっきりと覚えています。
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社) T-30.4.6 P817
外観は、欺かれることを望んでいる心しか欺けない。
そしてあなたは、永遠に欺瞞をはるかに超越したところに自分を置くことになる単純な選択をすることができる。
どのようにこれが為されるかについて、あなたが気にする必要はない。
なぜなら、それはあなたには理解不可能だからである。
しかし、あなたが一つの非常に単純な決断をするとき、すなわち、
「偶像が与えてくれると自分が信じているどんなものも、自分は望まないことにする」
という決断をするとき、あなたは、強力な変化が速やかに引き起こされたことを理解するだろう。
なぜなら、そのようにして、神の子は自分が偶像たちから自由であることを宣言するからである。
そして、そのようにしてこそ彼は自由である。
この文章を読んでみて、もしかしたら
「そんな風にしたら、自分は何か損失をこうむるのではないか?」
というような想いがあがってくる方もいらっしゃるかも知れません。
その想いは、誰の想いでしょうか?
本当に、自分の想いなのでしょうか?
その想いは、自我の思考からやって来ているウソ偽りの想いです。
「私」は、今も天国にいて、神の中で完全に安らいでいます。
偽りの想いは、同一化されるためにやって来ているのではなく
手放されるために、やって来ています。
愛の想い、感謝の想いでないあらゆる想いは
同一化するのではなく、手放してしまいましょう。
本当の自由が、今、まさに、ここにあります。
そのために、一生を捧げてしまおう。
私は、そう決めています。
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