奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

純粋非二元も、非二元に戻されてしまう

2015年06月13日 15時20分59秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
ここ数日のレッスンで、

今まで見えないようにしておきたかったような理解が入ってきました。

ちゃんと言葉にできるかはわかりませんが




純粋非二元の理論を学んで理解すること


確かにその学び通りに実践すること


(しかも、今出来る範囲内で徹底的に日常のすべての瞬間に当てはめて実践すること)





は、幻想の外から見ると

天と地の差ほどの違いがあるのだということがわかってきました。




どんなに完璧に体感しても、理解してもダメ。。。





恐らくなのですが、

自分が純粋非二元から学び理解していって(今の自分の理解できる範囲内で)


そして、確かにその学び通りに、日常のあらゆる面で実践していっているかどうか?

の目安は、




「自分は、今までこんなにも狂った思考を採用し、自我と同一化してきたのか。それも自発的に」

ということに、気がついてゆくのだと思います。



単に、知覚が変わったからとか

単に、相手が変わったからとか

単に、状況が変わったからとか

単に、夢が平安になったからとか



具体的な、形のレベルでの変化は、、、

実は、ほんの途中経過の瞬間の映像でしかありません。



そこは、あまり目安にはなりません。





『自分の内面と、言動が、いかに変わって来たか?』

『「私」が、(見ている私も)精神的に居なくなってきたか?』




そこが、目安になると思います。

意識的に変わろうとするのは、間違った方向に行ってしまいます。



実践していった結果、そうなってゆくのだと思います。




今回わかったことは、

理論ばかり(特に実相についてのみに焦点を当てて)を学び、日常実践しているつもりになっていると

「私」が、(見ている私も)逆に強まってしまう。


ということです。




今、出来る範囲内で良いので

どの瞬間も例外なしに実践してゆかなければ、、(都合の良いところだけ 部分的に赦すのでは)

結局のところ、

純粋非二元も非二元に戻されてしまう。






奇跡講座は、自学自習が基本ではありますが

恐らく、多くの兄弟との関わり合いが結構な学びになります。

(しかも、コース学習者たちとの関わり合いには、相当な学びとレッスンがあります)

学びが、一層深く、そしてキャパシティを超えない範囲内で加速してゆきます。




幸いなことに、今まで100人以上のコース実践者の方との関わり合いを通じて

あまりにも、沢山の「導かれ方」があるのだということを目の当たりにして来れました。



目的は一つで同じなのだけれど、、

そこに至って行くプロセスは、兄弟の数だけあるようです。

それを共有して学ばせていただくことは

何とも大切なことだな…。

と、感じています。




辿り着く先は、一つ。

完全な愛。










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