神の愛と祝福という実在からは
感動・悦び・感謝しかもたらされませんね。
昨日から、いろいろな楽曲を聞きまくっています。
この、おなじみの曲を聞くといつも思うのですが
本当の「なすがまま、あるがまま」は
こうだよ。
と、聖霊から教えられます。(勝手にその想いがやってきます)
「神が、思し召すままに」
「神の、御心のままに」
ああ、だめだ。
こみ上げて来ます。
私たちは、なにもしないことなんですね。
なにもする必要がないんです。
神が愛してくれて
神が私たちを悦んでくれていて
神が私たちに感謝してくれている事実
その事実のみなのだから
本当の正直さで
神からの それを、受け入れれば良いのですね。
ただ、私たちの中には障壁があります。
どうしても、常にそれを受け入れることができないシステムを
自分で作り上げてしまった。
それを、解消するための深い深い学びが
奇跡のコース・奇跡講座・ACIMと呼ばれるものの正体です。
昨日、ふと
聖霊が教えてくれたのですが
自我を直視した先の、一番認めたくもないエンドレスに思えるほどの時間を生じさせ
その中に自分を閉じ込め続ける
「自由意志」と思っている妄想
そこをしっかりと認めて
そして、それをやめてゆくことをしたいんだ。
という少しの意欲を何度も何度も何度も何度も
繰り返すことの大切さ。
もしも、そこに取りかかれる準備ができたなら
あらゆる形で、必ず聖霊が教えてくれるのだろうな。
と、感じています。
今日の、グループセッション勉強会(20:30~)では
そのあたりの学び合いもしてゆければ。と、思っています。