つい最近、メッセンジャーグループで書いたことをブログにも掲載しておくことにしたいと思います。
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ちょうど1年前の今!
一人だけでユタのコミュニティに3-4日間滞在していました。
あの時確実にシフトが起きたのを覚えています。
それは
「私を下に置くこと」を、はじめてしたのでした。
それまでも、そうしている気❗️だったのだけど
全然違いました。
もう本当に限界だったから
「私を下に置く」以外に
私が救済を受け取れる方法がない事実を認識したのでした。
そこで、明らかにシフトが起きたのでした。
それをカースティンに伝えたら
その時のカースティンの目がそれまでとは全く違った。
「Yes😊」と。
自分が上流にいたら
何も受け取れない。
自分が下流にいれば
難なく上流から与えられているものを受け取れる。
あの時できる分だけ
「尊大さ」を捨てたんだろうなと思います。
大幅に捨てれば捨てるほど、、、
救われる。
限界、極限にぶちあたるって恩寵なんですね❤️
<↓翌日もう一度メッセンジャーに書きました>
上流どころか、、
川の最下部分まで落ちて落ちて
さらに、滝の上部に居ようなんてのも全然ダメで
滝から落ちて落ちて滝壺の中の底まで行き着いて
そこで無防備に仰向けになって受け入れ態勢(完全降伏)でいれば
「受け取れない」なんてことが起きるわけがないわけです。
私たちは、聖霊ともイエスとも、兄弟の誰とも、平等で対等なのですが
だからこそ、あえて精神的に頭を低くある状態かどうか?
「私」にとって、これがとても重要だったことにいずれ気がつかされます。
なぜなら、そこには神が居るからです。
それを「私」にとっては「負けを認める、負ける、降参する」
という表現になります。
神に打ち勝とうとした「私」にとって
負けを認めずに、頭を低くせずに、救済を受け入れる。ということは
起きません。
昨年8月 それを思い知ったことは、相当な恩寵でした😇❤️