奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

罪はある。という世界

2016年07月24日 21時15分39秒 | ACIM奇跡のコースという生き方
「罪はある。という世界」とは

罪はある。という信念を持つが見ている世界。

それは自分の思考、信念。



たとえば、お店の棚に陳列されていた器aに

通りすがりの客Aの手が、ふと触れて割れた。

というシーン。


その器aは、陳列棚の中央ではなく端っこに置かれていたため

Aが落とさずとも、他の客が割ったであろうという設定。


約30分前

販売員Bが、その器aや他の商品を陳列しかけていたところで

上司Cに急用で呼び出され、器をそのまま忘れてしまっていた。



この設定の場合も、ほかのどのような場合も


「罪」=「処罰されるべき悪」が実在しているはず。という認識の中では

かならず誰かに「罪」が付与されなければならない。


このシーンを見た

Dさん、Eさん、Fさん、Gさんそれぞれが、

誰か・もしくはどれかに罪を与える必要性を感じていれば

必ず投影する。



Aに投影するかもしれない。

Bに投影するかもしれない。

Cに投影するかもしれない。

器に投影するかもしれない。

通路の広さに投影するかもしれない。

棚に投影するかもしれない。

運命に投影するかもしれない。



結局、やりたいことは

自分が見た(考えた)ストーリーが真実であって、本当にその通りに起きていて

自分が見たいままに(考えたいままに)、罪をどこかにあてがう。

ということ。


「何かを否定したい。」

ということ。

そうやって、また何億年でも夢見を繰り返そうとしている。



正しさ、正当性を望むのか?

幸福を望むのか?





幸せを望むなら

自分のすべての解釈を放棄しなければならない。

「罪」=実在していない。それは「訂正されるべき誤り」である。


これが真実なのだから。







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