先日、マツコデラックスさんの
「マツコとマツコ」という番組をHuluで見ていて楽しく学びました。
自分と見立てたアンドロイドに
自分というアイデンティティを投影する様子が
よく分かるような内容でした 笑
努力無しに
たやすく、設定通りに投影する。
それが意識
だから、どんなに高い次元の意識(という設定)と同一化しても
世界を夢見続けようとする習慣
は継続してゆく。(非二元)
とにかくとにかく
自分が同一化している思考を明け渡しまくると…
ふと、この世界で私たちがしていることって
おままごとなんだな
ってわかったりする。
最初にその感覚になった時、となりには
てっちゃんがいました 笑
2012年春の横浜だったな。
(なーーーーーーんだ!!って思った)
やっぱり、世界はおままごと的な人形劇の劇場に過ぎない。。
真っ暗にされた劇場の全ての設定を超えたところに
実在が臨在している。
劇場にフォーカスしていれば
やっぱり劇に臨場感を与えるだけのこと。
聖なる瞬間を毎瞬選ぶ。
最初は、ちょっとの意欲
やがては、多大な意欲
真に劇場からの脱出を望むのであれば
いずれは、多大な意欲を持つようになるのは自然なことかもしれない。
けど、最初のうちは、ほんのほんのちょっとの意欲からで十分。
ちょっとだけで十分。
「マツコとマツコ」という番組をHuluで見ていて楽しく学びました。
自分と見立てたアンドロイドに
自分というアイデンティティを投影する様子が
よく分かるような内容でした 笑
努力無しに
たやすく、設定通りに投影する。
それが意識
だから、どんなに高い次元の意識(という設定)と同一化しても
世界を夢見続けようとする習慣
は継続してゆく。(非二元)
とにかくとにかく
自分が同一化している思考を明け渡しまくると…
ふと、この世界で私たちがしていることって
おままごとなんだな
ってわかったりする。
最初にその感覚になった時、となりには
てっちゃんがいました 笑
2012年春の横浜だったな。
(なーーーーーーんだ!!って思った)
やっぱり、世界はおままごと的な人形劇の劇場に過ぎない。。
真っ暗にされた劇場の全ての設定を超えたところに
実在が臨在している。
劇場にフォーカスしていれば
やっぱり劇に臨場感を与えるだけのこと。
聖なる瞬間を毎瞬選ぶ。
最初は、ちょっとの意欲
やがては、多大な意欲
真に劇場からの脱出を望むのであれば
いずれは、多大な意欲を持つようになるのは自然なことかもしれない。
けど、最初のうちは、ほんのほんのちょっとの意欲からで十分。
ちょっとだけで十分。