これには、抵抗を感じる方も多いかもしれない。。
実は、わたしたちは何もできていない。
肉体の中にいると思っている「わたし」は、何もできちゃいない。
本当に、操り人形のように、物語りの主人公として動かされているだけ。
再生されるシナリオは、ほぼ決まっている。
できることは、思考を明け渡す=「赦す」か、
「赦さない」かだけなのだ(^^;)
起きていない神との分離を
無意識に自動的に、毎瞬採用してしまっている。
それは、神への愛ゆえに、莫大な罪悪感を、無意識下に隠してしまっているから。
まったくの間違いなのに。。。
神の愛を、罪悪感なんだと錯覚して強烈に恐れているだけなのに。。
ややこしいのは、その恐れも感じれないように、錯覚さえも隠して、
うま~く ふたをしてしまっている。
幻想を通して神の愛を感じることが
意識にとっては安全だった。
幻想で覆い隠しながらじゃなければ
とてもじゃないけど…
こんな強烈な たたみかけるような
宇宙丸ごと のみこまれるような
本物の神の愛を 感じるなんて
できなかったさ。
でも、それがこれから究極に解かれていく
私の輪廻史上 初だとわかる(≧∇≦)
あやつり人形は、なんにもしようとしなくていいんだよ。
動くことは、動くけれども、人生をコントロールなんてできないんだ。
なに一つね(^^;)
エゴは、なにくそ!って言うさ。(笑)
ちょっとずつ、明け渡して
ちょっとずつ委ねきるの。
今できる範囲内でいい。
わたし、ほんとの意味で、それがわかってきました。
シナリオ(人生・日常)に、一切の抵抗なしでいい。
一切の抵抗なしに、ありとあらゆるすべてを神に、聖霊に全託してしまう。
プロセスも、結果も、全託。
大いなるすべて(意識)・宇宙意識・純粋意識と呼ばれる
一個の意識の中に、この世界の原因が埋め込んであるんだ。
「わたしには罪がある」
という間違った思考。。。
これを、明け渡して、修正されるために
この人生を使うことが、、、
わたしが、今回生まれてきた理由なんだと
わかってしまったから。
それが、どんなことなのか
わかってしまったから。
「戻りたいけど、戻れない」
それは勘違いなんだ。
あの、完璧な愛に戻れる。