この映像の世界は、まさしく映像なので
蜃気楼のように、どこもかしこもチリチリと揺らめき続けています。
コロコロと変化するその様は、それが現実ではないということを証ししています。
しかし、最初からこのような事実を受け入れられる人は少ないのかもしれません。(ものすごく至福をもたらす事実ですが)
なので、
訂正は下から上に垂直に..
(T-1.6.3:3 奇跡講座テキスト編 中央アート出版社)
という意味が
ああ、そういうことなんだ。
と、納得した瞬間がありました。
この、下から上に垂直に..
という辿り方は、それぞれのカリキュラムによって違ってくるのだけれども
最終的には、やっぱり
「世界はない!」
に到達します。
贖罪の原理が「神からの分離は起きていない」
なのですから、その論理的帰結として
「そして、この幻想世界は実在していない。神だけが実在する。」
ということになります。
そこに到達するまでは、あらゆるルートがあり
そのルートは、下から上に垂直に訂正されてゆく道のりなんですね。
言葉も、ウンチクも一切不要で、
「世界はない!」ゆえに私は何もする必要がない。(精神的に、妥協なく完全に何もする必要がない)のです。
ここは、完全に祈りだけの全面降伏の心の状態で
ここでは、一切の「必要」がなく、完全に平安で完全に満たされていて、すべてにおいて感謝の状態です。
☆世界はない!☆
悦びが、爆発します( ´ ▽ ` )ノ
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蜃気楼のように、どこもかしこもチリチリと揺らめき続けています。
コロコロと変化するその様は、それが現実ではないということを証ししています。
しかし、最初からこのような事実を受け入れられる人は少ないのかもしれません。(ものすごく至福をもたらす事実ですが)
なので、
訂正は下から上に垂直に..
(T-1.6.3:3 奇跡講座テキスト編 中央アート出版社)
という意味が
ああ、そういうことなんだ。
と、納得した瞬間がありました。
この、下から上に垂直に..
という辿り方は、それぞれのカリキュラムによって違ってくるのだけれども
最終的には、やっぱり
「世界はない!」
に到達します。
贖罪の原理が「神からの分離は起きていない」
なのですから、その論理的帰結として
「そして、この幻想世界は実在していない。神だけが実在する。」
ということになります。
そこに到達するまでは、あらゆるルートがあり
そのルートは、下から上に垂直に訂正されてゆく道のりなんですね。
言葉も、ウンチクも一切不要で、
「世界はない!」ゆえに私は何もする必要がない。(精神的に、妥協なく完全に何もする必要がない)のです。
ここは、完全に祈りだけの全面降伏の心の状態で
ここでは、一切の「必要」がなく、完全に平安で完全に満たされていて、すべてにおいて感謝の状態です。
☆世界はない!☆
悦びが、爆発します( ´ ▽ ` )ノ
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