幻想に価値を見いだしている時
私たちは、無に価値を見いだそうとしている。
幻想に価値を見いだしている時
私たちは、神を否定している。
幻想に価値を見いだしている時
私たちは、自分自身を否定している。
それは、外側に意識が向いた状態。
無に意識が向いた状態。
それは、実相の否定、真理の否定のループ。
それは、自己攻撃。
自己攻撃と、自己攻撃に対する防衛を続けているだけ。
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胸の奥に燦然と輝く
広大な「光線」を認識しています。
明らかに光線で
明らかに光源そのもの
神という源そのもの
それ以外のすべては、イリュージョンなのがわかります。
それ以外のすべてが、無です。
幻想(夢・幻覚・イリュージョン)と
実相(神・源)との
明らかな分離を認識しています。
しかし、また次の瞬間
投影という、間違った決断をするので
神からの分離を決断するの . . . 本文を読む
この幻影(世界というバーチャル映像)の希薄さがとても増していて、、
幻影が、いつもチラチラしています。
蛍光灯が終わってゆく手前みたいに、常に幻影の粒子が総動員でチラついている。
けど、それは普通のことなのかもしれない。
この幻影は、リアルではなく、モヤのかき集めによった幻覚にすぎないのだから。
無なのだから。
幻影にフォーカスすることをやめてしまうと、
いつでもこの映像は真っ白な光の粒たち . . . 本文を読む
幻想世界は、何のために、あるのでしょう?
幻想世界は、何の役に、たっているのでしょう?
もっと内側に、
もっともっと内奥に耳を傾けてみて。
いいえ。もっともっと内側。
そして、もっと奥に。。
「幻想を夢見る。」とは、
神の否定を見る、ということだったのです。
それ全体が、ありえない狂気だったのです。
そして、それは既に終わっているのです。
妥協をやめて、真に夢から目 . . . 本文を読む
3月2日~5日まで、私の中では激動だったようです。
特に、4日夜~5日朝までが、、激しかったです。
相当な「抵抗」があらわれてきていました。
「うーん、救急車を呼ぼうかなどうしようかな。」と思いつつ寝落ち
5日起床する頃は、あらわれていたすべてが取り消されていました。
2016年2月の学びは、
自我が「決して触れるでない!!!」
というあたりを今できるぶんだけ取り扱った月だったよ . . . 本文を読む
幻想世界の中の「神の愛」ではなく
「神」を求める覚悟。
その覚悟は、半端ない。
一片の妥協も、迷いも
入り込む隙がない覚悟。
それなんだ。
決して甘くはない。
けど、決して不可能でもない。
それを思い知らされている。
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24時間態勢で、わき上がるあらゆる思考のすべては
「自分自身について、そう考えている思考」です。
国ということにしている、自分自身についての思考
家族ということにしている、自分自身についての思考
同僚ということにしている、自分自身についての思考
友人ということにしている、自分自身についての思考
赤の他人ということにしている、自分自身についての思考
モノということにしている、自分自身 . . . 本文を読む