「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

龍田古道~「山越え」「川越え」河内・大和の往復歩紀

2024-01-15 00:45:01 | 日記
訪問日:令和6年1月14日(日)
出 発:JR「高井田駅」
到 着:近鉄電車「河内国分駅」

 あけましておめでとうございます。

 かつての二大都市「難波」「奈良」を結ぶルートはいくつかあったようですが、直線的に最短距離で結んだ「暗越奈良街道」は標高500m近い暗峠を越える厳しい道のりであったため、ちょっと遠回りになるものの生駒山地が大和川に落ち込む平坦なルートが重宝されたそうです。途中に「龍田大社」という古社があったことから「龍田越奈良街道」と呼ばれたそのルートは、古(いにしえ)の道として今では「龍田古道」と呼ばれ、令和2年6月、日本遺産に認定されました。
北側の「三室山」を越えて「大和」の国に入り、「王子」で折り返し「亀の瀬」と呼ばれる大和川に沿って「河内」の国に戻ってきます。今では手ごろな歴史ハイキングコースとして整備されていますが、後半トイレがありません。


 今日のスタートは、大阪第二の大河「大和川」の北岸に位置するJR「高井田駅」です。以前「高井田横穴古墳群」を訪れた際に駅前を通りました。天王寺駅から約25分(230円)で来られます。午前9時、今日もニコニコ出発です。ここは大阪府柏原市。駅構内と駅前ロータリーにトイレがあります。


 駅のすぐ西隣に小さな神社がありました。「白坂神社」で今日一日の安全を祈願しましょう。神社って本当に身近な存在ですね。365日・24時間、誰でも受け入れてくれます。こんな完全開放の空間にもかかわらず一切荒れていないなんてすごいですね。


 目の前の「大和川」を右に見ながら東へ進みます。すぐ先にセブンイレブンがあるので給水も可能です。


 さて龍田古道はいくつかのルートがあるようですが、今歩いている道は「府道183号線」。前半は山越えのこの府道を歩きます。府道はやがて先ほど乗ってきたJR大和路線(関西本線)をくぐります。大和川を越えるこの鉄橋はかつて単線だったのでしょうか、上下線2つに分かれているようですね。(午前9時16分)


 途中、大和川は右に大きく蛇行し、道路も右にカーブしますが府道はそのまま真っ直ぐです。


 ここから上り坂になりますが今日の標高差は200mちょっとです。今日は寒いですね。


 「谷尻地蔵尊」の前で坂道はカーブします。室町時代である元亀3(1572)年の銘刻があるそうですよ。


 さらに府道はカーブし「青谷」という集落に入りました。旧家の前には「大門所地蔵尊」。鎌倉末期である正和2(1313)年の造像だそうです。


 その先のお寺の前には「大池」。


 大池を過ぎれば正面に神社が見えてきました。「金山彦神社」です。式内社ですので1000年以上の歴史がある古社です。(午前9時36分)


 金山毘古神を御祭神としますが、金山毘古は金属や鉱山の神様です。かつてこの地で何か金属が採取されたのでしょうか。


 参拝を終え坂道を上って行きましょう。右に駐在所が見えてきました。大阪で駐在所は珍しいですね。(午前9時42分)


 さらに進んで行くと中学校が見えてきました。「柏原市立堅上(かたかみ)中学校」です。


 「堅上小学校」「堅上幼稚園」と続きます。先ほど子どもたちが描いた看板に「8年生」と書かれていたので、小中一貫校として統合されたのでしょうね。


 幼稚園を過ぎれば案内板に従い左に曲がりましょう。


 そこには「金山媛神社」。「彦・媛(姫)」は、男女平等(もしかして女尊男卑?)の神道では一対の神様です。(午前9時56分)


 先ほどの金山彦神社と当社の由緒によるとやはり付近は製鉄業で栄えていたようです。日本という国はみんな神様に守られているのです。というか神様の下で生活を営んでいるんですね。


 府道に戻りさらに坂を上って行くと「堅上」の集落に入ります。山の斜面に開かれた集落なので、家々は石垣が組まれています。


 農協(JA)の支店がありました。付近には市役所の出張所や郵便局もあり、この地区の中心地なのでしょうね。


 府道から外れてここを左に入りましょう。50mほどで真宗大谷派の「光徳寺」というお寺があります。(午前10時6分)


 平安時代にさかのぼる古いお寺で、寺の由緒によればかつて本堂である「雁林堂(かりんどう)」だけを残して焼失したことから、この辺りの地名を「雁多尾畑(かりんどおばた)」と言うそうです。


 府道に戻りどんどん上って行きます。ここは大阪平野からちょっと入ったところなのに、すごい「山奥感」がありますね。


 郵便局を過ぎて坂道を上って行くと、ちょっと大きな四つ辻に出ました。角には「竜田古道の里山公園」。(午前10時18分)


 振り返れば大阪平野が望めます。


 柏原市の体験型野外活動施設でキャンプ場やセミナーハウスなどがあります。トイレや自動販売機もあります。園内に入って見ましょう。


 奥の展望広場からは奈良方面が。旅人らはここでそれぞれの国を眺めたのでしょうか。


 地図で見ればこの辺りは標高250mほど。本日の最高地点でしょう。ただ私の自宅も標高250mほどです。公園の入口まで戻り四つ辻を左(東)へ。霊園を右に見ながら進みます。


 公園のフェンスが途切れたところに左へ入る道があり「三室山」への案内表示があるので入って行きましょう。付近は桜の森です。春はきれいでしょうね。(午前10時30分)


 ここからは府道と分かれ山道です。古道は尾根に沿ってゆっくりと高度を下げていきます。


 「龍田古道憩の家」という看板が上がったトタン造りの小屋の前に分岐点があるので、案内表示に従って左へ進みます。


 木漏れ日の中を進んで行くと、ほぼ使えない公衆トイレの手前にNPO法人が立てた「龍田神社本宮跡」の案内板があり、その奥に「傳 龍田神社本宮跡(実際は足偏に止)」と刻まれた石碑が立ちます。山の斜面には5つの磐座があるそうです。古代神道の姿ですね。(午前10時36分)


 古道を下って行きます。結構下から電車の音などが聞こえてきますよ。


 倒木を越えます。


 二又に出ました。真ん中に札がぶら下がっていますが何も書かれていません。どちらもしっかりした踏み跡があります。「どうせ先で合流するだろう」と勝手に考え、左に進むことにしました。間違えていればまたここまで戻れば良いことです。案内表示が欲しいですね。


 幸い先で道が開けました。正解だったようです。


 そしてその先には木造の展望台が。


 展望台の足元には「国土地(理院?)」と書かれた表示がありました。「三室山」に到着です。標高は137m。100mちょっと下ったんですね。(午前10時43分)


 王子方面の展望が開けます。


 表示はありませんが、矢印の反対側に進めば良いだろうと思い、先に見えている坂を下って行きます。


 ところが途中でいくつもの脇道が現れ、それぞれに踏み跡があり完全に迷いました。


 今日も「YAMAP」の登場です。案の定、道を間違えています。


 先ほどの三室山頂まで戻り、展望台の階段前を進めば立派な道がありました。単に案内表示がなかっただけのことですね。案内表示が欲しいな。山頂が大阪と奈良の府県境。「大和」の国に入りました。


 途中から案内表示が現れましたが、どうも龍田大社方向から上って来ることを前提として立っているようです。


 車も通れるほどの砂利道を進みます。


 小さな広場がありトイレがあります。(午前10時56分)


 やはり私は逆行しているのでしょうね。


 途中「大伴家持の歌碑」がありました。


 坂を下れば「龍田古道入口」です。逆行している私にとっては「出口」ですが。(午前11時)


 ここからは住宅街です。グーグルマップを頼りに突き当りを右へ。次の四つ辻を左に曲がって道なりに進んで行きます。右に「浄林寺」への案内があれば曲がりましょう。そのままお寺の前を通り過ぎます。


 県道に出れば左へ。


 県道沿いには「磐瀬の杜」と彫られた石柱が立っています。


 小さな公園の中には舒明天皇の孫といわれる「鏡王女」の歌碑が。すぐ後ろをJRが走ります。


 そのまま進めば先月「屯鶴峯」を訪れた時のゴールであるJR「三郷駅」の前を通り過ぎます。(午前11時11分)


 次の角を左折すれば橋の上に「龍田古道」の案内表示がありますので、案内に従い進んで行きましょう。ここで初めて「双方向性」の案内表示になりました。


 少し坂を進めば左に「神奈備神社」。小さな神社ですが龍田大社の末社です。


 そしてそのまま真っ直ぐ進めば「龍田大社」の大鳥居前に到着です。(午前11時17分)


 「忌日」は過ぎているので普通に神社にはお参りしますが、「喪中」ですので初詣はしません。


 参拝を終え鳥居をくぐって左へ。駐車場を通り抜けてそのまま真っ直ぐ進みます。


 細い道沿いには結構旧家が残ります。




 「三郷町立三郷中学校」の向かいにも虫籠窓の旧家がありました。


 中学校の前には龍田古道の案内板。やはりこの道が古道なのですね。


 県道の高架をくぐり近鉄の踏切を渡って左に曲がります。


 ホーム裏に沿って進み、次のお地蔵さんのある角に出れば左折。すぐに近鉄「信貴山下駅」前に出ます。(午前11時39分)


 わざわざここへ来た理由は?駅前に昭和58年9月廃線となった「東信貴鋼索線(ケーブルカー)」の旧車両が展示されているからです。私が住む豊能町の近所にある「妙見ケーブル」も昨年(令和5年)12月廃線になってしまいました。淋しいですね。


 土・日・祝日(町立図書館休館日を除く)の午前9時から午後4時まで車両内が一般公開されています。自由に出入りできますよ。大切にしましょう。


 私は鉄道マニアではないので型式など詳しい知識はありませんが、「昭和」を感じるレトロな空間として萌えています。


 車両の隣は日本遺産認定を記念した公園になっており「山上憶良」歌碑などが立ちます。


 さっきのお地蔵さんまで戻り右へ。「三郷町役場」前を左に曲がり、公共施設地区を抜ければ大和川沿いに出ます。信号を渡って左に曲がりましょう。道路を挟んで左側は「三郷中央公園」。プールやグランドのあるスポーツ公園でトイレがあります。


 「明治橋」という橋で大和川を渡ります。


 橋を渡って堤防下の小さな道を右へ。しばらく進めば鎮守の森が見えるのでグーグルマップを頼りにぐるっと回れば「九度神社」。(午前11時58分)


 式内社であり「続日本紀」にも記されている古社です。


 私が大好きな京都「平野神社」の九度神が祀られています。「九度」とは「竃(かまど)」のこと、つまり台所の神様です。


 参拝を終え右へ。突き当りを左折し、狭い路地から大きな通りに出れば、ここはJR「王子駅(近鉄は新王子駅)」前通りです。


 良い時間ですね。


 今日はJR王子駅前の「吉野家王子駅前店」で昼食です。大手チェーン店は「ハズレ」がないですね。営業時間・価格もはっきりしていて出来上がるのも早いし、味・量・接客とも申し分なし。お値段も手ごろです。日本の外食産業はクオリティが高いですよ。歩紀ニストの私にはもってこいです。


 「牛すき鍋膳」(税込787円)を注文。この後、ご飯の上に鍋の具材をのせ、残った生卵をかけて「野里町歩紀風牛丼の完成だ。ふん」(♪ 五郎~五郎~ ♪)


 昼食を終え午後0時32分出発です。この先、ゴールまでトイレがありません。駅前の狭い路地を西に進みます。200mほどで小さな四つ角を左折し、近鉄の踏切を渡ればすぐ左にJRのアンダーパス。くぐりましょう。


 これは「第一井路開渠」と呼ばれるアンダーパスです。「国鉄」というか明治時代からあるアンダーパスです。身長170cmない私でさえ、しゃがまなければ入れません。


 「レンガ造り」良い雰囲気ですね。


 「タイムトンネル」ではありません。この中だけが「過去」なのです。


 くぐれば「現在」に戻り、突き当りの歩道橋で「葛下川」堤防に上がり右へ進みます。


 次の「出合橋」で葛下川を渡り右折。右から大和川が合流してきます。遠くには生駒山。(午後0時48分)


 そして前回渡った「神前橋」で大和川を渡り左に進みます。途中で歩道がなくなるので、信号を渡ってから左折しましょう。信号の手前にJRの踏切があるますよ。


 午前中に通った三郷駅を再度通過し、さらに進みます。(午後0時59分)


 同じく午前中に通った「磐瀬の杜」を過ぎ、左にJRの鉄橋が見えるあたりに出れば右へ入る道があります。角には古い台座の上に真新しい「大坂堺道」の道標。ここから龍田古道は「亀の瀬越」と呼ばれる大和川沿いのコースになります。右に入りましょう。


 旧家の向かいには「関地蔵」。天武天皇の時代(600年代)、ここに関所があったそうです。


 家は建て替わり「古の雰囲気」はありません。


 案内表示に従い突き当りを左へ。住宅街を抜ければ龍田古道の標識が。(午後1時12分)


 ここが奈良と大阪の府県境のようです。「河内」の国に戻りました。


 細い道を進んで行きます。イノシシが出そうですね(たぶん出るでしょう)。


 坂を上り切れば右に何やらお堂と鳥居が見えてきました。(午後1時17分)


 「峠八幡神社」の社号標。


 石段を上れば小さなお社。昔からここを通る人々をお守りしていたのでしょうね。


 お堂は「地蔵菩薩坐像」。鎌倉時代末期から室町時代初期に造像されたと伝わります。地蔵堂前には「松谷御堂是ヨリ六丁」の道標。


 細い道を進んで行きます。


 この先で古道は「亀の瀬」という地域に入ります。周辺は大きな斜面です。


 生駒山地が大和川に落ち込むこの辺りは、古くから山肌が川に落ちる「地滑り」を繰り返してきました。今では補強工事がされていますが、明治25年に開通した「大阪鉄道(現JR大和路線)」が昭和6年11月に起こった地滑りに見舞われ死者こそ出ませんでしたが、ここにあった「亀瀬隧道」が土砂に飲み込まれてしまいました。


 その後、平成20年の改修工事で当時の隧道(トンネル)が発見され、災害遺産としてレンガ造りのトンネルなどが公開されていましたが、今は後世に災害の恐ろしさを伝える遺産として国土交通省により「亀の瀬地すべり資料室」が設けられ、事前予約制により公開されています。詳しくはホームページで。(午後1時29分)


 ところが今日は事前予約の公開日であるため資料室が開いていました。私は予約していなかったので隧道は見学できませんでしたが、資料室は開放されていたので見学できました。「ラッキー」(一応トイレはありましたが公開日以外は閉鎖されていると思いますよ。)


 さらに進めば古道に入る手前に「亀石」の表示があり、フェンスが開放されていました。


 進んで行くと「亀の瀬」という名称の由来となった「亀石」という巨石が見えます。


 ただ、先ほどのフェンスが閉鎖されいても亀石は古道からも見えるので大丈夫ですよ。


 さあ古道を進みましょう。崖にへばりつくように何とか1軒ずつ家が並びます。


 JRのガードをくぐれば左に大和川の流れが。


 大和川とJRに挟まれた狭い小径を進みます。


 「辨天橋」という橋が見えてくれば、その手前の踏切でJRを渡り左に曲がります。JRを左に見ながら進んで行きましょう。 


 お地蔵さんとホームが見えてきました。


 駐輪場の先にはJR「河内堅上駅」。木造平屋建ての小さな駅舎です。(午後1時52分)


 ここは「昭和」で時代が止まっていますね。


 駅の先で道は分かれます。龍田古道は左の狭い坂道を下ります。


 古道は山の斜面を進みます。


 陸橋でJRを越えます。


 さらに府道でしょうか、道路を渡ります。


 道路を渡って少し進めば右に「青谷遺跡(竹原井離宮跡)」の看板と石碑が立ちます。柏原市文化財課の説明文によると、養老元(717)年「元正天皇」が和泉宮から平城京に帰る途中、ここで宿泊した事が「続日本記」に記されているそうです。(午後2時1分)


 そのまま進めば古道は「柏原市立青谷運動公園」に突き当たります。ナイター設備のある立派な野球場ですが、閉鎖されているのでしょうグランドは荒れ放題です。


 球場跡に沿って進めば「川端橋」という吊り橋が。(午後2時7分)


 結構揺れますよ。河内の豪農「中甚兵衛」が大和川の付け替え工事を行った後は、大和川右岸を通り真っ直ぐ「大坂」へとつながるのですが、大和川が北へ蛇行していた当時、ここにあった「夏目茶屋渡し」で古道は大和川を越えました。


 橋を渡ればかつての奈良街道である国道25号線に出るので右へ曲がります。当時の面影はありません。


 「ジェイテクト」という大きな工場を過ぎ「東条交差点」で右に曲がります。(午後2時12分)


 しばらく工場の敷地に沿って進みますが分岐があれば右へ。真っ直ぐ進めば左に「ブドウ畑」が見えてきます。


 建て替えが進んだ住宅街を抜けます。


 住宅街を抜ければ右に「国分神社」。(午後2時22分)


 古墳もあるようです。かつて大坂が海だったころから陸地であったこの地は、古くから開けていたのでしょうね。間もなくゴールです。


 複雑な四つ辻に出れば路側線に沿って進まず、左の坂道を上ります。


 すぐ左に石標がありました。風雨にさらされ文字は読めませんが、横の案内板によれば奈良街道の石標で「左 大坂 堺」「右ハ 當麻 長谷 吉野」「左ハ 龍田 信貴山 奈良」と彫られているそうです。


 車1台がやっとの狭い道ですが良い雰囲気ですね。


 街道らしい風景が続きます。




 「西町地蔵尊」前で国道25号線に突き当たりました。左折しましょう。


 この先は大阪平野。いく筋もあったと思われる大坂と奈良を結ぶ道が、この大都市の中に埋もれているのでしょうね。


 すぐ先の陸橋で国道25号線を越えれば本日のゴール近鉄「河内国分駅」です。午後2時45分到着。本日の歩紀「29726歩」(20.21km)。ここから「大阪難波駅」までは約30分(490円)。出発点であったJR高井田駅とは大和川を挟んで向かい岸になります。古道をぐるっと回りました。


 今回も「なんば駅」から大阪メトロ(&北大阪急行)で「千里中央駅」を経て、阪急バスで自宅まで帰ります。ということで本日の打ち上げは千里中央駅南改札口の真ん前にある居酒屋「明石八」です。


 「1000円税込!!ぽっきりセット(生ビール2杯+前菜、お刺身、コロッケ、唐揚げ)」と単品で「海鮮丼」(税込539円)を注文しました。料理や店内の雰囲気はネットで確認してくださいね。「乾杯~」本年もよろしくお願いします。
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