「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

大阪24区を歩く~大阪の台所と古い街並み「福島区」

2013-09-20 21:20:09 | 日記
訪問日:平成25年11月2日(土)
出 発:JR「福島駅」
到 着:JR「福島駅」

 淀川の三角州上に発達した大阪市。古代、淀川下流には多くの中州が存在し、それぞれ「○○洲(島)」と呼ばれたとか。その一つと言われる「福島」。他の多くの区同様、昭和18年4月の区編制により誕生。北区の西隣に位置し、北側には淀川が流れる。南は、堂島川に沿った、いわゆる「中之島」の一角であり、江戸時代には諸藩の蔵屋敷が並んだという。
 かつて開けた荘園跡は、近代に入って「発條(バネ)」「螺子(ねじ)」など初期の重工業地として発展したようだが、現在、その跡地には、住宅や大阪駅に近いことからオフィスビルなどが並ぶようになった。人口約7万人「JR野田駅」周辺には、戦災を免れた古い街並みが残る。また、区南部には「大阪市中央卸売市場」があり、青果・水産物の取扱高は、東京・築地市場に次ぎ日本第2位で、大阪の「食」を支える台所となっている。


 JR「福島駅」。環状線で「大阪駅」から一つ目だが、随分と「田舎?」へ来た感がある。午前9時45分「福島駅」を出発。
 

 駅の南側は、ちょっとした飲み屋街になっているが、そんな中に古い町家が残る。
 

 町家を利用したお店も多い。
 

 そんな街を「路地グルメ」と呼んでいる様だ。そして福島区は日本一。「だぶん」・・・
 

 路地を抜け、一旦「国道2号線」に出て右に曲がる。そこにはレトロビル。「ミナミ株式会社」。生地・服飾の会社で昭和25年の設立だとか。ただ、社屋は、昭和9年に建築された「旧川崎貯蓄銀行福島出張所」を使用しており、国の登録有形文化財に登録されている。なお、建造物の登録有形文化財は、大阪府が全国一多いそうだ。
 

 国道2号線を元の方向(東)に戻ると「浄正橋(じょうしょうばし)」という大きな交差点に出るので南に曲がり国道を渡る。すぐに右側にこんもりとした森が現れる。「福島天満宮」だ。今日一日の安全を祈願する。
 
  
 福島二丁目の街並み。
 

 ここにも町家を利用したお店が。
 

 路地を抜けて「なにわ筋」を南に進むとすぐ左に「朝日放送」の新社屋。「玉江橋」の手前を左に曲がると、ちょうど朝日放送をバックにして「中津藩蔵屋敷之跡」碑が立つ。そしてその後ろには「福沢諭吉誕生地」の碑が。前を流れる川は「堂島川」。江戸時代、この辺りには各藩の蔵屋敷が並んだ。そして豊前國中津藩の下級武士の子であった福沢諭吉は、この蔵屋敷で生まれたのだ。
 

 その左には、あの「天ハ 人ノ上ニ 人ヲ造ラズ 人ノ下ニ 人ヲ造ラズ」の碑文。
 

 前の川は、船着場になっている。
 

 堂島川に沿って西へ進む。
 

 次の橋「堂島大橋」で右に曲がる。
 

 突き当たりに「下福島公園」という大きな公園があるのでグラウンドの横を抜ける。園内には、室内プールがあるようだ。
 

 玉川二丁目の街並み。
 

 お好み焼き屋さんの横の道は「石畳」。
 

 引き続き、玉川二丁目を歩く。
 

 前方に阪神高速道路の高架が走る「新なにわ筋」に出るので信号を渡ろう。ここは「歴史の散歩道」のようだ。
 

 道を渡ると左側に入る路地があるので進んで行く。古い街並みが残る。ここは「薬屋」。
 

 右に神社が見えるので、そのまま進む。角には、石の道標。
 

 右に曲がればすぐに鳥居が立つ。「恵美須神社」だ。大阪は、今宮戎を頂点に多くの「戎(恵比須・恵美須)さん(えべっさん)」がある。ここ「野田戎」も「堀川戎」や「十三戎」と並んで大阪では有名な「えべっさん」の一つだ。
 

 時節柄、先ほどの福島天満宮同様、「七五三詣」で多くの家族がお参りしている。
 

 境内には、立派な蔵と地車庫だろうか。
 

 奥には藤棚。ここ「野田の藤」は、江戸時代、「吉野の桜」「高尾の紅葉」と並び称されていた。今も区内に多くの「藤棚」が残る。
 

 参拝を終え、玉川四丁目の街並みを歩く。
 

 立派なお屋敷だ。
 

 街並みも良い感じだ。
 

 

 土蔵の向こうには「真宗大谷派極楽寺」。
 

 享楽4(1531)年頃、細河晴元と三好元長の抗争に際し、三好方がここに砦を置いたと言われる。それが「野田城」と呼ばれたそうだ。
 

 その横の極楽寺山門には「野田御坊」と記されている。ここは、現在の大阪城付近に「石山本願寺」を築いた「蓮如上人」ゆかりの寺でもあるらしい
 

 通りを越えて野田三丁目へと入る。
 

 この辺りが最も古い街並みが残っているのではないだろうか。
 

 路地に入ればこんな風景が。
 

 この道は、野田三丁目と二丁目の境界になっている。
 

 二丁目に入る。アーケードではないが商店街になっている。
 

 

 古い家が残る。
 

 この路地も素晴らしい。
 

 さらに野田二丁目の街を歩く。
 

 ここは昔「大野町」と呼ばれていたようだ。
 

 野田二丁目の街並み。
 

 

 
 「新なにわ筋」に出れば右折し、堂島川に突き当たれば右へ。正面には「大阪市中央卸売市場本場」。冒頭述べたように、大阪の食を支える「台所」だ。
 

 場内にある「OSAKA MAIDO PLAZA(おおさか まいど プラザ)」。
 
 
 一般向けの商店が並ぶ。
 

 市場に集まった生鮮食品は、大阪府下は元より全国に配送される。
 

 時間は、午前11時30分、そろそろ昼食の時間だ。駐車場脇には「食堂棟」もある。場所柄、ネタは新鮮だ。
 

 しかし、建物内にもいくつかの食堂があるので中へ入る。場内は結構薄暗い。迷うのを見越して早めに入る。建物内とはいえ車や原付、フォークリフトなどが縦横に走っているので気をつけよう。そして仕事の邪魔をしないように。
 

 案の定、道に迷ってしまった。「あらっ!」気がつけば「粗(あら)捨て場」に。この風景、日本人だから耐えられるのかな。
 

 ふと見ると「粗捨て場」の横に「場内マップ」が。しかし、場内は、暗いうえ同じような区画が続き、特に目印がないのでわかりにくい。
 

 場内をブラブラ。午前11時55分、何とか見つかった。というより「偶然」たどり着いたといった方が良いだろう。2階へ上がる。
 

 2階の通路に2軒の食堂が並んでいた。手前の「みなみ食堂」に入ることにする。大阪では当たり前のことなのだが、男の客は「兄ちゃん」と呼ばれる。店のおばちゃんが「兄ちゃん、冷たいお茶、熱いお茶?」「兄ちゃん、何する?」。「あなご丼、頼んます。」
 

 「あなご丼」(900円)。私は魚介類が好きなので注文したが、卸売市場だからといって「海鮮」にこだわることはない。カレーライスやトンカツを注文する人も多いようだ。
 

 「北門」から卸売市場を後にする。
 

 「中央市場西口」と書かれた交差点を過ぎて左折すると、遠くに見える市場の西口から続く細長い道が現れる。
 

 かつて大阪環状線から中央卸売市場まで国鉄の支線が引き込まれていたそうだ。その廃線跡が「野田緑地」として整備されている。
 

 廃線脇にも古い町家が。
 

 病院の横で廃線跡は環状線の高架に突き当たる。
 

 突き当たって右に曲がる。次の信号で高架をくぐると、かつての鉄道跡が環状線へと続く。
 

 その横には、鉄路の名残だろうか、レンガ造りの小さな柱のようなものと線路を加工した鉄柵が残る。
 

 吉野三丁目へ入る。
 

 ここにも古い街並みが残る。
 

  吉野三丁目を進む。町は静かだ。カラスの鳴き声(たぶん、生ゴミの日だからか)しかしない。
 

 「北港通」という大通りに出るので右折。すぐに右側にアーケードが見えてくる。この辺りからは吉野二丁目。
 

 「野田新橋筋商店街」だ。大阪の商店街にはよくある「商店街のテーマソング」が流れていた。
 

 大阪では鰻のことを「まむし」という。「マムシ」ではない「まむし」だ。
 

 間口は狭いが奥行きのある店が多い。
 

 350mほどでアーケードが終わり環状線のガードに突き当たる。ガード下にも色んな店がある。
 

 吉野二丁目を進む。
 

 吉野二丁目の街並み。
 

 「新なにわ筋」の阪神高速道路高架をくぐり吉野一丁目へ。
 

 吉野一丁目の街並み。
 

 「曾根崎通(国道2号線)」に出れば左折し、阪神電車に沿って歩く。
 

 通りから筋をのぞき込む。
 

 吉野一丁目の街並みを「曾根崎通」側から望む。
 

 

 「新なにわ筋」と「曾根崎通」が交わる「野田阪神前交差点」で曾根崎通を渡り、阪神電車「野田駅」の前を通り過ぎてガードをくぐる。「ヤマダ電機」の先を右折し「海老江七丁目」へ。
 

 長屋の前は石畳。夏は打ち水をするんだろうな。
 

 海老江七丁目を歩く。
 

 大通りを越えて海老江八丁目に入るが、八丁目にはあまり古い家や街並みはない。「海老江西小学校」の手前に稲荷神社が
 

 国道2号線に出れば左折、北上する。350mほどで「淀川小橋」。これは、かつて淀川に沿って流れていた「中津運河」に架かる橋で、その奥には淀川を渡る「淀川大橋」が。
 

 橋の手前には「大阪府福島警察署淀川大橋警ら連絡所」。
 

 国道を戻り、海老江六丁目へ入る。大きなお屋敷が。
 

 このお屋敷には「鍾馗様?」。
 

 何やら道標が。
 

 筋を入って行くと「八坂神社」。
 

 結構、広い境内だ。
 

 海老江四丁目に。
 

 この辺りは海老江三丁目か。
 

 左の土手方向を見ると歩道橋のような橋が見える。
 

 橋の上から「中津運河」跡を望む。
 

 海老江三丁目の「お地蔵さん」。
 

 海老江四丁目と三丁目が入り組む。
 

 この町は猫が多いな。
 

 海老江四丁目の街並み。
 

 

 この四つ辻から向こうは海老江三丁目。
 

 海老江三丁目に入ったところの地蔵堂。
 

 板塀の向こうに「野田の藤棚」。
 

 海老江三丁目の街並み。
 

 三丁目を抜け「海老江東小学校」前の交差点を渡れば、右に「大日本住友製薬」の大きな建物。そして会社正門から中をのぞき込めば「記念館」と書かれたレンガ造りの洋館が見える。明治30年に建てられた「旧大日本製薬」の工場跡らしい。記念館として永久保存されることになったそうだが、非公開のため門外から眺めるしかない。
 
 
 大日本住友製薬を過ぎたあたりから「鷺洲(さぎす)」の街になる。古い工場が建つ。そういえば昔は「ルームエアコン」って言ったなぁ。
 

 「鷺洲中公園」。ここにも「野田の藤棚」がある。
 

 公園前の建物。懐かしいなぁ「ナショナル」だって。
 

 「鷺洲交差点」の脇から「聖天通」という商店街が現れる。
 

 商店街を抜け、信号に出れば左折。すぐに鳥居が見える。東寺真言宗の寺院だが神仏習合の名残から鳥居があり、境内には稲荷社も祀られている。身体は人で頭は象の「歓喜天(かんぎてん)」と呼ばれる仏教の守護神が安置されており「福島聖天」「浦江聖天」などの名で親しまれている。
 

 戦災を免れた山門は、大阪府の文化財に指定されている。
 

 ここの境内にも「野田の藤棚」が。福島区内は藤の季節になれば美しいんだろうな。「芭蕉の句碑」などもある。
 

 鳥居越しに本堂を望む。
 

 参拝を終え、先ほどの商店街まで戻る。信号から先は「FUKUSHIMA遊歩」という商店街となる。「売れても占い商店街」。洒落だな。
 

 この商店街は、淀川を越え西淀川区を経て尼崎に通じる「大和田街道」「梅田街道」という街道だったらしい。
 

 いくつかの「占い」が店を開いているようだが・・・
 

 飲食店が中心の普通の商店街だ。
 

 商店街を抜けると線路に突き当たるので左折して線路沿いに歩く。環状線の高架横をJR宝塚線が通過し、高架奥にJR大阪環状線「福島駅」の入口。ちょうど午後3時に到着。本日の歩紀「26350歩」(22.66km)。福島区は、ホテルでもとってゆっくり飲み歩きたい街だ。
 

 

  

 
 
  

 

 

 

 
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4 コメント

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地図 (定年後)
2015-03-11 14:18:03
定年後 暇してます、とても 楽しいよ。厚かましいですが
歩いた地図があると、すぐにでも 行きませう。!
返信する
Unknown (野里町歩紀)
2015-03-18 23:32:58
定年後 様

 コメントありがとうございます。返信が遅れて申し訳ありません。

 地図。載せられれば良いんですけど、技術的に未熟で申し訳ありません。それと、自分自身でも道に迷いながら、行ったり来たり、右往左往しています。なるべく歩いた跡がわかるように、言葉で頑張ります。今後ともよろしくお願いします。

 野里町歩紀
返信する
福島区も週 何度かは… (H.Matsu)
2018-05-03 11:02:54
買い物で行っています。
自分のよく行くとこが紹介されるとうれしくなりますね😊   
 知っているところ
①ミナミ株式会社さん ②野田新橋筋商店街
③旧大日本製薬 など
②は何度か☀🍴や☕😃☀で行ったことがあります。
 玉川駅近くにいいお店がありました。
 あと有名な地獄谷という飲み屋さん街があるそう
 です。
③ジオ福島野田❨分譲マンション❩が建設中です。
 レンガ造りの薬品会社の建物が印象的だったのに
 … 影も形もなくなっています。
 
 商店街に限らず、お店の方々がとっても親切で
 暖かくて…
 でもその内の1件は、閉店になっていました😢
 
                 2018/5/2
返信する
Re:福島区も週 何度かは… (nozatomatiaruki2)
2018-05-03 12:35:42
 私は、浪速区で生まれたんですが、物心がついた時には、東大阪市(旧河内市)に移りました。大阪市内では暮らしたことがないので、いつも歩く前に下調べをするのですが、実際行って見ると取り壊された建物も多いですね。育った東大阪市にも時々行くのですが、すっかり町は変わっています。できる限り多くの写真を残そうと思います。いつもコメントありがとうございます。
     野里町歩紀
返信する

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